第6話 とある知人の襲来 三

「実は私には産みの親の記憶がないのです」

「えっ!」


 いきなりの衝撃発言に、美咲は驚愕の声を上げた。


「両親共に事情を抱えていたらしく、産まれてしばらくして、私は捨てられたようです。運良く見つけてもらって、そこからは施設で育ちました」

「え、えぇ?」


 何のことはないように言う玲美だったが、どう考えても他人が気軽に聞いていいような話ではなく、美咲は困惑する。


「ふふ、そんなに重い話ではありません。捨てられたとはいえ、その後の私はしっかりと生きてこれましたから」

「えぇ? でも……」

「少なくとも、私は気にしていません。それでいいんですよ」

「そ、それなら、まあ」


 まだ納得できない美咲ではあったが、当事者である玲美が言うのであれば、何も言えなくなってしまう。


「まあ、大変なことはありましたが、今では良い思い出です。と言っても、美咲さんが気まずいでしょうから、英玲奈との出会いまで飛ばしましょうか」


 そう言って、玲美は学生時代のことを語っていった。


 ◇◇◇◇◇◇


 英玲奈との出会いは、高校生の頃でした。

 その頃の私は、勉強よりも大事なものを持っていて、学校には必要最低限しか行っていませんでした。


 それでもテストでは毎回満点を取っていたので、本当に生意気な学生だったのでしょう。


 そんなある日、久しぶりに行った学校で、ある生徒に声をかけられたんです。

 それが、英玲奈でした。


「あなた、玲美さんで、間違いありませんの?」

「はい。そうですよ」


 英玲奈のことは知っていました。

 テストの順位表を見ると、常に私の下に名前があるので、気になっていたんです。

 直接話したことはありませんでしたが。


 でも、英玲奈はいきなり、こんなことを言ってきたんです。


「あなた、何故、学校に来ないんですの?」


 正直、私は驚きました。

 そこまではっきりと聞いてくる人なんて、私は会ったことがありませんでしたから。


 当時の私は、その話題に触れてほしくなかったので、それで英玲奈の最初の印象は最悪になりましたね。我ながら幼稚だと思いますが。


「あなたに関係ありますか?」

「関係、大ありですわ!」


 私の記憶が正しければ、私の人生で戸惑ったのは、あの時が初めてでした。もちろん、物心がついた後で、という意味ですが。


 ズケズケと私に近寄ってくる英玲奈に戸惑っていたら、英玲奈はこう言うんです。


「あなた、学校にも来ずに、授業にも出ずに、毎回、私よりもテストの点数が良いなんて、いったいどんな勉強をしてますの!」

「え?」


 正直、そんな風に言われるとは思いませんでした。


 私にとっては普通ですが、一般的に考えて、学校に来ないのに誰よりも点数が取れるなんて、不正をしてると思われて当然でしょう。


 それなのに、英玲奈が聞いてきたのは、私がどのような勉強をしているのか、だったのですから。


「私がカンニングをしていた。そうは思わないんですか?」

「はぁ? あなた、馬鹿ですの? 満点が取れる生徒なんていませんわ。誰の答案を見ると言うのです?」


 まあ、それはその通りなのですが、他にも方法はいくらでもあります。単純に、先にテストの問題用紙を盗んでおくとか、本当にいくらでも。

 ですが、英玲奈にはそういう発想はなかったようです。


「それに、授業に出ない癖に、無理にカンニングをして、何のメリットがありますの?」


 確かにそこについては、同意見でした。

 普段から不真面目な私が、テスト当日だけテストで満点を取れば、疑われるのは当たり前。それがわかっていて、カンニングなんてリスクのあることをするのは、何のメリットもありません。


 意外と理論立てて考えているのだなと感心したものです。そして、面白い、とも感じました。


「特別な勉強法なんてありませんよ。教科書を見ただけです」

「家で、ですの? なら、授業に出た方が効率的な気がするんですけど」

「授業に出るよりも、大切なことがありますので」

「……ふーん」


 その時は、英玲奈も納得していないようでした。実は、寝る間も惜しんで勉強しているとか、画期的な勉強法方があるとか、そんなことを疑っていたようでした。


 英玲奈は、ああ見えて努力の大切さを知っていますから、どうしても素直に信じられなかったのでしょう。



 それから英玲奈は、私が学校に行く度に話しかけてくるようになったんです。


「玲美さん。あなたに問題を出しますわ」

「玲美さん。この数式の解き方が難しいのですが」

「玲美さん。駅前に新しくケーキ屋ができたのを知ってます?」


 正直、鬱陶しいと感じたこともあります。ええ、何度もあります。


 ですが、英玲奈は何かと私に話しかけてくるんです。まだそこまで親密な仲になった訳でもないのに、ズケズケと、人のプライベートまで突っ込んでくる無神経な性格で、本当に疲れました。


