第5話 とある部活少年の挫折 一

「では、ユニフォームを配る」


 監督から名前が順番に呼ばれていく。

 最初の方はいつものメンバーだ。特に驚くこともなく、順当に名前を呼ばれた選手たちが前に出てユニフォームを受け取っていた。


 主体的に試合に出るスタメンのユニフォームを配り終え、ベンチメンバーのユニフォームが行き渡っていく。


 名前を呼ばれ驚きを見せる者。

 名前を呼ばれ安堵を見せる者。

 名前を呼ばれ喜びを見せる者。


 そんな中で1人、未だに名前を呼ばれていない少年がいた。


 少年の名前は、梶木辰巳。

 バスケ部に所属する中学3年生だ。


 彼は中学校からバスケを始め、素人ながら3年間、部活に勤しんでいた。


 しかし、残念なことに周りの部員たちは、ほとんどが経験者で、バスケの経験が圧倒的に少ない辰巳では、その差を埋めることができなかった。

 さらに、不幸なことに辰巳の世代は部員が多く、辰巳はこれまでスタメンはおろか、ユニフォームをもらったことすらない。


 それでも部活を頑張ってきた辰巳に、部員たちを始め、監督の評価は低くなかった。

 しかし、低くはないのだが、それでユニフォームをもらえるかと言えば話は別。


 あくまで実力を公平に判断する監督は、辰巳に情けをかけることはなかった。


 そして、今回の大会は、3年生の辰巳たちにとって、最後の大会となる。つまり、ここで名前を呼ばれなければ、それは辰巳の中学3年間が試合に出ることなく終わってしまうことを意味していた。


