二十八、ヤマト到着②―ニギハヤヒの“演説”炸裂!対してイワレビコたちは!!―

「…とうとう現れたぞ」


 ヒルコは宮殿の薄暗い最深部の部屋でつぶやく。

 目の前にはうつむき、あぐらをかいているニギハヤヒの姿が。


「また貴様の姿で“演説”をしなければならないというわけだ」


 ヒルコは再びつぶやく。

 それに対してニギハヤヒは口を開くどころか顔を上げることすらない。


「まあ、貴様はもはや一生何もする必要はない」


 ヒルコは淡々とした口調で言い放つ。

 相変わらずニギハヤヒに反応はない。


「貴様はもはや“生き物”ですらなく、ただ存在するだけの者“生けるしかばね”としてのみあればよいというわけだな」


 ヒルコにこう言われてもニギハヤヒ―生ける屍と呼ばれた男―には動く気配は一切ない。


「…さてと、そろそろ行かねばな。いつまでも“生ける屍”の相手に時間を費やすわけにもいかんのでな」


 そう言うとヒルコはすっくと立ち上がり、相変わらず身動き一つしないニギハヤヒに背を向ける。

 そしてそのまま扉を開けて部屋を出る。

 と同時にその姿はニギハヤヒのものへと完全に変化するのであった。



 広場にやって来たニギハヤヒの姿を見つけると、にわかにその場に集まっていた者たちはざわつき始めた。

 それは無理からぬことであった。

 何しろ前回の“演説”以降、ニギハヤヒはヤマトの中で一切目撃されていなかった。

 そのため人々の間では様々な噂が駆け巡っていた。

 宮殿に引きこもって完全に“現実逃避”しているのではないか?

 実は“侵略者”を恐れてひそかにヤマトを脱出してしまったのではないか?

 挙句の果てには鬼たちと揉めて食べられてしまったのではないか、という話まであった。

 そのどれもが実際に確かめられたものはなく、あくまで推測の域を出なかった。

 だがそれらの噂が嘘であることがついに確認された。

 実際にこうしてニギハヤヒが目の前に現れたのだ。


 広場にいた者たちのほとんどはトミビコによって集められた。

 そのトミビコはヒルコが化けたニギハヤヒの使いの者によって宮殿の前に呼び出された。

 トミビコも呼び出された当初は面食らった。

 何しろトミビコですら例の演説の日からニギハヤヒと一度も会うことができていなかったのである。


 最初の戦いに出陣後に戦場から宮殿に戻ろうとすると、入り口で門番の鬼たちに阻まれてしまった。

 トミビコは即座にニギハヤヒに会いたい旨を門番に伝えるが鬼は、ニギハヤヒ様は気分が優れぬゆえ面会はできない、の一点張りであった。

 それどころかその場で別の場所に住まいを構えて移り住むように、と一方的に言われてしまったのである。

 つまりはもともと自分の住まいだった宮殿を追い出されてしまったのである。

 その後もトミビコは何度もなんとかニギハヤヒに会うために足しげく宮殿に足を運んだ。

 だがいくら宮殿に行こうとも、常に門番の鬼に入り口で足止めされた。

 ニギハヤヒに会えない理由も常に気分が優れない、であった。

 もちろん自分が宮殿から追い出された理由はいまだにわからない。


 ことここに至り、トミビコの中にニギハヤヒへの不信感が芽生えてきた。

 確かに最初にニギハヤヒがヤマトにやって来たときにはすばらしい方だと認めはした。

 だが今はとうていそうは思えない。

 自分は不可解な形で宮殿を奪われたし、ヤマトの中では多くの鬼が跋扈ばっこしている。

 この異形の不気味な鬼が我が物顔でヤマトの中をのし歩いているのも、トミビコにとっては非常に不快なことだった。

 これらのことは皆ニギハヤヒがヤマトにやって来てから起こったことだ。

 トミビコにとっては全てが悪い方向に変わっているとしか思えなかった。

 いまやヤマトは必要以上に騒がしい場所になってしまった。

 これならたとえ慎ましくとも静かで穏やかなヤマトのほうが良かったのではないか?

 できることならニギハヤヒが来る以前のヤマトに戻れないものか?

