第3話 第二の人生

 本当に、ゲームで見たようなファンタジー世界に来たのだと思った。


 緑色の皮膚、低い身長、前傾気味な姿勢、左手に盾を右手に棍棒を持った生物。

 おそらくこれはゴブリンという魔物だろう。

 そんなゴブリンがじりじりと私に向かって近付いてきている。

 非現実的な生物を前にして、命の危険を感じた私はあの真っ白な空間で起きた出来事は夢ではなかったのだと一瞬で理解し、そして。


 ――ゴブリンに背を向けて一目散に逃げたした。




「し、しぬっ……ころっ、殺されるっ!」



 青々とした森の中を、ゴブリンから逃げるために必死で走る。


 目が覚めた途端に魔物と遭遇だぞ。冗談じゃない。

 こういうのって普通は倒れていた私を女の子が発見して、会話が噛み合わなかったりとか、見慣れない草木や動物を判断材料にして「本当に異世界にやって来たのか……」みたいに状況を把握してから魔物と遭遇するっていうのがセオリーなんじゃないのか!? 少なくとも私が昔してた妄想ではそうでした!


 それがなんだ今の状況は!


 気が付くなり、ゴブリンと目と目が合って、敵意丸出しで近付いてこられて、たまらず逃げ出して、今も追いかけられてるっていうこの状況!

 なにがゲームみたいな世界だ! チュートリアルも何もないじゃないか!!

 とにかく、とにかく森を抜けて誰かに助けを……!



「あれは……出口かっ!」



 少し向こうに木々が途切れているのが見えた。

 あそこだ。ひとまずあそこまで辿り着けばいい。

 着いたら素早く周囲を見渡して、人気のある方向にまた走って助けを求めよう。

 だからあそこまで、あそこまでたどり着ければ…………。


「よしっ、森を抜け――あっ!?」


 木々の途切れた場所まで辿り着きすぐに辺りを見回す。

 しかし、そこには森の出口なんてものはなく。



「み、湖……」



 大きな湖があり、一時的に拓けているだけの場所だった。

 湖を囲うように生えている木々が、ここがまだ森の中であるいうことを嫌でも実感させてくる。



「いや……とにかく今は逃げないと」



 落胆している暇はない。

 ひとまず湖を右から回りこむように逃げ――っ!?



「グギ……」



 私の道を塞ぐように、新手のゴブリンが現れた。

 だ、だったら逆だ左に逃――っ!?



「グゲ……」



 こ、こっちにも……!?



「グゴ……」



 そしてずっと私を追いかけてきたゴブリンも追い付いてきた。

 三匹のゴブリンが前方左右から徐々に包囲網を狭めてくる。

 後ろは湖。

 深さは分からないが泳ぎが得意ではない私が湖に逃げるのは自殺行為。



「何か……何かないかっ……!」



 自分の身体を上から順に触っていき、この状況を打破するべく何かがないか手探りで探っていく。服装が着慣れたスーツからマントを羽織ったファンタジーっぽい格好に変わっているんだ。きっと何か武器や道具の1つでも持っている筈……!



 そして手が左腰に達した時、何か硬いモノに当たったのを感じた。

 ファンタジーな異世界で腰にあるモノと言えば間違いなく……!



「剣だっ! これさえあればまだ…………って」



 勢い良く右手で腰にある剣を抜き、正面のゴブリンに向かって構えた。

 しかし、その剣は思った以上にとても短くて、これはいわゆる。



「短剣……」



 刃渡り20センチ程度の両刃の剣。

 おそらくこれはダガーってやつだろうか。

 元の世界ならお巡りさんに職務質問からの持ち物検査でちょっと署までご同行願えますかコースになる可能性を秘めている危険な凶器ではあるが……。



「こんなので戦えるのか……?」



 正面のゴブリンが持っている棍棒との長さを目測で見比べる。

 2倍以上のリーチ差。

 腕の長さはこちらに分があるとはいえ、初めて目にする魔物との戦い。正直なところビビっているので出来れば近付きたくないというのが本音。

 いや……こんな雑魚っぽいモンスターに弱腰でどうする。

 モンスター顧客の無茶な要求も、モンスターハゲ部長の理不尽な業務命令も、影で血反吐を吐きながら仏の営業スマイルで何度も対応してきた経験があるじゃないか。

 そんな私にかかればリアルモンスターぐらい余裕で……。

 余裕で…………。

 余裕……。



「ありませんでしたー!」



 無理無理無理。絶対無理。

 精神的な痛みならともかく肉体的な痛みは筋肉痛と頭痛と胃痛と腹痛と関節痛と腰痛ぐらいしか耐性を持っていない私が命を掛けた戦闘なんて無理でした!

 よし逃げよう。

 ここはなんとしてでも逃げ――って!?



