第9話 奴隷、奴隷を買う

「ったく……オレは大人しく戻って寝ろと言ったはずなんだがな……」



 目の前にいる俺達の雇い主、ローガンさんがボヤいた。



「それが今度は奴隷を買いたいときたもんだ……あー頭いてぇ……」



 目の前にいる俺達の雇い主、ローガンさんが頭を抱えた。

 どうやら疲れが溜まっているらしい。上に立つ人なんだから残りの仕事は下の人(特に俺)に放り投げてゆっくりと休んだ方がいいように思える。



「ちょ、ちょっとイトー、貴方どういうつもりよ。いきなり私を買うだなんて……」

「言葉通りだ。俺がお前を買って奴隷から解放する。それで俺の上司になって貰う」



 理想の上司候補を見つけた俺は、ファルを引き連れてローガンさんの元へと訪れ、こうして商談を持ちかけている、というのが今の状況だ。



「……もしかして奴隷のままでいたいとか?」

「そんな訳ないでしょ。好き好んで奴隷になる人なんて貴方ぐらいよ」



 それならよかった。

 これから上司になるって人の意に反することを部下がする訳にはいかないからな。



「だったら何も問題はないな。俺がファルを買う」

「そう簡単に言うけど……奴隷って簡単に買えるものじゃないのよ?」



 これは奴隷として働きながら同僚から教わった知識の一つだが、ファルの言う通り奴隷は高い。まぁ人一人を買うのだから当然だろう。

 その上維持費も掛かり、能力も奴隷それぞれによって大きく違って当たり外れもある。昔は奴隷の売買は盛んだったみたいだが今の奴隷商人と言えば、ローガンさんのように奴隷を働き手が必要なところに派遣して、その労働力の対価で稼いでいる者がほとんどであるらしい。

 そんなご時世もあって奴隷を買うのは非常に難しい世の中だと言える。



「そうだぞ。だいいち給金も貰えないお前が奴隷を買う金なんてある訳ねえだろ」



 ローガンさんの言う通り俺達奴隷は給金を貰っていない。道具に金を払う必要はないからだ。

 だから基本的に奴隷はみんな無一文。

 …………けど、俺は違う。



「お金ならあります」



 そう言って俺は懐から小袋を取り出し、中身をローガンさんの机の上に並べた。



「…………おいおいおいマジかよ……」

「嘘……」



 金貨10枚。

 転生した時から何故か持っていたこの世界での俺の全財産。危険物且つ目立つ位置にあった短剣は没収されたが、これだけは見つからないよう今まで肌身離さず隠し持っていた。



「全部本物じゃねえか……どうなってんだよ…………ほんと頭いてえな……」

「これだけあれば足りますよね?」



 これもまた奴隷として働きながら得た知識だが、この世界の貨幣にも当然種類がある。

 額の小さな順から小銅貨、銅貨、小銀貨、銀貨、金貨、特金貨の6種類だ。これらの貨幣にはそれぞれ街の広場や至るところで見掛けた「ルピド」という通貨単位がついている。

 小銅貨は1枚で1ルピド。銅貨は1枚で10ルピド……といった風に通貨のランクが上がる度にルピドも1桁ずつ上がっていく仕組みになっている。

 なので例えば一個10ルピドの林檎を買う為に小銀貨を1枚出せば、銅貨9枚のお釣りが返ってくるというわけだ。


 さて、話を戻そう。

 実は俺の持っている金貨は貨幣の中でも最上級の特金貨って奴らしい。つまり1枚で10万ルピド。それが10枚もあるのだからあの日広場で見た林檎の相場から考えると、奴隷を一人買うぐらいなら十分に足りるどころかお釣りがくるレベルのはず。



「あ……ああ……足りるのは間違いねえが……お前なんで奴隷なんかになりやがったんだ? あの時は糧を得るためとか言ってたが、こんだけありゃ豪勢なメシを食い散らしながら何十年も暮らせるぜ」

