五 朱紙征人(二)

「英雄の息子のお帰りだ!」

 征人が署に戻ると、同僚たちが拍手で出迎える。

 英雄の息子。かつては嫌味か上っ面の賛辞でしか聞いたことのなかった言葉が、今回は心からの賞賛の言葉として心地よく聞こえる。魔法使だけでなく、一般警官たちも入れ替わり立ち替わり部屋に入ってきて、心底見直したと言わんばかりに肩を叩いてくる。

「この歳で殺しを経験するとは、たいしたもんだ。俺より十年は若い」

「なあ朱紙、お前、どうやってとどめを刺したんだって? 教えてくれよ」

「《釿撃きんげき》だよ」

 そう答えると、魔法使部屋にいる全員から感嘆の声が上がる。

「聞いたか、みんな!」

「それじゃあ、犯人は真っ二つじゃねえか。キレてんな」

 そう言いながら、それを言っている奴の顔に嫌悪の色はまるでない。魔法使を相手に、殺し方の是非を議論している暇などないのだ。

「俺が見つけたとき、こいつは犯人が作った血の池の中に立ってたんだよ」

「血塗れ征人だ」どこからかそんな声が上がる。

「良いね。血塗れ征人だ」誰かが頷いている。

 あまり気の利いたあだ名とは思えなかったが、しばらくはその呼び方で呼ばれるだろうことを覚悟した。


 征人が改めて報告のために上司の元へ向かうと、上司は受話器を耳に当てて誰かと話していた。取り込み中ならと引き下がろうとしたが、上司は身振りで征人をその場にとどめた。上司が何度か相手に頷いている。声は聞こえないが、どうやら相手はさらにらしい。

 上司は受話器を耳から離すと、それを電話に戻さずに征人に呼びかけた。

「朱紙、お前宛に電話が来ている。本部からだ」

 受話器を受け取る。「朱紙です」

 初めて聞く男の声がした。男はこう言った。

「刑事課の東野だ」

 征人は驚きに言葉を失う――その人物の名前を、征人は知っていた――が、電話の主は返事のないことには構わずに、端的に用件を伝えた。

「明日でいい、少し時間を貰えるだろうか? 本部の私のオフィスまで来てくれるとありがたい」

 征人は呆然としていた意識を戻した。上司の顔を見る。上司が頷く。

 征人は言った。「……はい、わかりました」



 太宮警視庁魔法局本部まで向かう。刑事課のフロアに入り、魔法局きっての強者たちの視線に耐えながら、課長室のドアを叩く。「朱紙です」

「入りなさい」丁寧だが冷徹そのもののような声が返ってくる。

 入室する。テーブルの向こうの皮椅子に、長身細身の男が足を組んで座っていた。

 東野理一。魔法局刑事課課長。大物だ。

「朱紙征人くん。こうして直接会うのは初めてだね」

「はい」

 征人は頷く。名前は知っていたが、この目で見たことは何度かしかない。入局して日の浅い征人からすれば、魔法局の重役である東野は雲の上の人と言ってもよかった。だが、征人が緊張しているのにはそれ以外の理由もあった。東野は征人に言った。

「父上はお元気だろうか?」

「おかげさまで、はい」

 これがその理由だ。父は魔法局時代に、東野の上官だったと聞いている。英雄の薫陶を直接受けた、いわば兄弟弟子にあたる存在でもあるのだ。

 前々から話は聞いていたが、こうして呼び出されてみるとその威厳は相当のものがある。父は英雄の評判に相違ない剛毅な性格をしているが、東野の持つ気配はもっと冷たく切れたものだ。前に立っているだけで何か縮こまりそうな気がしてくる。

 東野が、世間話は十分だろうという顔で、今回呼び出した直接の原因に言及する。

「強盗事件を解決したとか」

「はい」

「犯人はどうした?」

「殺害しました」

「《釿撃》を使ったそうだね」

 一瞬征人は自分が尋問されているのかと思って、言い訳じみたことを口に出す。

「反撃の余地を与えないためでした」

「勇敢な選択だ。《釿撃》のような高等魔術を、この歳で、戦闘中に過つことなく行使できるとは、流石だね」

 東野は征人を肯定する。それで、征人はこの召喚が強盗事件に対しての調査や批難といったものではないことを理解して、胸をなで下ろした。

「光栄です」

 だが、それではなぜ東野は自分を呼び出したのだろうか? 征人が考えていると、東野は立ち上がって部屋の脇にある魔杖用のロッカー――東野は凄腕の魔杖使だと聞いている――を開いた。

