第4話 とあるイケメン大学生の話 三

「私も子供の頃は、勝負事で誰にも負けたことがありませんでした」


 語り始めた玲美の話。

 どうでもいいと思いつつ、帝は何も言わない。


「勉強も、スポーツも、何もかも負けたことがありません。男子にもです」


 その言葉が嘘なのか本当なのか、それはわかりようもないが、少なくとも有咲たちはその話をすんなりと信じることができた。

 普段の玲美を知っている者ならば、信じるのも難しくないだろう。


「ですが、私はこの世界で1番優秀だなんて思ったことはありませんよ」

「はっ。どうせ、結局誰かに負けたんだろ」

「えぇ、その通りです。今のあなたのようにね」


 痛い所を突いたはずなのに、あっさりと認められ、帝は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 当てが外れた帝にしたり顔を向ける玲美は、少しだけ宙を見るように視線を上に向ける。


「まあ、実際に敗けた訳ではなく、勝負してないんですけどね。勝てないな、と思っただけで。多分、本当に勝負したら、私が勝っていたでしょうけど」

「負け惜しみか?」

「ふふ、そう思ってもらっても構いませんよ」


 余裕の笑みを見せる玲美だが、ふとその表情に陰りが浮かぶ。

 唐突に見せる表情は、儚く悲しげで、帝は目を奪われた。しかし、そんな表情は一瞬で、気付いた時には、元の余裕を見せる笑みに戻っている。


「ですが、あなたももうお分かりなのではありませんか? どれだけ他人を見下しても、退屈が紛れることはない、ということを」

「……知らねぇよ」


 僅かな戸惑い。一瞬の躊躇は、帝の心が揺らいだ証拠だ。

 そうそう気付く者もいないだろうが、帝の心に生じた隙間を、玲美は見逃さなかった。


「誰よりも優秀で、何もかもが思い通りになる。傍から聞くと羨ましい限りですが、良いことばかりではなかったのでしょう」


 玲美に帝の過去はわからない。

 わかった風を装っていても、玲美に帝のことなんてわかるはずがないのだ。出会ってまだ数分しか話していないような、赤の他人に。


 これが玲美でなければ、帝はまた激怒していたことだろう。

 お前に何がわかる。知った口を利くな。

 それは至極当然の言葉だった。

 だと言うのに、帝はその言葉が出なかった。


 それは何故か。

 玲美の指摘は、何一つ違わず、帝の心の内を言い当ててしまっていたからだ。


 退屈を感じていた自分。

 それを紛らわせるためにやりたいようにやっていた自分。

 そして、他人から羨望の眼差しを送られても、何一つとして、それが良いことだとは思えなかった自分を。


 それらは確かに帝の本心だった。

 自覚していたものある。していなかったものもある。それでも玲美の指摘は、確実に帝の図星を突いていた。


「どうして、そう思うんだよ」


 信じられない思いから、帝は無意識に問いかけていた。


 素直に疑問をぶつけてくる帝を、玲美は微笑ましく思っていた。しかし、それを表情に出してしまうと、また反抗的になってしまうので、顔を見せないように背を向けて答える。


「あなたと同じような表情をする知り合いがいたからです。その人も、あなたと同じように、毎日がつまらなそうにしてましたから」


 まあ、あなたと違って、その人はなんでもできるという人ではありませんでしたけど。

 そう付け足した玲美の声は、微かに嬉しそうだった。その変化に気付いた者はいなかったが。


「毎日がつまらない。それって、すごく辛いですよね。誰にでも、そんな日はありますが、それが毎日なんて」


 帝は自分の日常を思い出す。

 何をしてもつまらない。誰といてもつまらない。何処にいてもつまらない。退屈を紛らわすために、様々なことをしてもすぐに退屈になってしまう。


 そんな日常が始まったのはいつからだろうか。

 覚えてもいないが、帝の思いだせる記憶の中で、退屈を感じなかった瞬間はほとんどなかった。


 辛うじてあるとすれば、高校時代の。

 そこまで考えて、帝は思考は現実に戻される。


