第3話 とある平凡な少女の話 三
「恐らくですが、一葉さんは私のことを勘違いされてますね」
「勘違い、ですか?」
何処の部分だろう、と、一葉は首を傾げる。
「一葉さんは、私の雰囲気が早乙女さんに似ていると言ってましたが、聞いた限り、私とは全然違いますね」
「え? そうですか?」
一葉が有咲に持っている印象は、すでに玲美にも話しているが、今でも、一葉の意見は変わっていなかった。
有咲と玲美は似ている。
何でもできて、何でも持っていて。そんな所が似ていると思っていた。
もちろん、一葉は玲美のことをほとんど知らないのだが。
そんな一葉に、玲美は面白そうに笑った。
「だって、私は高校では、結構な不良だったのですよ?」
「えぇ!」
まさかの発言に、一葉は驚きの声を上げた。
玲美が不良だなんて。今の玲美を見ても、一葉にはそんな姿、全く想像できなかった。
一瞬、冗談なのかとも思ったが、玲美の話は続く。
「授業はほとんどサボってましたね。先生の言うことも聞きませんでしたし、今思えば、かなり迷惑をかけてました」
しみじみと言う玲美は、本当に昔のことを思い出しているようで、嘘を言っているようには見えない。
「た、退学とか、留年にはならなかったんですか?」
まだ信じられない一葉だが、気になるのはそこだった。
一葉は基本的に優等生だ。勉強に集中する環境を作るためには、先生に逆らわない方がいい。そう考えてのことだったが、元々の性格による所もあるのだろう。
そんな一葉にしてみれば、先生の言うことに逆らうなんて想像もできなかった。ましてや、授業をサボるなんてもっての外だ。
もし、その話が本当なのだとしたら、確かに、玲美は有咲と似ていない。有咲は、一葉と同様に優等生で通っている。
そんな不良のような振る舞いは、一度たりともしたことがなかった。
少しだけ失望したような目を向ける一葉に、玲美は面白そうに笑い、自信ありげに鼻を鳴らした。
「ふふ、ええ。実は、私は学年で1番頭が良かったので。テストで満点以外を取ったことはなかったんです」
「えぇ!」
「ですから、先生たちも困ったでしょうね。不良で、成績は1番。そんな両極端な生徒、どう扱えば良いのか、私でも悩んでしまいます」
一葉はさっきから、驚きが止まらなかった。
唖然としている。という方が正しいかもしれない。
一葉や有咲は、学年で一、二を争う成績だ。
しかし、2人とも、テストで毎回、満点を取るというようなことはない。
有咲の中学生時代を、一葉は知らないが、少なくとも一葉は、中学の時だって、すべてのテストで満点を取れていた訳じゃなかった。
それを授業をサボるような生徒がやってのけた、なんて。それを平然と言ってのける玲美に、一葉は嫉妬を通り越して、よくわからない感情に頭を抱えた。
だがそこで、一葉はふと疑問に思う。
この世界に天才はいる。
それは、一葉も認めていることだった。
この世界には、想像も絶するような天才はいて、一葉なんかでは足元にも及ばない存在は数多くいるのだろう。
すぐ近くにいる有咲は、一葉にしてみれば、そんな天才の1人だった。そして、目の前の女性、玲美も間違いなくその1人に含まれる。
しかし、だ。
例え、どれだけの天才であろうと、勉強をせずにテストで満点を取れるはずがない。勉強をしなくても、解ける問題はあるだろう。だが、それがすべてな訳がない。
玲美の通っていた学校のレベルにもよるが、それにしたって、限界があるはずだった。
一葉はそう考え、さらに、疑問が浮かぶ。
そもそも、本当に不良なのだとしたら、真面目にテストを受けるのだろうか、と。
退学や留年が嫌だったから、テストを受けた。その可能性はあった。
だが、それでも、別に満点を取る必要はなかったはずだ。
退学しなかったということは、最低限の出席日数は確保してるはず。そして、テストで赤点を取らなければ卒業は充分だ。
なのに、それをしなかった。
一葉は、それを疑問に思った。
「どうかされましたか?」
玲美の笑みは、一葉の心を見透かしているようだった。何を考えているのか、すべてを読まれているようで、一葉は少し悔しくなった。
「もしかして、からかってますか?」
