三十、決戦のヤマト②―進撃のニギハヤヒ軍!対するイワレビコたちの策は!!―

「オイッ、テメエッ!」


 前鬼はトミビコの元にずかずかとやってくるなり怒鳴る。


「な、…なんでしょうか?」


 いきなり頭ごなしに怒鳴りつけられた形のトミビコは戸惑いながら答える。


「なんでさっさと戦わねえんだッ、このバカがッ!」

「なッ!」


 再び怒鳴られたトミビコはあ然とする。

 それはあまりにも理不尽な罵られ方である。


「…そ、…それはニギハヤヒ殿が言われたことでしょうか?」


 トミビコは動揺しつつも前鬼に尋ねる。


「ハアッ?」


 その言葉に前鬼は、お前はバカか、と言わんばかりの口調で答える。


「…わ、我々はニギハヤヒ殿から戦えと言われたのであれば喜んで戦うつもりです。しかし…」

「ハッハッハッハッ…!」


 前鬼はトミビコの言葉を最後まで聞くことなく突然大声で笑い始める。


「…テメエは何ぬりいことを言ってやがるんだッ!」

「…ぬ、…ぬるい…?」


 トミビコは前鬼の言葉の意味がわからず思わず聞き返す。


「ケッ、テメエは救いようのないバカだよなッ!」


 前鬼は心底呆れたという調子で言い放つ。

 対するトミビコはあ然としたまま返す言葉もない。


「…ああ、お前は戦う理由が知りたいのか?」


 トミビコの様子を見た前鬼はそう言いながらニヤリと笑う。


「…ええ、まあ…」


 前鬼の言葉にトミビコはしぼり出すように答える。


「ククッ、そうかよッ!」


 前鬼はトミビコをあざけるような口調で言う。


「ならば教えてやろうッ!」


 前鬼は何も言えず黙っているトミビコのことなど一切かまわず続ける。


「“前進勝利”だッ!」


 前鬼は一際言葉に力を込めて言う。


「…ゼンシンショウリ…」


 トミビコはポカンとしたままつぶやく。


「オイオイッ!」


 前鬼は左右に激しく首を振りながら怒鳴る。


「テメエには耳はついてねえのか?」

「ウアッ!」


 前鬼に突然耳を引っ張られたため、トミビコは思わず悲鳴を上げてしまう。


「ケッ、情けねえヤツだ。話を二回も聞いたくせにまだ意味がわからねえとはなあ」


 トミビコの反応に前鬼は心底呆れた、というような様子を見せる。


「まあいい、では特別に前鬼様が教えてやるとしよう」


 前鬼はニヤリと口元をゆがめながら言う。


「前に進んで敵をぶっ潰す。どうだ簡単だろ?」


 そう言うと、前鬼はハハッ、と満足げに笑う。


「…ハ、…ハア…」


 トミビコは相変わらず戸惑いを隠せない様子で答える。


「…どうやらまだ意味がわからねえようだな…」


 そう言うと前鬼は少しの間、考え込んでいるような仕草を見せる。


「…しょうがねえ、お前の体に教えてやるとするか」

「…か、体に?」


 トミビコは嫌な予感に身震いして、思わず一歩後ずさる。

 その全身からはドッと汗が噴き出している。


「なあに大丈夫だ、一瞬で終わる」


 そう言うや否や、前鬼は間髪入れずに右手に持った金棒を振りかぶる。


「歯ァ食いしばれッ!」


 前鬼がそう叫ぶと同時に金棒がトミビコのでん部に直撃する。


「グワアッ!」


 トミビコは大きな悲鳴を上げながら前のめりに倒れて悶絶する。


「ハハッ、これが“前進勝利”の味だッ!“前進勝利”の名の下にはあらゆることが許されてるんだぜッ!もちろんこんなこともだッ!」


 前鬼は金棒を右肩に担ぐように持ちながら愉快そうに言う。

 一方のトミビコは倒れたまま起き上がる様子がない。


「さすがに斧でやったらテメエをぶっ殺しちまうからなあ。これで勘弁してやるとしよう!」


 前鬼は相変わらず顔にニヤニヤと笑みを浮かべながら言い放つ。


「ハア…、しかし弱っちいヤツだぜッ!優しくケツを撫でてやっただけだってえのによッ!」


 前鬼は呆れた様子で言いながら、トミビコにゆっくりと近づく。


「オラヨッ!」


 そしていきなり左手でうつ伏せに倒れているトミビコの背の帯をつかんで、無理やり持ち上げる。


「ウワアッ!」


 突然背中から持ち上げられて、トミビコは驚きながら手足をバタつかせる。


「ハッハッハッ、なんだちゃんと喋れるじゃねえかッ!」


 そう叫ぶと同時に、前鬼は突然つかんでいた帯を離す。

 トミビコはアアッ、という悲鳴と共に地面に落下する。

 その様子を見た前鬼は両手で腹を抱えながら大声でハッハッハッハッ、と大声を上げて笑う。


「何せ今日の俺様は機嫌がいいからなあッ!死なない程度に丁寧に殴ってやったというわけよッ!」


 前鬼は相変わらず気持ちよさそうに笑いながら言い放つ。


「オイッ、いいかッ、テメエらッ!」


 しばらくの間笑っていた前鬼はいきなり周囲の者たちを見回しながら、ドスのきいた声で叫ぶ。


「もし逃げ出したらこんなもんじゃすまねえぞッ!“後退即死”という言葉を思い出せッ!」


 前鬼は左のこぶしを顔の前に突き出しながら怒鳴る。

 その様子を見た者たちは全員、鬼、人間に関係なく震え上がる。


「…クックックッ、ではお馴染みのをヤツを行こうかねえ…」


 周りの者たちの完全におびえた姿を見た前鬼は満足げに笑いながら言う。


「…テメエら、腹の底から声を張り上げろよッ!」


 そして周囲をにらみつけ、右手に持った金棒を振り回しながら叫ぶ。