「奴隷なら死ぬほど働けるかなと思いまして」

「…………お前の考えは全くわからん」



 理解してくれないらしい。

 働くって行為自体が尊くて素晴らしいものなのに……。



「だがまぁ金を払うってのなら立派な客だ。商談といこう」



 ローガンさんの目つきが変わった。

 ここからは俺も大事な打ち合わせをしている気持ちで臨もう。



「購入希望はそこで立っているファル・ウェステイルでいいんだな?」

「はい。間違いありません」



 力強く頷く。

 ブラック企業ウェステイル商会の頭目から教育を受けた女性。

 俺の上司となって貰うためにも、まずは奴隷からの解放が最低条件だ。



「彼女は見た通り容姿もいい。仕事の覚えも頭の回転だって早い。礼儀も出来ているし教養だってある。オレの奴隷の中では一番良い商品だ」



 それだけに値が張る、と言いたいのだろう。

 だがそんなものは承知の上。俺の全財産を目にした今、100万ルピド以上の値をつけてふっかけてくる可能性が高いが、その場合の反論材料も用意してある。

 普段の派遣労働で稼いでいる賃金で100万ルピド以上を回収するのは計算しなくとも何十年も掛かるのは明白。その辺りのことを突いて、なんとか100万以下まで持っていくつもりだ。

 前世ではお客様の仰ることは絶対だったので交渉事には弱いがやるしかない。



「70万。奴隷解放の申請手数料込みで70万ルピドでなら売ってやる」



 そんな心配をよそに、ローガンさんの提示した価格は良心的だった。

 良かった。これで俺の安寧の社畜生活が――。



「ちょっと待って。それはいくらなんでもふっかけすぎじゃないかしら?」



 安堵した途端、思わぬところから横槍が飛んできた。



「今現在の奴隷の相場は約30万。そこから本人の年齢や能力で価格が上下すると考えても、私に奴隷二人分以上の価値があるとは――」

「奴隷が商談に口を挟んでいいとでも思っているのか?」

「っ……」



 ローガンさんが静かに、けれど威圧感のある声でファルの言葉を遮る。



「まだ売買契約は結んでいない。それまでお前はオレの奴隷だというのを忘れるな」



 現在の雇用主から釘を刺されてしまっては、さすがのファルも黙っているしかなさそうだ。

 しかしそうか……俺カモられてたのか。

 100万を超えるかどうかで見てたから凄く良心的だと思ってしまった。



「さっき提示した70万。こっから一切下げる気はねえぜ」



 とてつもない強気な姿勢。

 この商談が仕事であればどうにか値下げ交渉できないものかとあの手この手を試してみるところだが、今回の目的はファルの奴隷解放。それも現時点で予算内に収まっている。



「70万で構いません」



 迷うこと無く右手を差し出す。

 (未来の)上司や(未来の)会社の為なら私財だろうがなんだろうが投げ出す。なあに前世で散々してきたサビ残やらで色々と損していたんだ。直接大金を支払うぐらいなんともない。世の中には仕事をする為に教材代やらレッスン料やら登録料やらを支払わなくてはならない仕事もあると聞く。それと同じようなものと考えればとても自然だ。



「商談成立、だな」



 ローガンさんが差し出してきた右手を握り握手を交わす。

 それから契約書にサインをし特金貨を7枚支払い、ファルの首輪の鍵を受け取った。



「……貴方、本当に馬鹿なの?」



 首輪を外そうと近付くなり、また辛辣な言葉を投げつけられてしまった。

 相場以上の金を支払ってしまったことに大変お怒りらしい。



「まぁでもこれで奴隷から解放された訳だし、損した分はこれからガンガン働いて稼げば何も問題は」

「問題大有りよ。これじゃ肝心の貴方が働けないじゃない」

「え? いやいやいやガンガン働くぜ俺」



 右腕をぐるぐる回してやる気アピール。

 しかしファルはそんな俺を見て「やっぱりわかってない……」とため息をついて。




「だって貴方、まだあの人の奴隷のままなのよ」




 ……………………………………………………………………………………あ。



「あぁあああああああ!?!?!」



 そ、そうだった! 俺がまだ奴隷のままだった!!!!

 ファルを開放することばかり考えてて俺が奴隷だったことを忘れてた!

 あまりにも奴隷って響きが自然体すぎて忘れてた!!



「ろ、ローガンさん! 俺を買い取りたいんですけどっ!!」



 特金貨を眺めて悦に浸っていたローガンさんにすがるように頼み込む。

 ローガンさんは顎に手を当て、少し考えるような素振りを見せつつ。



「さて……どうしてやろうかな」



 全て思い通りにいったと言わんばかりに、意地の悪そうな笑みを浮かべたのだった。

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