第4話 とあるイケメン大学生の話 一

 この辺りで最も有名な大学と言えば。

 そう質問された時、誰もが同じ大学を思い浮かべるだろう。

 その名は、北播大学。


 全国的にトップクラスの偏差値を誇り、国内のみならず、世界的に活躍する優秀な人間を排出してきた名門である。


 その大学を卒業したという経歴を持つだけで、生涯年収は普通の大学生と比べても、2倍、3倍になるさえ言われている。


 しかし、当たり前のことだが、これだけの大学ともなれば、まず入ることから難しい。

 全国の高校でそれまで天才と持て囃されてきた者たちですら、この大学の門を潜るのは狭く厳しい。


 そこからさらに卒業まで行くとなれば、ほとんどの人間が、本当の天才の存在に心を折られ、落ちこぼれていく。

 しかし、実力至上主義のこの大学では、落ちこぼれた者に行き場などない。


 今まで自分が優秀だと疑わなかった者にとって、そんな環境は我慢できないものだった。中にはプライドを粉々に打ち砕かれ、大学をやめてしまう人間もいる程に。


 しかし、どんな世界にも天才はいる。


「帝くん。今日も遊びに行こうよ」

「はー? 昨日はそっちに行ったじゃん。今日はあたしんちで遊ぼーって」


 2人の女の子を連れ立って、大学の構内を歩くのは、王郷司帝だ。

 帝は去年、この大学に首席で入学し、今でもナンバー1の成績を誇っている。


 運動神経も抜群で、高校時代は野球部で甲子園にも行っているが、プロになる気はないと、スカウトを断っていた。さらに、芸能界にスカウトされたこともあるという、恵まれた容姿も併せ持っており、すべてにおいて完璧と思えるような人間だった。


 当然、大学内での人気は誰よりも高い。彼の周りには、男女問わず常に誰かがいた。

 大抵は女の子を連れていることが多いが。


「今日か? 昨日は寝るの遅かったし、眠いんだよな。だから、パス」

「えー? じゃあ、明日。絶対だからね」

「あー、はいはい」


 周りの視線には、嫉妬や妬み、そんな感情が渦巻いている。そこにあるのは負の感情。しかしそれでも、その中には、それ以上に畏敬の視線が含まれている。


 実力至上主義のこの空間で、圧倒的に上に立つ帝は、妬みの対象であると同時に、目指すべき理想の姿でもあるのだ。



 2人の女の子と別れた帝は、いつもの電車に乗って家に帰る。


 帝は1人暮らしだが、大学生とは思えないような高級マンションで暮らしていた。


 生まれた時から裕福な家庭に産まれた帝は、親からの仕送りだけで、バイトもすることなく自由に生活することができている。


 掃除は定期的にハウスキーパーを入れて、料理はほとんどデリバリー。普通の人から見たら贅沢三昧な日々だが、帝にとってこれは普通のことだった。


「はぁ。つまらねぇな」


 ソファに深々と腰を落とすと、帝は適当にテレビを付けた。しかし、面白い番組は何もやっておらず、すぐに消してしまう。

 家にある本は全て読んでしまった。ゲームはやらない。漫画も見ない。勉強をする気もない。


 何もすることがなく、帝は退屈そうに目を瞑る。こんなことなら、あの誘いに乗っておけばよかったと思いつつも、結局そうしなかったのは帝自身だ。


 今からでも連絡をすれば、喜んで来ることだろう。帝を心酔しているあの2人ならば、帝の誘いに来ない訳がない。


 しかし、それをしないのは、帝の傲慢さ故である。


「最近、飽きてきたんだよなぁ」


 今までも、女性との関係は腐る程に経験してきた。周りには手に余る程の女性がいる。そんな帝にとって、あの2人はその程度の存在だった。


 暇すぎて仕方がない帝は、結局スマホを手に取って、適当な番号に電話をかける。それはあの2人ではない女性の番号だった。


 これが帝の日常。

 帝にとっては普通の、しかし、他の人にとっては異常な日々の過ごし方だった。



 そんなある日


「ちっ。ふざけんじゃねぇぞ」

「ちょ、何々? めっちゃ怖いんだけど」

「グルルルルルッ」


 そんな日常を過ごしていた帝に、天罰のごとき事件が起きたのは、それからしばらくしてのことだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 今日もいつものように女の子を連れて歩いていた帝は、適当に街をブラついていた。


