七、地上へ④―ナナシヒコ、ついに“正体”を現す!―

「何だとッ!」


 宮殿の中にニギハヤヒの大声が響き渡る。


「嘘だッ!そんなわけないッ!」


 さらにニギハヤヒは大声で絶叫する。

 それはもはや悲痛な叫びと言っていいものである。


「いえ、このナナシヒコの得た情報によればこれは確かなことです」


 完全に狼狽ろうばいし切っているニギハヤヒとは対照的にナナシヒコは極めて冷静に話す。


 ナナシヒコの語るところによれば高天原はニギハヤヒを“反逆者”に認定して地上にいるニニギの子孫たちと共に討伐軍を編成。

 その討伐軍が乗り込んだ舟団が現在海上をヤマトに向けて東進中、とのことである。


「…そんな…」


 ナナシヒコの言葉を聞いた“反逆者”ニギハヤヒは、今度はその場にへたり込んでしまうのだった。



 ヤマトに到着したニギハヤヒはまずその地の人間たちの首領であるトミビコの宮殿に向かい、そこで高天原から持ってきた“十種神宝”を見せた。

 トミビコ以下ヤマトの人々はその光り輝く神宝のあまりの美しさにすっかり心を奪われた。そしてその場でニギハヤヒが正真正銘しょうしんしょうめい神々の住まう地高天原からやって来た者であることを認めた。


 そして数日後にニギハヤヒはトミビコの妹と結婚し、ヤマトの地の王として正式に迎えられたのである。


 そうしてしばらく穏やかな日々を過ごしたのちに今回のナナシヒコの“報告”がもたらされたというわけである。



 今ニギハヤヒたちは宮殿の大広間にいる。

 宮殿は現在ヤマトにある最大の建造物であり、その大広間もまた最も広い部屋である。

 まさにニギハヤヒはヤマトの王として宮殿の大広間にいるわけである。


 大広間にはニギハヤヒの他にはナナシヒコ、そして今やニギハヤヒの義理の兄に当たるトミビコがいるのみである。


 大広間は最大二、三十人程度同時に入れそうなほどの広さを誇っている。にもかかわらずこれだけの者しかいないのは、ひとえにヤマトに軍勢が向かっていることを他の者たちに知らせないためである。

