第9話 咬傷
聖五月花と当たり障りのない会話を交える。
彼女が旧壱新多を呼んだのには何か理由があると思ったが、特に大した理由はなかったらしい。
彼女の口からは出さなかったが、恐らくは旧壱新多の声を聞きたかったから、またはその姿を見たかったから呼んだだけなのかもしれない。
どちらにしても彼女が寂しかったのが分かった。
時間が迫る。
体内時計を頼りにしながら、彼は立ち上がった。
緊急時以外は、女性を相手にする時には時計を見ない、それが彼のポリシーだった。
「悪いけどまた居なくなる、その間は俺の考えたメニューを続けてくれ」
不満そうな表情を浮かべる聖五月花。
恨めしそうに眉間にシワを寄せる。
「他の女のところに行くんだ、…私を置いて」
返答に困る質問を彼女は投げかける。
旧壱新多は否定せず彼女の言葉に肯定した。
「近々紹介するよ。キミの後輩だ」
彼女の頭を撫でようと旧壱新多は手を伸ばす。
しかし聖五月花は旧壱新多の手を掴んでそのまま人差し指に口を近づける。
間髪入れずに彼女は旧壱新多の人差し指に歯を突き立てた。
彼女の八重歯が旧壱新多の指の皮膚を突き破り、血が流れた。
「私をそこら辺の女と一緒の扱いしないで」
旧壱新多は指先から感じる痛みをゆっくりと受け入れる。
「…手厳しいな」
彼女の唾液と血液が付着した指を見つめる。
彼女と魔法少女の契約をしてからというもの、日を追う毎に聖五月花の独占欲が高まってきたと旧壱新多は思う。
「(俺の指を噛んで傷をつけたののは、所有物であると言う証明か…良い傾向ではあるけど、この方面に突き進めば、言うことを聞かなくなるかもしれないな…)」
流れる血をそのままにしながら旧壱新多は聖五月花の手首を掴んだ。
旧壱新多は聖五月花が噛んだ人差し指と同じ場所に唇を近づけると、牙を剥いて聖五月花と同じように皮膚を噛み千切る。
痛みを我慢しているのか目を大きく開いて口から大量の息を吐いた。
彼女の指からは血が流れ出ている。
「手を噛んだ罰だ、その痛みを覚えるんだ」
聖五月花は傷ついた自分の指を見ていた。
「…最低」
旧壱新多を罵るがその声色は侮蔑を感じなかった。
恍惚とした表情を浮かべながら少女は傷跡を眺めている。
「そろそろ時間だ…、またキミにも紹介するよ」
旧壱新多はそう言って病院へと戻っていく。
「(傷を付けるのも時には有効か…勉強になるな…)」
今回の事を良い勉強になったと思う旧壱新多。
「最低…本当に、最低…ちゅ…」
旧壱新多の後ろ姿を見ながら聖五月花は自らの傷ついた指先に口をつける。
鉄の味が口の中に広がる。
その味はただの鉄の味ではない。
旧壱新多が自らを傷つけた特別な味だった。
三時間弱。約束より少し過ぎた時間帯。
旧壱新多は手ぶらで病院へと戻り、彼女がトレーニングを重ねている広場へと向かった。
運動服を着込んでいる彼女は、汗を流しながら地面に座っていた。
「悪い、少し遅れた」
旧壱新多は詫びを入れると共にスポーツドリンクを差し出す。
「あ…ありがとう御座います」
それを受け取ると、昏上逢はジャージを脱いだ。
ずっと、上着を着込んだまま動いていたらしい。
下は体操服を着ているが、汗で濡れた服は、彼女の体にぴったりとくっ付いている。
「(汗が凄いな…指摘をしたら恥ずかしいかも知れないな…)」
そんな事を考えながら、旧壱新多は首元のネクタイを緩める。
すると、昏上逢は鼻をすんすんと動かした。
「…あの」
昏上逢が髪を揺らした。
旧壱新多の元へと向かって、シャツに顔を近づける。
「…女性の方と、お会いになっていたのですか?」
「…」
少しだけ驚いた。
旧壱新多はその表情を見せない様に、煙草を胸ポケットから取り出して、動きで表情を隠す。
「あぁ、シーカーの集まりは、女性も来る。隣に女性が座ってたから、香水でも付いたかな?」
「いえ、…何か、匂いがするんです…何か、分かりませんが…鉄の匂いも…」
鉄。
そう言われて、旧壱新多は掌を隠そうとした。
だが、それよりも早く、昏上逢は旧壱新多の手首を掴んだ。
「…血が出ています、傷跡が…」
旧壱新多の指からは血が滲んでいた。
すぐに止まると放っておいたが、じんわりと血が滲み出ていたらしい。
「はむ…ちゅっ」
血を見た直後、昏上逢がそれが当たり前であるかの様に、彼の指を咥えた。
舌先で、ぬるりとした感触が、彼の指に伝わる。
「おっと…黴菌が口の中に入るから、やめとけ」
冷静に、旧壱新多は彼女の口から指を引き剥がす。
「あ…ごめんなさい…なんで、私…急に、あんな真似を…」
恥ずかしそうに、彼女はそう言った。
慌てていて、嫌われないか、そう思っている表情だ。
「血が出て、痛そうで…治そうと思って、思ったら、舐めてしまったんです…自然と、いえ、衝動的に…」
「…そうか」
旧壱新多は彼女の言葉に嘘偽りはないと思った。
原因は恐らく、あの改造医師によるものだろう。
あの改造医師は気になる言葉を口にしていた。
「(確か…アニマル手術法とか言っていたか…あれが原因かも知れないな)」
気分が沈んでいる彼女の方に目を向けて、頭を撫でる。
「あ…」
優しい撫で方に、昏上逢は目を細める。
「(俺の知らない現象が起きるのは少し危ういな…もう少し、傍に居て様子を見るか)」
そう思う旧壱新多。
頭を撫でられて気持ち良さそうにする昏上逢の心は、微かに不審を抱いている。
「(傷口の舌触り…切り傷でも引っ掻き傷でも無い…人の歯で無理矢理皮膚を噛み千切った感じ…皮膚の周りに、血以外の体液の様な味がした…、誰かが噛んだ?誰が…?)」
自らの味覚と異常な感覚に驚く事無く、昏上逢はそう思っていた。
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