三 住之江アザミ(一)

 国家原則第一――信仰は尊重される。

 また第一原則より当然に導出される細則として、他宗教への排撃は許されない。

 アラムネシアの道徳教育において、まず何よりも強調されるのが以上の二つだ。独立の際に混乱を極めていたアラムネシアの宗教状況をどうにか統一国家として形にするために編み出された倫理的基準として、宗教対立を煽ったり実行したりする者は国民として不適格であるという条文が定められたのである。

 国内には最大多数派である伏教諸派を始めとして、正主教諸派、太仙教、覚教等々の諸宗教が混在しているが、積極的に寛容を命じる国家原則のおかげで、この国にテロリズムを実行するような宗教過激派は存在しない。

 と、少なくとも政府の見解ではそういうことになっている。

 そうした建前を一枚剥がしてみるとどうだろうか。

 住之江すみのえアザミはこれから、そうした政府見解を覆す本当のアラムネシアの姿を目の当たりにする。することをアザミは知っていたが、彼女は自分の内面にこれっぽっちの感慨も何も湧き上がってこないことを自覚していたし、そのことに驚きもしなかった。

 なぜなら政府の言うことが嘘っぱちであることなど誰もが知っている公然の秘密で、アザミが真実とやらを目にするのはこれが初めてではないからだ。


 アザミはこれから襲撃を掛ける標的のプロフィールを思い出しながら、魔法局のロッカーで淡々と自らの魔杖の最後の点検を行っていた。

 目当ては東太宮区のとあるマンションの十階に居住していると思われる、赤磐あかいわ喜一郎きいちろうという壮年の男だ。伏教系宗教団体“水曜学習会”に出入りしている学者であり、同団体をただの宗教勉強会からテロ組織へと変貌させた張本人でもある。国内の世俗の大学を卒業した後に外国の著名な宗教大学で正式に伏教学者としての免状を受け、再びアラムネシアに戻ってきてから布教活動を開始したという至極まっとうな経歴を持つが、その実態は真っ黒な煽動家と言う他はない。

 赤磐と思われる男が行っている説教の映像が、いくつか手に入っている。説教の題材は毎回様々だが、そのトーンは大きく二つに分けられる。一つは某礼拝所で一般的な聴衆に向けて公開で語られたもので、厳かな雰囲気の中、静かに寛容を説いているもの。もう一つは内部向けの演説で、こちらは極めて苛烈という他はない。もじゃもじゃとひげを伸ばした大男が、拳を振り上げアラムネシアにおける伏教の“惨状”を糾弾している。細かい内容は省略する。要するに今のアラムネシアは享楽主義的な外国の文化に毒され、伏教の本質とやらを見失っていると言いたいらしい。


 捜査会議の中で否応なく赤磐の主張を聞かされ続けていたとき、個性豊かな捜査員たちの表情にはある一つの完全に統一された表情が浮かんでいた――つまり、「またか」ということだ。

 こうした主張をする宗教家は、いちいち取り立てて例示するまでもない程度には増えている。この世界には信じる宗教が同じだからというだけの理由で遠い国とアラムネシアを往復して、帰ってきてからすることといえば他人に向かってお前の信仰は正しくないなどと偉そうに説教垂れることだというような連中が、それはそれは大勢いるのだ。

 アザミだって、決して不信心という訳ではない。アラムネシアの平均程度かそれ以上には神を信じているし、神に恥じない行いをしようと心がけているつもりではある。そんな彼女にとって、こうした連中に対して持つ言葉はひとつだった。

 くそ食らえ、だ。

 正しい信仰とは何か? 我々はどのようにして神と向き合うべきか? そのような賢しらな問いかけに対するアザミの答えはこうだ――神のみぞ知る。彼女は思っていた。「私は正しい信仰など知らないし、学者だってそうだ。唯一真実を知っているのは神その者しかいない」と。である以上、自分の信仰についてとやかく言われる筋合いは無い。こんな連中に貸す耳などどこにもないだろうとアザミは思うのだが、どうにも近ごろの若者には自分に自信のないやつが増えたのか、自分は正しい信仰を実践できているのかと青臭い悩みに頭を抱え、態度だけは自信満々な導師気取りに騙されてしまうのだ。

