第5話 とある部活少年の挫折 二
辰巳の話は、言ってしまえば、自分がやつあたりをしてしまったというだけの話だ。
部活で3年間頑張ってきた話も、一緒に仲間たちと頑張ってきた話も、その話だけで台無しになってしまう。
言えば言う程に自覚してしまう辰巳は、どんどん自信をなくしているようで、心なしか身体が小さくなっているようだった。
「なるほど」
話を終えた後、うつ向いてしまった辰巳の頭の上で、玲美が静かに呟く。
「難しいですね」
「へ?」
見た目の印象から、何でもできそうな雰囲気の玲美から、そんな言葉が聞こえてくるとは予想しておらず、辰巳は思わず変な声を漏らした。
顔を上げると、玲美は悩ましげな顔で考え込むように天井を見上げている。本当に理解できていない様子で、ムムムと顔を歪めている。
「私、部活に所属していたことがないもので、そういった感情はよくわからないんですよね」
「あ、なるほど」
玲美の話に、辰巳も納得した。
今回の話に限らず、どんな話でも、自分が経験したことのない話はよくわからないものだろう。
見聞きした内容を想像することはできても、実際に体験したことのないことに共感することは難しい。
ましてや、辰巳がやつあたりする程に、大樹に対して腹を立てた感情など、玲美にわかるはずもなかった。
気持ちを理解してもらえなかったことで、辰巳から溜息を漏れる。
そんなことを感じること自体お門違いだと思っていても、全く晴れることのない自分の心に、辰巳はどうしてもショックを隠せなかった。
しかし、そんな辰巳に玲美はちっちと指を揺らす。
「ですが、大丈夫です。ここで、協力な助っ人を用意しましたから」
「す、助っ人?」
少しだけ悪戯っぽく笑う玲美は、少し屈むとカウンターの裏から、突然1匹の犬、トシさんを持ち上げてきた。
「うわぁ!」
突然目の前に現れたトシさんに、辰巳は驚いて椅子から転げ落ちそうになった。
なんとか体勢を立て直した辰巳だったが、満面の笑みを浮かべている玲美に、戸惑った視線を向ける。
「あ、あの、これって」
「トシさんです。あなたの気持ちを理解できるのは、どちらかと言うと、トシさんの方かなと思いまして」
「は、はぁ」
犬に人の気持ちがわかるのだろうか。
なんて当たり前の疑問を頭に浮かべていると、不意にトシさんが玲美の方を見た。
「おい、これはどういうことだ?」
そして、聞こえてきたのは男の声。
もちろんそれは、辰巳のものではない。
辰巳に比べ、かなり野太く男らしい声だった。
そんな声が何処からしたのかというと、言わずもがなトシさんな訳で。
「う、えええええぇぇぇぇ!」
これまでにも何人かが経験してきた驚きの光景に、例に漏れず辰巳も驚愕したのだった。
◇◇◇◇◇◇
「つっても、俺だって人間の部活の話なんてわかんねぇぞ。犬なんだからな」
おすわりの状態で話しているトシさんに、辰巳は身動きがとれず固まっていた。
「そうかもしれませんが、同姓として、何かわかることもあると思うんですよ。私よりは」
「そうかぁ? 同姓っつか、そもそも種族がちげぇんだがな」
「あ、あのあの、ああの!」
何故か何事もなく進んでいく状況に、堪らず辰巳が声を上げる。
「ど、どうして、い、犬が、人間の言葉を喋ってるんですか?」
至極当然な疑問。この質問は、海人や美咲が通ってきた道だ。
しかし、そのどちらも答えは決まっていた。
「うーん、まあ、よくわかりませんが、喋れるんです。意志疎通ができて便利でしょう?」
「……えー?」
あまりにもあっけない回答に、辰巳は二の句が継がなくなっていた。
「それよりも、ほら、トシさん。何か、ないんですか?」
「ざっくりとしすぎだろ。まったく」
結局、何の答えもわからないまま、話は進んでしまった。
トシさんは、無理難題を突きつけてくる玲美に呆れながらも、真剣な顔で辰巳の方に向き直る。
真剣な顔、というのは、その場の雰囲気であり、辰巳にトシさんの細かな表情の変化はわからないのだが。
「まあ、とにかく、やつあたりはよくねぇぞ」
「うっ」
傷口を塩で抉るようなトシさんの一言に、辰巳はガクッと肩を落とした。
「こら。もう少しクッションを敷いてください」
「はぁ? どうしろってんだよ」
トシさんには全く悪気がない。
あくまで思ったことを口に出しただけ。注意はしているが、そこまで辰巳が悪いと思っている訳でもなかった。
一端の男であれば、勝てないのは悔しいし、同情をかけられるのは屈辱だろう。それが優しさだと頭ではわかっても、プライドが許さない。