「ふふ。そんなつもりはありませんよ。私は何も嘘はついてません。でも、一葉さんが思った通りですよ。私は授業には参加してませんでしたが、勉強はしてたんです」
口に出すこともなく、自分の推理を肯定されて、一葉は拍子抜けする。そして、素直な気持ちを問いかけた。
「なんで、そんな面倒なことを?」
授業を受けずに、自習だけでテストで満点を取れるのなら、逆に授業を受ければ良い。そうすれば、自習をする必要がなくなる。
その分の時間を有効に使える。
一葉はそう思った。もし、自分が同じ立場なら、間違いなくそうすると。
しかし、玲美の表情は優しげで、それでいて、少しだけ切なそうだった。
「あの時は、授業を受けるよりも、大切なことがあったんです」
その表情を見て、一葉はそれ以上、何も言えなかった。
そこに踏み込むには、一葉は玲美のことを知らなさすぎると思ったからだ。
軽々しく踏み込んで良い部分ではない。
直感で、一葉はそう感じた。
なんとなく気まずくなって、玲美から目をそらす一葉だったが、特段、玲美は気にした様子もなく、話を続ける。
「ですが、私の評価は不良で間違いありません。どれだけテストで良い点を取ろうと、不真面目なのは変わりありませんから。だから、早乙女さんとは似てないんです」
確かに、今の話を聞いて、一葉の内にあった玲美の印象も変わっていた。
今までの一葉の価値観から考えれば、玲美が言うように、どれだけ頭が良かろうと、そんな勝手な行動を繰り返す生徒は大嫌いだった。
少なくとも、今のクラスメイトに、そんな人間がいたら、一葉はきっと嫌悪していたことだろう。
しかし、今この瞬間、一葉が玲美を嫌悪しているのかと言われれば、そうでもなかった。
それは、玲美と話してみて、そこに、一葉の知らない事情があると思ったからだ。そしてそれは、自分とはまた違った葛藤の上にあるものなのだろう。一葉はそんな気がしていたからだ。
やっていることは、一葉が大嫌いな人間と同じ。それは何も変わっていない。
だというのに、一葉の玲美に持つ印象は、それとは違ったものだ。
玲美は、何もせずに、何の苦労もせずに、何でも持っている人間ではないのかもしれない。そう思えるようになっていた。
玲美のことを詳しく知らない一葉では、その印象があっているのかも怪しい。いや、あっていない可能性の方が高いだろう。
それでも、一葉は玲美を嫌悪していなかった。
「もしかしたら、その人にも、何か事情があるのかもしれない。そう思えるのは、やっぱり素敵なことだと思います」
「え?」
まるで、心の整理が落ち着くのを見計らったかのようなタイミングで、玲美が口を開いた。
「一葉さん。今度、早乙女さんを誘って遊びに行かれたらどうですか? この前誘ってくれたのに、行けなかったから、と」
「へ?」
突然、話の流れが変わり、一葉はへんてこな声が出た。
「ど、どうして、いきなり、そんな」
「私の話を聞いて考えが変わったように、早乙女さんと話したら、また、考えが変わると思います。そしてそれは、一葉さんにとって、良い方向に変わるものだと思います」
玲美の話を聞いて、一葉は、玲美が何もせずにすべてを手に入れている人間ではないと考えが変わった。
それは、玲美と話したことがきっかけだ。
であるならば、確かに、有咲と話せば、玲美と同じように、今まで持っていた考えとは違う考えになるかもしれない。
それについて、一葉も同じ思いだった。
しかし、一葉はそれを素直に受け取れない。
「でも、今さら、そんなこと」
単純に気まずいのだ。
有咲が気付いていたかは知りようもないが、少なくとも、一葉は有咲を勝手に毛嫌いし、勝手に避け、勝手に敵視していた。それを自覚していた。
それなのに、いきなり歩み寄ろうとするなど、どれだけ面の皮が厚いんだ、と、一葉は考えてしまう。
しかし、そんな一葉の言い訳を、玲美は簡単に潰してしまう。
「今さらではありませんよ。何事も、始まりというものはあります。もし、あなたが、早乙女さんを恨んでいたことを少しでも後悔しているのなら、むしろ、今が好機ですよ」
「うっ」
後悔しているのか、と問われれば、後悔していた。
玲美の話を聞いて、一葉は人には自分の知らない事情があると思うことができた。
それは、自分の心に余裕ができた表れであり、ずっと自分につき続けた嘘を、否定してもいいのかもしれないと思えるきっかけになっていた。
