第3話 とある平凡な少女の話 四

 一葉は、教室で自習をしながら、密かにある1点を気にしていた。


 そこにいるのは、有咲と2人の友だち。


 今は昼休み中だ。

 お弁当を食べ終えて、雑談をしている有咲たちは、今度の休みに遊びに行こう、というような話をしていた。


 それに一葉は焦る。

 玲美から言われたアドバイスは、今度の休みに遊ぶこと。しかし、当然だが、それにはまず、遊びに誘わなければいけない。


 だというのに、一葉はまだ、有咲と一言も話せていなかった。声をかける機会を探っている間に、昼休みになってしまったのだ。


 一葉にしてみれば、有咲に話しかけるだけでも難易度が高いのに、常に友だちと一緒にいる有咲は、1人になることが少ない。

 有咲1人に話しかけるだけなら、頑張ればなんとかなると思っていた。が、友だちもいるとなると、その勇気は脆くも崩れさる。

 そうして、時間だけが過ぎてしまった。


 しかも、そんなこんなをしている間に、有咲はその友だちとの遊ぶ約束をしてしまった。

 それは、ミッション失敗の宣告と同じだった。


 一葉は、どうすればいいか途方にくれる。

 宿題をしっかりとやる一葉は、玲美からのアドバイスを完全に遂行しようと考えていた。しかし、それが失敗した場合、どうすればいいのか、それを考える発想力は、一葉にはない。


