二十、土蜘蛛との戦い①―敵か味方か!山中の集落にて!!―

 ミナカタは森の中で道なき道をただひたすらに進む。

 前にはイワレビコやスサノオたちが走っている。

 さらにその前にはヤタガラスが飛んでいる。


 一行がヤタガラスと遭遇そうぐうしてから数日が経過した。

 そのあと一行はただひたすらヤタガラスのあとをついて行っている。

 夜に休むとき以外はひたすらに獣道を進んでいるのである。


 途中何度か山の民の部族に出会う機会が会った。

 彼らは基本的には一行に友好的で、住み家に泊めてくれたりもした。

 さらには全てではなかったが、一行に加わる者たちも現れた。

 そのため一行の人数は百を超える程度には回復していた。


 ミナカタは走りながら、高天原を出発してから自分の身に起こったことを思い出す。


 最初の戦いでは勇気をふりしぼって前鬼に矢を射かけた。

 そしてタヂカラオの窮地きゅうちを救うことができた。

 前回地上に降りたときの戦いでは、まともなことは何もできなかったと言っていいくらいだったから、初めて戦いで、ある意味手柄を立てたと言っていいかもしれない。

 実際あのあとタヂカラオには礼を言われたのだ。

 正直それまで他人から感謝された経験がほとんどなかったので、お礼を言われるのは非常に気分がいい。


 そのあとオモイカネから裏切り者の嫌疑けんぎをかけられた。

 そのときはスサノオとウズメがうまくかばってくれた。

 ただおそらくオモイカネ、さらには高天原の者たちは自分の疑いが晴れたとは思っていないだろう。

 今でも内心モヤモヤしているが、それはこうしてヤマトへの道を急ぐことで気をまぎらわしている。


 ミナカタはただひたすら前に進むことに集中する。


 とにかくこのまま前に進んでいけばいずれはヤマトへたどり着くと信じて。

 そしてヤマトへたどり着けば生きているはずのニギハヤヒを必ず助け出せると信じて。

 そうしてそれがあらゆる問題を解決するはずだと信じて。

 今はただ前に進み続けることが全てなのだと信じて。



「…ふぅー…」


 屋敷の入り口から出たあと、ミナカタは思わず両手を上げて全身を伸ばしながら深呼吸する。

 屋敷の中にはイワレビコやスサノオ以下主だった者たちと現地の民の間での酒宴が続いている。



 この山奥の集落には今日の昼過ぎごろ到着した。

 集落の住民たちは今までに出会った山の民らと同様極めて友好的で、イワレビコたちの今晩はここに泊めてほしいという願いを快諾してくれた。

 さらに住民たちは早速イワレビコたちを歓迎する酒宴を開くことを決めた。

 そして夕方ごろからは実際に酒宴が始まり、今はすでに夜もすっかりふけている。


 ミナカタもこの集落の一番大きな屋敷で、イワレビコやスサノオらと共につい先ほどまで酒宴に参加していた。

 ミナカタが屋敷を出る直前まで中ではウズメが見事な舞を披露していた。

 用意のいいウズメは男物の服以外にも女物の服も持ってきていて、その服に着替えて舞を舞ったのだ。

 おかげでイワレビコたちも現地の者たちも大いに盛り上がり、屋敷の中は大歓声と拍手に包まれた。

 そしてウズメの踊りが終わったあと、酒宴の盛り上がりは頂点に達した。

 ただそこに至るまでにはずいぶんと時間がたち、ミナカタも少し外の涼しい空気に当たりたくなってきていた。

 そこでスサノオらにはそのことを告げ、しばらく屋敷の中から退出することにしたのだ。


 ミナカタは特にこれといった目的もなく、ふらっと屋敷から遠ざかる。

 そして薄暗い集落の中をふらふらと歩きながら、ふと周囲を見回してみる。


 辺りにはいくつかのたき火を中心に、酒をくみ交わしている住民や兵士たちの姿が見える。

 さらには竪穴式住居の中でも酒宴が開かれているようで、家の所々からはたき火の炎と思しき光が漏れている。

 何しろこちらも大人数で訪れているため、屋敷の中にはとても全ての者は入りきらない。

 ゆえに地位や名のある者たち以外はこうして屋外や竪穴式住居の中で酒盛りをしているというわけである。



(…近くの人がいない場所に行きたいな…)


 ミナカタはふとこんなこと思う。

 だがそうなると、民家や何人かの人間が近くにいるたき火からは遠ざからざるを得ない。

 それは必然的に真っ暗闇の場所に行くしかないということになる。


(…まあ、いいか…)