自分を騙し、無理やり敵視していた有咲と、もしかしたら、普通に話せるようになるかもしれない。そんな思いが、一葉の中に芽生えたのは、確かな事実だった。
それでも、中々その一歩が踏み出せない。
当然と言えば当然だった。
一葉には、今まで友達と呼べるような存在はいなかった。
高校生になって初めて、有咲のように話しかけてくれる人が現れたが、それまでは、必要な事柄以外、話すことはなかったのだから。
そんな一葉には、他人と話す方法がわからない。これは、別に有咲に限った話でなく、誰に対しても、と言えるかもしれないが。
とにかく、一葉は、有咲に話しかける術を知らなかった。
怯えた小動物のように、キョロキョロと目を泳がせる一葉を、玲美は微笑ましく眺める。
決して答えを急かすことはなく、しかし、それでいて、助言をすることもなかった。
すでに、考えるべきすべては、玲美が伝えている。それを元に、一葉がどういう答えを出すのか、それは誰かが手出しするべきことではない。
そう、玲美は考えていた。
例え、その答えが後ろ向きなものでも、一葉が、友だち、について、初めて真剣に考えた答えだ。
玲美はそれを受け入れるつもりだった。
とは言え、一葉の性格は、すでに玲美も把握している。
不器用で、ねじ曲がってしまった部分もあるが、真っ直ぐに自分を見つめられる人。
それが、玲美の一葉に対する評価だった。
そんな一葉であれば、玲美の予想した通りの答えに行き着くだろう。
散々頭を悩ませていた一葉は、やがて恐る恐るといった様子で、玲美の方を見た。
「ど、どうやったら、と、と、友、友だちに、なれるんです、か?」
一葉は、怯えながらも真剣な顔で尋ねた。
友だち。それは、一葉が玲美に問われ、否定したものだった。
今、一葉と有咲は友だちではない。少なくとも、一葉は有咲を友だちとは思っていなかった。
仲良く話しかけてくれる有咲ではあったが、一葉はそれを避け続けてきた。そんなことをしてしまった相手を、勝手に友だちとは呼ぶなんて、一葉にはできなかった。
そんな何処までも律儀な一葉に、玲美は少しだけ笑ってしまった。
「な、なんで、笑うんですか?」
自分としては、何よりも真剣に考え質問したことなのに笑われてしまい、馬鹿にされたのかと、一葉が泣きそうな声で玲美に食って掛かる。
「ふふ。いえ、すみません。ものすごく可愛らしい悩みだったので」
「わ、私にとったら、大問題なんですよ!」
「ええ、ええ、わかってますよ。すみません。でも、どうしても、可愛く思えてしまって」
「もうっ!」
この店にやってきて、何処か沈んだ様子だった一葉。今まで積み重ねてきた様々な思いや葛藤が、この場で弾けた。
それは、この上なく幸運だったと言えるだろう。
もし、仮に一葉が1人の時、この感情の波に飲まれてしまえば、答えに行き着くことなく、さらに深みに嵌まっていたかもしれない。
そうしたら、再び上がってくることなく、今よりもさらに孤独な道へと進んでしまっていたかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
今の一葉は、歳相応に悩み子供らしく不満を口にすることができるようになっていた。
喫茶店に入る前の一葉を知っている者なら、この場にいる一葉を見たら、別人と思うかもしれない。それ程に、一葉は変わっていた。
もちろん、玲美の思う良い方向へと。
玲美が笑ったのはそういう想いもあるのだが、一葉にそれを察しろというのは酷な話だろう。
結果、一葉は不貞腐れたように怒ってしまった。
「ふふ。ごめんなさい。じゃあ、ちゃんと、一葉さんの質問に答えましょうか」
まだ怒っているということをアピールするようにそっぽを向く一葉だが、耳だけは玲美に集中している。
なんだかんだ言っても、一葉はもう、玲美のことを信じているのだ。どんなに馬鹿にしているような態度を取っていても、きちんと一葉のことを考えてくれているのだと。
だから、一葉は玲美の言葉を信じる。
そして、玲美の答えは、たった一言だった。
「今度の休みに遊んでください」
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