四 喜多真一郎(二)

 さて、今日も元気にパトロール三昧だ。

 真一郎はその日も街を巡回していた。

 さすがに先日の出来事は堪えたが、それでも自らの職責を果たさない訳にはいかない。ただ飯食らいだのなんだの言われたんなら、それに怒るんじゃなくてただ飯食らいなんかじゃないってことを証明してやればいいのだ。真一郎はそう自分に言い聞かせて、そしてまたいつ現れるとも知れない魔獣を探すのだった。

 夕方を過ぎた頃には、その日の真一郎の得た実績はだいたい以下の通りで確定していた。

 民間の魔獣狩りからの通告の処理が一件。

 パトロールをしていたらなんとひったくりを見つけたので、そいつの確保が一件。

 それぞれの書類仕事が一件ずつ。

「これじゃまるで、本当にお巡りさんみたいじゃないか……」

 真一郎はそう嘆きながらそれぞれの仕事をこなしていき、結局赤雲の一つもこの目で見ることなく、一日の勤務が終わろうとしていた。同僚たちは遅番の者の他は早々に仕事を終え、自分の机に齧り付いて書類仕事をしている真一郎をからかいながら帰宅するか、夜の街へ繰り出していった。

 真一郎は考えた――もしかして、もう今の仕事のやり方そのものがもう、魔獣を討伐するためには向いていないんじゃないのか?

 今や魔獣狩りは、人数の上では民間の方が圧倒的に上だ。だが単に魔法使の数が多いだけじゃなく、民間各社にはそれぞれ、魔獣を見つけ出すための独自のスキームだかアルゴリズムだか、なんかそういうものがあると聞いたことがある。警察にはもちろんそんなたいそうなものはない……。

 民間に警察を上回る魔獣発見方法があるのなら、真一郎が民間に先んじて魔獣を発見するためには、文字通り偶然以外の何にも頼れないのではないだろうか? ということはつまり、このまま何もしなければ、自分は一生死骸受取係のままで終わるんじゃないだろうか?

 真一郎は青ざめ、頭をひねろうとした。ひねろうとして、それが無意味なことをすぐに悟った。真一郎は自分のことを創造的な人間だと思ったことは一度も無い。一朝一夕で何かアイデアがひらめくなら、それはもう既に民間が実行しているだろう。

 だが、このままだといけないのは確かだ。

 だからと言って、代わりに何をすれば……。

 そうしてペンを止めていた真一郎はあるときふと思い立ち、天を仰いだ。

 書類をきちっと仕上げると、真一郎は駆け足で署を出て行く。



 一時間後、真一郎は日の沈んだ街をぶらついていた。都市のど真ん中、商業施設の建ち並ぶ歓楽街。かといって、遊びのためでも何でも無い。

 喜多はなんと、自主的に街をパトロールすることにしたのだ。

 勤務時間に最も頭を悩ませることといえば“どうやって仕事をしているように見せかけながらバイトをするか”というアラムネシアの警官の倫理水準からしてみれば、真一郎の考えは真面目どころではない、狂気的な熱意としか言いようがない。俺もついにおかしくなっちまったと思いながら、赤雲が出てこないか視線を空に向け、真一郎は気を張った散歩を繰り広げていた。

 真一郎の脳裏にあったのは、六年前の惨劇を収束させた朱紙辰彦のことだった。

 どうせ家に帰ったところですることなんてないのだ。俺もあれみたいに、仕事でもないのに魔獣を討伐したって良いじゃないか。勝手に魔獣を討伐して賞賛されることはあれど、その逆はない。真一郎の考えはそんなところだった。実際に真一郎が欲しいのは金でも地位でも名誉でもなく、ただ人を助けたという事実だったが、どちらにしろ同じことだ。

 ここにあるのは単純な図式だ。

 外に出る機会が多ければ、自ずと魔獣と遭遇する可能性も上がる。民間が人数とシステムで魔獣を発見するのなら、真一郎は熱意と狂気と執念でそれを上回るしかないのだ。

 魔獣を見つけるために必要な気合が果たしてどの程度かは、真一郎にもわからなかったが、とにかく真一郎は自分らしく、足で稼ぐというやつをとにかくやりまくろうと決意したのである。