 いつの間にか玲美の顔が目の前まで迫っていたから。


「っ!」

「ですが、だからと言って、傍若無人な態度を取って良いということにはならないんですよ」


 少しだけ怒った顔を浮かべる玲美は、子供を叱るような声音だ。

 さっきまでの帝なら、すぐに反論しただろうが、間近に迫る玲美の顔は本当に綺麗で、反抗的な心は何処かへと消えてしまう。


「ど、どうでもいいだろ」


 なんとか言えたのはそんなことだけ。

 しかし、玲美はすぐに言い返した。


「どうでもよくありません」


 帝は玲美にビシッと指を差される。


「今のあなたでは、自分はつまらないまま。他人は傷付けるだけ。何一つ良いことはありませんよ」


 玲美に言われて、帝は隣にいる皐を見た。

 皐はなんとも言えない表情で顔をそらす。


「皐さん、だけじゃないでしょう?」


 帝は、自分は優秀であり、何をやっても許されると思っていた。しかし、それはつまり、普通ならば許されないことだと理解しているとも言える。


 思い返せば、皐だけではなく、他にも帝が傷付けている者、無理を強いている者はいるだろう。また、それだけでなく、今回は有咲や一葉にも迷惑をかけている。


 しかしそれでも、帝はそれを反省する気にはなれなかった。


「目を背けないでください」

「ぐっ」


 視線から逃れようとする帝を、玲美は無理やり引き戻す。


「どうしてこんなにやりたい放題してきたのに、退屈がなくならないのか、それから目を背けないでください」


 低く重い声。無視できなかった。

 考えようとしなくても、無意識に頭に浮かぶものが1つ。

 それは、玲美の求める答えだった。


「ほら、わかったでしょう? あなたが求めているのは、面白いものではなく、理解してくれる人、なんですから」

「そ、そんなんじゃ……」


 否定しようとしても、否定する言葉が出てこなかった。否定することができなかった。


 理解してくれる人。帝が求めていたのは、そんなありきたりなものだ。

 誰しもが自分を理解してほしいと思うし、そんな人に出会いたいと欲しているもの。


 しかし、幼い頃から恵まれた環境にいる帝にとってそれは、どれだけ望んでも手に入れることができないものだった。


 何をやっても人よりも先に言ってしまう。

 できない人の気持ちがわからない。理解できない。そして、できてしまう自分の気持ちを、誰も理解してくれない。

 物心ついた頃からそうだった。


 そうしていつからか、帝は見切りをつけてしまう。

 自分は誰よりも優秀であり、だから、自分のことを理解できる人間なんて存在しないのだと。


 不運だったのは、そんな考えに至った帝に対して、その考えを覆せるような人物と出会うことができなかったことだろう。

 歳を重ねれば重ねる程に、自分の考えが正しいのだという実績だけが積み上がってしまった。


 そして至ったのが、今の帝の姿。


 しかし、それは必ずしも真っ直ぐな道程ではなかった。


「否定できないのは、あるからですよね? 自分を理解してくれる人がいた時の安らぎを」

「っ!」


 それを言われて、帝はハッとした。

 思い浮かんだのは、1人の少女。高校時代に側にいた瑞姫だった。


 そして思い出す。

 瑞姫の存在が、帝にとってどういう存在だったのかを。


「その思い出に、私が口を挟む気はありません。ですが、どうかその時のことを思い出してみてください」


 瑞姫と一緒にいた時の記憶。

 それを思い出そうとすると、いろんな感情が帝の中で渦巻いた。


 帝が瑞姫と出会ったのは、高校に入ってからだ。1年生の頃、帝は瑞姫と同じクラスだった。


 帝は1年生の頃から有名で、すでに人気者だった。帝の近くには取り巻きの女子がいたし、男子たちからも一目置かれていた。


 そんな中で、瑞姫はそこまで目立つ人物ではなかった。取り巻きの中にはおらず、離れた所から時折帝を見ている程度。帝にいたっては、瑞姫の存在すら認知していなかった。


 そんなある日、帝が珍しく1人で街を歩いていた時、不意に瑞姫が現れた。