トシさんにしてみれば、そこまで悔しがる程に本気で部活に向き合っていたのなら、試合に出られなくても、へらへら笑っていることに比べれば遥かに男らしいと思っていた。
もちろん、そのプライドの守り方には問題があったのだろうが。
「トシさん。そう思うのなら、それも口にしないとわからないですよ」
「はぁ? そんなもんかぁ?」
そういうもんです、と強く言う玲美に圧され、トシさんは仕方なく最初から全部を説明することにした。
「あー、まあ、そうだな。これは俺の知ってる人間の男の話なんだが」
その前置きをして、トシさんはゆっくりと話をし始めた。
「そいつはな、とにかく喧嘩っ早くてな。でも、別にそこまで喧嘩が強い訳じゃなかったんだよ」
「は、はぁ」
いきなり何の話が始まったのかと、戸惑いながらも辰巳は相づちを打つ。
「よく喧嘩をしてはボコボコにされて、怪我が絶えなかった。本気でヤバい奴らにも喧嘩を吹っ掛けて、死にかけたこともあった」
自分では想像もできない世界に、辰巳はゴクリと唾を飲む。
相変わらずトシさんの表情の変化はよくわからなかったが、何処か懐かしんでいるような声音に、いつの間にか辰巳はその話を真剣に聞き入っていた。
「それでも死ななかったのは、まあ、知り合いが助けてくれたからなんだが、それがその男には屈辱だったんだよ」
「助けてもらったのに、ですか?」
「あぁ。俺はこいつに下に見られてるんじゃねぇか。こいつに俺は、守らなきゃいけない奴と思われてるんじゃねぇかってな」
それを聞いて、辰巳はハッとした。
トシさんの話は、状況は違うものの、辰巳が感じたものと同じように思えたから。
下に見られている。助けなきゃ何もできない奴だと思われている。辰巳が大樹に感じたのは、そんな劣等感だった。
中学の3年間を必死で練習して、自分なりに頑張ってきて、試合に出られなくとも、ユニフォームをもらえなくとも、できることをやってきた。
それは辰巳のプライドだ。努力が実らなかったとしても、頑張ってきたという自負がある。
だが、大樹の言葉は、辰巳にとって、そのプライドを壊されるようなものだった。そんな気はないと思っても、我慢できなかった。
今まで努力してきたことが、無駄な努力だったと思わせられるような、結局どうせ、報われないものだったのだと、言われたような気がして。
「と、ま、まあ、そいつの気持ちのすべては、俺にはわからねぇが、聞いた感じだと同じようなもんだろ」
「そう、ですね」
何故か微かに動揺したようにも聞こえたが、トシさんの言う通りだったため、辰巳は素直に頷いた。
「それで、その人は、それを思って、どうしたんでしょうか?」
自分と同じ状況の男の人は、屈辱を感じ、何をしたのか。それが気になった。
辰巳はやつあたりをしてしまった。
相手の優しさを勝手に穿った見方をして、プライドが傷付けられたときつく当たってしまった。
ユニフォームをもらえなかったからと、他人に当たることが、決して格好の良いことではないということは辰巳でもわかる。
大人になれば、もっとスマートに、かっこよく、受け流せるのかもしれない。漠然とそんなことを思っていた。
しかし。
「まあ、当たり散らしてたな。ほっとけ。構うんじゃねぇ。どっかいけ、ボケ! ってな」
「え、えぇ?」
自分以上に幼稚な行動に辰巳は戸惑った。
その話の人物の年齢はわからないが、話の流れからして、そこまで幼い人物とは思えない。
にも拘らず、そこまで大人がない行動をするとは、予想もしてなかったのだ。
「そしたらよ、そいつにボコられてな。多分、あれが人生で1番危なかったんじゃねぇかな」
笑うトシさんだったが、ふとその後ろから冷気が漂ってくる。
ピシッという空気が凍る音が聞こえたような気がして、トシさんと辰巳は、その音が聞こえたと思われる方に目を向けた。
するとそこでは、玲美がニコリと満面の笑みで笑っていた。それはもう、綺麗な笑みだ。
しかし、その笑みを見ても、心安らがないのはどうしてだろうか。
身の危険を感じたトシさんは、露骨に目をそらして玲美と顔を合わせようとしない。
「その話、私の知り合いにも同じような出来事があったみたいですけど、私の知っている人の話ですかね?」
「は、はぁ? ち、ちげぇよ。な、何の話してんだ?」
冷や汗、が流れているかは微妙だが、とにもかくにも焦った様子でトシさんが否定する。
「と、とにかくだ、それで俺は学んだんだよ。やつあたりはするもんじゃねぇ。必ず自分に返ってくるってな」
「は、はぁ」
無理矢理締め括られた話は、何とも締まりのない話で終わってしまっていた。