 魔獣は人が集まる場所に現れやすいという漠然とした傾向が存在するから、喜多は街のど真ん中を選んでいた。凄まじい量のバイクが行き交う大通りを三輪タクシーで流し、屋台が立ち並ぶ広場を見回り、ショッピングモールなんかにも入って、ほとんどやっていることは街遊びとそう変わりないようにも見えただろうが、真一郎からしてみれば立派な自警活動だった。警察が自警活動をすることへの引っかかりもないではなかったが。

 そうしていると、いつの間にか真一郎はオリエンタルプラザにまでやってきていた。

 六年前のオープン時には史上最悪の悲劇の舞台となったオリエンタルプラザだが、今となっては被呪死した死体もきれいさっぱり掃除されて、どこが現場だったのか誰も覚えてないのではないかという位に賑わっている。

 実際には、最初に梟の魔獣が出現したと考えられている場所にはちょっとしたモニュメントが置かれており、どこで何が起きたのか、ちょっとだけ意識されるようにはなっているものの、それだけだ。あたりはファッションブランドやインテリア、雑貨屋、あとは飲食店なんかが並び、客は皆それぞれの消費に勤しんでいた。

 あれだけみんなが騒いだ悲劇も、六年経ちゃただの歴史か。

 真一郎はモニュメントに添えられた花束の少なさを見て、社会の変わる早さを意識した。


 高層階の見晴らしの良い展望席のあるカフェに入り、夜の太宮を眺める。年々開発が進む太宮はいつもどこかに建設中のビルがある。以前ここに来たのは何ヶ月か前だったが、既にそのときとはスカイラインは違っているのを真一郎は驚きの目で見ていた。

 だが、中でもとりわけ目についたのは、空の上ではなくむしろ地上近く、しかし横に長く伸びているある区画だった。

 太宮都市鉄道――これまで車に頼り切りだった太宮に、東西南北に走る鉄道を敷こうという大プロジェクトだ。広大で人口が多く、公共交通の発達していない太宮では、自動車を持っていない人間には移動の自由が存在しないも同じだ。皆が何かしら車を所有して道路を走ってそれぞれの職場に向かっているわけだが、千万単位の人間が全員車で移動しようとすると、どうなるかは想像に難くないだろう。渋滞が日常茶飯事とかしていたり、排気ガスが公害の原因になったりと、全く良いことが起こらないのだ。だから政府と太宮当局は太宮になんとしても大規模な公共交通機関を通すことにこだわり、紆余曲折あったが、その努力が実って太宮都市鉄道はもうすぐできあがろうとしていた。もう何ヶ月もすれば鉄道は動き出し、太宮郊外に住まう人々はより安く、より早く都市の中心部まで移動することができるようになる。真一郎は、汚職や怠慢が状態化しているこの国の事業が、どのような経過があったにせよ、完成までこぎ着けようとしていることに驚いていた。


 真一郎はどこかで赤雲が発生していないだろうかと街を見たが、ここから見たところで地上に降りて赤雲の場所まで行ったらもう民間がけりを付けているだろうと思い、すぐにやめた。

 それよりも、真一郎には気にかかるものがあった。

 真一郎から見て左前方、テーブル席を二つ占領している集団。真一郎はその嫌でも目につく集団から目を離せなかった。

 海外のサッカークラブの青いユニフォームを着ている奴がいたり、高級ブランドのロゴがでかでかと入ったシャツを着ている奴がいたり、中には軍服の奴もいる。誰がどう見てもバラバラな服装だったが、実はぱっと見でわかる共通点が一つ――全員青色だった。

 全体の服装の色合いが青で統率されている上に、あの青とオリーブドラブの迷彩柄、実用性度外視の軍服を着ている奴がいるということは、連中は間違いなく紺清団だ。

 紺清こんせい同胞青年団――早いところが、太宮の一部地域で幅をきかせている民兵だ。地元の商店なんかからみかじめ料を吸い上げたり、政治家や企業家なんかと癒着して政敵や商売敵を脅してまわったりと、特に褒めるところのないチンピラ連中である。太宮で起こる放火や強盗、殺人等々凄惨な犯罪には紺清団が関わってるんじゃないかって事件がいくらでもあるし、都市の一般市民からの評判はすこぶる悪い。