 水曜学習会の生徒たちも次第に赤磐の思想に感化され、先鋭化し、そしてついには武器を手に取り闘うべきであるという主張に賛同する者が多数派となっていった。むろん、学生たちの全員が赤磐に追従していたわけではなく、初期メンバーはかなりの割合が先鋭化する会についていけずに離脱していったようだが、それに替わって加入したメンバーはむしろ赤磐の主張にこそ感動して入ってきたため、学習会は加速度的に、いわば純度が高くなっていったのである。


 その赤磐が、明確にテロの計画を立てている――そうした通報が寄せられたのが、今回の作戦の発端である。

 通報元は水曜学習会から離脱しそこねたまま今の今まで来てしまったとある不運な青年だ。彼は気弱だが正義感が強く、赤磐がテロの計画について話している音声データを含む、膨大な情報を太宮警視庁に渡してくれた。信憑性は高く、即座に赤磐と水曜学習会の現主要メンバーの逮捕が計画された。

膨大なデータの中でもとりわけ重要視され、作戦の実行を早める原因となったのが、テロに十分な武器弾薬だけでなく、「魔法使を仲間に引き入れることに成功した」という赤磐の発言である。

 過激派がただテロを起こそうとしているというだけなら、わざわざアザミが魔法局から出張ってくる必要はない。通常の武器を持った対テロ部隊だけで十分だ。だが魔法使が向こうにもいるとなると――たとえ可能性だけだったとしても――話は変わってくる。魔法使に対して有効な対抗策が打てるのは同じ魔法使だけだからだ。

 魔法によるテロというのは少ないながら、特に犯行グループの思想色が強いほどあり得ない話とは言い切れなくなってくる。アザミの所属する公安課なんてものが魔法局内に設置される程度には、驚異と認識されているということだ。


 政府の唱える歯が浮くような建前。その裏に蠢いているのは、どこで魔法を炸裂させれば社会に与える打撃が一番大きいだろうかと常に考えているようなテロ集団に他ならない。連中は自分たちの考えるあるべき世界のためには人を殺すことも正当化されると本気でうそぶいてみせて、その実奴らの心の中には死者への同情などというものははなっからない。

 アザミの仕事は、そういう連中に一発と言わず何発でも拳や銃弾や魔法を叩き込んでやることだ。暴力による恐怖で社会をコントロールしようとする奴らに本当の暴力を教え、二度と悪巧みなどできないようにその志を根本からへし折ってやることだ。


 アザミは杖の点検を終え、魔力カートリッジを装填した。フィルムケースを二回りほど大きくしたような白い半透明の容器に充填された、限りなく血に近い赤色をした液体が、まるで飲み込まれるように杖の中へと吸い込まれていく。全体に漆黒の塗装を施された杖が、魔力を取り込んでいくに連れて心なしか赤く変色していくように見える。一つ目のカートリッジは一息で杖に飲まれてしまい、アザミはもう一つを杖に与えて立ち上がった。



 装甲バンに揺られて現場となるマンションまで移動する。

 マンションは二十階建てで、一階部分はまるごと共用施設として使われている。正面玄関からまっすぐ進むと階段に突き当たり、それを登ると二階からは全て十字型の通路の周囲に細かく分割された部屋が並ぶような構造になっている。

 どうせ古ぼけたそのマンションは違法な増改築を積み重ねられてもはや誰もその正確な構造を知らないのだろうし、最初の間取りなど頭に叩き込んでも無意味なのだろうと考えながら、アザミは部屋の数から階段の段数に至るまで詳細に脳内に再現できた。

 肩に立て掛けた魔法杖《破柘榴やれざくろ》が、痙攣したようにわずかに震えている。討伐された魔獣の肉体から回収した生体組織を利用して作成されている魔法の杖は、その構造にもよるが、杖となった今もほとんど生きていると言っても過言ではない。もちろん意思を持って活動することは不可能な状態だが、こうしてカートリッジから魔力を流し込んでやると、新鮮な魚の切り身に塩をまぶしたくらいには動きを見せてくれる。

 アザミは脈動する《破柘榴》を撫でた。最初は気味の悪かった生命感のある動きも、何度も作戦で命を預けていくと、パートナーとしての愛着のようなものが湧いてくる。それが魔力を吸収したことによる反射的な運動だとしても、アザミには《破柘榴》が来たる戦いに武者震いをしているように思えた。

 左目が疼いた。


 マンションの裏手にバンが停まる。後部のドアが開き、アザミほか対テロ部隊の面々が流れ出てくる。アザミはマンションへ突入していく隊列のやや後部で行動を共にする。共用部でくつろいでいた一般の住民たちが、唖然とした表情でそれを見ていた。