簡潔にまとめれば、因果応報、やつあたりはするべきではない、ということなのだろうが、途中までが刺激的な話だっただけに、結末が無難になってしまっているのがなんとも言えない。
特に心響いた様子のない辰巳に、トシさんはガシガシと後ろ足で頭をかいた。
「ま、そういうこった!」
「何一つ参考になっていないと思うのですが」
勢いで流してしまおうとするトシさんの魂胆を、玲美は非難するような視線で諌める。
思いの外鋭い視線だったのか、トシさんはビクリと身体を震わせると、そそくさと店の隅っこの方へと行ってしまった。
そして、もう関係ないとばかりに背中を向けてその場で踞ってしまう。
玲美は諦めた表情で溜息を漏らすと、どうしていいか戸惑っている辰巳に向き直った。
「一応伺いますが、参考になりましたか?」
「え、えっと……」
なんとも言えない表情で辰巳は目を泳がせる。
それを見た玲美は苦笑いを浮かべ、コホンと1つ咳払いをした。
「まあ、そうですよね」
玲美は微かに流れる髪をかき撫でる。
少しだけ眉尻を下げる玲美は、辰巳よりも大分年上のはずなのだが、何処か可愛さを感じさせた。
少しの間、沈黙の時が流れる。
そして。
「辰巳さんは、どうしてバスケ部に入ったんですか?」
「え?」
何か思案するように黙っていた玲美は、ふとそんな質問をしてきた。
突然の質問に驚いたものの、特に秘密にしている話でもなかったため、辰巳は簡単には答える。
「最初は、大樹に誘われたんです」
中学校に入学してすぐの頃、辰巳は大樹にバスケ部に入らないかと誘われた。大樹が誘った理由は簡単だ。知り合いと一緒にバスケ部に入りたかったから。
小学校の頃からバスケをやっていたのは大樹の他にも何人かいたのだが、他の部活に入ったり、そもそも部活に入らないという者が多く、大樹は1人になってしまっていたのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが辰巳だ。幼馴染みということもあり、誘いやすかったのだろう。
やったこともないスポーツの部活に入るなど、あんまり気乗りしていなかった辰巳だったが、執拗に勧誘され、結局根負けした辰巳はバスケ部に入ることになったのだ。
入ってすぐの頃は、練習の辛さにすぐやめたくなったりもしたのだが、大樹に励まされ、なんとかふんばっていた。
練習試合などで、試合の楽しさを知ってしまったのも理由の1つだろう。
それからずっと公式な試合に出られるように、努力を続けてきた。
誘われて入っただけの部活だったが、今では真剣にバスケに打ち込んでいる。周りとの実力差を理解しつつも、いつかはと夢を見て頑張っていた。
だからこそ、最後の大会でユニフォームがもらえなかったことが、死ぬ程悔しかった。頭の何処かではわかっていても、それでも諦めきれなかった思い。
悔しくて、悔しくて。
辰巳は涙を溢す。
ユニフォームを配る時に、名前を呼ばれなかった時も流さなかった涙が、ここで流れた。
「く、う、うぅ」
意識してしまうと、悔し涙が止まらなくなる。
カッコ悪いからとかけていた心のブレーキが壊れたかのように。
辰巳の心は単純明快、悔しさで溢れていた。
「本気、だったんですね」
玲美の優しい声が辰巳の耳に落ちてくる。その優しい声音が、より辰巳の涙を加速させた。
結局、辰巳はそれからしばらく、何も言えずに泣いていたのだった。
「落ち着きましたか?」
「……はい」
辰巳はばつが悪そうに呟く。人前で泣いてしまったのが恥ずかしかったのだろう。
すぐにでも逃げ出したい葛藤を抱えながら、辰巳はおもむろに口を開いた。
「僕、もうこれでバスケはやめようと思います」
誰に対しての宣言かはわからないが、辰巳はそう口にした。
「高校では、もっと自分にあった部活に入ろうかなって。元々、向いてなかったんだと思いますし」
辰巳の宣言に、玲美は何も言わない。
ジッと見つめてくる玲美の瞳は、辰巳の心の内を見透かそうとしているようで、辰巳は無意識に視線をそらした。
目を合わせられない辰巳に、玲美はゆっくりと問いかける。
「それが、本心なんですか?」
問われ、答えられず、辰巳は黙り込む。
本心なのか、偽りなのか、辰巳にもわからなかった。
「そうですか」
何も言わない辰巳に、玲美は静かに囁いた。
呆れられたのかと不安に思い、少しだけ目線を上げると、玲美の表情に呆れの色はなかった。
感情を読み取らせない微笑を浮かべ、玲美は静かに語りかける。
「さて。辰巳さん。少しだけ、お話をしましょうか?」
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