第6話 とある知人の襲来 一

 西行寺・カトリーナ・英玲奈は、大企業エネリテックスという会社の総務部において、若くして部長職に就いているエリートである。


 その才覚は幼い頃から発揮されており、小学生にして3ヶ国語をマスターし、高校レベルの授業を完璧に理解していた。

 中学校では、5つの部活を掛け持ちし、すべてにおいて全国制覇を成し遂げている。さらに、すでに難関大学の推薦を受けられる程の学力を誇っていた。

 高校、大学時代においても、たった1人を除いて、誰にも敗けたことがなく、常にエリート街道を歩み続けてきた。


 誰もが彼女を羨ましく思う。

 嫉妬すらも感じさせない程、完璧を体現したかのような存在。しかも、それは勉学やスポーツにとどまらない。


 彼女の容姿を簡潔に形容するのなら、絶世の美女と言う他あるまい。


 誰もが振り返る美しい容姿と神々しい程のオーラは、天は二物を与えず、という言葉と逆行しているようだった。


 彼女が歩けば、そこに道ができる。

 学生という身分がなくなり、社会に出た後も、彼女の道が途絶えることはなかった。


 エネリテックスは、英玲奈の曾祖父が創設した会社である。その繋がりから、英玲奈が会社に就職するのは当然の流れだった。


 入社当初は、周りから親の七光りなどと陰口を言われもしたが、そんな話など一瞬で消し去ってしまう。


 通常であればあり得ないだろうが、英玲奈は新人にして、最初から誰よりも完璧な仕事を遂行してみせたのだ。


 文句のつけようのない圧倒的な技量。

 嫉妬や妬みすらも感じさせないカリスマ。

 そして、それらすらも霞む美貌。


 すべてを兼ね備えた英玲奈が、社内において絶対的な地位を確立するのにそこまで時間はかからなかった。



 そう。彼女はエリートである。

 誰もが憧れるような大企業に勤め、そこで自他ともに認める功績を誇り、未来も有望視されている。


 欲しいものなど、もはや何もないのではないか。周りの人は皆口を揃えて言う。


 確かに、彼女の才能も容姿も、持っている何もかもが、一般人では一生をかけても手にいれることができないものだろう。


 それは英玲奈も理解していた。

 しかし、彼女だけは知っている。

 自分はまだ、手に入れていないものがあると。


 それが何なのかは、今まで誰にも明かしたことがない。そして、これからも明かすことはないだろう。


 しかし、英玲奈のことをよく知る者ならば、それが何なのかは聞かずともわかってしまう。それ程に、英玲奈は熱心にそれを求めているのだから。


 ◇◇◇◇◇◇


「お待たせしました」

「お、ありがと」


 いつもの静かな喫茶店。

 今日の客は海人だけだった。


 世間一般には本日は平日。しかし、海人の学校は今日、開校記念日ということで休みだった。


 平日に学校が休みとなれば、海人くらいの年代であれば、遊びに遊び尽くすのだろうが、不運なことに、海人は以前に渡されていた宿題を忘れていたせいで、追加の宿題を出されていた。

 それもかなりの量で、何とか終わらせた頃には、すでに夕方という時間帯。


 流石にそこから遊びに行く気にもなれず、かといって家にいるのも勿体ないような気がして、こうして玲美の喫茶店に来ていたのだった。


「それにしても、今日はいつも以上に誰もいないな」


 最近通うようになった海人ではあったが、ここで多くの客が賑わっている光景は見たことがない。


 そこまで頻繁に来ている訳ではなく、海人たちが訪れる時間帯も、休日や平日の学校終わりなどに片寄っているため、一概には言えないだろうが、今までの光景を見れば、海人の感想も間違ってはいない。


