第10話 物語の徽宗皇帝と現実の徽宗皇帝


 ところで、南宋なんそうになる前の宋(北宋ほくそう)が滅亡した原因の大きなひとつは徽宗きそう朝の非現実的な対外強硬政策なのですが。

 『水滸伝すいこでん』には徽宗は人のよい名君として登場します。

 ただ、その描写をそのまま受け取っていいかというと、どうか、というところもあります。

 たとえば、名君として正しい判断をする場面もありながら、重要なところでは悪臣どもにかんたんにだまされてしまう。悪臣どもに対して怒る場面もあるのだけど、かんたんに丸めこまれてしまう。

 また、庭園造りにって全国各地から珍しい庭石を集めさせた、という、史実のエピソードはそのまま『水滸伝』にも盛り込まれています。

 そういうところを見ると、持ち上げているように見えて、「ひとはいいけど、すぐにだまされてしまう暗君」という徽宗のイメージ作りに、むしろ『水滸伝』は貢献したのでは、とも考えたくなります。


 なお、徽宗はずっと「政治には無気力で無能な暗君」イメージを持たれていたのですが、近年では、積極的で意欲的な皇帝だったという評価が出ているようです。それとともに徽宗の下の「悪臣」とされた政治家たちの評価も変わってきています。

 徽宗は、その命取りになった対外強硬政策に現れているとおりの、わりとアグレッシブな指導者で、臣下たちもそれまでのやり方にとらわれないアグレッシブな政治家たちだったのではないか、ということです。

 日本でも、室町幕府八代将軍足利義政よしまさの評価の変化とも似ています。義政は、かつては、芸術には関心も理解もあるけど政治には無気力な将軍とみられていたのが、近年の研究では、むしろ父の「万人恐怖」の将軍義教よしのりの性格を継いで、権力欲もあり積極性もある将軍とみられるようになっているそうです。


 ところで、この宋の徽宗皇帝が開発した書体として「痩金体そうきんたい」という書体があります。私は、一時期、痩金体のフォントを愛用していたのですが(『木漏れ日の水彩画』を最初に刊行したとき表紙のフォントに痩金体を使いました)、その書体はいつの間にかサポート切れになって消えてしまいました。

 うーむ。


 ……というわけで、宣伝。

 『木漏れ日の水彩画』

https://kakuyomu.jp/works/16817330655781424782

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