 何しろこれほど重大な話がこの地の多くの者に知れ渡れば混乱を招くのは必定ひつじょうである。


 ただ現在の部屋に三人いるだけの状況は、広さのわりには閑散かんさんとして寂しいものであることも確かである。


「…なんてことだ…」


 ニギハヤヒはその場に崩れ落ちたままつぶやく。

 その顔はすっかり青ざめ、生気を失っている。

 その情けない有様は威厳のある“王”の姿からは果てしなく遠い。


「ニギハヤヒ殿。これは紛れもない事実です。こんなことで嘘偽りを述べたところでしょうがありますまい」


 ナナシヒコは相変わらずの冷静さで重ねて言う。


「…なんでこんなことに…」


 ニギハヤヒはいまだに現実を受け入れることができないのか、唇を小刻みに震わせながら消え入りそうな声で言う。


「…こうなった以上は我々も速やかに軍勢を編成し迎撃を…」


「…ふざけるなよッ!」


 ナナシヒコの言葉を聞いたニギハヤヒは激高して叫ぶ。


「そんなことをしたら俺は本当に“反逆者”になっちまうだろうがッ!お前は俺を破滅させたいのかッ!」


 そしてわめき散らしながら、殴りかからんばかりにナナシヒコに詰め寄る。


「…いやいや、今のは一つの案を申したまで…」


 ナナシヒコは変わることのない冷静さで言う。

 と同時に自分のすぐそばまで近寄ってきたニギハヤヒの両肩をつかみ、とりあえず落ち着け、とでも言いたげに軽く制す。


 そのときである。


「…あ、あの…」


 それまで沈黙を守っていたトミビコが遠慮がちに声を上げる。


「…一ついいでしょうか…」


「…あ、ああ、いいぞ…」


 つい先ほどまで怒り狂っていたニギハヤヒはわずかに落ち着きを取り戻す。

 そしてトミビコのほうを見ながら答える。


「…私はニギハヤヒ殿こそが高天原から来られた真にヤマトの王にふさわしい方であると信じております」

「うん、そうだぞ」

「ならば正々堂々と迎え撃てばよいのではありますまいか」

「……!」


 このトミビコの言葉を聞いた瞬間、ニギハヤヒは言葉を失う。


「ニギハヤヒ殿が真のヤマトの王である以上、むしろ現在ヤマトに向かっている者たちの方こそ反逆者であり、侵略者であるということになります。ゆえに我々としては“侵略者”を迎撃した上で、我々自身の正義を主張すればいいだけの話では」


 ニギハヤヒは心の底から、痛いところを突かれた、と思う。


 そうだ。


 自分は“高天原からやって来た真に正統なるヤマトの王”として今この地位にいる。

 それなのにここであっさり戦わずして降伏したとなれば、自分が実は“偽の王”であると認めたようなものである。

 それこそ身の“破滅”である。


 ニギハヤヒは目の前が真っ暗になる。

 そしてその意識はぷっつりと途切れるのだった。



「…おお、目覚められましたかな?」


 ニギハヤヒが目を覚ましガバッ、と上体を起こすとナナシヒコが普段と変わらぬ落ち着いた調子で声をかけてくる。


「…俺は…?」


「…ククッ、いやいや驚きましたぞ。何しろ何の前触れもなく突然倒れてしまわれるものですから…」


 ナナシヒコは少しだけ笑いながら答える。


「…あれ…?」


 ニギハヤヒは周囲を見回してトミビコの姿をさがしてみる。

 しかし部屋の中にナナシヒコ以外の者の姿を確認することはできない。


「…ああ、トミビコ殿ですか。あの方にはあなたが心労で倒れられたのだ、ということにして帰っていただきました。無論あなたが倒れられた直後はあなたのことをずい分と心配しておられましたがな」


「…そうか…」


 確かに自分は疲れていたのかもしれない、とニギハヤヒは思う。


 何しろ高天原から地上に降りてきてからというもの、数日間の間に突然王になったり、軍勢がこちらに向かってきているという話が持ち上がったり、と本当に短い期間の間に環境が一変した。

 自分でも気づかないうちにいっぱいいっぱいになっていたのかもしれない。


「…そういえば…!」

「ん…?」

「“あれ”はどうなった?」

「“あれ”と言いますと?」


 興奮しながら尋ねるニギハヤヒとは対照的にナナシヒコはとぼけたような調子で答える。


「“あれ”っていったらあれしかないだろう?軍勢がこちらに向かってきてるっていう…」


「ああっ、そのことでしたら…」

「どうなったんだ?」


「私とトミビコ殿でこちらも軍団を編成して迎え撃つことに決めましたぞ」


 ナナシヒコは相変わらずの落ち着きぶりでサラッと言い放つ。


「…なっ…!」


 ナナシヒコの言葉にニギハヤヒは絶句する。


「なんでそんな大事なことを俺がいない間に勝手に決めたんだ!」


 ニギハヤヒは再び怒りながらナナシヒコとの距離を詰めようとする。

 だが―


「ハーッハッハッハッ!」


 突然その場の空気にはふつり合いに思えるナナシヒコの高笑いが広間中に響き渡る。


「…なっ…」


 そのあまりにも唐突とうとつなナナシヒコの様子の変化に、つい先ほどまで怒りに我を忘れていたニギハヤヒの方が完全に困惑こんわくしてしまう。


「…何がおかしいんだ!」


 ニギハヤヒは自分が戸惑っているのを隠すように大声で叫ぶ。


「…ハッハッハッハッ、これが笑わずにいられるものか…」


「何だと?」


「だってそうだろう?何しろお前はあの状況で突然気を失ったわけだ。それはつまりお前はやつらを迎え撃つかどうかの決断をこの〝ヒルコ〟とトミビコにゆだねたというわけだ」


「…ヒルコ…?」


 ニギハヤヒは以前その名前を聞いたことがあるような気がした。

 確かミナカタから地上での話を聞いたときにそんな名前が出てきたような?


