第7話 柄じゃない!
「火事だあああっ!」
表に回ると、校庭に大勢の生徒や先生がごった返していた。皆一様に空を見上げ、恐怖に顔を引きつらせている。コスモスも釣られて上を見た。
東校舎の二階。
理科室の辺りで、橙色の炎が踊り狂っている。遠目にもかなりの火力だとすぐに分かった。パチパチ、パチパチと、音が弾けるたび視界が小さく揺れる。放たれた熱気が、舐めるようにコスモスの肌を焼いた。窓から吐き出された黒煙は、勢いよく、今にも空を埋め尽くそうとしていた。
「大変……!」
「まだ中に逃げ遅れた生徒が!」
「消防車はまだか!」
人混みの中で、叫び声が交錯する。泣き叫ぶ者、怒鳴り散らす者、気分が悪くなり倒れ込む者……放課後とはいえ、校舎にはまだ多数の生徒たちが残っていた。コスモスは汗を滴らせた。
「どうしましょう……!?」
一階の玄関口から、大勢の生徒たちが悲鳴を上げて飛び出して来た。奥から煙が、その背中に追いつこうと触手を伸ばす。空調設備によって、火災発生階以外にも煙が拡散してしまっているのだ。
コスモスは狼狽えていた。
水をかぶって飛び込む? ありえない……本当に怖いのは火よりも煙だ。
火災で最も多い死因は、火傷と並んで一酸化炭素中毒死である。無味無臭だが、吸い込んだらたとえ濃度0.5%でも1〜2分で死に至る。勇気や根性でどうにかなる問題ではなく、ましてや義理や人情が通じる相手でもなかった。
助けたいのに、助けられない。その焦りが、コスモスの胸をぎゅうと締め付けた。
このままどうすることもできないのか……コスモスが立ち往生している、その時だった。
「爆ッ!!」
突如背後から、誰かの叫び声が聞こえた。同時に大気が激しく揺れ、閃光と爆発音が校庭に降り注いだ。橙色が上空で破裂し、東校舎の壁に大穴を開けた。リトル・ナイトメア。続いて第二撃を投げ込もうと、小夜子が特製手榴弾を振り被る。
「な……何してんのよッ!?」
コスモスが慌てて小夜子に駆け寄った。
「何って……魔法だよ」
「はぁ!? 何言ってんの、それ爆弾じゃない! どっからそんなもの……」
「梵ッ!!」
「やめ、やめなさい……ああッ!?」
再び爆弾が投擲される。分厚いコンクリートの壁が瓦礫と化し、炸裂音が耳を劈いた。
「それの何処が魔法なのよ!?」
何処の世界に、学び舎に手榴弾を投げ込む魔法少女がいるというのか。小さな悪魔が嬉々として爆弾を放り投げ、次々と壁を破壊していく。コスモスは泡を吹いて爆弾魔を止めにかかった。
「やめなさい! 生徒が残ってたらどうするの!?」
「心配ねえよ、あそこは誰もいなかったから……多分」
「多分!?」
コスモスは悲鳴を上げた。
「一体何のためにこんな……」
「見ろ! 煙が逃げて行くぞ!」
すると不意に校庭から、わっと歓声が上がった。小夜子の開けた大穴から、どんどん煙が拡散して行く。強制的に壁や天井を破壊して、建物を建物で無くしてしまうという、狂気の……いや、魔法のような所業であった。
唖然とするコスモスの横で、小夜子が少し誇らしげに鼻を啜った。右手でポーンと、お手玉のように手榴弾を投げ、コスモスは後ずさった。
「どうだ!? リトル……リトル・ボンバー・ストライクだ!」
小夜子がぺろっと舌を出し、その場で考えた技名を披露した。
「あ、あなたねえ……」
怒りと、驚きと、呆れがまぜこぜになって、コスモスは顔を歪ませた。
「こんなの、犯罪じゃない!」
「正々堂々だけじゃ、救えなかっただろ!?」
「何よ……結果オーライって言いたいわけ? そんなの……!」
「消防車が来たぞ!」
道を開けろ、と怒鳴り声がして、再び校庭がざわめき始めた。遠くからサイレンが近づいてくる。やがて校舎を包んだ炎と黒煙を、赤い