 そこにあるのは東野の魔杖だけではなかった。

 征人は息をのむ。そこには征人が強盗の現場で見た粗悪な杖、魔獣の骨に最低限のアタッチメントを装着しただけの、いつ暴発するともわからない代物、それとほとんど同じものが立て掛けてあった。

 東野はその杖を手に取り、征人に手渡す。杖を見つめる征人に頷いて、東野は言った。

「これがなんだかわかるかな?」

「魔杖です。私が強盗の現場で見た杖に似ています」

 東野は言った。「君もそう思うかい」

「はい。造りも、仕組みも、その粗雑さも同じだ」

 そう言うと、東野は特に“粗雑”という言葉に反応した。

「その通り。私は魔法局に勤めて二十年になるが、こんな原始的な杖はこれまで見たことがない。こんな杖にカートリッジを入れたりしたら、腕をまるごと失いかねないよ」

 征人は神妙な顔をして東野の言葉に頷き、そして尋ねる。

「ですが、なぜこれを課長が?」

「これは君の事件とは違う、別の事件で使われていたものだ」

 征人は驚いた。

「もう一本あったんですか」

「一本どころではないよ。このごろ、これと同型の杖を使った犯罪が、至る所で行われているように思われる。現在我々はこれと同型の杖を二本押収している。君のも含めれば三本だな」

 征人はそれを聞いてまた驚いた。征人が遭遇したのと同じ魔法犯罪が、既に二件起こっていたというのだ。いや、押収されなかったものも含まれれば、もっとあるに違いない。征人は尋ねた。

「いったいどこの工房が作った杖なんですか、それは?」

「不明だ。当然だが、このような杖はどの工房のラインナップにも存在しないし、我々の知る誰かが作ったとするには、この杖は技術的にあまりに未熟だ。号もなければ登録番号もない。正真正銘の密造杖だよ」

「密造杖……」

 ありそうでなかった造語に、征人はたじろぐ。魔法を扱うための道具はその素材の流通経路も含めて厳格に管理されている。故に、杖が密造されるという事態は今まで起こってこなかったのだ。

 征人は言った。

「私が見た杖は、これとほぼ同じ構造をしていました。構造が同じと言うことは、これを作っている人間も同じである可能性が?」

「そうだ」

「そしてそれを使って複数の人間による犯罪が行われていると言うことは、これは組織的に行われている犯罪だ。そうですね?」

「その通り。大体のいきさつはわかってもらえたみたいだね。そしてここからが本題だ。私は密造魔法杖が全て同一のルートから流れていると判断し、専従捜査班を組織した。そこに、君も加わってもらいたい」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。

「……がですか?」

「そうだ。何か問題があるかな?」

 絶句した。

 課長は自らの率いる魔法局の捜査班に、征人を組み込もうというのだ。

 それはつまり、魔法を使う戦いに投げ込まれようとしているということだ。重大な魔法犯罪に対抗する重要な仕事の一端を、課長は征人に任せようとしている。

 征人はこれまで自分が何に対して退屈を感じてきたのかを思い出す。これから参加するのはこれまで取り組んできたあらゆる仕事より、危険で、栄誉ある仕事だ。今首を縦に振れば、自分は小さな署で小さな仕事をしていた日々から解放されて、もっと大きなものを相手に戦えるようになるのだ。

 そして、それはきっとこの事件で終わりではない。ここで着実に成果を残すことができれば、征人の実力に疑問を呈する人間はいなくなり、征人はこれまで自分を妨げてきたように感じる全てのものを飛び越して、さらなる活躍の場に躍り出ることになるだろう。