 その紺清団が、こんな時間にこんな場所で何をしているのか。ただブランド品でも買いあさりに来たのかもしれないが――というか連中の中には紙袋をやたらに抱えた奴もいるので、それも間違いではないのだろうが――気になるのは、紺清団の連中の中に、やたら身なりの良い少女が一人いることである。

 少女の周りを固めている男たちにも高そうな服を着ている奴は多いが、そういう連中は皆金のネックレスをじゃらじゃらさせている腹の突き出た中年やら、腰のベルトに拳銃を突き刺して常になんだか前屈みになっている若者だったりと、どうにもチンピラという雰囲気を脱していない。それに比べるとその中心にいる少女はすっきりと背筋を伸ばし、髪は丁寧に伸ばして整えられ、下世話な話で盛り上がっている民兵たちの間で静かに目を伏せる姿はとても同じ階級の人間とは思えない。聞いて驚け、実は彼女は初代大統領の一族で、民兵たちはその護衛を頼まれてここにいるのだ――ともし言われても信じてしまいそうなくらいには、少女はこの場所から一人浮いていた。


 真一郎はなんとなく気になったままぼうっと紺清団と少女を眺めていたが、そのうち、超然と黙っているように見えていた少女が、伏せた目の奧でふらふらと視線を漂わせていることに気がついた。

 ああ、やっぱりあの集団の中じゃ落ち着かないよな。俺だってあの連中とは一緒にいたくねえもん。

 などと真一郎は思ってたが、次第にその視線の揺れ動きがなんというか、見覚えのあるものに見えてきえ、気が気ではなくなってくるのだ。

 少女のさまよう眼――真一郎はかつて故郷で似たような眼をしている人間を何度か見たことがあった。つまり、先輩から預かった金を全てギャンブルでスった奴だったり、地元のヤクザの娘にちょっかいを出したことがバレた奴だったり、とにかく、絶望的な状況で破滅を待っているような人間たちだ。真一郎の地元はガラが悪い土地だったから、そういう人間を見る機会は何度かあった。

 連中はどうにも自己責任というか、意志の弱さや好奇心が身を滅ぼしたようにしか思えなかったが、とにかくあの瞳孔ががっちりと開いて、肩を上下させながら、かといって何か動こうとするわけでもなくただ終末の到来を待ってじっとしているあの様は、一度見たらなかなか忘れられるものではない。別に明日は我が身だとか思っているわけではないが、なんだか人間のある種の極限状態を表しているように見えて、どうにも頭を離れないのだ。

 で、それをあの上品な少女がしていることに、真一郎はちょっとどころではない疑念を抱いたのだった。

 もしかして、誘拐じゃねえだろうな。

 ふとそう思って、真一郎は頭を振る。いや、まさかな。誘拐だったらこんなとこで悠長に飯なんか食ってる訳がない。少女の様子はかなりおかしかったが、真一郎にはあまり自信がなかった。

 だから、とりあえず本当に危ない何かじゃないかを確認しようと思った。

「すみません、注文良いですか!」

 真一郎はわざと大きな声を出して店員を呼んだ。それはもう大きく、ざわついている店内が一瞬静まりかえるくらいの大きさだ。民兵連中も一瞬黙ってこっちを見て、すぐに自分たちの会話に戻った。

 真一郎は少し照れたように首を振る。騒がしい店内でも聞こえるように声を張り上げたら、思っていたより大きな声が出てしまった――というように見えただろう。実際に真一郎は少し恥ずかしかったが、だが収穫はあった。少女も一瞬、こちらを見たことを確認したのだ。

 真一郎は制服を着ていた。とりあえず、これで今店内に警察がいるということは少女に伝わったはずだった。

 さあ、どうなるかな。

 真一郎はやってきた店員に適当に飲料を注文すると、少女の反応を伺った。少女は相変わらず目を泳がせていたが、何度か真一郎の方を見ようとしているようだった。だから真一郎は紺清団にガンを飛ばしていると思われない程度に少女の方に目を向け続け、それに少女が気付くのを待った。

