第6話 ブラック企業を求めて
ブラック企業。
従業員に対して、劣悪な環境での労働を強いる企業のこと。
俺に染み付いてしまっている社畜精神と上手く付き合っていく為に、そんなブラック企業に就職して自ら死地に飛び込むことが今の指針なのだが……。
「そう簡単には見つからないか……」
宿屋に道具屋に食材店に酒場に冒険者ギルドに何かよくわからない物を売っていた店。街を探索して就職口になりそうなところを見かけ次第当たってみたのだが、どこもホワイトな労働条件だったり、新規の従業員の募集は行っていなかったりで、良いブラック企業には巡りあえていない。
「どうするかな……」
すっかり夕暮れに染まった街を歩きながら考える。
そもそもこの世界におけるブラック率が高い業種ってなんだ?
前の世界だと俺の勤めていた広告業界を始め、不動産業に一部の営業系に、金融や旅行業などなど割と多くの業種に渡ってブラック企業が存在していた。
ではこのファンタジーな異世界だとそれらに何が当てはまるだろうか。
…………………………奴隷、とか?
奴隷といえば大岩を転がして運ぶだとか、なんか変な棒を押してぐるぐる回るとかそういう仕事で、少しでも動きが鈍ろうものなら監視者から鞭が飛んでくるようなイメージだ。
とても厳しい職場。心身共に擦り切れそうな環境。自分が奴隷として働いているところを思い浮かべただけで身体の内側からゾクゾクとした感覚を覚える。
社畜精神に侵された俺の労働欲求を満たす手段としては最適かもしれない。
「でもなぁ……」
問題点が二つ。
奴隷は職業というよりは身分。一度奴隷になってしまえば一生奴隷のまま、ということもあり得る。いくら労働意欲を満たす為とは言え、会社の奴隷として働いていた前世と変わらない生活を今世でも一生送るというのは僅かに抵抗を感じる。
もう一つは自ら奴隷になるにはどうすればいいのか、という点だ。
奴隷の求人なんてものがあるとは思えないし、ある意味で就くのが難しい職だと思う。
……本当、どうするかな。
◇
悩みながら歩いていたせいか、中心街から結構離れたところまで来てしまった。
辺りには民家が立ち並んでいるだけで、就職口になりそうな店はなさそうだ。
本来なら気付いた時点で引き返すところだが。
「……こっちに来たのは正解だったみたいだな」
視線の先にあるのは二頭立ての幌馬車。
注目すべきはその馬車の荷台に乗り込んでいく人々の格好だ。街で見掛けた人々とは違う薄汚れた服、鎖の付いた黒い首輪、縄で縛られた手、そしてその格好をしている誰もが疲れきった表情を浮かべている。
外見や状況から察するに、この人達はおそらく奴隷。
だとするならこの人たちが乗り込んでいる馬車は奴隷馬車ってヤツで――。
「今日も一日おつかれさん。ほら、とっとと乗れ」
そう言いながら奴隷が馬車に乗り込むのを見ている強面の男性が奴隷商人に違いない。
探し求めていたものが目の前にある。
……このチャンス、逃すわけにはいかない。
一呼吸置く間もなく俺は早足で強面の男性に近付いていく。
「あ? なんだ坊主」
俺に気が付いた強面の男性が腰に差している剣に手をかけ、警戒を露わにする。
馬車に乗り込んでいる途中だった奴隷の皆さんも何事かとこちらを見ている。
それでも俺は止まらない。
「おい坊主、それ以上近付くと――」
言葉の途中で立ち止まる。もとよりこれ以上近付くつもりはない。
俺が取りたかったのはこの約1.6メートルの男性との距離。近すぎず遠すぎず、一番面接を行うには適していると言われている距離だ。これで第一段階はクリアした。
次に重要なのは第一印象。面接は第一印象で七割以上が決まってしまうものらしい。その為に俺は距離を詰める時も背筋を伸ばし歩幅を大きく堂々と歩いて距離を詰めた。後は挨拶を上手くやれば掴みに関しては十分に合格点に達する筈だ。
「私は伊藤と申します。本日は奴隷として雇って頂きたくご挨拶に参りました!」
まっすぐに相手の目を見てはきはきとした口調で告げる。
そして「よろしくお願いいたします」と立礼。よし、これで完璧――。
「帰れ」
じゃなかった!?
