第8話 理想のブラック上司
ローガンさんとの会話後、眠る気になれなかった俺はしばらく辺りをぶらついていた。
宿舎のある敷地内を囲うように設置されている脱走防止用らしき柵を見上げる。
頑張れば脱走できないことはない高さだが、一度就いた職を無許可無連絡で退職するのはいくらなんでも無責任すぎる。社会人としての常識に染まりきっている俺には無理だ。
……俺はこんな地獄みたいな環境でずっと第二の人生を過ごしていくことになるのだろう。仕事が少ない、なのに自由もない奴隷生活。
俺がいないと回らないぐらいに仕事が多く、その分貢献しているという実感を得られていた上に、辞めようと思えばいつでも辞められる自由さがあった社畜時代が恋しい。
「はぁ……なんで俺は奴隷なんかになってしまったんだ……」
「――何言ってるのよ貴方。自分から奴隷に志願したくせに」
つい口から漏れてしまった呟きに、返事があった。
驚いて声のした方を振り向く。辺りはほとんど暗闇と言ってもいい状態だが、それでも宿舎から漏れてくる僅かな明かりと、その目立つ綺麗な銀髪で誰が立っているのかはすぐにわかった。
「こんばんはイトー。今日は夜風が気持ちいいわね」
一週間前、馬車の中で初めて出会った美人さん。
仕事を早く片付けすぎて労働に飢えていた俺が片っ端から人の仕事を奪っていた時、わざわざ俺を探してまで仕事を押し付けに来てくれたのがこの銀髪美人で、名前はファル。
その時のことが切っ掛けになり、数回しか会っていないものの、今ではお互い肩肘張らずに会話が出来るぐらいの仲にはなっている同僚だ。
「ファル……なんでここにいるんだ?」
「知らなかった? 私たまにこうして夜風に当たりに来てるのよ」
いつもと同じ表情の変化に乏しい、涼し気な顔をして言うファル。
……俺の時といいガバガバすぎるなここの監視員。
まぁでも脱走したところでこの首輪にボロ服って身なりじゃ行き着く先は知れてるか。それにここは街からそれなりの距離がある郊外。体力の有り余っている俺ならともかくあれしきの仕事量で疲れを見せるゆとり奴隷達では街に辿り着くにも一苦労だろう。ぬるま湯環境すぎて監視員が職務怠慢になるのも無理もない。
「それよりさっきの聞いちゃ不味かったかしら。だったら忘れるけど」
「…………いや」
もしかしたら俺は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
たった一人で抱え込むにはあまりにも大きい、社畜精神のことを。
不幸中の幸いというか、あの呟きを聞いたのがファルで良かった。気兼ねなく話せるようにまでなった俺達の仲なら俺も話しやすいし話にも付き合って貰えるだろう。
「少し、愚痴っぽくなるかもしれないが話に付き合って貰えないか?」
「嫌よ面倒くさい」
……………………。
………………。
「そうか。聞いてくれるか」
「私、今嫌って言ったんだけど」
「そもそも俺が奴隷に志願してしまったのには深い事情があってな」
本当に深い深い事情だ。
それはもう相手の事情を無視して話し始めてしまうぐらいに。
「俺が元いた国の労働環境はここよりも、もっと酷かったんだ」
「ここよりもって……どれぐらい酷かったの?」
面倒くさいと言いながらも話に付き合ってくれるなんてやっぱりファルは竹中さん並に良い人だと思う。
「そうだな……労働時間はここよりも断然多い。酷い時だと一睡もせずに働き通しってのも珍しくはなかったな。休日も休憩時間もあの労働時間に比べれば無いも同然だった」
「……そんな環境でよく生きてたわね貴方」
「ま、まぁ人間多少の無茶をしたところでは死なないってことだな、うん」
いやそれが実は一度死んで転生したんだ。とは言える訳もないので濁しておく。
ついでに流れを一旦切る為にコホンと一つ咳払いをして。
「――とまぁついこの間までそんな環境にいたせいか、どうやら俺は胸を張って貢献できていると言えるぐらいに限界ギリギリまで働かないと落ち着かない体質になってるみたいなんだ」
「ふぅん。それでさっき仕事を寄越せって詰め寄ってたのね」
