第2話 つまらない人生だったねポイント

 気が付くと私は真っ白な世界にいた。



「伊藤孝一、享年28(満27歳)」



 前後不覚に陥りそうな白い世界。



「ごく普通の一般家庭でごく普通の人生を送っていたキミに転機が訪れたのは就職時」



 女の子の声が響いている。



「就職難の中、内定が貰えて就職浪人にならずに済んだと喜んでいたのもつかの間」



 声の主は私の目の前にいる女の子。



「いざ入社してみるとそこは立派なブラック会社」



 歳は10歳ぐらいだろうか。

 愛らしい金色の髪に、ゆったりとしたシンプルなドレスのような服装。そして何より目立つのは、その背中にある小さな翼と、頭の上に浮かんでいる輪っか。



「人里離れた山奥でマラソンや声が枯れるほどの発声練習などの精神修行的な新人研修に始まり、研修が終わった途端即戦力として計上され月に400時間超えの労働を余儀なくされる。同期や後輩達が早々に離脱していく中、押しに弱い性格と上司からの『お前は辞めさせないからな』的なプレッシャーが合わさり辞めるに辞められず、死んだ目をして仕事をする毎日」



 突然私の前に現れ、自らを天使と名乗り、格好的にも天使っぽい少女。



「で、そんな社畜生活を5年ほど続けたところで身体に限界が来て過労死っと」



 まるで被告人の罪状を読み上げる裁判官のように、衝撃的な発言と共に私の経歴を口にしていき――。



「うんうん。ちょっと無理に我慢しすぎちゃったね。来世ではもっと自分出してこ?」



 そして最後に優しく諭すような口調で、アドバイスをしてくれた。



「会社入ってからの一日の睡眠時間なんて平均3時間ぐらいしかないじゃんキミ。むしろよく何年も頑張れたねーって感心しちゃうよ」



 この真っ白で非現実的な世界に、天使と名乗る少女の発言。

 そしてこんな状況になる直前、仕事中に少し一息入れようと立ち上がった瞬間に感じた身体の重さと異常な眠気……。



「……過労死……? 過労で死んだ……? 私が……?」



 私は……ただ眠るだけのつもりだったけど……まさかそんな……。

 そんな……死んだだなんて……。

 そんな……そんな…………。



「ショックなのは分かるけどあまり気を落とさずに――」






「死んだだなんて――そんな嬉しいことがあっていいんですか!?」






「って、えぇーっ!?」



 少女の慈愛に満ちていた表情が、驚愕のものへと変化した。



「キ、キミ死んじゃったんだよ? それも過労死でだよ?」

「死に方としては割と理想的な方ですよね」

「……………………うわー……これ絶対変な人だー……」



 なんとも微妙な表情になる少女。

 頭痛はあったが耐えられない程の痛みや苦しみがあったわけでもなく穏やかな死を迎えられたし、きっと労災も降り………………なかったらどうしよう……そう考えるとこの少女の言う通り駄目な死に方な気がしてきた。



「でも正直死んだことに対するショックは全くないんですよ」



 むしろようやくあの地獄の日々から開放されて喜ばしい気分だ。

 転職先を探す時間も気力もなく、それどころか退職する勇気すらも持てずに会社が火事にならないかなとか、隕石降ってこないかなとか、世界滅亡しないかなとか、私に車が突っ込んでこないかなとか何かどうしようもない事態が起きて生き地獄の毎日に変化が訪れないかと妄想じみた期待を抱きながら過ごしていた私にとってこれは待ち望んでいた事態と言える。

 体調管理が出来ていなかったのは私のミスだが、それでもこちらの過失割合は少ない死に方だろう。



「んーそうは言っても心残りとかあるでしょー?」

「それは……ありますけど」



 家族やお世話になった人達に何も告げられなかったこと。

 私が担当していた仕事は誰が引き継ぐのか。ただでさえ修羅場だった職場が更に修羅場になって申し訳ない気持ち。そして過労死認定された場合の会社の評判……ってあれ……。


 ……もしこれで調査なんか入ったりして、労働基準法ガン無視の内情が明るみになって、会社の評判が悪化して倒産なんてことになったりしたら先輩達の再就職とか一体どうなるのだろうか。会社都合退職だから自己都合退職の人達よりは多少マシだろうけど、現代日本ですんなり再就職先が決まるとはあまり――。

 …………。

 ……。



「こ、心残りがあっても死んじゃってるからどうしようもないですよね? ね? ねっ!?」

「なんかいきなり必死になりだしたねー……」



 私のせいで誰かが路頭に迷うかもしれないとか想像しただけでとてつもない罪悪感に苛まれ始めた。

 ……でもまぁせっかくこんな夢みたいな事態になってくれたんだ。

 あまり心残りとかそういうことは考えないように――。

 って夢……?