 逮捕時の反撃に備えて魔獣の体毛を織り込まれた防魔力・防弾装備を全身にまとった精鋭たちが、その重さを全く感じさせない早さで階段を駆け上がっていく。目的の階、目的の部屋まで、それほどかかることなく到達する。

 合図をして、先頭にいる隊員が扉を蹴破る。後続が部屋の中になだれ込む。

 部屋の数は多くない。数人の隊員が分散して建物を捜索していると、すぐに標的が見つかったという声が上がった。部屋にいたのは赤磐だけではなかったらしく、複数のうめき声が奥から聞こえる。

 アザミはそうした隊員たちの動きを、玄関ドアの手前から覗き見ていた。

 やがて部屋のすべてが捜索され尽くすと、アザミは玄関から部屋の中に入っていく。廊下の奥からやってくる隊員に問う。

「魔法使は?」

「いなかった。杖もない。銃はあったが」

 無言で頷いて部屋に入る。すれ違うとき、なんとなく視線を感じた。きっと突入に参加せず後からずけずけと入ってくることに対して、口に出すほどでもない程度の反感を感じているのだろう。

 いくつかの部屋を見て回る。物置にされている部屋に、山ほどの銃と弾丸が並べてある。まず間違いなく未登録銃だ。テロ計画のデータとこの武器だけで、十年は連中を刑務所にぶち込んでおけるだろう――というか、これ以外でこいつらが罪に問われることは無いだろう。公式に過激派テロリストというものが存在しない以上、過激派テロリストを逮捕したとしても全く別の罪で牢屋に入れないと辻褄が合わなくなってくるからだ。さらに奥の部屋に向かう。隊員たちに囲まれ、うつ伏せになって手を後ろ手に縛られている若者が数人。そしてひげもじゃの大男が一人。

 赤磐だ。

 膝立ちになってその顔を覗き込む。

「魔法使はどこだ?」

 アザミの顔を見て赤磐が少し驚いた様子を見せる。やがて目をそらして言う。

「いない。魔法使など知らん」

 アザミは赤磐にもっと顔を近づけ、目をむりやり合わせる。

「嘘だ。ここには魔力が残留している。私には見える」

 赤磐が顔をしかめた。

「その目、被呪障害か……」

「そうだ。しらの切り方を間違えたな」

 アザミの左目とその周辺は魔力による汚染を受けて変質している。ひどく痛むし、普通の視力は無いに等しいが、代わりに魔力だけははっきりと見えるようになった。

 今のアザミの左目には、この部屋は真っ赤に染まって見える。見間違えようのない魔力の色だ。

「どこにいる? つい最近までここにいたようだが、どうして今はいない?」

「知るか」赤磐は嘲った顔でアザミを見る。

「言った方がいい」

「ほう、どうしてだ?」

「……目を逸らしていろ」

 アザミは周囲にいる隊員たちにそう言いつけると、杖に装填していた魔力カートリッジを取り外した。中に満ちている魔力は液体状になっており、容器の中でゆらゆらと液面を揺らしている。

 赤磐が急に目を見開く。

「おい、お前それ……」

「動くなよ、狙いがずれる」

 アザミはそれを、赤磐の指先に一滴垂らした。

 野太い悲鳴が上がる。

 カートリッジを杖に戻す。魔力を吸い込んだ赤磐の指先が赤紫色に変色している。魔力カートリッジに充填された原液に触れたなら、もう二度とその部位の感覚は戻らない。アザミの知る限り、損壊の程度に比して最も多くの苦痛をもたらすことができるのがこのやり方だった。

「手加減した。次は手を丸ごと壊す」

 悲鳴が収まるのを待って、アザミは言った。

「わかった……わかった……」

 赤磐はべそをかきながらそう繰り返す。

 周囲にいる隊員たちが不快そうに顔をこわばらせている。どうせ、未遂犯に対してなにもそこまでする必要は無いとでも思っているのだろう。

「魔法使はどこにいる?」

 アザミが萎れた赤磐の小指をねじりながら尋ねると、赤磐は息も絶え絶えに言う。

「ここには……いない」

「どこだと聞いている」

 奇妙に長い沈黙の後、赤磐は言った。

「上だ」

「上階か?」

「普段はそうだ……今はどこにいるか知らないがな」

 そう言う赤磐の顔に、嘲るような表情が蘇っている。

 赤磐の言葉を聞き終わるより前に、アザミの視界の左半分は、空気中を漂うより濃度の強い赤を捉えている。アザミは気づいた。今まさに、魔法使が魔法を行使しようとしている。