 しかも、それだけでは終わらず、途中から英玲奈の友人まで加わって、それまでの学生生活は一変ですよ。


 それはもう、平穏な日常が突如として失われたようで、私としてはもう勘弁してほしいと思っていました。


 ですが、ちょうどその時期に、ある出来事がありまして、私も普通に学校に通うようになったんです。


 世間一般で考えれば、それは喜ばしいことなのかもしれませんが、私にとっては憂鬱でした。

 また、彼女たちに絡まれる。いじめではありませんが、疲れますから。


 でも、それまでずっと絡まれていたせいなのか、憂鬱に思う反面、彼女たちに会うのが楽しみになっている私もいたのです。


 英玲奈とは、勉強のことやそれ以外のことも話すようになり、英玲奈の友人には、私の相談に乗ってもらったりしていました。


 私はその時、何よりも大切なものがありました。そのためだけに生きていましたが、英玲奈たちと出会って、世界には他にも大切なものがあると気付いたんです。


 友人、と呼べる人たちは、あの日の英玲奈たちか初めてだったのでしょう。


 今思えば、あの時彼女たちがいなければ、恐らく今の私は存在しなかったはずです。それ程、彼女たちの存在は私にとって影響の強い存在です。


 高校生活のほとんどは、彼女たちと過ごしました。小学校や中学校の記憶はほとんどありませんが、高校生の頃の記憶は色濃く残っています。


 ですが、特別なことをしていた訳ではありません。普通に授業に出るようになって、普通に学校行事に出るようになって、普通に友達と過ごしていただけです。


 そこに至るまでは、今言ったように紆余曲折があったのは確かでしたが、そこから先は普通ですね。


 高校を卒業すると、英玲奈たちは大学へ。私はアルバイトをしながら夢を追っていました。


 社会人になる時の話は。

 そんなに面白くもないので割愛しましょうか。


 ◇◇◇◇◇◇


「これが私の学生時代です。そんなに大した話でもなかったでしょう?」

「……えっと」


 最後まで聞き終えた美咲だったが、大した話ではないという玲美の言葉には頷けなかった。


 確かに最後の方は普通だったのかもしれない。

 しかし、玲美も言ったように、そこに至るまでの話は、到底美咲の想像できる世界ではなかった。


 産みの親に捨てられ。

 学校にもほとんど行かず。

 それだけの情報でも、美咲にはついていけなかった。今の玲美を知っている分、尚更、理解できなかった。


「やんちゃ、だったんですね」


 それしか言えなかった。玲美は、若かったので、とおどけたように返す。


「英玲奈たちとは、今でも親交があります。みんな働いていて、あまり会えないですが、偶にお店まで来てくれるんですよ」

「そうなんですね」


 美咲が海人から聞いた話も、仲が良さそうだった、というものだった。

 学生時代から仲が良く、今でもその関係が続いているのだから、それは本当の話なのだろう。


「そういえば、今話した友達が、近々結婚するらしいんです。私もそろそろ、そんな歳になったんですね」


 しみじみとして言う玲美は、話の終わりを暗示していた。それはつまり、ここまでが話せるものということだった。


 海人であれば、無神経にそこから先まで踏み込んだのかもしれない。いや、そもそも気にしなかった可能性もあるが。

 しかし、美咲には1つだけ、どうしても気になることがあった。


 話の節々にあった気になるワード。

 意図的に隠されている話。

 大したことはないと言いつつ、決して触れようとしないもの。


 何よりも大切なもの。

 それが何なのか。


 しかし、それを尋ねることはできなかった。

 今の玲美と美咲たちの関係性では、まだ踏み込んではいけないような気がして。


 もしかしたら、今も玲美と英玲奈たちが仲が良いのは、そこまで踏み込むことができたからなのかもしれない。

 美咲はそんな気がしていた。



 その後は少しだけ適当な話をして、美咲は帰っていった。


 何かを聞きたそうに、しかし、それを我慢している様子だった美咲。それに気付きながらも、玲美は何も言うことはなかった。


 美咲が帰っていった後、玲美は部屋の中で1人で布団に寝転んでいた。


「本当に子供みたい、ですね」


 目を腕で隠し、どんな表情をしているのかは玲美にしかわからない。

 しかし、その声には元気がなかった。


「まだ、駄目、みたいです」


 何かを思い出すように、それでいて、誰かに語りかけるように呟く玲美だったが、その声は1人しかいない部屋の中では、空しく流れるだけだった。


 ふと思い出すのは、英玲奈やその友達、そして、大切な1人の存在と大切な記憶たち。いくら思い出しても、戻ってくることのないものたち。


 誰もいない空間で、玲美の目尻からキラリと光るのは、何なのか。玲美にしかわからない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る