第3話 『水滸伝』が「小説」だという、その「小説」とは?

 『水滸伝』は「小説」と呼ばれて来ました。

 明治になって、「文明開化」して、「小説」というジャンルが生まれた、というわけではありません。

 いや、というわけでもあるのですが……。

 どっちやねん?!


 明治になって、坪内つぼうち逍遙しょうようが『小説神髄しんずい』を書く。幸田こうだ露伴ろはんが『五重塔ごじゅうのとう』を書く。そして、20世紀に入って、夏目漱石そうせきが『吾輩は猫である』を書き、田山花袋かたいが『蒲団ふとん』を書く。

 こういうところから「小説」って始まったのでは?

 つまり、それより前の日本や中国には「小説」はないのでは?


 これは「小説」といっても「近代小説」ですね。

 「近代小説=小説」とするならば、明治より前の日本には「小説」はない。

 でも、実際にそれより前に「小説」と呼ばれる物語や書きもの・語り物が存在したのです。

 だから、「近代小説」ではない「小説」は、それより前からありました。

 『水滸伝』はそういう「小説」だったのです。


 しかし、日本の近代小説というのもすごいと思います。

 最初の本格的近代小説が猫小説。

 いやぁ。

 たいしたものだと思いますよ。


 ところで、一群の「書きもの」が「小説」と呼ばれるようになった最初は、『漢書かんじょ』の「芸文志げいもんし」という部分が最初だという話です。


 「諸子しょし百家ひゃっか」というのがあります。

 儒家じゅか孔子こうしとか孟子もうしとか。

 道家どうか老子ろうしとか荘子そうしとか(「荘子が書いた本」の『荘子』は「そうじ」と読むのが慣例です)。

 『漢書』「芸文志」はそういう「諸子百家」を10の「家」に分類しました。いわば、「諸子十家」にまとめて、著作リストを作成したのです。

 その「諸子十家」のなか、順番としては最後、順位としてはいちばん下の10番めにまとめられた「家」が「小説家」です。

 意味は?

 「小説」は、「取るに足りない話、くだらない話」。

 関西風に言うと「しょーもない話」。

 「小説家」は、「取るに足りない話やくだらない話を書き残した連中」、または「しょーもない話を書いたやつら」。

 あーっ! 怒らないでっ!

 私がそう言ったのではありません。

 書いたのは、直接は『漢書』を編纂へんさんした班固はんこ(伝統的な読みでは「はんご」)で、そのもとになる資料を作ったのは劉向りゅうきょう劉歆りゅうきんという親子の学者です。

 文句ならこの人たちに言って!


 ※ 儒家の書いたものを「儒」、道家の書いたものを「道」とは言わないように、「小説家の書いたものを「小説」と言う」というわけではないですが、「小説」ということば自体が「取るに足りない話」という意味なので、ここでは「小説家に分類される書きもの=小説」ということにして話を進めます。

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