 そうか…………そうだよ。これはただの夢かもしれない。

 だってこんな都合の良い死に方あるはずがない。

 仕事から解放されたと喜んでいていたら実はこれはただの夢で目が覚めたら修羅場が待っていた、なんてことになったらそれこそ私の心が死ぬ自信がある。


 ……よし。ここは現実だった場合と夢だった場合のどちらにも対応できるよう予防線を張っておこう。

 試験前に猛勉強したけどもし低い点数だったら格好悪いから「やべー全然勉強してないわーまじやべー」と周りに吹聴するような心構えで臨むのだ。



「それでこれからキミにはどこか別の世界に転生して貰うことになるんだけどー」

「天国行きとか地獄行きではないんですか?」

「うん。不満とか溜め込んだままの人を上に通しちゃうと色々不都合なことが起きちゃうからねー。そういう人は上に送らず、環境を変える意味でも別の世界に転生して貰って、第二の人生で溜まっているのを出して貰うことになってるんだ」



 言いながら人差し指を上に指す少女。

 釣られるように見上げてみるが俺には真っ白な世界が広がっているだけにしか見えなかった。



「と、まーそういうわけで来世はちゃんと悔いのない満足のいく人生を送って貰わなきゃ困るから、しっかりとその辺を自覚して貰う為に、強制的に前世の記憶を引き継ぐってことになっちゃうけど大丈夫だよね?」

「え、ええ……大丈夫、です」



 現実離れしすぎている話が続いて混乱しそうになるが、必死に処理しながらなんとか頷く。

 記憶が残るのは嬉しいことだ。

 もしこれが夢ではなく本当に俺が死んでしまっているとするなら、当然悔いも心残りなこともあるし、職場や家族のことを考えると心が痛む。

 楽しかったことどころか、社会人になってからは苦しかったことしか印象に残っていないけれど俺が30年近く生きてきた証だ。忘れたいなんて思えない。



「じゃ記憶に関する同意も取れたところで――キミはどんな世界に転生したい?」

「はぁ……そういうのって選べるのですか?」

「つまらない人生だったねポイントがいっぱい溜まってる人限定だけどね」



 なるほど。転生先を選べる私はそのポイントが溜まっているということか。

 ……なんだろうか凄く貶された気がする。



「キミの所持ポイントだと選べるのは転生する世界に容姿に本人の能力に転生時の年齢もだし――ってこれ全部選べるじゃん。凄いねー」



 感心したような面持ちで、無遠慮にジロジロと私を観察する少女。

 つまりそれだけ私はつまらない人生を送っていたということなのか……あまり否定出来ないだけに割と虚しい気持ちになってくる。私の人生とはなんだったのか。



「最初に転生する世界を決めて欲しいんだけど、どんなのがいい?」

「と言われましても、何が良いのか私にはさっぱりで……」



 そもそも例や候補を挙げてもらわなければ、何をどう選べばいいのかわからない。



「んっとー最近転生する人の中で人気なのは剣と魔法のファンタジーな世界かなー。ほら、キミの世界でいうとゲームでよくある感じの」



 ゲームとは……また懐かしいな……。

 社会人になってからはやる時間が取れずにそれっきりだったが、学生の頃までは夢中でプレイしてたし、思春期を過ぎても剣や魔法の使えたりする異世界への憧れもあった。

 ……って、夢の中で一々真剣に悩むことはないか。



「ではそれでお願いします」

「おっけー。その中でも地球とすっごく似た環境の世界にしとくね。なんと1日24時間の世界だから記憶を引き継いだ場合でもすぐ馴染めると思うよー」



 凄いな異世界。宇宙とか天体の法則が乱れてるじゃないか。

 あ、もしかして私の知っているこの太陽系以外の宇宙とか惑星があるとか?