「ぜーんしん!」


 前鬼は両手に金棒を持ち、真上に掲げながら絶叫する。


「しょーうりッ!」


 周りの者たちも必死にこぶしを突き上げながら叫ぶ。

 そして、ぜーんしん、しょーうり、のやり取りを三回ほど繰り返す。


「…よーし、テメエら上出来だッ!」


 前鬼はうれしそうに口元をゆがめながら言う。


「よっしゃあッ、テメエらまとめて俺様のあとに続きやがれッ!」


 前鬼はそう言い放つと、猛然とイワレビコたちの軍めがけて走り出す。

 他の者たちも、ぜーんしん、しょーうり、と叫びながらあとに続くのだった。



「敵軍に動きがッ!」

「来たかッ!」


 敵の突進に気づいたスサノオとイワレビコが口々に叫ぶ。

 二人の目にも相手が真っ赤な鬼を先頭に自分たちに向かってまっすぐに突っ込んでくるのがはっきりと確認できる。


「…ここはやらなければッ!」


 そう叫ぶと、イワレビコは自らの馬を操って前に出ようとする。


「お待ちくだされッ!」


 それをやはり馬の背にまたがったスサノオが必死にイワレビコの腕をつかんで制止する。


 実はサルタヒコと落ち合ったときに、イワレビコたちはオモイカネからの“餞別せんべつ”として馬を数頭預かっていた。

 だが何しろ数が少ないため、馬に乗れるものは限られた。

 この戦いで馬上にいる者はイワレビコ、スサノオ、ミナカタ、サルタヒコ、タヂカラオの五名のみ。

 他の者たちは全員徒歩である。


「なぜ止めるのですッ!」


 イワレビコはスサノオが自分を押しとどめようとすることに抗議する。


「お気持ちはわかりますがッ…」


 スサノオはなおもイワレビコの腕をつかみながら言う。


「すでに説明したように“これ”はより多くの敵を巻き込んでこそより大きな威力を発揮しますッ!」

「ならばあなたは皆が敵に襲われているのを見過ごせと言われるのかッ!」

「そうではありませぬッ!」


 なおも食い下がるイワレビコをスサノオはなんとか説き伏せようとする。


「しかるべき“時”を待てと言っているのですッ!今はまだそのときではありませぬッ…!」

「……」


 スサノオの必死の説得を受け入れたのか、イワレビコはスサノオの顔を無言で見つめたまま唇をかむ。


「…あなたはこの軍の大将だ。そして全軍の命運があなたにかかっている。あなたには大局を見すえ、冷静な判断を下せるようになっていただきたいのです」


 イワレビコの様子を見たスサノオは努めて冷静に、諭すように話す。


「…わかりました」


 スサノオの言葉にイワレビコは納得した表情を見せながら引き下がる。


「…“あれ”を使うべきときはこのスサノオが責任を持って判断します」


 スサノオはイワレビコの目をしっかりと見すえながらきっぱりと断言する。


「我が軍の兵をいたずらに無駄死にさせるような真似は決していたしませぬ」


 スサノオの言葉にイワレビコも力強くうなずくのだった。



「…うーん…」


 ウズメは馬を目の前にして表情を曇らせる。

 ここは今朝イワレビコたちがサルタヒコと落ち合った場所である。

 辺りには打ち込まれた杭に繋がれた馬が数頭ほどいる。

 ウズメの前にいるのはそのうちの一頭である。


「ちょっとー、ここまで来てどうしたのさー」


 ウズメの腰帯と服の間に挟まっているスクナビコナは、ウズメの顔を見上げながら怪訝な表情で尋ねる。

 ウズメをこの場所まで案内したのはスクナビコナである。

 スクナビコナもウズメと同様に自分が戦闘に参加できない後方に回されたのが不満であった。

 そこでミナカタに馬がある場所を聞き出し、こっそりオオクニヌシのそばから抜け出した。

 その上ですぐ近くにいるはずのウズメを探し出し、ここまで連れて来たというわけである。


「…やっぱり勝手に持ち出すのは…」


 ウズメはすぐ前にいる馬の横顔を見ながら相変わらず逡巡する様子を見せる。


「もー、今さらそれはないでしょー」


 スクナビコナは口を尖らせながら言う。

 ウズメはその声に反応することなくジッと馬の顔を見ている。


「馬だってこんな場所に繋がれてるより誰かに乗ってもらった方がいいに決まってるよー。それにさー―」


 スクナビコナはさらに畳み掛ける。


「―僕たちはただでさえ相手より数がかなり少ないんだ。すげー不利なんだよね。だからひょっとしたらサルタヒコの身に何かあるなんてことも…」


 スクナビコナがサルタヒコの名を出した途端、ウズメの表情が変わる。


「…そうだわ…」


 ウズメは神妙な面持ちでつぶやく。


「そーそー、こんな所でじっとしている場合じゃないよ。一刻も早くみんなの所に行こーよ。じゃないと下手したら戦いが終わっちゃうよ」


 スクナビコナは強い調子でウズメをけしかけるように言う。


「よしッ、分かったわ!」


 ウズメは力強い言葉で答える。

 そしてすぐ近くに置かれていた馬具一式を馬に装着し、素早く馬の背に飛び乗る。


「さあッ、行くわよ!」


 ウズメはそう叫ぶと、イワレビコたちがいる方角に向かって馬を発進させる。


「よっしゃー、行くぞー!」


 スクナビコナもウズメに呼応するように叫ぶ。


 こうして二人を乗せた一頭の馬が戦場をめがけて走り出すのだった。

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