「……聞いてたのか」
「散歩してたら聞こえてきたのよ。こんな静かな夜更けだもの」
耳を済ましてみても草木が風に揺れて擦れ合っている音や虫の鳴き声ぐらいしか聞こえないほど静かな夜だ。あの時はちょっと興奮してしまっていたし、部屋から声が漏れていてもおかしくないか。
「けど仕事を増やせだなんて、面白いこと言うわねイトーって」
「別に俺はローガンさんの為に尽くしたいだけで面白いことを言ったつもりはないんだけどな……」
溢れ出る労働欲求。雇用主の為に身を粉にして働きたい気持ち。それらが行き場を無くしたまま俺の中でぐるぐると渦巻いて気持ち悪くなってきている程だ。
早くなんとかしないとこのままじゃ……。
「……もっと早く貴方に出会えてたら、好きなだけ働かせてあげられたのに……」
……………………えっ。
「そ、それってどういう意味なんだ!?」
ファルの呟きに活路を見出した気持ちになった俺は慌ててファルに詰め寄る。
「ちょ、ちょっと顔近い。離れて。あと息荒い」
「あ、はいすみません……。でもさっきの言葉は……?」
「……私の父はウェステイル商会の頭目だったのよ」
「ウェステイル商会?」
聞いたことのない名前に頭を捻っているとファルは「そういえば貴方この国に来たばかりだったわね」と、ウェステイル商会について話してくれた。
ウェステイル商会はたったの十年と少しで国中に支店を持つ程に急成長を遂げた商店らしい。
しかしその急成長の裏には社員達に課せられた過酷な販売ノルマがあり、ノルマを達成出来なかった者には減給や、売れ残った商品の買い取りを命じたりなど、ある意味社員を奴隷よりも酷く扱っていたからこそ利益が生み出せていたこと。
けれど1年前に社員の内部告発により就業形態が明るみになり、世間からの批判と不買運動、社員たちの一斉退職やストライキ、取引先から契約の解消が重なって瞬く間に倒産。
そしてファルは借金の肩の一部として、奴隷商人に売られここで奴隷生活を送ることになった……とのことだ。
「なるほど。そのウェステイル商会とやらが存在していた時なら俺を雇えたってことか」
「そういうことね。父の口癖は『社員は使い捨ての道具』だったからイトーもきっと満足出来る環境だったと思うわよ」
ううむ、そんな素晴らしい企業が存在していたとは……もう少し早い時代に転生していれば……!
…………いや、待てよ? 諦めるのはまだ早いかもしれない。
「なぁ、ファル」
「なにかしら?」
大企業の娘から奴隷生活への転落人生を語った直後にも関わらず、沈んだ表情一つ見せないファルに問いかける。
「ファルは商会の経営に関わったりしていたのか?」
「当然よ。将来は私が頭目になる予定だったもの。父からも色々と教わっていたわ」
「まぁそれも全部無駄になったけれど」と少し自嘲めいたように呟くファル。
しかしそんなファルとは対照的に、俺の気持ちは高ぶり始めていた。
あぁ――やっぱり諦めるには早かった。
この世界ではきっと珍しい、ブラック企業であるウェステイル商会。その経営者から教育を受けたファル。
ウェステイル商会はもう存在しないが、ブラック経営者的な思考を持てる者は目の前にいる。
だから俺は。
「ファル――俺の上司になってくれないか?」
「……何言ってるの貴方。頭は大丈夫かしら?」
真剣に頼み込んだのに、冷ややかな言葉と視線で返されてしまった。
「私達は奴隷なのよ? お互い使われるだけの存在に上司も何もないわよ」
確かにファルの言う通り。奴隷同士では先輩後輩のような上下関係はあっても、上司部下のような上下関係はない。
それにもしここで上司部下の関係になれるとして、いくらファルにブラック上司の素質があったところで、今の奴隷の仕事量では俺が満足できない。
だったら話は簡単だ。
「それじゃ今から退職届けを出しにいこうか」
ブラックな上司に思う存分使われる為に、ホワイト職業な奴隷を辞めればいいだけだ。
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