 それは、これまで征人が何よりも望んでいたことだった。


 だが。


「ですが……」

 征人はやっとのことで口を開くと、

「俺は経験不足ではありませんか?」

 と、弱々しく答えた。

 東野が意外そうに腕を組んだ。

「若いのに目立つのは嫌かな? それとも、このような仕事に関わるための実力が、自分にはないと?」

 征人は黙って目を泳がせた。自分でもなぜこんなことを言ってしまったのかわからなかったのだ。本当なら身を乗り出して東野と握手をしているはずだった。少なくとも、一昨日までの自分ならそうしていたはずだった。

 だけど、どうしても体が硬直してしまった。

 東野は言った。

「君は既にこの事件に関わってしまっているだけでなく、先日証明したように、既に十分な行動力と戦闘力を備えている。君が不安がるようなことは、既になくなっている。君は私の班に加わるだけの資格があるよ」

 それは、そうなのだろう。征人は思った。客観的に今まで自分が証明してきたものを見れば、自分には東野が勧誘するに足るものが備わっていることが確かなのだろう。元上司の息子というだけで重要な仕事に関わらせるほど、東野は甘くはないはずだ。

 だが、だからこそ、征人は東野の提案に乗ることはできなかった。

 征人は言った。

「……すみません、突然の提案に混乱しているようです。少し考えさせてもらえませんか?」

 東野は少しの間黙ってこちらを見てきたが、やがて頷いた。

「わかった。週明けには答えを聞かせてくれ」



 週末の晩、征人は父の辰彦と自宅で夕食を取っていた。

 征人は普段は魔法局の寮で暮らしているが、金曜の夕食だけは実家で過ごすと決めていた。礼拝を終えた後、征人は父の暮らす家に戻った。

 食事を並べると、使用人は黙って部屋を出て行った。食卓を囲むのは二人だけだ。ダイニングの中央には一つのテーブルと四つの椅子が用意されている。その少し小ぶりで決して高級品ではない平凡なその木製のテーブルと椅子のセットは、辰彦が英雄となる前に住んでいた家から唯一引き継がれたものだ。

 辰彦は来客には専用の部屋と大きな円卓を用意して、このテーブルに決して家族以外の人間を座らせない。どれだけ重要な客人であろうと、どれだけ親密な友人であろうと、この部屋に招かれたことはない。つまり、征人と辰彦以外が、この部屋でこの食卓を囲んだことは一度もなかった。

 朱紙家の食卓は、ある種の聖域だった。

 征人は父がなぜそうまでこの領域を守ろうとするのかを知っている。直接説明されたことはなかったが、父が何を思ってこの領域を守ろうとしているのかを理解している。

 二人が向かい合って座っているこのテーブル。余った二つの椅子。

 母と妹は、六年前の惨劇で死んだ。

 父は二人を助けることができなかった。征人はそこにいなかった。

 その二つの空席は、二人のためだけにあった。


「父さん」

 今週あったことを大まかに語り合った後、征人はそれを切り出した。

「なんだ?」

「東野課長、知ってるよな?」

 辰彦は頷いた。

「ああ。俺が現役だったころはよくしごいたもんだ。しっかり出世してるみたいでなによりだ。それで?」

「課長から、とある事件への専従捜査班に勧誘された」

 それを聞いて、辰彦は鷹揚に微笑んだ。

「よかったじゃないか。お前は前から、活躍のチャンスが欲しいと言っていたな」

「そうなんだ。危険だけど、名誉ある仕事がやってきた」

「せっかく魔法強盗を抑え込んだんだからな。これをしっかり足がかりにして、お前の望むものを手に入れると良い」

 父は、自分の成長を何よりも親として喜んでいた。それが征人にはひどくはっきりと伝わってきた。だからこそ、自分がこれからそれを言うことで、父の喜びを裏切ることになるのではないかと心が痛んだ。

