第12話 必要資格

 冒険者ギルドは店舗を構える必要がある。主に客からの依頼をこなす仕事なのに無店舗営業では不便だということだろう。

 そんな訳で俺達は、今後俺達の拠点となる建物の前へとやって来ていた。



「ここが俺の職場……」

「ええ」



 ファルの独断によって借りた物件。木造の2階建ての建物。

 広さは中々ありそうだが、その代わり築何十年と建っていそうな外観で、良く言えば年季が入っているとも捉えられるが、パッと見た印象では――。



「ボロいな……」



 なんというか気持ち建物が若干傾いているようにも見えるボロさだ。



「否定はしないけど、これでも予算内で一番いいところを選んだつもりよ」

「予算って……金持ってたのか?」



 ここへと移動する間、預かった書類に軽く目を通してみたのだが、この物件を借りる為の賃料や頭金、ギルドを設立する際の登録料と決して安くはない金額が掛かっていた。そしてそれらは既に支払い済みになっていた。



「いいえ。そもそもつい昨日まで奴隷だった人が個人的なお金を持ってると思う?」



 まぁそりゃそうか。給料出ないもんな奴隷。

 ……あれで仕事もキツかったら最高の職業だったんだけどなぁ……ほんと残念だ。



「ローガンさんから借りといたのよ。何をするにもお金が無いのは困るでしょう?」

「へぇ……よく貸してくれたな」



 ファルを買い取る時に吹っかけてきたことといい、元手ゼロの俺を開放する時でさえ金を要求してきたことといい、金には厳しそうな印象があるのに。



「ええ。返済出来なかったら私とイトーが奴隷に戻るって条件で30万だけ貸してくれたわ」

「……それなら貸してくれたのにも頷けるな」



 ローガンさんにしてみればどちらに転んでも損がない。納得の条件だ。



「ま、そういう訳だからあの生活に戻らない為にもイトーには死ぬほど働いて貰うわよ」

「おう任せてくれ」



 勝手に俺の身柄まで担保にされているのは些細な問題だが、ファルも俺とは違う理由で奴隷生活には戻りたくないだろう。となるとその為に必死で俺に仕事を割り振ってくれることになる。……俄然やる気が出てきた。



「それじゃ中に入りましょうか」

「ああ、けどその前に一つだけ聞きたいことがある」



「なにかしら?」

「このギルド名の”イーノレカ”ってどういう意味なんだ?」



 申請書類に書かれてあったギルド名。

 尋ねるとファルは扉に手を掛けたまま、顔だけをこちらに向けて。




「この辺りの海域に生息している、朝も夜も一日中泳ぎ続けている海洋生物の名前を借りたのよ。死ぬほど働きたいイトーにはお似合いの名前でしょ?」




 的確に俺のツボを捉えた回答をしてくれたのだった。





            ◇    





 建物の中に入ってみると、中は思ったより綺麗に思えた。

 けれどそれは「外観に較べて想像していたよりは」という枕詞なしには言えない程度の綺麗さで、立て付けが悪いのかギィィと嫌な音を出した玄関扉に、少し体重をかけるだけで軋む床、日に焼けてくたびれた壁紙や調度品などからしてボロい印象は拭えない。

 だけど。



「ここが今日から俺の職場兼自宅になる訳か……」



 ファルの計画によると一階は冒険者ギルドの店舗として使い、二階にある部屋を俺達用の住居スペースとして使うつもりらしい。

 つまり職場までの通勤時間は0分。通勤に時間を掛けない分仕事に時間が取れるし、台風だろうがなんだろうが出勤出来るし、何かトラブルがあってもすぐに駆けつけられる理想の環境。

 そう考えればボロくても段々と愛着が湧いてくる。むしろこれ以上ない物件だ。



「でもさすがに埃っぽいな……まずは掃除か」



 抱えていた書類を机の上に置いただけで埃が舞った。咳込むほどの量ではないが換気と拭き掃除ぐらいはやらないとそのまま使うには抵抗がある。

 ええとまずは窓を空けてそれから掃除用具を準備してっと……。



「勿論あとで掃除もして貰うけど、今は試験勉強が優先よ」

「……試験勉強?」



 前の借り主が残していったのであろうボロ雑巾とボロ箒を引っ張りだして掃除に取り掛かろうとしていると、突然そんなことを言われた。



「そ。イトーにはウチで冒険者として働いて貰うのだから、何を置いてもまずは冒険者認定試験に合格して冒険者になって貰わないと始まらないのよ」

「冒険者認定試験……」



 冒険者になるのに試験が必要なのか……って普通はそうだよな。

 前世でも資格とか免許が必須の職業が沢山あった。ましてや冒険者なんて危険の多そうな職は一定のハードルが用意されてるのが自然だ。

 けど冒険者の試験となると……未知数すぎて正直自信が有る無い以前の問題だな。



「そこまで深刻に考えなくても実技はその辺の魔物にやられないぐらいの実力があればいいだけだし、筆記も常識問題ばかりだからまず受かるわよ」

「あ、そうなのか」



 良かった、それならなんとかなりそうだ。

 実技はゴブリン三体を軽くあしらった経験があるから心配ないし、筆記も常識問題レベルなら安心――ってあれ……常識問題……?