冷たく言い放った男性は再び奴隷達が馬車に乗り込んでいく様子を見始めてしまった。
「ちょ、ちょっと待って下さい。私を奴隷にして欲しいんです」
「どこに自分から奴隷になりたいだなんてアホがいるんだ。遊びなら他所でやってくれ」
駄目だ……全く相手にされてない。
冷やかしか何かだと思われているみたいだ。
何かこう、奴隷を志望する理由が相手に上手く伝われば――そうか、志望動機か!
面接時に必ずされる質問四天王のうちの一つ。つまりそれだけ重要な項目。
その志望動機で俺の熱意が伝わればきっと採用に一歩近付くはず!
「私は働きたいという意欲が非常に強く、奴隷の中でも御社を希望させて頂いたのは、そちらの奴隷達が疲れきった表情をしていたからです。これほどの表情になるまで労働に従事することが出来るのであればきっと私の有り余る労働意欲が十二分に活かせると思い、奴隷を志望致しました」
完全なアドリブだったのでお粗末な内容になってしまったが、志望動機を述べる上で基本となる「この職種でなければならない理由」と「この会社でなければならない理由」は組み込んだ。なので少なくともこれで熱意は十分に伝わって――。
「坊主……お前オレを馬鹿にしてんのか?」
なかった!? しかもなんか凄い怒っていらっしゃる!?
ただでさえ強面なのに睨まれてるから威圧感が半端ない。森で出会ったゴブリンなんて比じゃない迫力だ。
「あ、あのですね。私は本当に」
どうやってこの窮地を乗り越えようかと頭の中を高速回転させている時だった。
ぐぅぅ~。
とても情けない音が響いた。
俺の腹の虫だ。転生してから半日以上何も口にしてないのだから当然の現象。
けどこのタイミングでこれはマズイ。
男性にますます馬鹿にしているのかと怒りを買って――。
「なんだ坊主、腹が減ってるのか」
なかっ……た……?
さっきまでの凄みが消え失せ、普通の強面な男性の表情に戻っている。
ともあれこれはチャンスだ。熱意をぶつけたところで逆効果でしかないのなら、逆に俺が生きるためにはもう奴隷しかないと思わせることが出来ればまだ可能性がある。
「は、はい……実のところ奴隷に志願したのも糧を得るためでして」
「なるほどな。野垂れ死ぬよりは奴隷になる方がマシって訳か……」
俺の頭のてっぺんから足のつま先まで値踏みするようにしげしげと見ていく。
そして数秒考えるような素振りを見せた後。
「……ま、何か企んでるようなら処理すればいい話か。どうせ元手ゼロの奴隷だしな」
何やら物騒な呟きが聞こえたような……。
い、いや。大丈夫だ。俺は働きたいだけ。変なことは考えてないから大丈夫。うん。
「よし奴隷にしてやる。だがその前に腰に下げてる物騒なモンはもらっとくぞ」
「はいよろこんで!」
腰に刺さっていた短剣を鞘ごと両手で差し出す。
「……本当に妙な奴だな」
腑に落ち無さそうな表情をしながら短剣を受け取り、俺の両手首を縄でキツく縛る。
あぁ……これで俺は奴隷になったんだ。
これからどんな楽しい激務の数々が待っているのだろうか想像するだけでぐへへ。
「…………お前、本当に何も企んでないよな? 妙な真似でも起こしたら命はないと――」
「は、はひっ何も企んでません! 仕事が楽しみなだけです!」
「そ、そうか……ならとっとと荷台に乗り込め。時間が押してんだ急げ」
「かしこまりました!」
手は縛られているが足は自由なので自分の足で荷台へと向かう。さっきまで並んでいた他の奴隷達は既に乗り込んだ後らしく俺が最後のようだ。
……この中にいる奴隷の皆さんは俺の同僚になるんだよな。
退職理由の一つに職場での人間関係があると聞く。幸い前世では先輩達に恵まれたが今回も上手くいくと楽観は出来ない。面接と同じで第一印象が大事だ。……よし、いくぞ。
