十二、高天原への帰還①―戦いの終焉、ヤマサチとウミサチの和解、そして今後は…?―

「…残念ながらあれからヒルコの姿を見た者はいないようですね」

「くっ、やはり逃したか…」


 ヤマサチの言葉にスサノオは悔しそうにつぶやく。


 あれからスサノオはヤマサチ、ウミサチ、高天原から来た者たちで手分けしてヒルコの姿を探してみた。


 しかしヤマサチの集落でも、ウミサチの集落でもその姿を見つけることはできなかった。


 そのため結局ヒルコの捜索は日暮れ前には打ち切られた。


 そしてヤマサチたちは破壊された竪穴式住居の復旧作業をしていた住人たちに、もしヒルコの姿を見かけることがあったら知らせてくれるように伝えた。


 そうして全員でかつてニニギが使っていた高千穂の宮殿に向かい、そこで今晩は泊まることに決めた。


 それから今はニニギの宮殿の大広間にヤマサチ、ウミサチ、スサノオ以下七柱の者たち全員が集まっている。


 しかし、今に至るまでヒルコの姿を見かけたという話は一切ない。

 現時点でヒルコを捕まえるのは絶望的と言っていい状況である。


「くっ、結局あやつにはいいようにやられたわけだ。あやつのおかげで集落は破壊しつくされ、我が息子コトシロヌシも行方がわからない…」


 オオクニヌシは心底悔しそうに吐き捨てる。


「確かにヤマサチ殿らをはじめとして、我らは多くの被害をこうむった。コトシロがどうなったのかがわからなかったのも残念だ。ただ―」


 スサノオは自分の考えを整理しているのか、少しだけ間を置く。


「我らがヒルコと遭遇して何の成果もなかった、というわけではないぞ」

「成果?どんな成果があったというのです?」


 オオクニヌシはスサノオの言葉に驚き、問いただす。


「“情報”だよ。あやつが一方的に喋ってくれたおかげで、あやつのことがずい分とわかったではないか」

「…確かに、ヒルコは自分の生い立ちやこれまでとってきた行動のかなりの部分を長々と話しましたな」

「そうだ。しかもあやつは長い間、おそらくこのスサノオやヤマサチ殿が高台にいたあたりからすぐ近くに潜み、わざわざ我らのほぼ全員があの場所に集まってくるのを待った」

「それはどういう意味があるのでしょう?」

「まず一つには“自己顕示欲”だろうな。己の存在を誇示するにはより多くの人間が自分の話を聞き、加えて自分がより長く自分のことを話したほうがいい。そうすればより強く自らの存在を印象づけることができるからな。ただおそらく理由はもう一つある」

「そのもう一つの理由とは?」

「我々に“恐怖心”を植えつけることだろうな」

「恐怖心、…ですか?」

「ああ、今回のことで我々は二つのことを思い知った。一つはヒルコが人間を鬼に変える魚を持っていること。もう一つはあやつが神出鬼没であらゆる場所に現れる可能性がある事だ。これらの事実を我々が知った以上、今後はこれらのことを完全に忘れて生きるのは不可能だろう」

「それはつまり、…どういうことです?」

「ヤマサチ殿たち、もっと言うならこの中津国で暮らす者たちの日常に重大な心配事ができたということだ。今後は生きていくうえでの心配事は間違いなく増える。まずは魚。今後魚を取って食べるときに、食べた自分達が鬼に変わってしまわないか気をつけなければならない。この問題は極めてやっかいだ」

「なぜです?」

「この中津国に魚を取ることで生活している漁村は多い。彼らに今後魚を一切食べるなとは言えまい。それは彼らにとっては死ねと言っているに等しい。彼らもそれを受け入れることはまずないだろう。ゆえに現時点では人間が鬼に変わる事を完全に防ぐ手段はない」

