第7話 とある犬の災難 一

 突然だが、俺の名前はトシさんだ。


 勘違いされることもあるが、トシさん、までが名前だ。トシ、という名前ではない。

 まあ、長いからトシでも良いが、その認識は持っておいてくれ。


 この名前は、飼い主である玲美という女に付けられたものだが、センスが良いのか悪いのかについては、俺にはよくわからない。

 とりあえず貰ったものだからな。無下にするようなことはしないがな。


 さて、だ。

 今日は特にやることもないから、街を歩いていた。そもそも、いつもやることなんてねぇんだが、玲美の喫茶店も休みで、誰も来ないことはわかってたからな。


 天気も良いし、ただ寝てるだけってのも暇だから、ブラブラしてたんだが。


「う、うわあぁぁぁん」

「くうぅん」


 まったく、どうしろってんだよ。

 目の前では号泣する子供。泣いているのは幼女で、その横にもう少しだけ大きな幼女が守るように立っている。


 まあ、姉妹なんだろうが、これはあれだな。完全に俺を悪者扱いだな。

 別に何かをした訳でもねぇのに。


 改めて何が起きたのかを思い出してみても、悪いことなんて何もしていないはずだ。


 ただ歩いていたら、公園からボールが転がってきて、それを取りに走ってきた小さい方の幼女が道路に飛び出しそうになったから、慌てて服を咥えて引っ張ったんだ。が、その拍子に転けたみたいで、号泣しちまった。