「ほう、貴様、ヒルコのことを知っているのか?」


「…あーっ!」


 ニギハヤヒは突然大声を上げる。


「思い出したぞ!ミナカタの話に出てきた鬼の親玉!」

「ハーッハッハッハッハッ!」


 またもナナシヒコは大声を立てて笑い始める。


「鬼の親玉か。貴様のような間抜けが言ったことを差し引いても表現としては悪くない」

「…って確かあんたさっき“このヒルコ”って…」


 そう言いながらニギハヤヒはナナシヒコの方を指差す。

 その指先はすでにブルブルと震えている。


 もし“ナナシヒコ”の言葉と様子から自分が推測できる答えが正しいとするならそれは―。


「クックックッ、そういうことだ!」


 そう言うと、ナナシヒコはニヤリと口元を歪ませながらニギハヤヒの方を見る。

 もはやその様子からは穏やかさも落ち着きも微塵みじんも感じられない。


 そしておもむろに立ち上がるとその様子をみるみる変化させる。

 その全身は黒い布に覆われ、唯一外にのぞかせた顔は髪の毛は全くなく、皮膚は黒い岩のよう、耳と鼻は“器官”というよりはただの“穴”のような形で開いている。


「ハッハッハッ、おいおいさっきまでの威勢はどうした?」


 ヒルコはそのギョロっとした目でニギハヤヒの方を見る。

 その口は黙っている状態では見えづらく、今喋ったことであることが初めてニギハヤヒにも確認できたほどである。


「クックックッ、いつまで黙っているつもりだ?」


 相変わらず黙ったまま立ち尽くしているニギハヤヒに対して呆れたように肩をすくめながら言う。


 ヒルコの背丈は意外に低くせいぜいニギハヤヒの胸か下手をしたら腰のあたりくらいまでしかない。

 しかしその背の低さが不気味な外見とあいまって独特の威圧感を生み出している。


 そんなヒルコにギロリとにらまれたニギハヤヒはまさに“ヘビに睨まれたカエル”に等しい状態である。


「クックックッ、まあいずれにせよもうお前はすでに用なしだがな」


「なっ!」


「だってそうだろう。このヤマトが侵略されようとしているのにまともに戦おうともしない王が一体なんの役に立つと言うのだ?」


 ヒルコはニギハヤヒに平然と言い放つ。


「ふざけるな!このヤマトの王の地位はな、俺が実力で手に入れたものだぞ!」


「ハーッハッハッハッハッハッ…!」


 ニギハヤヒの言葉を聞いたヒルコはおかしくてしょうがないと言わんばかりに身をよじらせながら大笑いする。


「…なっ!」


 ニギハヤヒは自分の言葉があっさり笑い飛ばされたことに戸惑う。


「…ニギハヤヒよ。この際だからはっきり言っておいてやるが…」


 笑うのをやめた白けきった様子で口を開く。


「…お前は救いようのないバカだ」


「えっ?」


「だってそうだろう?どこをどう考えれば貴様が自分の実力でヤマトの王になったなどと言うことができるんだ?貴様がやったことといえばせいぜい高天原から十種神宝を持ち出したことくらいだ。貴様をヤマトまで連れてきてやったのも、ヤマトの王になる段取りをつけてやったのも、全部このヒルコだぞ」


「…うううっ…!」


 ヒルコの言葉にニギハヤヒは何も言い返すことができずうめき声を上げる。


「…結局のところ貴様の役割は神宝をヤマトに持ってきた段階ですでに終わっていたというわけだ」


 そのときである。


 宮殿全体を揺るがすようなドーン、という大きな音が室内に響き渡る。


「ひいっ!」


 その地震が起こったかのような大きな音にニギハヤヒは思わず悲鳴を上げながら腰を抜かす。


「おお、来たか」


 その巨大な音にもヒルコは一切慌てることもなく平然としている。


「おい、立て。貴様に見せたいものがある」


 そう言うと、ヒルコはニギハヤヒに宮殿の外に出るようにうながすのだった。

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