 濃密な魔力の瘴気――杖の脈動が、左目の疼きが強まる――その流出元を探した。

 赤磐の萎れた小指をひねり上げた。

「そいつが使うのは何だ! 術か、獣か、杖か!」

「魔獣だ! そいつは魔獣使だ!」

 そうこうしている間にも、赤い瘴気は次第にその濃度を増している。もう左目に頼らなくても赤い霧が見え始める。一拍ごとにどこからか流れ込んでくる霧。その間隔は、鳥の羽ばたきに似ていた。

 アザミは閉まっていたカーテンを開け放ち、窓の外を見た。


 そこにいたのは、巨大な梟だった。


 アザミは全身が総毛立つのを感じた。

 それを見るのは、アザミにとって二回目だったからだ。

 六年前の“あの日”に見た魔獣――それを二回りほど小さくしたような魔獣が、そこにいる。

 

 あの日、アザミと妹はそろってオリエンタルプラザに行っていた。そして梟が発生した瞬間、そのすぐ目の前にいたのだ。

 アザミの脳裏に最も忘れたく、そして最も忘れられない光景が蘇る――妹がこの世で最もおぞましい音を立てながら、肉で作られた蜘蛛の巣になって壁にへばりつく。その左目だけがもとの形を保ったままで、振り返ったアザミをじっと見る。気付けば周りにいた人だかりはみな同様の肉の網になっており、もうどこに妹がいたのかもわからない。何百もの瞳が肉の網から生えていて、その全てが唯一魔力に汚染されなかったアザミを見ている。

 アザミはその日、初めて自分に魔力耐性があることを知った。


 胃の中身を全てぶちまけそうな光景から、意識を現実に引き戻す。

 梟はマンションの部屋の目の前、こちらを向いて滞空していた。すでにこちらに攻撃するための魔力を練り上げきっており、あと数秒でアザミを含むこの場の全員を爆殺できる状態だった。

「伏せろ!」

 アザミは叫んだ。そして《破柘榴》の先端を窓に向けて引き金を引き、何発か魔力を単純放出しながら伏せる。当たるわけのない放出。牽制程度にはなってくれると期待したが、梟はそれを羽ばたきの一つではじき返す。羽ばたきによって巻き起こされた猛風が部屋のガラスを破いた。吹き飛ばされたガラス片が、凄まじい速度で部屋の中にいた隊員たちを引き裂いていく。

 アザミはうつ伏せになってガラス片をできるだけ避けながら、右手の親指を杖の持ち手の側面、トリガーの反対側部分にある円形のパーツの中に突っ込む。そしてその中で指を独特の軌道で動かした後、トリガーを立て続けに引いた。

 アザミは唱えた――「《這星はいぼし》、《横櫛よこぐし》、《氷襲こおりがさね》!」

 《破柘榴》の先端から魔力が放出される。三度放たれたそれらはそれぞれ、どろどろと赤黒い霧が固まって飛んでいくだけの単純放出とは異なる見た目をしながら梟に向かって飛んでいく。

 アザミが円形のパーツの中で動かした指の軌道は、魔法紋と呼ばれる模様だった。魔法杖の基本的な機能は魔力カートリッジから魔力を放出するというだけのものだが、それだけだと少し火力の高い銃とそう変わりが無い。魔法杖が驚異的なのは、放出する魔力に対して特異な紋様によって意味付けを行うことにより、その放出後の挙動を大きく変えることができることだ。魔術師のするものほど汎用性は高くないが、魔力をもともと持たない人間にも、擬似的に魔術を行使させることができるのである。

 まず最初に飛び出した高速の魔力塊――《這星》が、梟の胴体を貫いて体勢を崩す。梟は予想外に堅い反撃に対応をし損ね、練り上げた魔力のいくらかを体外に漏出した。

 そして体勢を崩した梟に、一つの太い線からいくつもいくつも枝分かれして現れた《横櫛》が叩き込まれる。一発一発の威力は弱いが、魔力を全身に何度も打ち込まれることで梟はさらに魔力を外部に放出し、アザミが最初に見た魔力の三分の二程度まで脅威は縮小する。