「まあ、こんな日もありますよ。あら?」


 ふと玲美が誰かの気配に気付く。

 そして、それからすぐ。


 カランカランといつも聞こえるものとは違った少し大きな鈴の音を鳴らして、乱暴に扉が開け放たれる。


 この喫茶店に訪れる客は少ないが、ここまで乱暴に入ってくる人物は見たことがなく、海人は驚いた様子で扉の方へと視線を向けた。


「玲美。いらっしゃいます?」


 すると、そこから入ってきたのは綺麗な1人の女性だった。その女性は、玲美に勝るとも劣らない程の美女。

 つい海人はその人物に目を奪われた。


「英玲奈。他のお客様もいますので、お静かに」


 対して玲美は特に驚いた風もなく、その女性、英玲奈に答える。


 その口調はいつもの丁寧な言葉遣いではあるが、その端から漏れる砕けた雰囲気が、2人の関係がそれなりに親密なのだと感じさせた。


「あら、ごめんなさい。この店にお客がいるなんて珍しいですから」


 不遜な英玲奈の口振りは、この喫茶店のことをよく知っている様だ。


 しかし、海人は英玲奈のことを見たことがない。なんとなく、どういう反応をすれば良いのか戸惑っている海人に、玲美が声をかける。


「すみません。この方は私の高校時代からの友達で、英玲奈と言います」

「西行寺カトリーナ英玲奈ですわ。よろしくお願いします」

「は、はぁ。えっと、浮川海人、です」


 よくわからない自己紹介が終わると、英玲奈は当たり前のように玲美の前の席に座った。それも慣れた様子で、玲美が問いかける。


「いつものですか?」

「えぇ」


 返事は簡潔に。


 突如として店内に溢れた美女2人による別世界のような空気感に、海人はなんとなくソッと席を1つ離れた。



「お待たせしました」


 一言も会話することなく用意されたコーヒーを受け取って、英玲奈が口をつける。そして、満足そうにフウッと息を漏らした。


「やっぱり、ここのコーヒーの香りは落ち着きますわ」

「ありがとうございます」


 玲美と英玲奈の2人の会話は、それだけで海人の周りに流れる空気とは違う空気が流れているように感じさせる。


 もしこの場に海人以外の人物がいたとしても、同じような反応をするだろう。


 普段の評判で言えば、玲美の喫茶店は客のいない寂しい雰囲気の喫茶店、と言った所だろうか。

 しかし、玲美と英玲奈の2人がいる空間は、それだけで映画のように上品な空間へと様変わりしている。


 中学生でお子ちゃまな海人には、とても耐えられなさそうな空気だ。


「それにしても、本当にここは寂れてますわね」


 ふと声を漏らしたのは英玲奈だった。

 ここに来た時からずっと遠慮のない英玲奈は、海人が今まで見たことのない人種だ。


 普段であれば、玲美の美しさや大人びた雰囲気に圧倒される人間の方が遥かに多い。ここまで対等に会話をしている光景は、人間では見たことがなかった。


「私の店は、この雰囲気が魅力なんですよ」

「質素という言葉で、すべてが解決するとは思わないでくださいな」


 この掛け合いに、海人は見覚えがあった。

 しかし、そんな人物を海人は知らない。玲美とここまで打ち砕けた会話をするような人間など。


 そこでふと、気付いた。

 では、人間でなければ、と。


「あ、トシさんか」

「はい?」


 思わず口から漏れた名前に、英玲奈が反応する。


「トシさん? あの犬がどうかしましたの?」


 英玲奈はトシさんという名前で、この喫茶店で飼われている犬を連想したようだ。しかし、何故、いきなりその名前を出したのかわからない様子で、ポカンとしている。


「あ、いや……」

「いえ、何でもありませんよ」


 自分でも無意識に漏れた声に海人が焦っていると、玲美が横から口を挟んできた。


「んん?」


 突然割り込んできた玲美に怪訝な表情をしながらも、そこまで気にはしなかったようで、そのまま海人から視線を戻した。


 それにホッとする海人。そして、ふと玲美の方を見ると、玲美は英玲奈に気付かれないように、小さくシーッというジェスチャーをしていた。


 何が秘密なのかはわからなかったが、とりあえず何も言わずに黙っておいた方が良いだろう、と海人は口をつぐむのだった。



「そういえば、あの犬は?」

「トシさんは、お散歩中です」

「そう」


 玲美の返事を聞いて、英玲奈は少しだけ不機嫌そうに眉を寄せる。

 それに気付かないのか、気付いていても無視しているのか、玲美は何も変わらない表情をしていた。


「ねぇ、玲美。あなた、まだ……」


 何かを言いかけて、チラリと横の方を見る。そして、そこにいた海人と目が合うと、英玲奈は口を閉じてしまった。そして、さらりと髪をかき撫で元の表情に戻る。


「まあ、いいですわ。それよりも、聞いてくださいな。わたくし、また大きなプロジェクトを任されたんですのよ」

「へぇ。それはすごいですね。ついこの間、イベントを成功させたばかりではありませんか」


 その後は、他愛ない会話だけが流れ、何事もなかったかのように時間が過ぎていった。

 しかし、さっきの一瞬、玲美と英玲奈の間に流れたなんとも言えない空気が気になり、海人はずっと2人の会話に聞き耳を立てるのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


「じゃあ、そろそろ帰るな」


 日もかなり落ちてきて、海人が帰ろうとした所で、英玲奈も席を立った。


「じゃあ、今日は帰りますわ」

「……そうですか。わかりました。お2人ともお気を付けて」


 微かに間を置いて、玲美が返事をする。

 それが気になった海人だったが、玲美の表情はいつもと変わらないもので、勘違いだったのだろうと、海人はそのまま店を出た。



 そして、しばらく歩いた所で。


「ちょっと、浮川さん」

「え? あ、はい?」


 急に呼び止められた。


 その声はさっきまで聞いていた女性の声で、海人は怪訝に思いながら振り向くと、そこにいたのはやはり、英玲奈だった。


「あなた、あの喫茶店にはよく来るんですの?」

「あ、はぁ。ま、まあ、最近は」


 突然の問いに海人が戸惑いながら答えると、英玲奈は小さく、そう、とだけ呟いて何やら思案するように眉を寄せる。


 そして、しばらく黙ったままだったが、やがて意を決したように口を開く。


「時に聞きますが、普段の玲美はどんな感じですの?」

「え?」


 どう見ても、英玲奈と玲美は気心の知れた仲に見える。

 他愛ない会話も、ふとした冗談も、玲美は海人に店たことのない表情をしていた。しかも、玲美は英玲奈を高校時代からの友達とも言っていた。


 客観的に考えれば、最近喫茶店に通うようになった海人なんかよりも、英玲奈の方がずっと玲美のことを知ってるだろう。


 そんな英玲奈からの質問に、海人は困惑していた。


「どんな感じって言われても……」


 何と答えていいものか、海人は悩んだ。

 というのも、海人はさきほど玲美から何かを内緒にしてほしいという合図を送られている。

 察しの悪い海人では、内緒ということは理解できていても、それが具体的に何を指しているのかわかっていなかった。


 そうすると必然、何も言えなくなってしまう。


 困った表情で唸っている海人に、英玲奈は小さく溜息を漏らした。


「口を封じられているのですわね」

「あ、いや」


 図星を突かれ、海人はあからさまに動揺した。その様子を見て、さらに、英玲奈が溜息を深く漏らす。


「仕方ありませんわね。お時間を取らせましたわね」


 軽く会釈をして、英玲奈は颯爽と去っていく。


 その背中を眺めて、海人は何とも言えない気持ちを抱えたまま帰るのだった。

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