 この世界の知識に乏しい俺に、常識問題……?



「…………ちなみにどんな問題が出るかわかるか?」



 恐る恐る聞いてみる。

 ファルは顎に人差し指を当てて「そうね……」と少し考えたあと。




「ヤヌキグリジグン草とヌポポホケキョ草を調合するとどんな効果の薬が出来るかとか、そんな感じの簡単な問題かしら」




 …………。

 ……。

 や、やっぱり超難問だったー…………。



「えっと……もしかして…………わからなかったりするの?」



 余程酷い表情をしてしまっているのか、何かを察したらしいファルが気遣わしげに聞いてくる。

 それだけ今のは常識問題レベルってことなのか……。薬調合まで求められるとかもしかして冒険者って凄いエリート職なのでは…………やばい、自信なくなってきた。



「すまん正直言って……全然わからない」



 上司に嘘の報告をするわけにもいかず、本当のことを告げる。

 まぁでもただ働くことだけしか考えてなかった俺とは違い、ファルは前もってローガンさんから資金を借り入れたり、冒険者ギルドを立ち上げるだけの行動力と計画力があるんだ。

 今回俺が不甲斐ないところを見せるのもきっと折込済み――。





「だっ……だだだ大丈夫よ。そこまでしんしん深刻に考えなくてもいいわ。ええ、そうよ。いいのよ大丈夫なのよ。私の経営計画に狂いはないわ。まだ。まだ不合格になった訳じゃないもの。そうよね」





 めちゃくちゃ動揺していた。

 俺がファルのことを買い取るって言った時よりも遥かに動揺していた。

 しかしそこはさすがいつも涼し気な表情をしているだけのことはあるのか、すぐにいつもの調子を取り戻し。



「イトーが少し――いえ、かなり世間ズレしてることは知ってたもの。保険をかけておいた私の判断は間違ってなかったわ。さすが私ね。これがデキる上司よ経営者よ」



 取り戻し……てるにしてはいつもより饒舌な気がする。なんか自分に言い聞かせてるかと思ったら凄く得意気な雰囲気だしてるし。やっぱりまだ動揺しているのかもしれない。



「ええと確かこの中に…………あったわ。これね」



 机の上に置いてある書類の束から何かを引き抜くファル。



「これさえ読めば合格間違いなしと冒険者の間で評判らしいわ」



 そう言ってファルが差し出してきたのは一冊の本。

 受け取って表紙を見てみる。





 <ゴブリンでも受かる冒険者認定試験 ~筆記対策編~>





 …………この手のタイトルの本って異世界にもあるんだなぁ……。

 けど参った。今この状況下でこのタイトルほど恐ろしいものはない。なにせこの本を開いた時、俺は人間なのかそれともゴブリン未満の雑魚なのかが判明してしまう訳だ。

 しかもこれはファルが「保険」とまで呟いていたところから察するに合格するための最終手段。前世でよくあった難解な内容の癖に売上の為だけに簡単なタイトルで消費者を釣っていた本とはわけが違う正真正銘、人間かゴブリン未満生物なのかを判定してしまう本。

 …………。

 ……。

 くっ。駄目だ。手の震えが止まらない。本を開く勇気が出ない。

 もし本の内容を理解出来なければ俺はこの二度目の人生をゴブリン以下の雑魚として生きることになってしまう。この世界の知識常識に乏しい現状ではゴブリン以下の糞雑魚ぷーと判定される確率が非常に高いのは明らかだ。

 ……やはり本を読むのはやめておこう。それなら少なくとも今のままでいられる。世の中知らなければ良かったことや、白黒付けては駄目なものが沢山あるんだ。

 だからここは大人しく諦めて――。



「…………………………何を考えているんだ俺は」



 諦める?

 もうファルは俺の上司だ。その上司が俺に試験に合格しろと命令したんだぞ? だからこれはもう業務だ。仕事だ。なのに諦めようとしたのか俺は。

 馬鹿を言うな……諦めてもいい仕事なんてそんなものは仕事じゃない。

 上司の命令を守れないなんてそんなものは部下じゃない。


 ――やってやる。


 知らないことがいくつあろうが関係ない。

 この世界独特の固有名詞がいくら出てこようが関係ない。全てを覚え、理解し、冒険者認定試験に受かるのが今の俺に与えられた仕事だ。

 日本のサラリーマンの力を――見せてやる!

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