第6話 『水滸伝』の時代へ

 唐が滅亡すると中国はまた分裂時代に入ります。

 この時代を五代十国の時代といいます。

 この時代は、戦争が絶えず、政治的にも混乱した時代でしたが、社会は経済的に発展しました。民衆文化も発展して行きます。

 五代十国の時代には、それまで政治の中心地だった黄河流域が政治的・軍事的な混乱に見舞われました。これに対して南の長江下流地域が経済的に発展しました。

 10世紀の黄河流域は短命王朝が続いたのに対して、長江下流域には呉越ごえつ南唐なんとうなどのそこそこ安定した地方王朝が存続しました。また、米の生産が拡大し、日本や東南アジアとの海上貿易も握っていたようです。

 そのため、五代十国時代のあいだに、黄河流域の王朝の中心は、二千年の伝統のある洛陽らくようから、長江下流域との交易に便利な開封かいほうへと移りました。


 この開封は、五代十国の次の宋の時代、「東京とうけい開封府」と呼ばれました。

 『水滸伝すいこでん』は宋の時代が舞台なので、帝都の名が「東京」と表記されることがあります。

 帝都、東京。

 なので、『水滸伝』を読んだとき、みょーな親近感がありました。


 なお、中国史では「東京」は「とうけい」と読みます。

 ですが、日本の東京も明治時代には「とうけい」という読みがありました。鉄道会社名や路線名で「京浜」・「京成」・「京王」など「けい」と読む読みかたが残っているのは、その読みかたの名残り……なのかどうかは知りませんが。

 あと、宮沢賢治が、その作品のなかで岩手(「いはて」)を「イーハトーヴォ」(作品によって「イーハトーヴ」など表現が異なります)と表現したことは知られていますが、ほかにも作品中で盛岡にあたる都市を「モリーオ」、仙台にあたる都市を「センダード」などと呼んでいます。このなかに「トケイ」という地名も出て来ます。これは東京にあたるらしく、「とうけい」という読みを反映しているのだろうとされています。


 日本の東京のことはさておいて。

 そのあと、宋王朝はいったん滅亡して長江下流域に拠点を移し、華北王朝がジュシェン(女真)人のきん、長江流域以南の王朝が宋(南宋なんそう)という分裂時代になります。これを統一したのが世界帝国を実現したモンゴル人勢力で、中国王朝としては元(大元だいげん、中央ユーラシア史では「大元ウルス」という呼びかたをします)が支配した時代に入ります。

 この政治的・軍事的動乱のあいだも、経済的繁栄は続き、都市の民衆文化の発展も続ました。

 この時代に、講釈こうしゃく(講談)や「雑劇ざつげき」と呼ばれるお芝居が流行します。

 この雑劇には、後に『三国演義えんぎ』に発展する三国ものや、唐の末からの混乱時代を題材にするものなど、さまざまなものがありました。

 そのなかに、統一王朝としての宋(北宋)の末期に山東省あたりで活動していた宋江そうこうの盗賊集団についての劇がいろいろとあったのです。

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