 ……都合が良すぎてますます夢としか思えなくなってきたな。


 ……にしても剣と魔法のファンタジーな世界……かぁ。

 昔はよく「もし自分がそんな世界に行ったら」みたいな妄想をよくしてたな。

 ………………ああ……色々思い出してきた。

 何故か強い自分。戦いは常に相手を圧倒し、強敵が現れても新たな力に目覚めまた圧倒。仲間には可愛いエルフの少女や、兄貴分の獣人族がいたり。何故か絡んでくる嫌味な冒険者を軽く捻ったり。頑固なドワーフ族に認められ、古から伝わる伝説の剣を貰ったり。そして最後には激しい戦いの末に魔王を打ち倒して……みたいな妄想。

 あの頃は、そうやって妄想の世界を旅しているだけで楽しかった。



「他にも容姿とか身分とか能力とか割と好きに決められるけど、何か要望ある?」



 もし、あの時の妄想が例え夢の中でも叶えられるのなら……。



「ではまず容姿ですが黒髪黒眼は絶対条件で。基本の金髪碧眼も捨てがたいのですが、逆にそういった世界では多分黒髪黒眼の方が目立つと思うのでそれでお願いします。それからせっかくの異世界ですし身分は特に決めなくていいです。自由に生きてみたいので。あ、そういえば異世界ってことは当然言語とかも日本語とは違いますよね。その辺りも不便のないようにお願いします。それと自分の身をしっかり守れるぐらいには強くしておいて頂けると――」

「ほほー覇気のない人だなって思ってたけど案外欲張りさんだったんだね」



 面白い物を見るかのような笑顔を浮かべる少女を見て唐突に我に返る。



「も、申し訳ありません! つ、つい」



 危ない危ない。つい調子に乗ってしまった。

 これは夢だ。9割9分9厘夢だ。

 現実だったらいいなー程度の心構えで予防線をしっかり張っておかないと。



「ううん、いいよいいよ。色々溜まってたんだから気にしないで。そもそもこのポイント特典は来世でまたつまらない人生を送らないように下地を整えておくってのが目的だし」

「……そ、そう言って頂けると助かります」



 天使とはいえ10歳ぐらいにしか見えない少女に慰められるのは少し堪えるものがあった。



「じゃーとりあえず能力は不便のないように割り振るとしてー……転生時の年齢はどうする? 0歳転生が転生者の中では一番人気だけど、自由に生きたいのなら17歳ぐらいがオススメかなぁ。転生先の世界だとみんなそれぐらいの年齢で独り立ちしてるからー」

「そうですね……では17歳でお願いします」



 子供時代からやり直して将来勝ち組になる為の準備をするのもいいが、ここ数年の私は束縛される毎日だったので自由に対して飢えがある。保護者の下で行動に制限がつくのは避けたい。



「おっけー。んじゃ一番ポイント使っちゃう0歳転生しない分、余ったのは全部適当な能力に割り振っておいてっと……」



 そんないい加減なことでいいのだろうか。

 …………仕事もそれぐらい大雑把にやれたら良いのになぁ……。



「これにて転生準備は全て完了――ってことで、転生者さんにボクから一つアドバイスッ!」



 天使が人差し指をビッと立てる。



「どうせ色々考えても前の世界とはもう関われないんだから、前世の記憶に引っ張られて次もつまらない人生を送ったりなんかしないよーにね?」



 無言で小さく頷く。

 覚えていても、もう家族にも友人にもお世話になった人達にも何も返せない。

 心の準備も、別れも告げられず何も出来なかった突然の死。

 だからこそ今度はこの悔いをもったまま、悔いのない来世を歩もう。

 ……これが夢じゃなかったら、の話だけど。



「よし、それじゃー決めるものも全部決めたし、伝えなきゃいけないことも多分もうないし」



 少女がそう言った途端、白い世界が段々と光に包まれていって。



「第二の人生、不満も後悔もないように――思いっきり楽しんでねっ」



 光が全てを覆い、薄れゆく意識の中、その少女の言葉が強く頭に残った。

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