第5話 とある部活少年の挫折 四

 時間はあまり経っていない。

 辰巳が大樹の元へ向かったのは、玲美の喫茶店からの帰りだった。


 大樹の家は辰巳の家に帰る途中にあり、遠回りすることなく寄ることができる場所にある。喧嘩したまま帰ってしまったため、今日のうちに謝っておこうと思ったのだ。


 しかし、辰巳が大樹の姿を見つけたのは、その前にあるバスケットゴールがある公園だった。

 ダンダンというドリブルの音が聞こえてきて、中を覗くと、そこにいたのが大樹だ。


 大樹は真剣な表情で練習をしていて、辰巳の存在に気付いていない。


 相手を想定しているのか、1つ2つとフェイクを入れて、一気に速度を上げる。最後は綺麗なフォームでシュートを決めて終わり。

 ザシュッと綺麗にゴールをくぐる音が、大樹のスキルの高さを物語っていた。


 シャツで汗を拭う大樹は、何時間練習していたのか、普段の部活の練習で見せる時と遜色ない程に汗だくだった。


 ボールがコロコロと転がる。

 それを歩いて追いかける大樹は、ボールが足に当たった相手を見て、目を見開いた。


「あ」


 大樹は気まずそうな表情をした後、辰巳に声をかけることもなく背を向けた。気にしない素振りを見せるようにドリブルをして、ゴールの方へと走っていってしまう。


 拒絶するような大樹の態度に挫けそうになりながらも、ここで謝られなければ、多分、もうそんな機会はない、と辰巳は直感していた。


「大樹」


 呼び掛けても返事はない。

 声が聞こえない距離ではなかった。


 わざと無視してくる大樹に、辰巳はその前を走り抜けて立ち塞がる。


 バスケにおいてゴールへ攻める方がオフェンス。ゴールを守る方がディフェンスと呼ばれるのだが、辰巳は今、そのディフェンスの構えをしていた。


「何だよ」

「練習、だよ」


 この公園はいつも2人で練習をしている場所だった。

 バスケットゴールがある公園はこの辺りではここしかなく、部活の練習が終わるとよくここに来て2人で自主練習をしていた。


 初めの頃は、初心者の辰巳でも部活の練習についてこられるように始めたものだったが、いつの間にかそれが日課になっていた。


 毎日のように来るという程ではないものの、結構な頻度で2人は練習していた。ここでの練習があったからこそ、辰巳は3年間やってこれたと言えるかもしれない。


 ここでの練習は大樹にとっては、ほとんどメリットがなかった。初心者の辰巳に合わせた練習では、大して上達することはない。


 その点を考えれば、大樹がどれだけ辰巳を応援していたのかが伺える。そんなことにも、辰巳は今になって気が付いた。


 もちろん、半ば無理やり辰巳をバスケ部に誘ってしまったという負い目があるのは間違いないが、それでも応援する気持ちに偽りはなかった。


 辰巳が一方的に始めた一対一の対決。


 馬鹿馬鹿しいと勝負すらしてくれない可能性も十分にあった。それでも大樹は、少しだけ驚いた顔をしただけで、文句を言うことなくオフェンスの構えをした。


 そして、大樹がドリブルを1つして、そこから勝負が始まるのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