 征人が続きを言わずに黙っていると、辰彦が首をひねってこちらを見た。

「どうした?」

「実は……」征人は言った。「迷ってるんだ」

「迷っている? 捜査班に加わることをか?」

「……ああ、そうなんだ……そうなんだよ」

 辰彦は尋ねる。

「どうしてだ? 前はもっと、派手に仕事がしたいと言っていなかったか? 刑事課や公安課なんかで、犯罪者と魔法の撃ち合いをしたいと言っていたそうじゃないか」

「それ、西条さんから聞いたのか?」

「ああ」そう言ったあと、辰彦はあわてて顔を上げた。「だからといって、別にお前を取り立てるように口利きしたりしてはいないぞ」

 征人は首を振る。

「いや、別に疑ってなんかいないよ。だけど……。うん、確かに、俺はもっと戦いたいと思ってたんだ。だけど……違ったんだよ」

「どういうことだ」

 征人は訥々と語った。

「これまでの俺は……ただ機会に恵まれてないだけなんじゃないかって思ってた。俺が父さんのように活躍できてないのは、俺の能力に問題があるんじゃなくて、俺にチャンスがまだまわってきてないからなんじゃないかって」

「その通りじゃないのか? お前は俺が育てた。魔術使の血だけじゃない。俺はお前に、実践的な魔術の全てを叩き込んだんだ。この街一番の魔獣討伐企業の代表が、その技術の全てを教えたんだぞ。お前が活躍できていないとすれば、それはお前ではなく警察という組織の悪癖のせいだろう」

 辰彦は征人をかばうように言った。征人は思う――本当にこの人は、自分の息子を疑うということをしない。一人残された我が子への愛情と、自らがそれを育て上げたという自負が、辰彦の純粋とも言える言葉ににじみ出ていた。

「違うんだ」

 だが、征人は食い気味に父の言葉を否定する。辰彦が片眉を上げた。征人は続けた。

「……違うんだ。確かに父さんは俺に全てを教えてくれた。英雄の全てを俺は教わった。だからだ、俺は強盗に殺されず、まだ生きていられる。だから今もここでこうやって、父さんと食事を取れてるんだ。それは父さんのおかげだ」

 辰彦はじっとこちらを見ていた。

「だけど、それだけじゃないんだ。俺は自分は何一つ悪いところなんてないと思っていた。俺は完璧だ、あとはチャンスが来るのを待つだけなんだって……。一度チャンスが来れば、後は犯罪者を相手に何度も戦って、その度に勝利して、父さんみたいな名誉を手に入れるんだって、そう思っていたんだ。だけど、一回そのチャンスってやつがやってきて、それでわかったんだ」

「何が……」

「俺は、俺は臆病者だ」

「臆病!」

 辰彦が目を見開く。自分の息子が、そのような自責の言葉を発したことに驚いているのだ。征人は続けた。

「怖いんだ。死ぬのが。すごく怖い。一度戦いの中に入ってみて、それがわかった。一度魔力を食らいかけたときに、俺は死の恐怖というものを理解してしまったんだよ」

 征人はスプーンを握った右手を少し上げる。

「ほら、見てくれよ父さん、今だって手が震えてるだろう? あのときのことを思い出すと、もうとっくに終わったことだってのに、体が勝手にこうなってしまうんだ。トラウマってやつさ。情けない話じゃないか?」

「……」

 それが、征人が東野からの勧誘に足踏みをしている理由だった。征人は強盗を相手にして以来、殺意を持った敵を相手にして戦うことに対して、全く自信がなくなってしまったのだ。これまで戦うことなく仕事を終えてきた征人からすれば、恐怖というものは初めての体験だった。それ故に、痛烈に心を折ってしまったのだ。

 征人は言った。

「あのとき死ななかったのは、俺にとって幸運だった。生き延びたことだけじゃない。俺は戦いに向いてなんかないってことがわかったのが、何よりも幸運だったんだ。それがわかってしまうと、俺にとって進む道は……本当に、戦って名誉を手にすることにあるんだろうかって、疑いたくなってきてしまったんだ」

 そして、征人は口をつぐむ。

「……」

 父が目を伏せている。静寂が苦しかった。

 征人にとって、その告白は罪を自白することに似ていた。辰彦のようになることを夢見て何年も辰彦に鍛えてもらっていた自分が、今更それを修正するようなことが許されるとは、到底思えなかった。父から激怒されても、幻滅されても仕方ないと思っていたし、それを罰として受け入れようと覚悟していた。