 と言っても、帝は瑞姫を知らない。帝にしてみれば、いきなり知らない女から声をかけられたような感覚だ。


 しかしそれが逆に、帝にとっては新鮮だった。


 瑞姫は顔を真っ赤にして、普段から帝に声をかけたいと思っていたと本音を語る。


 自分に言い寄ってくる女の子など、今まで飽きる程見てきた帝だったが、ここまで消極的な雰囲気で声をかけてくる瑞姫に興味をもった。


 それはただの気まぐれに過ぎなかった。

 自分の取り巻きが1人増えようが、そこまで変わることはないだろう。退屈な日常に飽き飽きしていた帝にとっては、暇潰しに過ぎなかった。


 それから帝は、瑞姫と共になることが多くなった。

 最初は大した変化もなく、変わらない毎日を過ごしていたのだが、帝は少しずつ、だが確実に瑞姫のことを気に入っていった。


 その理由は、よくわかっていない。

 だが、近くにいる他の取り巻きに比べて、瑞姫は何かが決定的に違った。


 それまでずっと感じていた退屈が、瑞姫が近くにいる時だけは薄れているような、そんな感覚を覚えていた。


 その感覚は帝にとって、確かに心地よいものだった。

 しかし、そんな日々は一瞬にして終わりを迎える。


 瑞姫が突然学校に来なくなるのだ。

 原因はわからなかった。そして、こんな時にどうすれば良いのかもわからなかった。


 少しずつ変わり始めていた帝だったが、本来の性格が変わった訳ではない。自分から動くということに躊躇していた。


 自分の取り巻きにいじめをされていたということがわかった後も、帝は行動に移ることができなかった。

 そうして手をこまねている間に、瑞姫は転校してしまったのだった。


 瑞姫の転校を知った時、帝の心にはポッカリと穴が空いたようだった。しかし、何処か諦めの気持ちもあった。


 どうせこんなことがなかったとしても、結果は変わらなかっただろうと。その思いが、帝の心をさらに頑なにしていた。


 だが、今なら。

 今ならわかる。


 どうしてその時、帝が瑞姫といる時だけ、退屈を忘れていたのかを。安らぎを覚えていたのかを。


 帝にとって瑞姫は、自分を理解してくれる人だった。


 瑞姫は他の人とは違った。

 瑞姫はあくまで、帝と対等になろうとしてくれていた。他の取り巻きたちは、帝を見上げるばかりで、一緒の景色を見ようともしない。

 隣にいても、そこの景色は帝とは違うもので、それを変えようとも思わない。


 しかし瑞姫だけは、帝と一緒の景色を見ようとしていた。


 帝を1人の人として慕って、1人の人として声をかけてきて、1人の人として仲良くなろうとしてくれた。


 同じ景色を見ることができていたかはともかくとして、帝はその行動が心地よかった。


 今さらになって気付く。その時に気付いていれば、瑞姫を手放すことはなかったかもしれないのに。


 後悔が押し寄せる。

 ずっと欲しかったものが、目の前にあったのに、帝はそれに気付かなかった。

 そして、今までずっと目をそらしてきた。

 失ったものが、自分にとって、どれだけ大事なものなのかを理解しないために。


 ふと我に返ると、玲美はすでに離れていた。


「何か、思うことがあったのですね」


 玲美の質問は簡素なものだった。

 しかしその質問だけで十分だった。


「あんたには関係ねぇだろ」

「そうですね。それで、今日はご馳走してくれるんですか?」

「……ちっ」


 苛立たしげな表情の帝は、舌打ちだけをして背を向けた。


 そのまま店を出ようと歩いていくが、扉の前で帝は一度止まる。


「皐。帰るぞ」

「え? あ、う、うん」


 声をかけてくれると思っていなかった皐は、驚きながらも、帝の元へ駆け寄った。

 そして、皐が来たのをしっかりと確認してから、帝は扉に手をかける。


 それから、カランと鈴の音が鳴り響いた。


「変わることは、何も恥ずかしいことではありませんよ」

「……ふん」


 立ち去る背中に向けられた言葉が意味することは、玲美と帝にしかわからないだろう。

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