 ミナカタは取り立てて深く考えることなくそう思う。


 この森に入ってから今までイタケルのような変わった者に出会うことはあっても、鬼のような危険な者には一度も会ったことはない。

 森の民にしても皆友好的な者たちばかりだったではないか。


(…よっしゃあ、いっちょ少し村の外まで散歩にでも行くか…)


 ミナカタは全く楽観的に森の奥へと足を踏み入れるのだった。



「いやー、うまいうまい!」


 杯の中のものを一気に飲み干したあと、オオクニヌシは気持ちよさそうに袖で口元を拭い、大声で叫ぶ。


「…どれだけ飲めば気が済むんだ…」


 スサノオはその様子を横目に見ながら顔をしかめる。


「まあ、まあ、いいではありませんか」


 そんなスサノオをすぐ隣にいたイワレビコがなだめるように言う。


 今イワレビコたちがいる屋敷の中では相変わらず酒宴が行われている。

 この集落で最大のものらしい建物の中では、イワレビコたちも含めて二十名ほどの者たちが酒をくみ交わしながら歓談している。

 村の男たちは姿かたちこそ全身の体毛が多かったり、獣の毛皮から作られたと思われる粗末な衣類を着ている。

 だがその笑顔は実に人懐っこく、愛想のいい調子でイワレビコたちのそばにまで近づいてくる。

 そしてその杯に、ささ、どうぞ、遠慮なく飲んでください、などと言いながらどんどん酒を注いでくれる。


「…プハーッ…」


 またもオオクニヌシが杯になみなみと注がれた酒を一気飲みする。


「…ハッハッハッ、最高最高!」


 オオクニヌシは屋敷中に響き渡るほどの大声で高笑いする。


「…醜態をさらしおって…」


 その様子を見たスサノオは静かにつぶやく。

 その調子はもはや怒りを通り越して呆れたといった感じである。


「…ミナカタ様はどこに行かれました?」


 スサノオのすぐそばにウズメがやって来て尋ねる。

 その装いはすでに女装から男装へと変わっている。

 どうやら踊り終えたあとにいったん屋敷の外で着替えて、スサノオたちの元まで戻ってきたものらしい。


「…うむ、ちょっと前に外に出て行ったがなあ…」


 ウズメの問いにそう答えたあと、スサノオは少し首をひねる。


「…それにしてもなかなか帰ってこんなあ…」

「それでしたら私が捜してきましょうか?」


 スサノオの言葉を聞くと、ウズメが間髪入れずに言う。


「おお、それはありがたい!このスサノオはイワレビコ殿のそばを離れるわけにはいかんし、こやつはこのザマだ」


 そう言うと、スサノオはオオクニヌシの方を見ながら再び顔をしかめる。

 もはやオオクニヌシは完全に“出来上がっている”様子である。


「ではお願いしたい」


 ウズメはスサノオの言葉に、行ってきます、と答えて屋敷の出入り口から外へと出て行く。

 その背中をスサノオはじっと見送るのだった。



 それからしばらくしてのことである。


「…うーん…」


 そうつぶやいたかと思うと、突然オオクニヌシはパタン、と背中から床に倒れてしまう。


「…グーッ…」


 オオクニヌシは心地よさそうな寝息を立てながら、大の字になって寝入る。


(…フン、酔っ払いが…)


