三十二、決戦のヤマト④―雷神登場!その力は暴走する前鬼に通用するのか!!―
「ウワアアアーッ!」
「グギャアアアーッ!」
辺りにすさまじく大きな悲鳴が次々と響き渡る。
さらにその悲鳴は次第に大きくなってくる。
それはつまり悲鳴の“発生源”が、少しずつ前鬼たちが戦っている位置へと近づいていることを意味する。
そしてついには辺りから悲鳴が上がっていることに前鬼も気づく。
「何事だッ!」
そう叫びながら前鬼は辺りを見回す。
相変わらず斧は振り回されたままである。
「グワアアアアーッ!」
それから少しときが経ったあと、断末魔の叫び声と共に一匹の鬼が一刀両断に切られる。
「あれはッ!」
思わず前鬼を含むその場にいる全ての者たちの視線が、真っ二つに切られた鬼のほうに集中する。
「もはや我にかかってくるものはいないのか?」
一人の男の実に冷静な声がする。
その声の主は馬のような立派な体格をした鹿の上にまたがっている。
「なんだッ、テメエはッ!」
思わず前鬼は振り回している金棒の手を止め、男の方に向かって叫ぶ。
その少し前にタヂカラオもサルタヒコも男のほうに注視している。
「このミカヅチを知らぬのか?」
ミカヅチは相変わらずの冷静な調子を崩さないまま答える。
先ほどまで猛烈な速さで走っていた鹿王も今は立ち止まっている。
ここにたどり着く少し前、イワレビコがヤタガラスの“真の力”を解き放ったときのことである。
その輝く光を遠目に見たオモイカネはミカヅチの“出撃”を許した。
ヤタガラスの力の解放はミカヅチ出陣の合図でもあったのである。
その直後ミカヅチは“光源”までまっすぐに突き進んできた。
無論途中立ち塞がろうとした鬼を皆“なで斬り”にしたうえである。
そうしてついにはここまでやって来たというわけである。
「ミカヅチだあーッ?」
前鬼はあからさまに馬鹿にしたような口調で言い放つ。
「そうだ、我が名は
ミカヅチは右手に持っている刀をまっすぐに前鬼のほうに向けながら不敵に宣言する。
「ハアーッ、テメエ何抜かしてやがる?」
前鬼は怒りに満ちた表情で叫ぶ。
「何しろ鬼共があまりにも弱すぎるものでな。前進勝利だのと訳の分からないことを叫んでいたが、勢いがあるのは口だけとしか思えんなあ」
ミカヅチは両手を広げながら呆れたような調子で言う。
「テメエッ、言わせておけばッ!」
前鬼は怒り任せて斧を地面に叩きつけながら怒鳴る。
もはやその様子からは少し前の見下したような雰囲気は完全に消え失せている。
「フッ。貴様、少しは骨があるんだろうな?」
そう言いながら、ミカヅチは前鬼のほうをまっすぐに見すえる。
「あたりめえだッ!」
前鬼もミカヅチをにらみつけながら言い返す。
と同時にミカヅチのほうに数歩歩みを進めつつ、手に持った斧を構える。
しばらくの間、双方は視線を離さずにらみ合う。
「…フフッ…」
突然ミカヅチは微笑を浮かべると、なぜか鹿王の背から降りてしまう。
「テメエッ、なんのつもりだッ!」
前鬼は斧の構えは崩さぬまま叫ぶ。
鹿王もミカヅチのほうに心配そうな視線を向ける。
その様子は大丈夫か、とでも言いたげである。
「なあに、案ずることはない」
ミカヅチは鹿王を安心させるように、その顔を優しく右手で撫でながら微笑む。
そしてすぐに前鬼のほうへ向き直る。
「このミカヅチだけが鹿王に騎乗しているとあってはあまりにも有利すぎるのでな。貴様にも多少は勝利の可能性が見えるようにしてやらぬと貴様があまりにも憐れというものであろう?」
ミカヅチは再び不敵な笑みを浮かべながら言い放つ。
「テメエはどこまで俺様をなめれば気が済むんだッ!」
前鬼は再度斧を地面に叩きつけながら叫ぶ。
その様子からは完全に怒りに我を忘れている様子が見て取れる。
「フッ、貴様のその得物は地面を叩きつけるためのものなのか?そんなことをされてもこちらは痛くもかゆくもないがな?それともこのミカヅチが恐ろしくて立ち向かってこれないから代わりに地面を殴っているのか?」
ミカヅチはなおも前鬼をあおるように挑発する。
「しゃらくせええーッ!」
前鬼は大きく頭上に斧を振り上げる。
そしてその体勢のまま、叫び声を上げつつ、ミカヅチに向かって突進する。
「くらええええーッ!」
前鬼は高々と掲げられた斧をミカヅチの頭上に振り下ろそうとする。
しかしミカヅチは自然な動作で後退してかわす。
「オラオラオラオラーッ!」
なおも前鬼は斧を振り回しながらミカヅチを追いかけ回す。
「…フン、貴様の攻撃はあまりに大味すぎるな。ゆえに読みやすい」
ミカヅチはそうつぶやきながら前鬼の攻撃をことごとくかわしていく。
その表情は涼しいままで、動きは前鬼の斧を鼻先でかわすような無駄のないものである。