 そんな思いが日に日に強くなっているのである。



 広場にやって来たニギハヤヒは前には前鬼、後ろには後鬼を伴っていた。

 そんなニギハヤヒをトミビコ以下その場にいる者たちは固唾かたずを飲んで見守っている。

 ニギハヤヒは例によって広場の西側にある見張り台へとまっすぐに向かう。

 そして見張り台の下からフワリと浮き上がり、そのまま空中を浮かんで見張り台の上へとたどり着く。

 するとその場にいた鬼たちから上がる、ウオオオオオオオオーッ、という大歓声が広場に響き渡る。

 そんな広場の状況をニギハヤヒは高台の上から、直立不動のままじっと見つめている。

 そして騒然とした広場の様子が少し落ち着いたのを見計らった瞬間―


「今からここにいる全ての者たちに言わねばならないことがあるッ!」


 第一声を発し、同時にその場にいる全ての者たちの注目がニギハヤヒに注がれる。


「このヤマトにまたもや侵略者共が迫りつつあるッ!」


 ニギハヤヒの言葉を聞くと、再び広場は騒然となる。

 ここまではあたかも前回の“演説”をそのままなぞったかのように状況は推移するのであった。



「一度我らがその力を見せつけてやったにも関わらずだッ!」


 そう叫びながら、ニギハヤヒは広場にいる者たちに同意を求めるように見回す。

 すると見ていた鬼たちの中から、そうだーッ、ふざけるなッ、などといった野次がとぶ。


「やつらはいまだに自分たちが我らに勝てると信じているらしいのだッ!」


 そう言うと、ニギハヤヒは心底呆れたと言わんばかりに両手を広げてみせる。


「つまり我らは完全になめられているのだッ!」


 そう絶叫すると同時にニギハヤヒは右のこぶしを突き上げる。

 すると鬼たちもこぶしを突き上げながら怒号を浴びせる。


「お前たちはこのままなめられっぱなしでいいのかッ!」


 ニギハヤヒは再び叫びつつ、こぶしを振り上げる。

 それに対して鬼たちから、よくないッ、なめられてたまるかッ、などといった声が上がる。


「そういうことだッ!ところで…」


 ニギハヤヒはいったん話すのを止め、直立不動のまま沈黙する。

 すると広場に集まった者たちは何事かといぶかり、ざわつき始める。


「このニギハヤヒは前回“前進勝利”という言葉を諸君に教えたわけだが―」


 ニギハヤヒが落ち着いた調子そう言うと、鬼たちの中から前進勝利ばんざーい、という歓声が上がる。


「今回は新たな言葉を教えよう。それは―」


 ニギハヤヒは静かな口調で続ける。


「“後退即死”だッ!」


 再びニギハヤヒはこぶしを振り上げながら大声になって叫ぶ。

 と同時に鬼たちの間からまたもウオオオオオオオオーッ、という大歓声が起こる。


「“前進勝利”は“後退即死”に支えられることによって真の力を発揮するのだッ!」


 ニギハヤヒの言葉に鬼たちは、ぜんしんしょうりー、こうたいそくしー、などと口々に絶叫することで答える。


「我々は不退転の決意で望まねばならぬッ!」


 ニギハヤヒは広場に集まった者たちを指差しながら叫ぶ。


「このヤマトで我らが敗れることは決して許されないッ!まさに“後退即死”なのだッ!」


 ニギハヤヒの言葉に鬼たちがそうだー、こうたいそくしーなどと連呼する。

 その様子をニギハヤヒは黙ったまましばらく見つめている。


「…では再び“あれ”を皆で叫ぶとしよう」


 ニギハヤヒのこの言葉を聞くと、広場の鬼たちが静まり返る。


「ぜーんしん!」


「しょーうりッ!」


「ぜーんしん!」


「しょーうりッ!」


 ニギハヤヒと鬼たちはしばらくの間、何度もこの言葉を交互に叫び合う。


「…よーし、行くぞッ!“前進勝利”に全てを賭けよッ!」


 最後にヒルコがそう宣言すると、鬼たちは地鳴りのような大歓声を上げて答えるのだった。



「相変わらず“前進勝利”か…!」


 サルタヒコの報告を聞き終わるとスサノオは吐き捨てるように言う。

 サルタヒコは一度イワレビコらと落ち合ったあと、一度ヤマト盆地の中央部にある集落へと向かった。

 ニギハヤヒらを偵察するためである。

 そして再びイワレビコらの元へ戻り、そこで自分が目撃したものの一部始終を報告していたのである。

 サルタヒコの話を聞くうちにイワレビコの表情はみるみる曇っていき、スサノオもどんどんしかめっ面になっていった。

 他の者たちも一様に険しい表情をしている。


「それにしてもニギハヤヒのヤツは恐ろしく演説がうまいぞ。ヒルコが色々なことを吹き込んでいるのか…?」


 そう言うとスサノオは難しい表情をしたままうつむき、考え込んでいるような様子を見せる。

 他の者たちも下を向いたまま押し黙り、場に重苦しい空気が流れる。

 その場にいる全員が初めて喫した“敗戦”を思い出している。