 スサノオがそう思いながら周囲をふと見渡してみる。


「…なっ!」


 その部屋の中のあまりに変わり果てた様子にスサノオはぎょっとする。

 室内の兵士たちは皆、オオクニヌシと同様にばたばたと倒れている。

 それを確認したとたん、スサノオははっとする。


「イワレビコどのーッ!」


 慌ててスサノオはすぐ隣にいるはずのイワレビコの方を見る。


「くっ!」


 スサノオの嫌な予感は見事に的中する。

 そこにはあお向けに倒れてぐったりしているイワレビコの姿が。

 スサノオは即座にイワレビコのすぐそばに駆け寄り、その上体を抱き起こす。


「…イワレビコ殿、イワレビコ殿、大丈夫か!」


 スサノオはその上体を揺り動かしながら、すでに目をつぶってしまっているイワレビコに必死に呼びかける。


「…うっ…」

「…おおっ、目覚められたか!」


 わずかに口を開けて反応を示した様子を見て、スサノオは安堵する。


「…あっ…」

「…うん?」


 イワレビコは薄目を開けたあと、右手をかすかに上げる。

 そしてその人差し指でスサノオの胸の辺りを指し示す。

 スサノオが思わず自分のすぐ下を見下ろしてみると―


「…これは!」


 スサノオは自分の首にぶら下げている勾玉が淡く光っているのを確認する。

 この勾玉はかつて高天原で作られた十二個の勾玉の一つである。

 これらは作られた直後に各地に飛び散り、そのうち一つがスサノオの元にとどまっているというわけである。


「…一体どういうことだ?」


 このように自分の勾玉が輝くのは初めて手元に飛んできたとき以来のことである。


(そういえば!)


 スサノオはふと酔いつぶれて倒れているはずのオオクニヌシのことを思い出す。

 すぐにスサノオがオオクニヌシの様子を確認すると―


「…ナムチの勾玉が!」


 相変わらずあお向けのままのオオクニヌシの勾玉も、スサノオのものと同様にその胸元で淡く輝いている。


(これは!)


 スサノオは抱き上げているイワレビコの上体をそっと下ろすと、急いでオオクニヌシのそばに駆け寄る。


「おいッ、…ん…?」

「…うっ…」


 スサノオがオオクニヌシの上体を抱き起こして声をかけようとしたとき、オオクニヌシがかすかに反応する。


「…ナムチ、意識があるのか?」

「…うーん、…ハッ!」


 突然オオクニヌシはガバッ、と自力で上体を起こし、跳ね起きる。


「なッ!」


 そのいきなりの動きに思わずスサノオはのけぞる。


「…私は何でこんなところで眠っていたんだ?」


 オオクニヌシはいぶかしげな表情をしながら周囲をきょろきょろと見回す。


「おお、目を覚ましたか!」

「ああ、父上ですか。私は一体…?」


 スサノオの姿に気づいたオオクニヌシは寝ぼけまなこで尋ねる。


「なんだ、そんなことまで忘れてしまったのか」


 スサノオは呆れ気味に、酒宴の始まりからオオクニヌシが酔いつぶれて寝入ってしまうまでの経緯を説明する。


「…おおっ、いやあ、そうでしたそうでした!」


 スサノオの言葉にオオクニヌシは両手をパン、と叩いて納得する。


「…ふうむ、それにしても…」


 そう言って思案顔になると、オオクニヌシはスサノオに尋ねる。


「…私は酔っている状態からなぜこんなにすぐにすっきりと目覚めることができたのでしょうか?」

「それについてだが…」


 そう言いながらスサノオはオオクニヌシの胸元を指差す。

 その先には淡く輝く勾玉が。


「…おおっ、これのおかげか!」

「おそらくな…」


 オオクニヌシは勾玉を右手で目の前に持ってきて、まじまじと見つめる。


「…フッフッフッ…」


 しばらく勾玉を見ていたオオクニヌシはなぜか突然笑い始める。


「…ハーッ、ハッハッハッハッ!」


 ついにオオクニヌシは大声を上げて高笑いする。


「なんだ、気持ち悪いぞ」


 スサノオはその様子を気味悪そうに見つめる。


「…いやあ、これは素晴らしい!これさえあればいくら酔っ払っても問題ないわけだ!今後は酒席では遠慮なく酒を飲みまくって…、ウゴッ!」


 続きを話そうとしたオオクニヌシの背中にスサノオの強烈な蹴りが入る。


「貴様は一生寝ていろ、たわけがッ!」


 スサノオは心底呆れた様子で言い放つ。


「…いててて…、そこまでしなくてもいいではありませぬか…」


 オオクニヌシはスサノオに蹴られた箇所をさすりながら、弱々しい調子で抗議する。


「フンッ、いい気味だッ!」


 そのときである。


(なんだッ!)


 突然背後から何者かの手がスサノオの肩をつかむ感触が。

 スサノオは慌てて後ろの方を振り向く。


「貴様かッ!」


 そこにはスサノオの言葉に力強くうなずくタヂカラオの姿が。

 だがそのあとすぐにタヂカラオはスサノオから目線をそらす。

 それにつられるように、スサノオもタヂカラオの向いた方向に目を向けてみる。


(……!)


 そこには不敵な笑みを浮かべながら、スサノオたちの方を凝視する村の首長の姿がある。

 その様子からは酒宴の最中の親しみやすそうな雰囲気は完全に消えうせ、禍々まがまがしい妖気すら感じられるのであった。

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