 長い沈黙の後、辰彦は口を開いた。

「戦いというのは、過酷なものだ」

「……」

「その歳で恐怖を理解できたことは、確かにお前の言うとおり、幸運なことだろう。それがわからなかったせいで死んだ同僚を、俺はかつての魔獣討伐課で何度も見てきた」

 意外なほど落ち着いた声だった。どこにも怒りの感情は見えない。征人はどこか拍子抜けして、体をこわばらせていたものが全てするっと抜けていってしまうのを感じた。

「父さん、怒らないのか?」

 征人がおそるおそる尋ねると、父は至極真面目な顔をして言った。

「何を怒ることがある? 蛮勇の中で死ぬより、臆病に生きていく方がずっと良いことだと、俺も思う。お前が恐怖を前に選択を変えたとして、それを否定する者を俺は許さない」

 辰彦は力強く、征人の弱さを肯定する。そのちぐはぐさがなんだかおかしくて、征人は緊張が抜けた反動もあって、少しだけ笑ってしまった。

「それは、父親としての言葉なのかな」

 辰彦はゆったりと首を振った。

「人間としての言葉だよ。もし父親としての言葉を聞きたいのなら、一人でこの食卓に座るのは御免だと言わせてもらおう」

 征人は二つの空白を意識した。それは征人にとっても苦しい記憶を思い出させるものではあったが、辰彦は目の前で二人を失ったのだ、きっと征人以上に、家族を失う苦しみを知っているのかもしれない。

「……ありがとう、父さん」

 征人は、なんとかその一言を絞り出した。父は首を横に振った。

「礼を言われるようなことなど、俺は何もしていない」

「そう言ってくれることが、何より助かるんだよ」



 食後、征人は自室でテレビを見ていた。といっても、何か目当ての番組があったわけではない。漠然と流れてくるニュース番組を見ていただけだ。大統領が何々をした、太宮で何々が流行っている、芸能人が何とかいう映画に出演する、スポーツでどこどこのチームが勝利した、CM、CM、CM。

 征人にとって重要な情報はどこにもない。征人が普段まるで気にしていないものが、ただ右から左へ流れていくだけだ。だが、その意味の希薄さが、緊張から解き放たれた今の征人には必要だった。

 これまでの自己認識と全く異なる自分を言葉にして認めるというのは、征人にとって初めての体験だった。それまで自認していた勇敢さ、それと全く相反する臆病な自分という姿。突然訪れた試練によって、征人はこれまでの自分を完璧に破壊された。それも、英雄である父に面と向かってそれを告白したのだ。

 ただ人の声だけが流れ続ける自室で一人で過ごす時間は、崩壊した自分を受け止める緩衝材としてありがたかった。

 明日からどうしようか、と征人は思った。東野に連絡を入れ、また署に戻って仕事をするだけだ。たいして変わりはない。ただ、これまでよりずっとおとなしくなるだけだ。

 征人は自分の恐怖をなだめようとする。これまでと、何も変わらないのだ。

 だが……。

 今回の事件のように、征人にしか対応できない戦いが突然発生する可能性はある。そのとき自分は、果たして今回と同じように動けるだろうか? 征人には自信が無い。叶うことなら、既に起こった事件の現場で捜査を行うだけが良かった。

 だが、いくら魔法事件と言ったって、魔法使としての素質が必要になる局面はそう多くない。聞き込みだとか、取り調べだとか、大半の捜査活動は一般捜査員の力で足りてしまうのだ。

 魔法局における魔法使の役目はいざというときに戦うことにあるのは明らかだ。

 それができないのなら、魔法局にとって征人を置いておく理由はない。

 父は擁護してくれたが、戦いたくない魔法使なんて、案山子以下じゃないか?