 退屈そうに歩く帝は、隣を歩く女の子が腕を組んでくるのも、胸を当ててくるのにも反応を返さない。

 すでに興味をなくした目をする帝は、ただ時間を潰すために、その女の子に付き合っていた。


「ねぇ、そろそろ何処かに入らない?」

「あー。……ん?」


 適当な相づちを打っていた帝は、ふと目を向けた先に、面白いものを見つけた。


「これ、今人気のスイーツだよ」

「えぇ? でも、これって、納豆だよね?」

「それが良いんだって。まだまだマイナーだけど、絶対これからクイズに出てくると思うもん」


 明らかに高校生くらいにしか見えない女の子2人が、ある店の前で話していた。

 1人は優等生を字に書いたようなかっちりとした雰囲気で。しかし、微かに着崩しているのは、もう1人の女の子と影響だろうか。


 そして、もう1人の方は周りと比べても、明らかにレベルが違う整った容姿をしていた。


 全く雰囲気の違う2人が仲良さそうにしているのは違和感があるが、それ程めずらしい光景でもない。

 しかし、帝はその内の容姿の整った方の女の子に興味を持った。


 今まで同年代、もしくは年上としか関係を持ったことがない帝には、年下の女の子が目新しく、面白そうに思えたのだ。


「帝くん?」


 帝の隣にいた女の子は、帝の視線の先を見て、微かに眉を寄せた。しかし、それは一瞬のことで、何も口に出すことはない。

 そこに踏み込んではいけないと、その女の子はわかっているから。


 何も言わずに歩き出す帝に、女の子はただついていく。


 そして目の前まで来た所で、帝はその女の子、早乙女有咲に声をかけた。


「なぁ。ちょっといいかな?」

「へ?」


 有咲は口からネバッとしたものを伸ばしながら、帝の方に振り向いた。


 見た目の雰囲気とはかけ離れた姿に少し唖然としながらも、そんな素振りは一切見せない笑顔で続けた。


「美味しそうなもの食べてるね。甘いのが好きなのかな?」

「え? えっと、特には。用がないようなら、失礼しますね」


 いきなり声をかけられ、有咲は驚きの表情を浮かべ、怪訝な表情に変わる。そしてそのまま、一葉の手を引いてその場を離れようとした。


 しかし、その行く先を阻むのは帝と一緒にいた女の子だった。


「そんなに焦って行く必要ないじゃん。帝くんが話したいって言ってんだし」

「私は特に話したいことはありませんから」


 平静を装ってはいるが、有咲は密かに驚いていた。


 有咲は今までも、その容姿ゆえに、ナンパされることが多い。そのため、ナンパをあしらうことにも慣れているのだが、女連れで声をかけてくる男は初めてだった。


 しかも、どう考えても、ただの友達という雰囲気ではないはずなのに、この男は女を連れて、他の女に声をかけてきている。


 それだけでも驚きだったのだが、そんな男の行動を補助するような女の行動が、有咲は理解ができなかった。


「別に変なことはしないって、何処か店にでも入ろうよ」


 どう考えても逃げられる雰囲気ではない。いや、もし有咲1人であれば、無理やりにでも逃げることもできただろう。


 しかし、今は有咲には連れがいる。

 有咲の1番の友だち、一葉が。


 お世辞にも運動が得意ではない一葉では、どう考えても逃げきれるとは思えなかった。


 かと言って、まだ大声を出して助けを求めるようなことはされていない。後々のことを考えると、余り目立つ行動を取るのは得策ではないように思えた。


「あ、有咲ぁ」


 手を繋いでいる一葉は、怯えた様子で手を震わせていた。落ち着かせようと一葉の顔を見た時、有咲は不意にある人物の顔を思い出す。


 そして、この状況を打破する作戦も思い付いた。


「じゃあ、今から行きたいお店があるんですけど、そこでもいいですか?」

「あぁ、いいよ、行こうか」


