第1話 とある恋する少年の悩み 一
「くそっ。何なんだよ、あいつ」
少年、海人は苛立っていた。
それは、通っている中学校でのこと。
海人には好きな女の子がいた。
その女の子の名前は、奥美咲。
親同士の仲が良く、赤ん坊の頃からよく遊んでいた幼馴染みだ。本当に小さい頃は、いつも一緒にいて、何をするでも2人でいることが多かった。
小学校に上がり、今までとは違う人間関係が形成され、それまでのような関係は続かなかったものの、それでも美咲と1番仲の良い男子は自分だと海人は自負していた。
それが当たり前となって数年が過ぎ、海人たちも中学生になっていた。
その頃には、海人も美咲を女の子として意識するようになり、告白をしないまでも、いつかは、何てことを考えたりしていた。
しかし、そんなある日、とある事件が起きる。
それは、美咲宛のラブレターが下駄箱に入っていたことより始まった。
子供の頃から、美咲を知っている海人にしてみればあまり実感のない話かもしれないが、美咲はかなり男子から人気がある。
容姿は可愛らしく、性格も良い。
海人と仲が良いこともあってか、男子ともよく話す機会があり、その魅力に気付く男子も多かった。
しかし、普通の男子ならば、海人の存在を意識して行動に出ることはない。
付き合っている訳ではないが、明らかに他の男子と違う態度を見せる美咲に、他の男子たちは、行動に移る前から諦めていたのだ。
それには海人も気付いてきて、そのことが慢心に繋がったのだろう。
告白することもなく、ここまで来てしまった最大の理由となっている。
そして、今回、そんな海人の存在に臆することなく行動した男子がいた。
それは、海人以外の男子からしたら英雄的行動。
その男子を応援する声も多く、人気の割に初めて告白された美咲に、友だちの女子たちも面白そうに煽っていた。
そんな中、美咲が相談をしたのが海人だ。
「どうしたらいいのかな?」
美咲からしたら、初めて告白されたことで、動揺していたのだろう。
そこで、最も信頼の置ける海人に助言してもらいたかったのだろうが、海人はそれが無性に苛立った。
「はぁ? しらねぇよ。自分で考えろよ」
「少しは真剣に考えてよ。私、告白されたことないし、どうやって返事したら良いのかわからないんだから!」
「だから、返事するんなら、勝手にすればいいだろ!」
海人の中では、美咲は当然、告白を断るものだと思っていた。だから、返事に迷うということ自体が許せなかったのだ。
しかし、頭ごなしに拒否されて、美咲も腹を立てる。
それから先は売り言葉に買い言葉。
お互いに、そんなことなど言いたくないのだろうが、あれよあれよと2人の喧嘩はヒートアップしていく。
それはそれは、大きな喧嘩で、2人と仲の良い友だちたちが仲裁に入る程だった。
最終的には、美咲は泣き出してしまい、結局、2人は頭を冷やすために帰ることになった。
当然、告白の返事もできていない。
しかし、明日になれば、嫌でもその話になるだろう。
しかも、2人はまさに、喧嘩の真っ最中。
告白してきた男子を応援する者たちは、これは幸いと、明日の返事を心待ちにしていた。
そして、それは、海人の焦りにも繋がる。
今までは、美咲が自分以外の人と付き合うなんて想像もしていなかった。
しかし、今、この状況に至っては、その可能性は決して低くないと、海人自身は思っている。
それが余計に苛立つ理由にもなっていた。
焦りは苛立ちに、苛立ちは焦りに。
海人は今、堂々巡りの負の感情の連鎖に陥っていた。
だからこそ、海人は迷い込む。
普段なら足を踏み入れない、人通りの少ない路地裏に。
そして、そこで、そんな海人を見つけた1人の女性の喫茶店に。
◇◇◇◇◇◇
「こんな所に、何か用事ですか?」
「え?」
いきなり声をかけられて、海人は驚いた。
そして気付く。自分がよく知らない場所に迷い込んでいたということに。
よく知らないと言っても、所詮は同じ町の中。後ろを見れば見慣れた道が見えるのだが、それよりも、話しかけられたことで、海人は僅かに動揺していた。