「…確かに…」

「それはつまり今後中津国の各地で鬼が増えていく可能性があるということだ。そのことが人間と鬼との間の衝突に発展する可能性も否定できない」


 このスサノオの言葉にその場が重苦しい沈黙に包まれる。


「あとはヒルコが直接的に中津国の者たちに与える影響についてだが…」

「やはりあやつは再び中津国に現れるのでしょうか?」

「ああ間違いない。ヒルコの“予言”―自分と鬼が高天原と人間から天下を奪う―あれはただのはったりではあるまい。あやつは口がうまい。おそらく今後あやつはウミサチ殿に対してやったように、人間をたぶらかそうとするだろう。今回のウミサチ殿のように現状に強い不満を抱いている者はこの手の誘惑に惑わされる危険性が高い」

「うーむ、…たとえ気をつけていたとしても、あやつの誘惑を跳ね返すのは難しいのでしょうか?」

「ああ、容易なことではないだろう。ゆえにまずはヤマサチ殿とウミサチ殿にはもう二度とヒルコの誘惑に乗らないと約束していただきたい」


 そう言うと、スサノオはヤマサチとウミサチの方を向く。

 話を向けられた二人はお互いの顔を見てうなずき合う。


「はい、約束します」

「我々は決して誘惑には乗りませぬ」


 二人は異口同音にスサノオ達の前で約束する。

 その言葉にスサノオは一瞬口元を緩める。だがすぐに元の真剣な表情に戻る。


「お二人が約束してくれたことはすばらしいことだ。しかし―」


 スサノオはその表情により深刻さを増した状態で話を続ける。


「この約束はお二人のみならず、あらゆる者たちに行き渡らなければ意味がない。お二人の周囲にいる者たち、そしてそれらの者たち全員の子や孫、さらにその子孫に至るまで、ということだ」


 このスサノオの言葉にその場にいる者たち皆が戸惑う。そして全員が思う。それは本当に、本当に難しいことだ、と。


「…わかりました」

「あらゆる者たちにこの約束を守らせます」


 それでも二人はこの困難な約束を守ると誓うのだった。



「…スサノオ様、…高天原の皆様…」


 ヤマサチはスサノオら七柱の神全員の顔を見ながら不安そうに言う。


 ヤマサチたちがニニギの宮殿で一晩を過ごした翌日、結局スサノオたちは高天原に帰還することにした。


 ヒルコを捕らえることが絶望的となった今、スサノオたちがヤマサチたちの元にとどまる理由は失われてしまっていった。


 そうなれば神々が高天原に帰るのは必然の成り行きである。


 そして今七柱の神が高千穂の峰から階段を上って、高天原へと帰ろうとしている。


 そんな彼らをヤマサチとウミサチが見送りに来ている。


「あなた方が我らの元に来てくれていなかったらどうなっていたことか。皆さんには本当に感謝しております」

「全てがうまく言ったとは言えないが、…我々の中では最善を尽くしたつもりだ」


 ヤマサチの言葉にスサノオが答える。


「実は、…高天原の皆さんにはお願いしたいことがあります」


 ヤマサチが強い決意を秘めた調子でスサノオに言う。


「ほお、…それは何です?」


 スサノオもヤマサチの目をまっすぐに見て答える。


「皆さんには我々だけではなく、我々の子や孫、さらにはその子孫に至るまで見守ってほしい。そしてもし窮地に陥るようなことがあれば、救っていただきたいのです!」


 ヤマサチの訴えにスサノオは自らの言うべきことを整理しているのか、わずかに考えているような仕草を見せる。そして答える。


「我々高天原に住まう者の命は永遠だ。その命の続く限りあなたたちの、そしてその子孫たちの危機には必ず駆けつけよう!」


 スサノオはヤマサチに力強く約束する。


「…それを聞いて安心しました」

「君が代が永遠とわに続かんことを」


 スサノオは最後にそう言うと、階段へと向かっていく。

 他の者たちもそれに続き、高天原へと帰っていくのだった。

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