 それが帝の運の尽き、だったのだろう。


 ◇◇◇◇◇◇


「ちっ。ふざけんじゃねぇぞ」

「ちょ、何々? めっちゃ怖いんだけど」

「グルルルルルッ」


 有咲たちが向かったのは、もちろん有咲や一葉が行き付けの、玲美の喫茶店だ。

 しかし、中に入ってみると、営業中ではあったのだが、玲美の姿は何処にもなかった。


 その代わりに有咲たちを出迎えたのがトシさん。


 トシさんは最初、いきなり現れた有咲たちに驚いたのか、キョトンとして首を傾げていたのだが、やがて険しい顔つきになり、帝たちに迫って行った。


 そうして今の状況という訳だ。


「ふ、ふざけんなよ、あっち行けって」


 トシさんの雰囲気は、いつものものとはまるで違っていて、まるで狼のように険しい雰囲気を纏っている。


 普通の喧嘩なら負けない自身のある帝ではあったが、本物の猛獣を相手にしたことはない。

 目の前にいるのは、ただの犬なのだが、しかし、それだけの迫力があった。


 それでも逃げずにいるのは、自身のプライドゆえだろう。


 しかし、いつの間にか有咲たちは、トシさんの後ろに隠れているのを見て、帝は自分が嵌められたということに気付いた。


「この、こっちが下手に出たら、ふざけやがって」


 帝は今までの人生で思い通りにならなかったことはない。そんな自分が嵌められて、失敗するなど、絶対に認められなかった。


 目の前にいるトシさんという猛獣のような雰囲気の犬に恐れながらも、帝は自分を虚仮にした有咲たちを捕まえるために、一歩前に出る。


 その瞬間。


「ストップです」

「ギャウッ!」

「え?」


 帝が足を踏み出した瞬間、トシさんが帝目掛けて飛び掛かってきた。あまりに突然の出来事に反応できずにいた帝の前で、そのトシさんの首を掴んで止めたのは、綺麗な女性だった。


 その女性、玲美は、その細い腕でトシさんを持ち上げる。しかも片手で。


「駄目ですよ、トシさん。お客さんに飛び掛かるなんて」

「ガウッ!」

「え? 何か文句でも?」


 何か言いたげにしているトシさんに、玲美はニコリと笑う。その笑顔が表面だけということは、この場にいる全員が察していた。


「とりあえず、あっちで反省しててください」


 さっきの姿からは想像できない程に小さくなってしまったトシさんから手を離して、奥に行くように言う。


 トシさんは最後まで何かを言いたそうにしていたが、有無を言わせない雰囲気の玲美には敵わず、しょんぼりとした様子で去って行ってしまった。


 そんな様子を呆然として見ていた帝だったが、すぐに我に返って玲美に詰め寄る。


「おい! ふざけんなよ、どうなってんだよ、この店は!」


 怒りのままに帝は玲美の胸ぐらを掴んだ。

 いや、掴もうとした。が、その手はやんわりと払い除けられる。


「は?」

「申し訳ありません。完全にこちらの落ち度です。お詫びと致しまして、本日、どのメニューでも無料でご提供させていただきますので、何卒ご容赦お願い致します」


 華麗な身のこなしに驚く帝を置き去りに、玲美は謝罪の言葉を述べた。

 その一連の流れが、あまりにも自然すぎたため、怒りで我を忘れていた帝を含め、全員が呆然とするしかなかった。


「有咲さんと一葉さんも、すみませんでした。お2人も同じく無料にしますので、遠慮なく注文してください」

「え? あ、で、でも……」


 元はと言えば、有咲たちが原因なのだが。

 しかし、そんな風に戸惑う有咲たちに、玲美は人差し指を口元に当てて、シーッというジェスチャーをする。


「では、こちらへ」


 そして、何食わぬ顔で4人をカウンターへと案内したのだった。

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