 ここでも、勉強しかしてこなかった弊害があった。


 一葉は教科書から視線を有咲に向けて、挽回策を考える。だが、答えなんてそんなに簡単に出るはずもなく、結果、ただだだ、一葉は有咲を見つめるだけの時間が流れた。


 しかし、そんなに長い間見つめていれば、相手にも気付かれるもの。


 案の定、一葉は有咲と目が合ってしまった。

 それも、言い訳のしようもない程にばっちりと。それはもう、有咲が不思議そうに首をかしげる程に。


 一葉はすぐに目をそらしたが、それは遅すぎる。


 一葉は有咲の方を見れなかったが、気配で有咲が立ち上がり、自分の方に近寄ってくるのがわかった。


 まさか、何見てんのよ、なんて、怒られるのではないか、と怯える一葉は、教科書に顔を埋めて、勉強をしているフリをする。

 そんなに顔を教科書に押し付ければ、文字なんて読めるはずもないのだが。


「一葉ちゃん」


 とりあえず、有咲の声は、怒っている気配がなかった。

 それに少しだけ安堵して、一葉が顔を上げる。


「な、何?」


 それでもやはり、まだ怖い一葉は、恐る恐ると問い返す。


「ずっと私の方を見てたけど」


 そう言われて、一葉はゾワッと背中に冷や汗が流れた。


 これはやはり、怒られるのではないか。

 そんな考えが、一葉の頭の中を埋め尽くす。


 どうしたら、焦った一葉は、オロオロと目を泳がせて、何か言い訳を、と思考を巡らせる。

 こういう時こそ、勉強に費やしてきて得た知識を活用したかったのだが、こんな時にどうすればいいのかなんて、誰も教えてくれなかった。


 教えてくれる人なんていなかった。


 本当は、玲美にでも聞けば教えてくれるのかもしれないが、いや、玲美ならば、答えを知っていても、一葉には教えないだろう。面白がって。


 結局、何も答えがでないまま、焦ったまま、一葉はとにかく何かを話さなければと口を開こうとした。が、それよりも早く、有咲が言う。


「もしかして、一葉ちゃんも遊びたかった?」

「へ?」


 まるで予想していなかった発言に、一葉はポカンと口を開けた。

 しかし、そんな一葉に気付くこともなく、有咲は嬉しそうに話し続ける。


「この前は忙しそうだったけど、今度の休みは大丈夫? ちょうど友だちとその話してたんだけど、だから見てたんでしょ」

「えっと、あの」


 どんどんと話を進めていく有咲に、一葉はうまく口を挟めなかった。

 いつもなら、遊びになんて行かない、と簡単に言えるのだが、今日は自分で誘おうと思っていたこともあって、何を言えばいいのかと考えてしまい、中々言葉が出なかったのだ。


 そして、あれよあれよという間に、今度の土曜日、一緒にカラオケにいくことが決まってしまった。

 決まってしまった、と言っても、元からそれが目的だったのだから、むしろ一葉にとって好都合なのだが、こうもあっさりと決まってしまうと、何とも言えない気持ちになった。


 その上、遊びに行くことが決まったら、今度は、その日のことを考えて、どうすればいいのかと頭を抱える一葉だった。


 ◇◇◇◇◇◇


 一葉が喫茶店に来てから数日が経っていた。

 今日も今日とて客は来ず、トシさんは静かに昼寝をしていた。


 今日は本当に誰も来ておらず、最近来るようになった海人や美咲、尚太なんかも来ていない。

 それは喫茶店としてまずいのだろうが、玲美も気にしていない様子だった。


 とは言っても、そろそろやることもなくなってきたのか、玲美は暇そうに新聞を広げて気になる記事を眺めていた。


「あれ? これは」


 そこには、一葉の通う高校でクイズ部が設立されたという記事があった。早乙女有咲、という女生徒がインタビューを受けている写真が載っており、設立した経緯も書かれている。


 それによると、昔からクイズが好きだったようで、この高校に来たのも、学力はどれだけあっても損はないから、というクイズありきの理由だったらしい。


 それであれば、クイズ部がある高校に入ればいいのだが、それについては、自分で作れば良いから、とあまり深くは考えていなかったようだ。


 一葉から聞いていた話とは全く違った人物像に、玲美はクスリと笑う。


「やっぱり、人は見ただけじゃわかりませんね」


 動機は違うが、有咲も勉強には本気で挑んでいたということなのだろう。さらに言えば、クイズのためと、勉強以上の知識を求めていたであろう有咲は、元から一葉よりも熱心だったのかもしれない。