「グギー!!」


「ひぃっ――!?」



 気付いた時には、いつの間にか私との距離を詰めていた左右のゴブリンが、同時に私に向かって棍棒を振り下ろそうとしているのが見えた。

 迫る棍棒。迫る死への恐怖。

 避けることも出来ずに、ただ目を閉じ身を固くしてその瞬間を待つ。

 そしてその瞬間はすぐに訪れ。



「痛っ!?」



 私の頭部に、少しばかりの痛みを与えた。

 例えるなら座ったままデスクに肘をついてウトウトしている時に、ズルっと滑ってデスクに額を当てたぐらいの痛み。音が派手だから一見痛いようで、冷静になってみるとそれほど痛くないアレだ。



「…………ってあれ?」



 棍棒で思いっきり殴られたのに……。

 なぜこの程度の痛みで済んでいるのだろうか。



「グ、グギ……?」


「グゲ……?」


「グゴゴ?」



 ゴブリン達もおかしいと感じ取ったのか、お互いに顔を見合わせて首を傾げている。見た目は醜悪ではあるが、なんとも愛嬌を感じる動作だ。

 しかし本当に不思議だ。

 あんな硬そうな棍棒で殴られたのに、コブすら出来ていない。

 こんなの人体の耐久度的にありえるはずが……。

 …………。

 ……。

 いや、まてよ?



「失礼」


「グギャ?」



 頭にふと浮かんだ仮説を検証するため、ゴブリンの装備している盾を両手で掴み、こちらに向けさせる。

 木を切り出して作ったのだろう。荒っぽい削りが目立つが、ところどころ金具で補強されており、盾としての強度は十分だと思える。



「もしここが本当にゲームのような世界なら……」



 盾に対して垂直にダガーを振り上げる。

 ゴブリンの腕まで巻き込まないように盾の端側に狙いをつけて……。



「ふんっ!」



 一気にダガーを振り下ろし、盾の端っこの部分を斬り落とした。



「……まじか」



 地面に転がった盾の切れ端を眺めて呟く。

 スパッという擬音が相応しいぐらいに、いとも簡単に斬り落とせた盾の一部。

 いくら木製とはいえ、こんなに簡単に斬れるだなんて普通ではありえない。


 木材を人の力で切るためには何度もノコギリをギコギコと往復させる必要があるように、たった一度斬ったところで斬り落とせる訳がない。途中で引っかかるのが関の山だ。なのにこんなにも簡単に出来たということは、おそらくこの世界は前世での常識なんてまったく通用しない、別の法則の中で成り立っている世界なのだと思う。

 だから私が棍棒の一撃を食らっても少し痛いぐらいで済んだのは、ゲームで例えるなら私の防御力が高かったということになり、盾をいとも簡単に斬り落とせたのは私の攻撃力が高かった、ということになるのだろう。


 自分で立てた仮説ながら本心からは信じられないような現象。しかし現に棍棒の一撃をほぼ無傷で受け止め、木製とはいえそこそこの分厚さのある盾を一刀両断出来てしまった。


 常識ではありえない法則。まさにゲームのような世界。

 そして天使はしっかりと自分の身を守れるだけの力を与えてくれたらしい。

 ……………………ということは、だ。



「今の私にかかれば、ゴブリンの3匹程度余裕――っていない!?」



 いつの間にか私を取り囲んでいたゴブリン達の姿が消えていた。

 少し辺りを見回してみると、森の中へと逃げていくゴブリン達の背中が見えた。



「……まぁいいか」



 戦わずに済んだのならそれに越したことはない。短剣を腰の鞘に収めて深く息を吐く。

 安心した途端、喉の渇きを覚えた私は水を飲もうと湖を覗き込む。

 若い男の顔が映った。



「…………誰だ」



 ってこれ私か。

 水面にいきなり若い男の顔が映ったから焦った。



「ふむ………………」



 あちこち角度を変えながら、自分の顔を確認する。

 髭も生えていなければ肌も瑞々しく綺麗。何故か目つきだけは前世と同じく死んだ魚のような目をしていて、目の下には親しみ深い濃い隈まであるが、それでも長年付き合ってきた腰痛頭痛肩こり胃痛などの身体の不調を一切感じないので身体がとても軽い。



「本当に転生したんだな……」



 こうして異世界で生を実感出来ているということはあの真っ白な世界は夢ではなかったということになり、私はあの時本当に過労で死んでしまったということになる。



「……正直竹中さんたちには申し訳ないと思うけど」



 途中離脱し戦力が減った職場は更に修羅場を極めてしまうだろう。今すぐ土下座したい気持ちにもなるし、出来ることなら戻ってすぐに働きたいとすらも思ってしまう。

 けれど今の私の生は異世界にあり、どうすることも出来ないのが現実だ。



「割りきって第二の人生を楽しめ……か」



 天使の言っていた言葉を口にしてみる。

 新しい世界。新しい自分。初戦闘で三体のゴブリンを軽くあしらえる程の高い能力。

 無茶な残業からも、無茶ぶりしてくる癖に自分だけ楽する上司からも開放された、第二の人生。



「私――いや、俺はもう17歳の青年として生まれ変わったんだ」



 自分に言い聞かせるよう、強く噛みしめるように呟く。

 俺はこれから前世の記憶を持ちながらも異世界で第二の人生を歩むことになる。

 前世での立場もしがらみも、ここではもう関係ない。

 会社。そして社会という名の牢獄。

 世間体という名の看守の元で強制労働を強いられていた前世からの開放。



「俺は……もう、自由なんだ……」



 子供の頃、憧れていた世界。

 その世界で俺は一人で生きていける力を持っている。



「ふふ…………くく…………ふははは!」



 自然と悪役がするような笑みまで溢れてしまう。

 ……いける! いけるぞ!

 この力と異世界という環境があれば、俺は何だって出来る!

 社会の歯車の一つでしかなかった俺が、今なら何にだってなれる!



「第二の人生を、自由に生きていけるんだ!」

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