「伊藤と申します。奴隷は未経験ですので至らぬ点が多々あるかと思いますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」
荷台の後ろに回り込んだ俺は、乗り込む前に挨拶として一礼。
そしてゆっくりと頭を上げると。
『…………』
やけに冷めた目で、しかも無言で俺を見つめる同僚達の姿が見えてしまった。
こ、これ掴み失敗して……るよね、拍手とかないし。どうしよう。なんか凄い気まずい。
「何してやがる。さっさと乗れ」
上司命令には逆らえないので大人しく重い空気漂う荷台に乗り込む。
さて……どこに座ろうかと改めて中を見回すと。
凄い美人さんがそこにいた。
歳は今の俺と同じか少し上ぐらいだろうか。仕事のせいか少し汚れているがそれでも美しいと思えるほど綺麗な銀髪、品よく通った鼻筋。奴隷という身分が似合わない程に整った顔立ち。そして何もかも諦めたかのような冷たさを感じる蒼い瞳が彼女の魅力をより引き立てているような印象を受けた。
凄いな……あんな美人さんでも働かされてるのか。半端ないな奴隷。これは期待できる。
「おっと」
突然動き出した馬車の揺れに少し体制を崩してしまう。
早いところどこかに座らないとちょっと辛い感じだが肝心の座れる場所がない……というか先輩方が隣の人と微妙にスペースを空けて座っているせいで場所が美人さんの隣しか空いていない。
……まぁいいか。美人さんの隣に座らせて貰おう。
どうせこんな空気じゃ会話もなさそうだし、変に緊張する必要もないだろう。
「ねぇ貴方、確かイトーって言ったかしら」
なんて思ってたら座った瞬間話しかけられてしまった。
やっぱ美人さんなだけあって声も凛としていて綺麗で格好いい。
しかもこの空気の中で新人の俺に声を掛けてくれるなんて、きっとこの女性は激務の最中にテンパっている俺を見かねて声を掛けてきてくれた竹中さんのようなとても優しい人に――。
「貴方――馬鹿なのかしら?」
凄い辛辣な言葉が飛んできた!?
こ、これは……まさかうわさに聞く職場イジメでは……!?
いやこれぐらいのことでくじけるな伊藤孝一。せっかく奴隷になれたんだぞ。今後の奴隷生活の為にもここは少しでも良好な人間関係を築けるように頑張らないと。
「ええとそれは奴隷になったことに対してでしょうか……?」
「そうよ。糧を得るだけなら他にも仕事はあるでしょう? 売られて奴隷になった私達と違って貴方には選択の自由があったのに自分からわざわざ奴隷になるだなんて馬鹿だとしか思えないわ」
確かにあの武器屋を始め、ホワイトな職場の求人は数こそ多くはないもののそれなりに見掛けた。それなのに自ら奴隷を志願した俺はやはり周りから見ると変に見られるのは当然だし、望まず奴隷にされてしまった人達から良くない感情を向けられるのも当然のことだ。
けどそれでも。
「俺は出来るだけキツイ仕事をして、貢献しているという実感を得たいんです」
これが今の俺の全てだ。
周りからどう思われようと、これだけは譲りたくても譲れない。
「…………やっぱりただの馬鹿なのね」
呆れたようにため息をつく女性。周りの人達も反応は違えど、女性と似たような感情を抱いたと思う。やっぱりこの社畜精神を理解して貰うのは難しいみたいだな……。
「でも……それなら貴方の希望通りになるわね」
「え?」
聞き返す俺に彼女はゾクリとするような冷めた視線を送り。
「これから待っているのは――地獄よ」
今度は歓喜でゾクリとするような言葉を告げてくれたのだった。
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