六、地上へ③―一行の前に現れた思わぬ“珍客”の正体とは?―

 ドーン、という爆音と共に岩が地面へと落ちる。

 おかげで岩全体が大揺れに揺れる。


「うわっ!」


「きゃっ!」


「おいっ、なんて着陸の仕方するんだ!」


 ニギハヤヒ以下岩の上に乗っていた者たちはそのひどい揺れに恐慌きょうこうをきたす。


「これは失礼いたした、皆様。できることならもう少し東まで飛びたかったのですが、残念ながらこのナナシヒコの呪力が切れてしまった…」


「ジュリョク?」


 ニギハヤヒが申し訳なさそうに言うナナシヒコに質問する。


「はい、この岩は私の呪力で空中を飛んでいたのですが、高天原からここに岩を飛ばすのに予想以上に呪力が必要でした。ゆえについにこのナナシヒコの呪力が無くなり、岩が落ちてしまったというわけです」


「…ふーん、…あんたにもできないことがあるんだな。俺はてっきりあんただったらなんでもできるのかと思ってたよ」


「いやいや、私にも不可能なことくらいはあります。しかしこの辺りはもう目的の地“ヤマト”からさほど離れてはおりません」


「ヤマト?」


「はい、このナナシヒコは中津国の各地をくまなくこの目で見定めました。そしてヤマトこそが高天原より降られたニギハヤヒ殿にもっともふさわしい地であると判断したのです」


「はっはっはっ、そんなにすばらしい場所なのか」


 ナナシヒコの言葉を聞いて、ニギハヤヒは大笑いする。


「はい、それはもう…」


「フッフッフッ、これは今からヤマトの地を見るのが楽しみだ」


 そう言うと、ニギハヤヒは岩から地面へと降りるのだった。



「…ふーっ、何はともあれ着いたわけだ」


 ニギハヤヒは岩から降りると、周囲を見回す。


「…しっかし、すごいところに着陸したもんだ…」


 辺りは小高い丘になっており、そこから少し離れた周辺にはうっそうとした森が広がっている。

 ちょうど岩が墜落した丘の上の辺りだけが木が全く生えておらず、ちょっとした空き地のようになっている。


「…オイオイッ、周りは森ばっかりじゃねえか!」


 そう叫びながらニギハヤヒは頭を抱える。


「これじゃあいくらヤマトが近いっつってもたどり着けるわけねえだろ…」


「いやいや、ご心配には及びません」


 ナナシヒコは頭を抱えながらうずくまっているニギハヤヒを安心させるように肩に手を置きながら、極めて優しい口調で言う。


「…まさか、ここからヤマトに行く方法がわかるって言うのか!」


「クククッ、その“まさか”です!」


 ニギハヤヒの言葉にナナシヒコは自身ありげに答える。


「ハッハッハッ、やっぱりあんたはすごいぜ!」


 ニギハヤヒは口を開けて大笑いしながら言う。


「さて、納得していただけたのならそろそろヤマトに向けて出発しませんとな。いくら道がわかるといってもここでグズグズしている間に日が暮れてしまっては面倒だ」


「ああ、そうだな」


 ナナシヒコの言葉にニギハヤヒは同調する。

 そしてナナシヒコを先頭にニギハヤヒ一行はヤマトへと歩を進めるのだった。



 ニギハヤヒたちが高天原から飛び去ってから数日後のことである。ついに“鳥”の報告によりニギハヤヒが現在ヤマトで“王”を名乗っていることが、アマテラス以下高天原の神々にもたらされた。