 前回もニギハヤヒの“演説”をきっかけに敵の士気が異様に高まり、その結果イワレビコたちは手痛い敗北を喫した。

 ここまでの状況はそのときとあまりにも似通っている。

 そのことはイワレビコたちの脳裏に嫌でも敗北の記憶を思い起こさせないわけにはいかなかった。


「ちょっとちょっとー…」


 その場に流れていた重苦しい空気をスクナビコナのややのん気とも思える声が破る。

 と同時に、スクナビコナはミナカタに自分を地面に降ろしてくれるようにミナカタにうながす。

 ミナカタがその通りにすると、スクナビコナがイワレビコのもとにひょこひょこと小走りで近寄っていく。


「なんでみんなそんなにふさぎこんでんのさー。まだ負けたって決まったわけでもないのにー」


 スクナビコナは周囲の者たちを見回しながら言う。


「勝負はやってみないとわからないよッ!」


 スクナビコナは右手で作った握りこぶしを顔の前に突き出しながら叫ぶ。


「…ふっふっふっ…」


 その言葉を聞くと、スサノオはにわかに笑い始める。


「…ハーッハッハッハッハッハッ!」


 そしてついには大声を立てて笑う。

 さらには手のひらをスクナビコナのすぐ前に下ろす。

 スクナビコナは即座にスサノオの手のひらの上にひょっこり乗る。


「…よくぞ申したッ!」


 スサノオは手のひらを自分の顔のすぐ前まで持ってくるとニヤリと笑う。

 スクナビコナもスサノオの手のひらの上でえへへ、と笑う。

 その様子を見て周囲からどっと笑い声が起こる。


「確かにスクナ殿の言われる通りだ。我々は完全に負けたわけではない。そして―」


 イワレビコはいったん言葉を止めたあと、再び口を開く。


「―我々は勝つためにここに来たッ!」


 イワレビコは右手を顔の前に突き上げながら叫ぶ。

 すると周囲の者たちからオーッ、という歓声が起きる。


「我々が勝つというのは何も根拠がないことではありません。我らにはオモイカネ殿の策がある」


 さらにサルタヒコが言葉を連ねる。


「フン、オモイカネの策か…」


 サルタヒコの言葉を聞くとス、サノオは一瞬複雑そうな表情をしてぼやく。


「…まあ、この際誰の策かは問うまい。誰が出した策であれ勝てる可能性が一番高い策が最善策よ」


 スサノオは自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。


「ハッハッハッハッ…」


 突然オオクニヌシがおもむろにスサノオたちの前に笑いながらやってくる。


「こやつのおかげで大いに盛り上がりましたな」


 オオクニヌシは笑顔でスサノオに語りかける。


「フフッ、まあせっかくだからここでもう一仕事せんか?」


 さらにオオクニヌシはスクナビコナに話しかける。


「もう一仕事?」

「そうじゃ。お前の力で皆に気合を入れてやるのよ」

「気合?」

「うむ、“ときの声”よ」

「鬨の声…」


 オオクニヌシは相変わらず笑顔で穏やかにスクナビコナに語りかける。


「どんな声を出すかは知っておろう?」

「そりゃあ、まあ…」

「よし、ならば問題ない。さあ、やってみよ」


 戸惑っているスクナビコナの背中を押すようにオオクニヌシは話す。


「…ようし…」


 スクナビコナは緊張の面持ちをしながらゴクリと唾を飲み込む。


「…えいえい!」


 スクナビコナは腹の底からしぼり出して、出しうる限りの大きな声を上げる。


「おーッ!」


 それに続いてスクナビコナを含む全員が右こぶしを突き上げながら声を出す。


「えいえい!」


「おーッ!」


「えいえい!」


「おーッ!」


 こうしてその場にいる者たちは皆三回鬨の声を上げる。


「スクナ殿、ありがとうございます!」


 イワレビコは満面の笑みを浮かべながら、相変わらずスサノオの手のひらの上にいるスクナビコナに近寄り、礼を言う。


「…えっ、いやあ、それほど大したことは…」


 スクナビコナは突然礼を言われたことに驚いたのか、戸惑いと照れが混じったような調子で答える。


「いえいえ、あなたの言葉で我ら一同救われた。あなたのおかげで我々は失いかけていた勇気を取り戻したのです!」


 イワレビコは心底うれしそうな様子で言葉を続ける。


「そういうことだ。お手柄だぞ!」


 スサノオもニヤリと笑いながら声をかける。


「…ええっ、そ、そうかな…?」


 スクナビコナは頭をかきながらやや恥ずかしそうに答える。


 そんなスクナビコナの様子にその場にいる全員からどっ、と笑いが起こる。


「さあ、泣いても笑っても次が最後だ!全力で戦い必ず勝つッ!」


 最後にイワレビコが“決意表明”の言葉を述べる。

 その言葉を聞き、皆再び引き締まった表情に変わるのだった。

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