「……あいつに取られなかったのは、命だけだな」

 征人は強盗の死に顔を思い出して、そう呟いた。

 深く息を吐き、沈み込むようにソファに体を任せる。

 これからのことを考えると気が落ち込むばかりだ。時間はまだ早いが、もう寝てしまいたかった。征人はそう思って目を瞑り、徐々に意識を手放していこうとした。


 急にテレビから流れる音声が大きくなった。


 征人は跳ね起きた。リモコンを変な場所に置いてしまったのかと思った。

 だが、違ったのだ。征人の無意識が、を捉えたのだ。

 征人はテレビ画面を見る。

 焼け落ちた建物が映っていた。太宮中心部にある、なんの変哲もない商店だ。

 事件自体はよくある強盗らしい。商店の金庫を狙った暴漢が店主を脅して金を巻き上げ、興奮のままに現場に火を放った。

 だが、征人が反応したのは別の理由からだった。

 キャスターが現場の前で、カメラに向かって喋っている。

「現場には犯人が残したと思われる魔法杖とカートリッジの残骸が――」

 密造杖だ。直感的に理解できた。こんなちんけな犯罪を犯す魔法使はそうそういないし、正規の魔杖使ならもっと自分の杖を大事にする。

 銀行強盗と同じパターンだ。誰でも使える簡素な魔法杖を与えられ、その真価もわからぬまま犯罪に突っ走ったのだ。

 征人は報道されている事件についてそう確信を深めるに連れ、なぜだか目がはっきりと覚めていき、それと同時に体が燃えるように熱くなっていくのを感じた。今の今まで一気消沈していたことを思えば、不思議なほどの熱情だった。

 そういえば。

 征人は大事なことを忘れていた気がした。

 どうして俺は警察なんかに入ったんだろうか、という一つの問いだ。

 父さんのようになりたかった。英雄になりたかった。西条に言ったことを思い出した。その言葉に嘘はない。それは確かだ。

 だが、それだけだろうか?

 それだけならAMOに入れば、それですぐに終わりのはずだ。征人のための道はすぐに用意されて、あとはそこを散歩でもするような気持ちで歩いて行けばいいはずだ。それで征人は第二の英雄になれる。そのはずで、父も本心ではそれを望んでいるはずだった。

 だが征人はそうしなかった。

 わざわざ楽な道を捨てて、警察なんていう組織に身を投じた理由。それはなんだったか?

 征人がじっと見ている報道映像、その画面の左下には、二つの顔写真が映っていた。

 それは、この事件で犠牲になった夫婦の顔だ。ただの現場に居合わせて、巻き込まれて死んだ。死ぬべき理由などどこにも無かったのに。

 肌がちりちりとむずがゆい。背骨に力が入る。

 征人は思い出す。俺が本当にやりたかったこと、それは――



 再びオフィスに現れた征人に、東野はその冷徹な目で試すように見てくる。

「それで、答えは決まったかな? 私の班では危険な相手と戦うことになる。殉職の可能性も低くはないよ」

 征人はしっかりと言った。

「参加します。私には専従捜査班において役割を果たす十分な能力があります」

 東野はまだ頷かない。

「相手は組織的活動を行っているかも知れない。ということは、もしかすれば魔法を使った戦闘になる可能性もある。しかも相手が使うのが粗悪な密造杖などではなく、高度なものだということもあるだろう」

「問題ありません」

「相手は魔獣使かもしれない」

「私は魔術使です。遅れは取りません」

「同じ魔術使が相手かも」

「だとしても、それを上回る活躍をご覧に入れましょう」

 何度も念を押して征人の意志を確かめた東野は、そこでようやく腕を組んだ。

「わかった。君の活躍に期待している。明日からは署ではなく本部に直接出勤しなさい。詳細はそこで伝える」

「わかりました」

 征人は踵を返し、オフィスを出て行こうとする。

 その背後から東野が声をかけた。

「やはり君は来たな。勇敢さは血に受け継がれているということか」

 征人は東野に向き直ると、こう言った。

「光栄な言葉ですが、私は父のような英雄ではありません」

 東野が興味深そうに尋ねた。

「そうかな? ならば、なぜ参加を選んだ」

 征人の中で、その答えははっきりしていた。

「私はただ、卑劣な犯罪を前に何もしない自分が、何より許せないというだけです」

 東野が初めて微笑んだ。

「それが、英雄の素質というやつだよ」

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