※
その後、懸命な消火作業と救出活動によって、火事は約一時間後に鎮火した。
けが人や意識不明者も多数出たが、幸い死者はなく、小夜子の爆撃による犠牲者も、今のところ確認できていなかった。火災の原因は化学薬品の不始末だと言われているが、詳細は未だ不明である。
すでに日は落ち、雲の隙間から星がちらほらと見え隠れしていた。
夜の学校には、まだ大勢の人が残されていた。校舎をぐるりと取り囲むように、消防車に救急車、パトカー。上空には騒ぎを聞きつけた歴戦のヒーローや魔法少女、あのスイートリリィの姿も見える。その姿を一目撮ろうとカメラを向ける人々、唾を飛ばし何やら叫んでいるリポーター。校庭では、興奮冷めやらぬ生徒たちがお互い抱き合って、無事生きていることに涙していた。
救急車の往復を待つ間、少女警察もけが人の間を縫って、懸命に看護に飛び回っていた。
「あ、あのさ……」
患部にガーゼを巻いていると、ふと、けが人の一人がコスモスを呼び止めた。
火災発生前、体育館裏で小夜子に暴力を振るわれていた、あの男子生徒だった。彼は少し目を潤ませながら、言葉を振り絞った。
「ありがとう、助けてくれて……。ごめん、俺、勘違いしてたよ。魔人に勝てないから、警察は弱いんだと思ってた。だけど、違うよな。守るって言うのは、別に武器を取って戦うだけじゃなくて」
「そうだよ!」
隣にいたもう一人の男子生徒が目を輝かせた。
「僕、見たんだ。校舎の中から。煙の向こうで、仮面を被った女の子が爆弾投げてるの。あれ、あなただったんでしょ!?」
「いや、あれは……」
「やっぱり警察はすごいんだ! 僕らを助けてくれるヒーローなんだよ!」
わあ、と歓声が上がり、コスモスの周りで拍手が巻き起こる。
どうやら皆、何か勘違いをしているようだ。
彼女が戸惑っていると、
「コスモスくん!」
背後から聞き慣れた野太い声が飛んで来た。警視庁捜査一課・猪本警部。巨体を揺らし、こちらに走ってくる。騒ぎを聞きつけて、駆けつけてくれたのだろう。知り合いの警部に会えて、コスモスは少しホッとした。
「大丈夫か!?」
「ええ……何とか」
「ひどい有様だな……壁が崩れてる」
警部は瓦礫の山と化した学び舎を見上げ、元々のしかめっ顔をさらにしかめて見せた。
「まるで爆弾でも降って来たみたいじゃないか。まさか、例の魔人の仕業じゃないだろうな?」
「それは、その」
コスモスは少し逡巡し、
「いいえ……違うわ」
静かに首を横に振った。狐面の少女……佐々木小夜子は騒ぎの中で、いつの間にか姿を消していた。
「……勝手に崩れたの。あの場には、魔人も、誰もいなかったわ」
どうしてそんなことを言ったのだろう?
口走ってしまってから、コスモスは自分で自分に驚いた。
もし小夜子のことを打ち明ければ……その正体はほぼほぼ把握している……警察はたちどころに彼女の身柄を拘束するだろう。
だけど何故か、コスモスはそんな気になれなかった。
「……そんなの、私は認めないわ」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、何も……」
猪本は一通り状況を確認すると、再びパトカーの方へと走って行った。コスモスは一人星空を見上げ、静かに決意を新たにしていた。認めるわけにはいかない。正義と秩序の名の下に。
「貴女は私が捕まえてみせる……リトル・ナイトメア!」
「ありがとう、消防士さん警察官さん! ありがとう、僕らのヒーロー!」
校庭では、しばらく助かった生徒たちの歓声が絶えなかった。
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