 目が合った。

 少女の眉がぴくりと動く。

 第二段階も成功だ。これで向こうは、警察官が少女と民兵を警戒していることがわかっただろう。

 少し待つと、少女が民兵どもに何か伝えたのが見えた。民兵たちが少し言葉を交わすと、腕っ節には自信がありますとばかりに半袖のシャツを肩までまくり上げ、膨らんだ上腕をむき出しにしている若い男が、少女の手を取って立ち上がった。

 二人はテーブルの並ぶあたりを離れ、真一郎の左手にある廊下に向かった。その先にあるのはトイレだ。

 なるほど。

 真一郎は少女の意図を理解した。少女は緊張した足取りで老化を歩き、真一郎のすぐ横に来たとき、造花の向こうでその唇を動かした。

 “たすけて”。

 少女の唇は、確かにそう言っていた。

 真一郎はすぐに立ち上がった。


 真一郎も廊下を渡り、女子トイレに向かう。

 もちろんと言うべきか、扉の脇には筋骨隆々の男が腕を組んで壁にもたれかかっている。

 真一郎が迷うことなくドアを開けようとすると、男が手を伸ばして止めてくる。

「何やってんだお巡りさん、男子トイレはあっちだよ」

「お巡りじゃねえよ」

「あ?」

 民兵の顔を思い切りぶん殴って後頭部を壁に打ち付ける。見た目の割にひ弱だった民兵はそのまま意識を失ってずるずると崩れ落ちた。不良だった時分に喧嘩で何度も人の頭を殴りつけてきた真一郎からしてみれば、どの程度脳を揺さぶれば動けなくなるかの調節など造作もない。真一郎は男がベルトに差した拳銃を抜き取って懐に収めた。

 女子トイレの中に入る。他に誰かいたら面倒だと思っていたが、幸い少女の他には誰もいない。

 そしてその少女は驚きに目を見開いてこちらを見ている。

「失礼するぜ。どうもやばそうな感じだが、誘拐か何かか?」

 真一郎はさっき民兵を殴った手をさすりながら尋ねる。

 少女は頷く。「そう……そんなところ」

 その言葉はさっきまで真一郎が眺めて想像していたような上品さとは遠く、むしろとげとげしく、ぶっきらぼうだ。

「全く、この街はずっとこうだな。今日もひったくりを捕まえたが、何も起こらない日ってのをお目にかかりたいもんだ」

 真一郎が呆れながら言うと、少女は少し不安そうに尋ねる。

「お巡りさんさ、あいつら倒せる?」

「だからお巡りじゃねえって」真一郎は肩をすくめて言う。「ああ、余裕だ」

 少女が深く息を吐く。

「よかった。まさかノープランなわけはないとは思ってたけど」

 外で騒がしい足音と怒号が聞こえる。あれだけ大きな音を立てた以上当然だったが、思ったよりも反応が早かった。少女がまた焦った表情で、

「で、どうするの? あいつら数だけは多いから、一人で相手するのは……」

 などと聞いてくる。

 真一郎は首をぐるりと回した。

「ん? ああ、流石にここみたいな狭い場所だと調整が難しいが……」

「調整?」

 そう少女が尋ねるまもなく、ドアがバコンと大きな音を立てて開いた。

 個性豊かな顔と体格をした青色の男たちが廊下から女子トイレに乗り込み、真一郎に向かって唾を吐き散らしてきた。

「おい、何しやがったんだてめえ!」

「警察が俺たちに楯突いて良いと思ってんのか!」

 真一郎は怒りに吠える民兵たちの顔を一つ一つじっくりと眺めながら、そいつらを挑発するように鼻を鳴らした。

「人さらいごときが偉そうに……こんなやつらにまでナメられるとは、警察ってのはどこまで落ちぶれてんのかね」

 喧嘩の売買には人一倍敏感なチンピラたちが、真一郎の言葉を聞いて血管を思い切り膨張させる。

「お前よお……警官一人が死んだところで今時ニュースにもならねえって、知ってんのか? なあ!」

 リーダー格の男からとりわけ大きな怒号が飛んだかと思うと、全員が慣れた手つきで拳銃を抜いた。拳銃であると言うこと以外、口径も何もかもがてんでばらばらな銃口が並ぶ。驚いたことに、中には造りは貧相ながらも魔法杖を取り出した奴までいた。