 徐々に減っていくユニフォームに、辰巳の拳は汗で濡れていた。


「では、最後は……」


 頭の何処かでは理解していた。


 しかし、辰巳は最後まで希望を捨てられない自分と冷静に状況を見ることができている自分の間で揺れ動いていた。


「原田」

「よっしゃあ!」


 そうして、自分以外の名前が呼ばれた時、辰巳は、やっぱりかと納得してしまっていた。


「今回、名前を呼ばれなかった者は、次回以降、頑張るように。それと、梶木」

「……はい」


 下を向いていた辰巳だったが、なんとか顔を上げる。泣きそうになるのをなんとか堪えて。


「お前が3年間頑張ってきたことは認める。すごい奴だと思ってる。だが、だからといって特別扱いはできない」

「はい」

「今回は残念だったが、今までの頑張りは絶対に無駄にならない。最後まで、チームメイトとして、みんなを応援してくれ」

「はい」


 返事をするのがやっとだった。

 悔しさと空しさと恥ずかしさが一気に押し寄せて、今すぐにでも逃げ出したかった。


 みんなの見る目がどんなものなのか、辰巳は恐くて見られない。

 今まで一緒に頑張ってきたチームメイトのことすら、憎く思えて仕方がない。


 複雑な感情が雪崩のように押し寄せてきて、振り切れたように辰巳の心は落ち着いていた。


 いや、落ち着いていたというのは違うかもしれない。

 辰巳は何も考えられなくなっていた。

 何も感じられなくなっていた。


 その日の練習は、メインのメンバーの調整がほとんどだったため、それが誰かに気付かれることはなかったが。



 部活が終わり、辰巳は練習着を着替えていた。


「なぁ、辰巳。今日の帰りさ、何か買い食いでもしに行かね?」


 辰巳に声をかけたのは、バスケ部副部長の荒田大樹だった。


 大樹は辰巳の幼馴染みであり、小学生の頃からバスケをやっている。辰巳とは違い、運動神経も抜群でチームのエースとして活躍していた。


 辰巳がバスケを始めるきっかけになったのは大樹であり、続けることができたのも大樹のお陰だ。

 大樹は辰巳がユニフォームをもらえないことをいつも気にかけており、自主練習に付き合ったり、相談に乗ったりしていた。


 今日も同じで、最後の大会でユニフォームをもらえなかった辰巳を励まそうと声をかけたのだった。


 いつもなら、こんな大樹の言葉も素直に受け取ることができたのだろう。しかし、今日だけは、大樹に声をかけられたくなかった。


「いや、いいよ。今日は真っ直ぐ帰る」

「そっか? なら、俺も帰るよ。どうせ同じ方向だし」


 屈託なく笑う大樹は、本当に辰巳のことを心配していた。


 ずっと一緒に頑張ってきた仲間であり、試合に出ることはなくとも必死に練習を頑張る姿は、いつも勇気をくれる。それは、大樹以外の部員たちも同じ思いだった。


 正直に言うなんて恥ずかしい年頃の大樹たちでは、そんなことを本人に言うことなんて決してできないが。


 しかし今回は、その羞恥心が悪い方へと事態を進めてしまう。


「別に、他のみんなと行ってきなよ」

「え? あ、いや、そこまで行きたい訳でもないし」

「なら、なんで誘ったんだよ」

「そ、それは、辰巳も、行きたいかなって思ったから」

「僕は一回もそんなこと言ったことないよ。勝手に決めないでよ」

「はぁ? なんだよ、感じ悪いな。ちょっと声かけただけだろ?」

「それが迷惑なんだよ」

「迷惑?」


 大樹の声を聞いて、辰巳は咄嗟に、しまったと思った。恐る恐る辰巳が振り向くと、案の定怒った表情を見せる大樹がそこにいた。


「なんだよ、それ。ユニフォームもらえなかったからって、やつあたりすんなよ」

「はぁ? やつあたりじゃないよ。そっちがうるさいだけじゃん」

「なにぃ?」


 売り言葉に買い言葉。普段なら言うはずのない言葉も、お互いの口から漏れてしまう。

 しかしこの場に、ヒートアップしていく2人の感情を止めることができる者はいなかった。


「いつもいつもお節介なんだよ。僕がユニフォームもらえないからって下に見てるんだろ」

「はぁ? そんな訳ないだろ。どうしてそうなるんだよ」


 辰巳もこれが、やつあたりだということはわかっていた。それでも止まらない。今までずっと押し殺してきた思いが、最後の最後で噴火のように溢れ出す。


「ずっと前から思ってたんだよ。やっぱり僕にはバスケは向いてない。なのに、ずっと構ってきて、僕が自分よりも上手くなる訳がないって、心の底では思ってたんだろ?」

「……そんな風に思ってたのかよ」


 悲しげに揺れるのは大樹の瞳。

 それに心が揺らぎそうになっても、辰巳にはどうすることもできなかった。


 沈黙が続く。


 それが答えだと思ったのか、大樹は何も言わずに舌打ちをして、辰巳の横を通りすぎるように帰っていった。


 残された辰巳は、なんとも言えない気持ちで、遠くなっていく大樹の背中を眺めていた。


「僕も、方向、一緒なんだけど」


 このまま後ろをついていく気にもなれず、仕方なく、辰巳は寄り道をして帰ることにした。



 行く宛もなく歩き続ける辰巳。