 それこそ、本人たちに聞かなければわからないことだが。


 そんなことを思っていると、そこの記事の中に、見知った名前があった。しかも、それは副部長の所で。


 それに気付いたのとほぼ同時に、人の来る気配がして、玲美は新聞をしまった。少しだけ嬉しそうに笑って。


 カランカランと、鈴が鳴る。


「いらっしゃいませ」

「こんにちは、玲美さん」


 元気良く入ってきたのは、以前とは比べ物にならないくらい明るい声の一葉だった。


 その後ろをもう1人、ついてくるように入ってきたのは、ついさっき、玲美が見ていた新聞に載っていた写真の人物だった。


「こんにちは。えっと、玲美さん、ですよね」

「はい。あなたは、有咲さん、ですね」


 いきなり名前を呼ばれ、少し驚いた様子の有咲だったが、玲美がスッと見せた新聞に、ああ、と納得したようだった。


「はい。クイズ部部長の、有咲です。で、知ってると思いますけど、こっちが」


 有咲がチラッと一葉に視線を向ける。

 その視線に、一葉は少し恥ずかしそうにしながら、それでも、少し嬉しそうに笑う。


「はい。クイズ部副部長の一葉です」


 これは、何かの決まり文句なのだろう。

 有咲は、一葉の言葉に満足そうに頷いていた。


「ふふ。とても仲良しなんですね」

「はい。もちろん。一葉ちゃんとは、もう部活仲間であり、友だちであり、ライバルですから」


 何の迷いもなく言う有咲に、一葉は少し顔を赤くする。が、それ以上に嬉しそうに頬が緩んでいた。


 そして、一葉は、玲美から言われていた、有咲と遊ぶというミッションについて、あれからどうなったのかを教えてくれた。


「この前、一緒にカラオケに行ったんですけど、その後に、ゲームセンターにも行ったんです」


 カラオケも、ゲームセンターも、一葉が行ったことのない場所だった。


 どう遊べばいいのか、有咲の友だちとはうまくやれるのだろうか。そんな不安でいっぱいだった一葉だったが、蓋を開けてみれば、そんな不安は杞憂だったと言える。


 有咲も、有咲の友だちたちも、一葉が前からの友だちだったかのように楽しそうにしていた。

 最近の歌なんて知らない一葉は、カラオケに来ても、特に歌えるようなものはない。

 それに元々、一葉は人前で歌えるような性格でもない。


 それもあって、一葉はほとんど聞く専門になっていたのだが、特にそれを指摘されることもなく、一葉としては、心地よい時間を過ごしていた。


「一葉ちゃんは、歌わないの?」

「えっと、私、最近の曲あまり知らないから」


 とは言っても、流石に1曲も歌おうとしない一葉に、有咲が声をかけた。


「そうなの? 別に何歌っても気にしないけど、普段はどんな歌聞いてるの?」

「えっと」


 一葉はそこで言い淀む。


 勢いで最近の、という枕詞をつけてしまった一葉だったが、別に最近の曲でなくても知らないのだ。


 だが、ここでそんなことを言ってしまったら、話が終わってしまう。そうなってしまっては、つまらないやつだと思われてしまうかもしれない。


 そう思うと、本当のことを中々言い出せなかったのだ。


「もしかして、あまり歌とか聞かない感じ?」


 そんな時、先に言ってくれたのは有咲だった。


「実は私もあまり歌って聞かないんだよね」

「え?」


 信じられないことを言う有咲に、一葉は驚く。


 さっきから、有咲は、何曲も歌っている。それも、特に古い曲という感じもしなかった。

 それなのに、歌をあまり聞かないというのが信じられなくて、一葉は有咲の方を見る。

 そんな視線に、有咲は苦笑いしながらも、何か言うことはなかった。


 その後、カラオケを終えた一葉たちは、近くのゲームセンターに行く事になった。


 カラオケ同様、ゲームセンターとも縁遠い一葉だが、ここもそこまで気にする必要のない所だった。


 というより、ここから、有咲の本当の性格を垣間見ることになったのだ。


「ねぇねぇ、これやろうよ」


 ゲームセンターに来て、有咲はすぐの1つのゲームへと向かっていった。

 有咲の友だちは、またか、と呆れ顔。


 よくわからず一葉もそこに向かうと、そこにあったのはクイズゲームだった。オンラインで全国の人と対戦することもできるものだ。


「いいけどさぁ。いつも有咲の独壇場じゃん。一葉さんは楽しめないんじゃない?」

「あ。そっか」


 いつものメンバーであれば、いつものことだと流せたのだろう。しかし、今日はいつもと違い、一葉がいる。

 せっかく一葉がいるのに、有咲だけのゲームをするというのは、と友だちたちは心配したのだ。


 それに気付いた有咲は、泣く泣く諦めようとした。が、一葉が慌てて首を振る。


「だ、大丈夫。こういうゲームとか見たことないから、少し興味あるかも」

「ほんと! やった。じゃあ、決まりね」


 一葉の了解を得て、有咲は満面の笑みでゲームを始める。一応、全員が参加できるようにしているのだが。


「一葉さん。多分、何もしないで終わると思うけど、ごめんね」

「え?」


 どういうことかと聞こうと思った一葉だったが、その理由はすぐにわかった。


 ゲームが始まって、いざクイズが始まると、すぐにピンポンと有咲の方から音がしたからだ。

 それは回答ボタンが点灯した音だった。


 見ると、問題文はまだ3文字しか出ていない。

 なのに。


「キリン!」