「おう、杖まで持ってんのか」

 真一郎が驚きの声を上げる――だが、その余裕の表情は崩れない。むしろ魔法杖を見た瞬間、真一郎はちょっとした歓喜に口角を上げた。

「これくらいなら殴り合いでも負ける気はしねえが――だがまあ、せっかくそっちが乗り気なんだ」

 真一郎は天井に向かって指を立て、それを奇妙な軌道で動かす。

 それと同時に、部屋の中にどこからともなく赤い霧が沸き立った。真一郎は言った。

「出てこいよ、《ラシド》」

 赤い霧が真一郎を中心にぐるぐると渦巻く。霧の濃度は次第に濃くなっていき、中にいる二人の姿は民兵たちから見えなくなる。

 そして、それが突然晴れる。そこにいたのは真一郎と少女、そして一匹の動物だった。

「犀……?」

 民兵のリーダーはそう言いながら、自分がなぜそれが犀なのだと直感的に理解できたのかを不思議に思った。その動物は確かに四足歩行で、立派な角を持ち、鈍重そうな体格の奧に高密度の筋肉を備え、鎧のような厚い皮膚でそれを覆っていた。

 だがそのサイズは人間大という程度で、一般的な犀のサイズからは一回り以上小さい。眼球は片面に六つ備えられ、ありとあらゆる方角に向かってぐるぐると回転している。鎧のような皮膚はひび割れて中の肉がみちみちとしており、その漏れ出た肉にも眼球が生えて並んでいる。四つの足も足というよりも肉で作られたキャタピラのようで、常に内から外へ新陳代謝のように肉が押し出されていく。ときおり気味の悪い音を立てながら体のどこからか肉が排出され、それは体を離れると同時に赤い霧となって消滅する。

 総じて言えば、それは動物としては禍々しすぎた。

「こいつ、魔獣使だ」

 魔杖を握った男から声が漏れる。

「正解だ」

 真一郎が凶悪な笑みを浮かべながら男の言葉を肯定する。

 喜多真一郎は魔獣使だ。高い知能を持った魔獣を相手に契約し、命を分有することを対価に命令を聞かせることができる魔法使だ。その魔法使としての格は魔杖使の一つ上にあり、単純な戦闘力でもこの図式は当てはまる。

 一瞬のうちに民兵たちは形勢の悪さを理解した。真一郎は眉を上げて尋ねる。

「どうするね? 今なら痛い目見る前に見逃してやるが……」

 リーダーの男からぎりっ、と歯ぎしりの音が聞こえ、それと同時にその手に持っていた拳銃が火を噴いた。一拍遅れて全員が引き金を引く。

 だがそのときには既に犀が甲高い鳴き声を上げており、どういうわけか民兵たちの銃口は全て地面に向けられていた。放たれた銃弾は全て床に大量の穴を穿って役目を終える。

 呆然とするチンピラたち。魔獣使とまともに戦うのはこれが初めてらしい。知能の高い魔獣が簡易的な魔術を扱えることも知らないのだ。

 だが、今相手にしているのは銃だけじゃない。

 魔杖使がカートリッジの装填された魔杖から魔力を単純放出してくる。至近距離から放たれる赤い線条が、目にもとまらぬ早さでこちらに襲いかかる。

 真一郎は動かない――代わりに犀が盾となり、その全てを真正面から受け止める。次々と犀に突き刺さっていく線条、だがその皮膚には、傷一つつかない。

「ほう、ある程度は慣れてるみてえだが――」真一郎は言う。「その程度の杖の単純放出だったら、《ラシド》の敵じゃねえよ」

 真一郎の契約した鎧犀ラシドは、その見た目通りに硬質化した皮膚の持つ並外れた魔力耐性が特徴だ。本気で魔力を練って召喚した場合は最高ランクの杖の最高密度の魔力放出でも防ぎきってみせるという自負が真一郎にはあるが、今の相手はそれを二段か三段は下回る。訓練以外の実践で《ラシド》を使うのは初めてだったが、まったく余裕だった。