 後から来たこいつの姉っぽい幼女が、俺のことを見て、何かをしたと勘違いしたみたいだが、どうしたもんか。


 いや、何もすることはねぇのか。


 別に怪我したくらい、この姉っぽい方がどうにかするだろうし、俺がここに留まってる意味もねぇ。


 そうだな。帰るか。


 姉っぽい方も妹っぽい方の手前頑張ってるはいるみたいだが、足は震えてるわ、泣きそうになってるわで、本当に俺が悪いことしてるように見えるし。


 よし。そうと決まれば、さっさと退散しよう。


 そう思ったってのに。


「ま、まって、ぐずっ。ま、ってぇ」


 妹っぽい方が、何か知らねぇが俺を呼び止めてきやがった。すげぇ泣いてる癖に、俺の尻尾を掴んできやがる。


「ちょっ、ちょっと、桜! あぶないでしょ!」


 そりゃあそうだ。

 俺だったから良かったが、他の奴なら怒っても仕方ねぇことだからな。


「で、でもぉ、い、犬さん、にぃ、お、お礼を、い、言いたくてぇ」

「お礼? どうして?」


 ほう。ずっと泣いてやがるから、俺が何したのかもわかってねぇと思ったが、ちゃんと理解してたみたいだな。

 まあ、幼女っても、小学生くらいか。それなら、そのくらいのことはわかっても不思議じゃないのかもしれねぇが。


「い、犬、さんがぁ、わ、わ、私がぁ、どうろに、ひぐっ。どうろから、ひっぱってくれてぇ。車がきてぇ……」


 まあ、これが普通だよな。

 まだこんなガキだし、しかも泣いてるし、しっかりとした説明ができる訳ねぇか。何言ってるのかさっぱりだぜ。


「え? そうだったの?」


 わかったのかよ。

 流石姉妹だな。いや、まだ姉妹と確定した訳じゃねぇけど。


「う、う、ん。お、おねぇ、ちゃんが、来るまえ、でぇ……」


 あぁ、やっぱり姉妹か。計ったように完璧なタイミングだったな、おい。


 だが、これで俺の濡れ衣も晴れたってもんだろ。姉の方まだ疑ってるような目付きだが、妹の方は恐がってる様子はない。


 それに、助けてもらった相手にお礼を言いたいってんなら、俺だって吝かではない。

 今は泣きっぱなしだから無理だろうが、とりあえず落ち着くまで待っててやろうか。



 しばらく待ってると、妹の方がやっと落ち着いたようで、まだ涙は浮かんでいたが、普通に話せるようにはなったみたいだ。


「あの、あのね、あの、犬さん。たすけてくれて、あ、ありがと」

「くうぅん」


 どういたしまして。

 あんまり人間の言葉が理解できるって所は見せるべきじゃねぇのかもしれないが、このくらいは良いだろ。


「わ、わかるのかな? あたま良いのかも」


 姉っぽい方は結構ませてきたみたいだな。

 俺の態度を見て驚いてるみたいだ。と言っても所詮はガキだし、すごいなぁ、程度だろ。


 さて、しっかりとお礼が言えるのは良いことだ。今度からは気を付けろよ、とも言ってやりたいが、流石にそれはできないか。


 一応、道路の方を見て気を付けろよ、と念を込めて睨んでみる。2人共顔を傾げてるから、伝わってない気もするがどうしようもないな。


 1回恐い思いをしてるし、自分で気を付けるだろ。と自己完結させて、今度こそ帰ろうとした。


 のに。


「ま、まって、犬さん」

「ぎゃん!」


 おいおいおい、こら。尻尾を引っ張んじゃねぇよ、尻尾を。地味に痛ぇんだよ。


「桜! あぶないって!」

「で、でもぉ……」


 姉よ、危ないっていうか、尻尾を引っ張るなと言ってやれ。他の犬にこれをやったら、本気で噛まれるかもしれないぞ。


 妹の方、桜だったかが、困った顔でこっちを見ている。


 何がしたいのか知らないが、何かを言いたいことがあるみたいだな。だからと言って、尻尾を引っ張って良い訳じゃねぇけどな。


「い、犬さん、い、いっしょに、あ、あそぼ?」


 勘弁してくれよ。


 意味がわからないが、この桜とやらは俺のことを気に入ったらしい。

 助けられたことに相当感謝しているのかもしれないが、だからって、ここまで懐くもんなのか。


 桜とやらは、期待した眼差しを俺を見つめてくる。純粋無垢な視線が痛々しい。


 逃げるか。

 そう考えたが、1つ心配なことがある。


 逃げるのは簡単だ。こんな幼女じゃあ、俺の全力疾走に追い付けるはずがない。というより、人間で俺に勝てる奴なんてそうそういねぇだろ。


 だが、心配なのは、この桜とやらだ。


 俺が全力で逃げた場合、こいつが追いかけてくる可能性がある。そんな気がする。大いにする。


 もしそんなことがあったら、さっきのように辺りを見ずに道路に飛び出すかもしれない。子供のことだ。その可能性は決して低くない。

 特に桜とやらは、危険な匂いがする。


 その目が告げている。絶対に俺と遊びたいと。 何がどうなっても遊びたいと。


 簡単には諦めなさそうな眼差しだ。

 こいつは危険だ。絶対に危険だ。


 つまり、逃げることはできない。

 かといって、こいつらと遊びたくはない。子供の相手なんて体力がいくらあっても足りないからな。


 となると、ある程度は諦めるしかない、か。

 こういう時の解決策は、俺の中ではほぼ決まっている。

 玲美に任せる。それだけだ。


「あ、ま、まってぇ、犬さん!」

「あ! 桜、走らないで!」


 俺はゆっくりと喫茶店に向けて歩き出す。


 ここから喫茶店はそんなに遠くないが、子供の足だと、それなりに時間がかかるだろうな。

 帰りは、まあ、玲美がなんとかするだろ。


 一応、後ろに気を配りながら歩いていく。

 子供は目を離すとすぐにいなくなるって言うしな。姉の方はしっかりしているようで、桜とやらに振り回されてるし、気を配っておいた方がいいだろ。



 そう思って、この変な散歩を始めた訳だが、始まってすぐに俺は後悔する。


 この2人のお守りは、想像していたよりも遥かに大変で、あの公園で素直に遊んでいればよかったと、心底思うことになるのだが、それを俺が知るのは、少し後の話。

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