「あ、いや、あの」
何を言えばいいのか。些細な問いかけに、海人は焦って答えられない。
そんな海人を微笑ましそうに見る女性は、この喫茶店のマスターだ。
「もし、暇なら、寄って行きませんか? 今は誰もいなくて暇なんです」
そう言う女性に誘われて、海人は言われるがままに店中へと入っていく。答えの出なかった海人にできるのは、女性の言葉に従うくらいだったのだ。
喫茶店という場所に、海人は馴染みがない。
ファミレスやファストフード店なら、海人も友だちとよく行くことはある。しかし、喫茶店に来たことなんて一度もなかった。
見るからに大人の雰囲気に、齧って知っている程度の喫茶店のイメージ。それだけで、海人は萎縮してしまっていた。
そんな海人の緊張をほぐすために用意されたのは、温かいホットミルク。
この喫茶店にあるメニューではない。完全に海人のためだけに用意された飲み物だ。
そもそも、この喫茶店にある飲み物のメニューはたった1つ。特製のブレンドコーヒーのみ。
完全に萎縮してしまっている海人には気付けないだろうが。
「これは、サービスです。料金はいりませんよ」
「あ、ありがとうございます」
女性の言葉に従う他ない海人は、お礼もそこそこにホットミルクに口をつける。
すると、温かいホットミルクが、スウッと心を落ち着かせた。
少し砂糖が入っているのか、ほんのり甘い香りは、口の中に少しずつ広がっていって、さっきまであった負の感情は、いつの間にか小さく消えていった。
「あ。美味しい」
「ふふ。それはよかった」
嬉しそうに笑う女性の顔を改まって見た海人は、思わず固まってしまった。
今まで女性の顔を見ても、普通に綺麗だと思うことはあっても、言葉を失う程に驚きを感じたのはこれが初めてだった。
さっきまでは、焦った気持ちに囚われて、女性の顔もまともに見れていなかったのだか、こうして冷静になって見てみると、海人は女性のあまりの綺麗さに目を奪われた。
顔が赤くなるのを自覚して、海人は顔をそらす。それに気を悪くした様子もなく、女性は頬杖をついて海人を見つめていた。
微かに笑みを浮かべるその顔は、どこまでも美しくて。しかし、その瞳は何もかもを見透かされそうな不思議な色をしていて、海人は居心地が悪かった。
それからしばらくすると、女性は満足したように、ふむ、と声を漏らして、何も言わずに、コーヒーをカップに入れた。
どうやら、自分用のコーヒーのようだ。
そして、おもむろに口を開く。
「こんな路地裏に入ってくるなんて、大抵は、何か悩みを抱えているんですよ」
そう語る女性の瞳には、面白いものを見つけた、という気持ちが込もっていたが、海人には気付けない。
それよりも、図星を突かれたことによる驚きの方が強かった。
「え?」
「もし、よろしければ、お話ぐらいは聞きますよ。話すだけでも、気持ちが楽になりますからね」
普段の海人ならば、ほっといてくれ、と、そんな申し出など断っていたことだろう。
思春期の男子である海人にしたら、自分の好きな人に、好きな人ができるかもしれないという相談なんて、恥ずかしくてできる訳がない。
ましてや、よく知りもしない相手に、そんな相談をするなんて、もってのほかだ。
しかし、その女性の言葉は、海人に不思議な安心感を与える。
いつの間にか、意固地な気持ちは、何処かに消えてしまっていた。それよりも、気持ちが楽になる、という言葉に海人は魅力を感じている。
だが、流石に抵抗は残るようで、そこから先は中々声にならないようだった。
それを見つめる女性は、決して急かすことはなく、ホットミルクのおかわりを用意する。
そして、待っていると思わせないような、優雅な様子で、コーヒーを口に運んでいた。
それから数分。
海人にしたら、かなり葛藤をした数分だったことだろう。やっと決心がついたようで、海人は今日の出来事について語り始めるのだった。
「実は、俺には幼馴染みがいるんだけど」
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