 事態を重く見た神々は合議により、地上のニニギの子孫たちと共にヤマトへ討伐軍を下すことを決定した。


 高天原から地上へと降るのはスサノオ、オオクニヌシ、スクナビコナ、ミナカタ、サルタヒコ、タヂカラオの六柱の神々。


 ミカヅチも地上に降ることを強く希望したが、アマテラスやタカギに思いとどまるように説得され断念した。

 アマテラスたちがミカヅチに残るように主張したのは高天原の警備上の理由によるものである。

 すでに高天原に外部から何者かが侵入した可能性がある以上、再びの侵入に備えて腕に覚えがある者を最低一柱は残しておく必要があるとのことである。


 こうして合議を終えた翌朝には六柱の神々はニニギの子孫がいる高千穂宮たかちほのみやへと降っていったのである。



「…ふわあああああー…」


 ミナカタは腰を下ろしながら大きく口を開けてあくびをする。


「…暇だよね…」


 ミナカタのすぐ近くにいるスクナビコナも座りながらぼやくようにつぶやく。


 現在ミナカタたちは海上を東へと進むアメノトリフネの上にいる。


 高千穂宮を出てからはまずは歩いて日向ひむかいの港へ向かい、港を舟で出てからはヤマトを目指して海上を東へ東へと進んできた。


 アメノトリフネにはミナカタたち六柱の神と高千穂宮で合流したイツセとイワレビコの兄弟が乗り込んでいる。


 イツセとイワレビコの二人はニニギの子孫にしてヤマサチの孫に当たる者たちである。


 またアメノトリフネ以外にも数そうの舟が海上にある。それらの舟には各地で集めた人間の兵士たちが乗り込み、アメノトリフネと共に舟団を形成している。


「……」


 ミナカタは相変わらずぼんやりと周囲の風景を眺めている。

 晴れ渡った空には雲一つなく、緩やかなそよ風がほほに当たっている。

 海面も穏やかそのもので波一つ立ってはいない。

 のどか過ぎて眠気すら誘う快適そのものの舟旅である。


 そのときである。


「……?」


 舟団の進行方向の遠くの海上にポツリと小さい何かが見える。


「…なんだ、あれ…」


 その小さなものは次第に舟団との距離を縮めてくる。


 だんだん大きく見えてきたそのものは目をこらしてよく見ると人影であることが確認できる。


「…海の上に人が立っている…?」


 どんどん大きく見えてきた人影はどうやらこちらの方に手を振っていることがわかる。

 しかし冷静に考えてみると、この光景は奇妙極まりないものである。

 なぜなら遠くから見るとどう考えてもその人物が足場のない海上に浮き上がっているようにしか見えないからである。


「…おーい…」


 さらに舟団との距離が縮まると、その人物は右手を振りながらこちらのほうに呼びかけているらしいことがわかる。


「…あれは…!」


 どんどんその人物との距離が縮まり、もはやその姿をはっきり確認できるまでになると、その人物はかつてミナカタも一度会ったことがある人物であることがわかる。


「…あ、あんたは…!?」

「フォッフォッフォッ、いやいや、これはお久しゅうございますなあ」


 その頭から雪をかぶったかのような白髪、長く白いあごひげ、さらに白い着物。

 まさに全身“白づくし”の一度見れば二度と忘れることはないであろう強烈な印象を残す風貌ふうぼう

 それは伝説の“海の翁”シオツチその人である。


「…って、この人亀の上に乗ってるんだけどッ!」


 すでにアメノトリフネの間近まで近寄ってきたシオツチの立ち姿を見てミナカタは驚愕する。

 なんとシオツチは亀の甲羅の上で直立の姿勢をとっていたのである!


「…フン、シオツチよ。久しぶりに出くわしたかと思えばなかなか面白い登場の仕方をするではないか」


 そんなシオツチを見ながらも、スサノオは一切表情を変えることなく仏頂面のまま言う。


「フォーッ、フォッフォッフォッ。相変わらず口が悪いのう、スサノオよ。高天原で長く暮らすうちにもう少しおとなしくなったと思っておったのじゃが…」


 シオツチはニヤリと笑いながらスサノオに対して語りかける。


「…フフン、このスサノオの性格は早々簡単には変わるものではないぞ」


 スサノオは肩をすくめながら答える。


「フォフォッ、それを聞いて安心したわい」


 そう言いながらアメノトリフネのすぐ近くまでやって来たシオツチは亀の背を飛び降りて、舟の上に乗り込む。


「お主がおとなしくなってしまったのではこちらの調子が狂うわい」


「ぬかせ、口の悪さに関しては貴様こそ全く変わっておらぬではないか」


 そう言いながら、今度はスサノオの方がシオツチに対してニヤリと笑いかける。

 それに対してシオツチの方もフォッフォッフォッフォ、と飄々ひょうひょうとした笑いを返す。


「すいません、スサノオ殿。この方は?」


 二人の間にイツセが割って入る。


「こやつはシオツチ、昔からの腐れ縁です」


「フォフォッ、まあ長い付き合いですが…」


「そうですか。初めまして、シオツチ殿。私はイツセ。こちらは弟のイワレビコです」


 イツセ―年は二十前後とおぼしき若者―はすぐ隣にいる弟のイワレビコを紹介する。

 イツセより若いイワレビコはその外見からまだ十五前後と思われる若干じゃっかんの幼さを残した若者である。


「おおイツセ殿にイワレビコ殿か。よく知っておるぞ!」


「えっ!」


 シオツチが自分たちを知っていたことにイツセたちは思わず驚く。


「フォッフォッフォッフォッ、何しろこのシオツチ、かつてお主たちのおじいさんを助けたことがあったものでな」


「ええっ!」


 シオツチの言葉に二人はさらに驚く。


「いやあ、お主たちはヤマサチ殿の若いころにそっくりじゃ!二人とも本当に立派に成長しなされた!」


 こうして思わぬ“珍客”の登場に舟上はにわかに活気づくのだった。

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