 そろそろ日も落ちてきて、帰らなければいけない時間なのだが、辰巳は中々帰ることができないでいた。


 夜にバスケの自主練習をすることはよくあるので、少しくらい遅くなっても辰巳の親もそこまで心配しないのだが、流石にそんな言い訳も難しい時間になってきた。


 すでの大樹は家に着いているだろうし、もう帰っても問題ないはずなのだが、どうしても足が進まない。


「家出、ですか?」

「え?」


 そんな時、不意に聞こえてきた綺麗な声。

 驚いて振り返ると、そこには綺麗な女の人が立っていた。


「塾の帰り、にも見えませんし、部活、にしては、この辺りには学校はないはずですよね。かといって、遊んでるようにも見えませんし。となると、家出?」

「い、い、いえ、いいえ! ち、違います!」


 怪訝な表情を浮かべる女の人に、辰巳は必死で首を振った。

 よくわかっていなかったが、家出だと疑われれば、警察に通報されるかもしれないと思ったから。


 明らかに挙動不審な行動をする辰巳だったが、その女の人は、何かを言おうとしつつも言葉にできないでいる辰巳を眺め、ニコッと微笑みかけた。


「少しだけ、事情を聴きましょうか。私がやってる喫茶店がすぐそこにありますので」

「え?」


 ◇◇◇◇◇◇


 その女の人、玲美に連れられて、辰巳はいつの間にか喫茶店まで来ていた。

 誰もいない店内で、コーヒーを淹れる音がだけが聞こえてくる。


 なんとなくついてきてしまったものの、辰巳は内心焦っていた。


 帰る決心が中々つかなかったものの、すでに時間も遅くなってきていることは自覚している。それなのに、知らない店でコーヒーを飲む余裕なんてある訳がなかった。


 なんとか帰ろうと玲美に声をかけようとする辰巳だったが、コーヒーを淹れる玲美が綺麗すぎて、どうしても声をかけることを躊躇してしまう。


 そんなことをしている間に、玲美の準備は終わってしまったようだった。


「はい、どうぞ。コーヒーは大丈夫なんですよね?」

「あ、は、はい」


 ここに来る途中で聞かれた話。そんなことに答える暇があったのなら、断ればよかったものを、と辰巳は今更ながらに後悔していた。


 出された以上、飲まない訳にもいかなくなり、辰巳は仕方なく一口だけコーヒーを飲むことにした。


 辰巳はブラックのコーヒーが嫌いじゃない。むしろ甘い飲み物よりは好きだった。

 香りは悪くない。ゆっくりと飲むと、辰巳は驚いたように目を見開く。


「お、美味しい」

「それはよかった」


 外はそこまで寒い訳ではなかったが、日も落ちてきて、肌寒さを感じていた辰巳の身体には丁度良い温かさだった。

 良い香りも相まって、辰巳の心はすっかりと落ち着いていた。


「さて、落ち着いたようなので、お話を聞かせていただけますか? 何故、家出を?」

「えぇ! い、いや、だから、家出じゃないんですよ!」


 忘れた頃に投下された話題に、落ち着いた心も吹っ飛んで、辰巳は慌てて否定する。しかし、必死に否定する辰巳に、玲美は懐疑的な目を向けていた。


 全く信用していない目を見て、辰巳はさらに焦っていく。

 本当に家出少年として警察に通報されたら、怒られる以上に、恥ずかしさで死んでしまう自信があった。


「ち、違うんです。少し帰りづらかっただけで、帰らないつもりなんてなかったんです」

「帰りづらかった、ですか?」


 初めて玲美が疑い以外の目をした。辰巳はこれがチャンスだとばかりに畳み掛ける。


「そ、そうなんです。ちょっと嫌なことがあって、帰りづらくなって、そうこうしている内に、どんどん帰れなくなっていって」


 言うにつれて、辰巳の声は小さくなっていった。

 思い出してしまえば、帰りたくない気持ちがまたぶり返してくる。

 帰らないつもりはなかった、という辰巳の言葉も、今となっては説得力に欠ける。


 あくまで辰巳は、家出をするつもりなんて全くなかった。

 が、改めて考えてみると、やってることは家出とあまり変わらない。帰りたくない理由が、自分の家ではないことくらいの違いしかなかった。


 それに気付いてしまった辰巳は、何も言えなくなり黙ってしまう。本当に帰り方を忘れてしまったかのように、辰巳は途方に暮れた。


「なるほど。どうやら、何か訳ありのようですね。ちなみに、もう遅い時間ですが、帰る気にはなりましたか?」

「そ、それは……」


 即答できない辰巳に、玲美は自分の腕に着けている時計を見た。


「まあ、まだ大丈夫ですかね」


 何かを確認した玲美は、カウンターを挟んで辰巳の目の前に座る。


「少しだけ、お話、してみませんか?」

「話、ですか?」

「えぇ、お話です。どういった事情なのかはわかりませんが、話してみたら少しは気が晴れるかもしれませんよ?」


 にこやかに笑う玲美に、辰巳は少しだけ顔を赤くする。大人の女性然とした玲美の雰囲気は、辰巳にはまだ刺激が強いのだろう。

 だがそれでも、不思議と嫌な印象を受けない。


 玲美の顔色を伺っていた辰巳は、少しだけ逡巡するとポツリポツリと話し始めた。

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