 ろくに狙いもつけずに撃った二つの魔術は空中で軌道を自在に変え、吸い込まれるように梟の体に直撃していく。人間ならとっくに絶命している攻撃、だが梟はそれでも練り上げた魔力をこちらに向かって放とうとする――だからアザミは、最後に放たれた《氷襲》で、マンション全体を覆うように曲面の壁を展開した。

 梟が低く唸り、両の翼を大きくこちらに向けて羽ばたいた。

 それと同時に、赤い竜巻とでも言うべき爆風がマンションを襲う。

 まともに食らったならば建物ごと破壊しかねない凄まじい嵐は、《氷襲》で作られた魔力の壁によって後方に弾き飛ばされていく。受け止めるのでは無く受け流すことを目的に形成された曲壁だったが、カートリッジの残量を目一杯使った渾身の防御壁は、それでもみしみしと苦しそうに悲鳴を上げている。魔力それ自体はこちらに届いていないはずなのに、何か風圧のようなものが伝わってくる。アザミは《氷襲》が風を全てやり過ごしてくれることを祈りながらカートリッジを交換し、そして梟に追撃を許さないために牽制の魔力放出と、壁の補強を続けた。

 五秒ほどして風がやむ。

 アザミはすぐに身を起こして《横櫛》を連発した。《破柘榴》から放たれた赤い線は数え切れないほどに分裂して空中をのたくり、そのほとんどが梟に当たる。よろめいて落下していく梟は、すぐに体勢を立て直してビルから離れる。

 《横櫛》と《這星》を交互に撃ち、飛び去る梟を追撃する。だが巨大な梟が本気で飛ぼうとした速度は凄まじく、あっという間に梟は射程圏外へ逃げ去り、赤雲を残して消えた。

 梟がいなくなると、起き上がった隊員たちが魔獣使を捕らえるために上階へ駆け上がっていくのが聞こえた。アザミはその後を追いながら、敵はきっともうとっくに逃げ去った後だろうと思った。



 魔法局に戻ったあと、作戦後の書類をまとめて提出したアザミに呼び出しがかかった。

「報告書は読んだよ。素晴らしい働きだと言わせてもらおう」

 そう言うのは公安課課長・石鍵いしかぎ三雲みくもだ。

「魔獣は仕留め損ねました」

 アザミは素っ気なく言う。

「奇襲から全員を生還させただけでも勲章ものだ。誇っていい」

 そう言っているが、言葉とは裏腹に、石鍵の眼はあまり褒めているようには見えない。

「何か不備でもありましたか?」

 まさか課長がわざわざ平課員を褒めるためだけに呼び出したわけではないだろうという態度を込めてアザミが尋ねると、石鍵は言った。

「不備というほどのことではない。だが現場に現れた魔獣が六年前のそれと同一だという記述、あれは本当か?」

「はい」

 アザミは力強く肯定した。

 赤磐捕縛の現場に現れた梟の魔獣、あれは間違いなく六年前、オリエンタルプラザに現れた魔獣と同一だと、アザミは確信していた。

「私はこの目で見ました。単に魔獣の種類が同型だというだけでなく、赤雲の動きも私が六年前に見たものと、完璧に一致しています。そして赤磐の証言と現場の状況から見て、梟は自然発生では無く人為的な召喚によるものだと確定しています。私は今日の攻撃を、六年前と同一犯によるものと判断します」

 魔獣は魔獣使と契約するとその力を大幅に制限されるが、生命を自らの使い手と共有することができる。つまり、契約相手が死なない限り、自らも召喚という形で何度でも顕現することができるのだ。オリエンタルプラザに現れた梟はすでに討伐されているが、この理屈で言えば、再び現れたとしても全く不思議では無い。

 アザミは以前からオリエンタルプラザの梟に関して人為召喚説を訴えてきた。だから今回の襲撃はアザミにとって、ただ過激派を逮捕した以上の意味を持っている。

 だが、アザミの少し前のめり気味の説明に対して、石鍵の表情は動かなかった。

「そうか」

「何か?」

「お前は確かにそれを見たのかもしれない。だが梟の魔獣使がいたところまでは本当だとして、細かい赤雲の動きが見えたのはお前だけなんだ。それに……」

 アザミは言った。

「オリエンタルプラザの惨劇は自然発生説で決着がついてる、ですか?」

「そうだ」石鍵は頷いた。「これは警察の総意であるだけでなく、世間の常識にもなっている。その意味がわかるか?」

 石鍵は言った。オリエンタルプラザに現れた梟の魔獣は、警察や独立した調査会の報告によって自然発生説という結論が出ている。それは現場の状況から見れば当然の結論だった。つまり、あれほどの魔力出力を持った状態で魔獣を召喚できる魔獣使は存在し得ない、という常識である。