こんな展開がしばらく続くと、やがて前鬼の様子に異変が起こる。
疲労からか斧を振る身体の動きが鈍り始め、肩で息をし、表情にも焦りの色が浮かんでいる。
「…テメエ、ちょこまかと動き回りやがって…」
前鬼はいら立ちのこもったような調子でつぶやく。
その直後である。
「ハハッ、当たったぜえッ!」
「なッ!」
前鬼の振り回した斧の刃先がミカヅチの左わき腹あたりに直撃する。
前鬼は思わずニヤリと笑い、イワレビコ以下周囲の者たちは悲鳴を上げる。
だが―
「…何いッ!」
前鬼はミカヅチの様子を見て驚愕する。
ミカヅチは前鬼の攻撃を浴びても斬られないばかりか、傷一つつかない。
さらには痛がっている様子もなく、相変わらず涼しい表情のままである。
「貴様にはこのミカヅチが身を守るものを一切身につけない理由がわかるか?」
ミカヅチは斧の攻撃を腹部に受けたままの状態で尋ねる。
確かにミカヅチは
その姿は戦場にはあまりに場違いと言っていい。
対する前鬼は驚きのあまり声すら上げることができない。
「このミカヅチはかつてイザナギの神が火神カグツチを刀で切り落とした際に生まれた―」
ミカヅチは変わらぬ冷静な調子のまま語る。
「―そのとき炎に包まれながら生まれた我が身体には鋼鉄の如き堅さが備わっているッ!」
「なッ!」
前鬼の目をまっすぐに見すえながら話すミカヅチの言葉に、前鬼は驚きを隠せない。
そのときである。
「危ないッ!」
突然ミカヅチがイワレビコの方を向きながら大声で叫ぶ。
「…えっ…?」
イワレビコはなぜミカヅチが自分に声をかけるのかがわからず、一瞬きょとんとする。
「後ろだッ!」
ミカヅチは再度大声で警告する。
その言葉を聞いた直後、イワレビコは素早く背後を振り向く。
振り向いた視線の先にはすでに馬上のイワレビコを攻撃しようと金棒を構えている鬼の姿が。
イワレビコには身構えるどころかあっ、と声を上げる暇すらない。
周囲には誰一人イワレビコの身を守れる者がいない。
兵士たちは皆、少し前までは鬼を追ってイワレビコのそばを離れていた。
そして今はミカヅチと前鬼の戦いに注意を集中させていた。
タヂカラオとサルタヒコも他の兵士たちと同様である。
無論ミカヅチは前鬼と向かい合っている最中である。
つまりはイワレビコのそばには誰もいなかった。
そんなイワレビコのそばに、運命の
イワレビコは鬼の金棒の一撃をまともに受けることを覚悟する。
がそのとき―
「…えっ…?」
―なぜか金棒を今まさにイワレビコにぶつけようとしていた鬼の動きが止まる。
その鬼の左右のこめかみの辺りには一本の矢が貫通している。
そしてすぐに鬼はばったりと地面にあお向けに倒れてしまう。
「イワレビコどのーッ!」
その直後にスサノオがイワレビコの名を叫びながら馬を操り、近寄ってくる。
「ケガはありませぬか?」
スサノオは心配そうにイワレビコのほうを見ながら言う。
「ええ、大丈夫です!」
イワレビコは自分が健康体であることを示すようにきっぱりと言う。
「一撃でしとめることができてよかった!」
スサノオの背後から声がする。
それはスサノオから少し遅れてやってきたミナカタである。
ミナカタはスサノオ同様馬に乗っており、その左手には弓がしっかりと握られている。
「あなたでしたか!」
イワレビコはミナカタに笑みを浮かべながら言う。
「おかげで助かりました!」
「あんなつまらないヤツにあなたのような方が討ち取られるようなことがあってはいけませんよ!」
イワレビコの笑みにミナカタも満面の笑みで返しながら言う。
イワレビコの周囲に和やかな空気が広がる。
「へへんッ!」
突然何者かが叫ぶ声が辺りに響き渡る。
イワレビコ以下主だったものがその叫び声のするほうを見る。
その視線の先には前鬼がいる。
すでにイワレビコたちからはかなり離れた距離にいる。
どうやらミカヅチたちの注意がイワレビコのほうに集中している間に逃げ出したものらしい。
「今日のところはこのあたりで勘弁しておいてやるぜッ!」
「逃げるつもりかッ、卑怯者ッ!」
捨て台詞を吐く前鬼はミカヅチが罵る。
「ヘッ、なんとでも言いやがれッ!」
そう吐き捨てると、前鬼はあたりを見回しながら叫ぶ。
そこにはまだ生きている鬼たちの姿が。
「テメエらッ、こいつらの相手をしてやれッ!」
その直後、前鬼は一目散にヤマトの集落がある方角へと走り去っていく。
「チッ、逃げ足の速いヤツだッ!」
ミカヅチは小さくなっていく前鬼の背中を遠くに見ながら吐き捨てるのだった。
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