「では、トシさんはここで待っていてくださいね」

「ワゥン」


 玲美が訪れたのは中学校バスケ地区大会の会場となっている体育館だった。


 流石に犬を体育館の中に入れる訳にはいかず、トシさんは外で待機となっているが、玲美は入り口にあるパンフレットを受け取って中へと入っていった。


 今日の試合は、辰巳が所属しているバスケ部の試合。しかも、決勝戦だ。


 辰巳のバスケ部はそれなりに強豪らしく、ここまで危なげなく勝ち進んできた。

 しかし、決勝戦の相手はライバル校と言われている強豪で、今までの戦績は五分五分らしい。


 玲美は空いてる席に座ると、コートの方を見る。


 そこではウォーミングアップをする選手たちと、その補助をするマネージャーたちの姿があった。


 基本的にはコートに降りられるのはユニフォームを来た選手とマネージャー、監督だけとなっており、それ以外の部員たちは観客席で待機になっている。


 しかしその中に、玲美のここに来た目的の人物もいた。


「ラスト5分だよ!」


 大きな声を出すのは、辰巳だ。

 辰巳はマネージャー枠として、コートに来ているようだった。


 その顔に焦燥はなく、試合前の適度な緊張感を感じさせる表情だ。


「おぉ! よし、ラスト、決めろよ!」

「おぉし!」


 辰巳の声に反応して、選手たちも大きく声を上げる。


 一際張り切っている様子の男の子は、最後にシュートを決めてガッツポーズを見せた。

 調子の良さそうに見えるその男の子は、どうやら、このチームの主力となる選手なのだろうと玲美は素人ながらに察する。


 そうしてウォーミングアップの時間が終わり、試合が始まった。



「残念、でしたか」


 玲美が呟いた。

 その後の試合の結果は、辰巳のチームの負け。


 残り時間ギリギリまで、点の取り合いが続いていたのだが、最後の最後に相手のシュートを止めきれずに1点差で負けてしまった。


 玲美が聞いていた話では、辰巳の世代はこの大会が最後だ。


 地区大会を勝ち抜き、全国大会へと続いていかない限り、この大会で引退ということになる。そして、この地区からは全国大会へと進めるのは、優勝校のみ。


 準優勝の辰巳たちは、この試合をもって引退となった。


 負けた悔しさ。

 3年間が終わってしまったという感情。

 全力を出した興奮。


 様々な感情が渦巻いているだろう辰巳たちは、しばらく涙を流して動けないでいるようだった。


 その後、辰巳たちは監督に一言、二言目何かを言われ、表彰式の準備のため、ベンチを離れていく。


 悔しさを滲ませる辰巳たちの表情は、今日初めて試合を見ただけの玲美の心すらも動かすようで、玲美は少しだけ涙ぐんでいた。


 ◇◇◇◇◇◇


 表彰式が終わり、大会が終わった。

 すべてを見終えた玲美は、会場を後にする。


 すると、そこに。


「玲美さん!」


 不意に呼び掛けられて玲美は立ち止まった。

 振り向くとそこには、息を切らせて走ってきた様子の辰巳がいた。


 辰巳は急いで片付けを終わらせてきたようで、鞄の中身はぐちゃぐちゃでファスナーも開きっぱなしだった。


「辰巳さん。どうしたんですか? そんなに慌てて」

「いえ、えっと、お礼を、言いたくて」


 途切れ途切れに言う辰巳に、玲美は息が落ち着くまで待つように、静かに待っていた。


 それからやっと呼吸が整ってきた辰巳は、深々と頭を下げる。


「玲美さん。改めてありがとうございました」

「えっと、私、何かしましたっけ?」


 心当たりのない玲美は首を傾げる。

 そんな玲美に、辰巳は勢いよく頷いた。


「それはもう。今日、ここまで良い試合ができたのは、玲美のおかげなんです」

「え? 流石にそれはないと思うんですが」


 素人の玲美から見ても、今日の試合はどちらのチームも全力を出し切った試合で、素直に良い試合だったと思っていた。


 それは、両方のチームが今回まで本気で勝つために練習をしてきたからで、そこに玲美の関与する要素などないはずだった。


 確かに辰巳が悩んでいる時、玲美はその話を聞いてあげたことはあった。

 しかし、それはあくまで話を聞いただけで、もしそこから何か行動をしたのだとしても、その最終的な行動は辰巳自身の功績だ。


 さらに言えば、玲美は本当に部活に対する助言はしていない。


 良い試合ができた理由に、玲美の何かが関与しているとは本気でわからなかったのだ。


「確かに、直接的ではないですけど、でも、玲美さんのおかげなんです」


 そう言って辰巳が説明してくれた。


 実は辰巳が大樹と喧嘩してしまった現場は、他の部員たちも見ていたのだ。

 普段は仲の良い2人の喧嘩は、チームにちょっとした動揺を与えていた。


 唯一ユニフォームをもらえなかった辰巳。

 他の部員が負い目を感じる必要はない。それは間違いなかった。


 しかし、3年間共に頑張ってきた辰巳が、感情を露にしている姿を見ると、どうしても気になってしまうものだろう。


 結果、何ともいえない空気を残して、その日は解散となってしまったのだった。


 お世辞にも良い空気とは言えない、そんな中で大会までの練習が続くとなると、調子が上がるものも上がらない。監督も含めて、どうしたものかと頭を悩ませていたのも一晩だけ。


 なんと、次の日には仲直りした様子の辰巳と大樹の姿があった。


 その理由は、辰巳と大樹にしかわからなかったが、吹っ切れた辰巳と大樹の雰囲気は、良い方向にチームを導いていく。


 結果、辰巳たちのチームは、この大会に向けて、最高の状態に持っていくことかできたという訳だった。


「なるほど」


 その説明を受けて、玲美は一応の納得をした。


「あの時、玲美さんが僕の相談に乗ってくれていなかったら、僕は大樹と喧嘩をしたままで、最悪の空気のまま大会を向かえていたかもしれません。だから、お礼を言いたかったんです」


 本当に感謝している辰巳は、もう一度頭を下げようとする。


 しかし、そんな辰巳の頭を制して、玲美は首を横に振る。


「言いたいことはわかりましたが、やっぱり私のおかげではありませんよ」

「え? で、でも……」

「私の言葉を聞いて、辰巳さんの何かが変わったのだとしても、その行動は辰巳さんの力ですよ」


 微笑む玲美は、何か言いたげな辰巳に何も言わせない内に続ける。


「私は色々と言っただけ。辰巳さんは行動した。言うだけなら誰にでもできます。しかし、行動することは誰にでもできることではありません。だから、私に感謝する必要なんてないんですよ」


 何が正しいのか。

 何が間違っているのか。

 それを理性で理解して、頭で理解することは、案外多くの人ができるものだ。

 しかし、それを実際に行動で示せる者は、それ程多くはない。


 プライドやしがらみ、その他にも様々な事情が渦巻く人生では、素直に行動することは難しく、怖いものだ。


「まだ辰巳さんには難しい話かもしれませんが、その選択ができる辰巳さんは、素敵な人だと思いますよ」

「え? す、素敵、ですか?」


 玲美ほどの美女に誉められて、辰巳は顔を赤くする。


「それでは、皆さんの元に戻ってあげてください。この後も、何かと集まりがあるのでしょう」


 そんな初な反応を微笑ましく眺めて、玲美は辰巳の後ろの方でこちらを伺っている男の子たちを見た。


 辰巳を呼びに来たようだが、玲美の姿があって声をかけづらい様子。美女には声をかけづらいという、思春期の男の子といった所だろう。


「あ、みんな」

「それでは、また」

「あ、玲美さん」


 踵を返す玲美に、辰巳は待ったをかける。


「えっと、あの、ま、また、喫茶店に遊びに行ってもいいですか?」


 辰巳の問いかけに、玲美は振り向いて答えた。


「ええ、いつでも来てください。今後もこの喫茶店をご贔屓に」

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