 魔法使の三つのカテゴリ――魔術使・魔獣使・魔杖使を隔てる壁は、端的に言えば本人の備えている魔力の量だ。魔杖を動かすためのカートリッジ化された魔力は、自前の魔力をすでにある程度以上持っている人間には扱うことはできない。自分の魔力と反発しあうからだ。その領域に至っている人間は、むしろ意思疎通が可能な魔獣と交渉して、魔獣使となることが一般的である。だがその領域すらも超え、自ら魔術を扱えるようになってしまった人間は、むしろ魔獣たちから敵として見なされる。

 であるから、三つのカテゴリに属する魔法使たちは互いに互いの領域の技を扱うことはできない。もし二つのカテゴリの中間程度の魔力を備えていたとしても、どちらも満足に扱えないケースが大半だ。

 オリエンタルプラザでは出現の際の赤雲だけで何百人もの魔力耐性のない一般人を死に至らしめた。魔獣使による召喚で現れる魔獣の魔力の多寡は魔獣使の魔力と召喚の技量に依存するが、それほど強大な魔力を持っている魔法使がいたとしたら、そいつはとっくに魔獣と契約できる魔力を通り越して、魔術使としても強大すぎる存在になるはずだった。

 その理屈は、アザミもわかっていた。それがどれだけ単純明快で強固な証拠であるかもわかっていた。

「ですが、赤雲の軌道は確かに一致していました。それを曲げれば、虚偽の報告を上げることになる」

 だが、石鍵はアザミの主張をにべもなくはねつける。

「お前はこれまで人為説を強く主張してきた。自説の補強のためにお前が自分にしか見えない部分をでっち上げたと考える奴が現れてもおかしくない」

 そう思っているのはあなたでしょう、とは口には出さなかった。

 確かに、今回見た梟と六年前のそれを別のものだとする証拠はいくらでもある。今回の梟はいくら大出力の魔力を放っていたとはいえど、オリエンタルプラザで見たそれよりも大幅に弱く、小さかった。その場で転写を取れなかった以上、赤雲の軌道がアザミの見間違いだったと言われてしまえば、それ以上反論はできない。意図的で無かったとしても、自説の証明したさのあまりに眼が曇ったのではないかと言われれば、アザミにだって自信は無い。

 それに、ここで強情に張ったとしても、石鍵を説得することなどできないだろう。

 アザミは不満が顔に出ないように気をつけながら、石鍵に従った。

「……わかりました。報告書は修正しておきます」

 アザミは石鍵に背を向け、ドアに手をかけた。背後から石鍵が言った。

「頼んだぞ。お前にとって惨劇がどれだけの意味を持つものなのかは理解しているつもりだが、だからと言ってお前の主張を全て擁護できるわけではない。お前は優秀だが、あまり不穏当なことばかり言っていると、やがて局内で孤立することになる」

 アザミは歯を噛みしめた。お前は何もわかっていないと大声で糾弾してやりたかった。私は確かに見たのだと。六年前のあの日に、左目を呪われ、妹が死んだあの日に、梟が現れるその瞬間を。

 アザミが惨劇の人為召喚説を主張するのは、なにも根拠が無いただの直観では全くなかった。梟の発生直後に呪われた左目、新しく得た視界に映った膨大な赤雲の軌道は、人為召喚に特有の安定性を備えていたのだ。

 アザミしか知らない、アザミしか証明できないたった一つの確信。

 アザミはその眼で見た事実に従い、今まで惨劇の犯人を探そうとしてきた。

 その努力が報われるとは思っていなかったが、今このとき、急に真実に近づくための鍵がやってきたのだ。

 惨劇を起こした魔獣使は、今もこの街にいる。

 それを見たのなら、いくら組織の意思と食い違うものだろうと、真実を追うしか無かった。

 真実を追い、犯人を追い詰め、そして妹を殺した仇を討たなければならなかった。

 住之江アザミが魔法を学んだのは、未来を開くためではなく、過去を終わらせるためだったのだから。

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