 有咲は、迷うことなくゲーム画面に文字を入力していった。そして、それが終わると、ピンポンという正解した音が聞こえてくる。


「やった!」


 何が起きたのかわからない一葉だったが、そんな一葉に、友だちたちも肩を叩いて、ほらね、と言うような表情をしていた。


 どうやら、有咲がクイズが得意すぎて、周りは手も出せないということのようだった。


 確かに、これ程早く答えられては、誰も割り込めないだろう。と、ふと、3文字しか出ていない問題文を読んで、一葉は納得した。


「あ。なるほど。だから、キリンだったんだ」

「え? もしかして、一葉ちゃん。これでわかるの?」

「え? う、うん。なんとなく」


 自分は答えておいて、わかるのか、と聞いてくる有咲に、一葉は思わず苦笑いした。


「これ、キリンの種類でしょ? だから、そういう問題文が続くのかなって」

「正解だよ! 一葉ちゃん、すごい!」


 ゲームは続いていたが、有咲は待ちきれないとばかりに、一葉の手を握って近付いてきた。


「え? え?」

「一葉ちゃん。やっぱり、私が見込んだ通りだったよ」


 有咲の溢れるような笑顔は、同姓である一葉でもドキッとしてしまう程に可愛らしかった。

 そして、有咲は、ギュッと一葉の手を強く握りしめ、真剣な顔で口を開いた。


「私と、クイズ部を作らない?」

「え?」


 ◇◇◇◇◇◇


「実は私、昔からずっとクイズが好きだったんです」


 有咲は、幼い頃、クイズというものに出会ってから、その魅力の虜だった。

 学校の勉強も、流行りの曲も、すべての知識が有咲にとっては、クイズのための知識だった。


 本気でクイズというものに打ち込んできた有咲は、日常生活のほとんどをクイズのための勉強に費やしていた。

 実際、一葉が有咲はよく遊んでいると思っていたようだが、有咲にしてみれば、それもクイズのための新しい知識の収集に違いなかったのだ。


 有咲からそんな話をされた一葉は自分が恥ずかしくなった。


 自分は誰よりも勉強している。なんて、ただの傲慢だったのだ。

 ただ勉強していただけの一葉と、普段の生活すらも勉強と考えていた有咲では、話になるはずがない。


 そして同時に、そんな有咲がすごいと尊敬するようになった。


「私は、有咲に誘われて。無理やりだけど」


 と言う一葉だったが、その表情は満更でもなさそうだった。最近は、有咲の友だちとも仲良くなり、よく一緒にいるのだとか。


「えー? ひどいよ、一葉ちゃん」

「だって、クイズなんて興味がなかったし。でも」


 一葉は、そこで少しだけ言葉を切って、玲美の方を見る。どうやら、一葉にとって、もっと嬉しいことがあったらしい。


 一葉は、照れ臭そうに苦笑いして、小さな声で呟いた。


「誰かと勉強するのも、悪くないかな、とは思えた、かな」


 そう。それは、確かな成長だった。


 今まで1人で勉強してきた一葉は、他人と一緒に勉強をするということの価値を見出だせなかった。

 確かに、1人で勉強をする方が集中はできるだろう。自分のペースでできるし、他人に頼らない分、自分の力になるのは間違いない。


 しかし、それはあくまで、1つの勉強法に過ぎないのだ。


 そう。例えば、一葉にはいなかった。

 切磋琢磨するようなライバルという存在が。


 それに最も近かったのは、有咲だろう。


 しかし、先日までの一葉は、有咲を敵視し、正面からライバルと認めようとしなかった。有咲のことを決めつけて、勝てないのは仕方のないことだと割り切ってしまっていた。


 だからこそ、勝てなかった。

 もちろん、ライバルがいたからといって、必ず結果が出るものではない。


 だがそれでも、今の一葉は、以前よりも遥かに勉強に力が込もっている。常人からすれば、今までだって、すごかった、と言ってもらえる程だっただろう。

 それでもなお、今の一葉は、以前よりも勉強を頑張っていた。


 それは、ライバルと言える存在。有咲の存在があるからに他ならない。


 以前のように目標もなく、ただ1番を目指していた一葉は、もういない。今は、有咲というライバルを見つけ、その高みを本気で目指すのみ。そう固く決意した一葉は、有咲にすら匹敵するだろう。


 結果が出るのはすぐか、はたまた、遥か先か。

 それは一葉と有咲の今後の頑張り次第。

 それでも、この成長は2人にとってかけがえのないものになるだろう。


 玲美は、そう確信していた。


「それより玲美さんって、すごく頭がいいんですよね?」


 有咲が尋ねてきたのは、以前に一葉に話していたことを聞いたからだろう。

 テストで満点以外を取ったことがない。という常識では考えられない偉業を。


「ふふ。まあ、まだまだお2人には負けないくらい、ですかね」


 玲美は余裕の笑みで答える。

 それを見て、有咲は嬉しそうに、一葉は諦めたように笑う。


「じゃあ、時々遊びに来てもいいですか? 勉強とか、できるなら、クイズの練習とかに付き合ってほしくて」


 有咲は元気よく言う。一葉も、口には出さないが、少しだけ玲美の反応が気になるようだ。

 あまりお金にならない客を歓迎してくれるのか、と。


 しかし、それは、ただの杞憂だ。

 玲美は、2人に笑いかけた。


「ええ、もちろん。今後もこの喫茶店をご贔屓に」

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