 赤い霧が完璧に晴れるころには、形勢は明らかだった。

「この野郎……」

 民兵たちの、憎々しげな悪態。

 真一郎は民兵たちがもうこちらに敵わないことを理解したとみて、言い放った。

「さっきのは途中だったからノーカンってことで、もう一度言わせてもらうぜ。今なら見逃してやる。とっととお家に帰りな」



 《ラシド》を赤雲の中に還し、後ずさる民兵たちを尻目に、少女を連れてオリエンタルプラザを出た。通りに出て、近くの警察署に向かって歩きながら、少女に尋ねる。

「まったく災難だったな。で、名前は? 家はどこだ?」

 だが、少女は俯いて黙り込んでしまった。

「おい、どうした? ただ送り届けてやろうってだけなんだが……」

 少女が口を開く。

「……ごめんなさい、名前は言えない。家にも帰れない」

「ああ? どういう……」

 真一郎は少女の言葉をもっと深く掘り下げて聞こうと思ったが、少女の表情を見て口をつぐんだ。そこにあるのは民兵たちの間にいたときと同じ眼だった。民兵たちの脅威を逃れたというのに、なぜこの少女はこんなにも、“まだ終わっていない”とでも言いたげな眼をしているのか?

 真一郎は顔をしかめる。

「……くそっ、訳ありかよ」

「ねえ、どっか隠れられるところない? 金なら……ちょっとは用意できる」

 少女は真一郎にすがりつくように尋ねる。真一郎の脳裏で、ちょっとした今後の算段が繰り広げられる。この少女は一体何に追われているのだろうか? 身なりと発言からして金持ち、それもそんじょそこらの金持ちではないことはわかる。ということは金がらみで誘拐されたわけではなさそうだ。

 では身代金目的の誘拐か? あり得ない。それなら早く家に帰りたがるはずだし、むしろ――真一郎は当時の状況を思い出してきた――あのとき民兵たちの振る舞いは、品がないとはいえ、少女に対して敬意を払っているようにも見えなくはなかった。

 なんとなくだが、少女は民兵とも繋がりのあるやんごとない家の人間で、ただ家出しただけなんじゃないかという妄想が湧いてくる。

 この年頃のガキなら、わけのわからない理由で家から飛び出すことなんてざらにあるだろう。だとしたら、少女をさっさと家に帰したところで特にまずいことなんて起こらないのではないんだろうか? というかそうしなければ、場合によっちゃ早とちりした俺がペナルティを食らうんじゃないだろうか?

 真一郎は言った。

「わかった。名前は聞かねえ。家も聞かねえ。だがこれだけ聞かせろ、なぜ家を逃げた?」

「――!? なんで逃げたって……」

「図星かよ」

 少女はハッと口を押さえる。わかりやすい反応だ。そしてすぐに肩を落とし、かすれそうな声で呟いた。

「……ひどいことをさせられそうになったから。それ以上は聞かないで」

「そうかい」

 ひどいこと、ね。

 少女の言葉と表情から、真一郎の記憶に蓄積された、実際に見聞きした家庭内の“ひどいこと”の事例が大量に思い出された。真一郎がいたのは掃き溜めみたいなところだったから、その手の話には事欠かない。富豪連中の家庭の出来事なんて真一郎には知る由もなかったが、どうせ人間のやることだ。きっと似たようなことがあったのだろうと思った。

 真一郎はふっと息を吐いた。

「ああ、わかったよ。この街は広いからな、隠れ家になりそうなとこなら、俺もいくらか知ってる」

 少女の顔がぱっと明るくなる。

「よかった! ねえ、いくら渡せば良い?」

「金なんていらねえよ。ただし時間は明日の朝まで、それ以上はだめだ。俺まで誘拐犯になるのはごめんだからな」

 少女は何度も頷く。

「それで大丈夫、一日でも過ごせればそれでいい。その後は自分でなんとかするから、今はあいつらから隠れたいの」

 二人は行き先を変え、北太宮区の中心部から少し外れたとある区画にあるホテルに向かった。

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