十一、ウミサチとの戦い⑥―突然の乱入者!はたして何を語る!!―

「ずいぶんと長い間、ここで貴様ら全員が集まるのを待った甲斐があった。おかげですばらしい兄弟の絆というやつを見せてもらったよ。そんな兄弟愛に心を動かされてこのヒルコ、こうして参上したというわけだ」


 ヒルコは両手で拍手をしながら、少しおどけた調子で言う。


「…こいつだ!」


 ウミサチは人影を指差しながら声を上げる。


「俺はこいつの口車に乗って、そのせいで全てを失ったんだ!」

「ははっ、お前がこのヒルコのせいで全てを失っただと。それではまるでこちらがお前を騙したみたいだ」


 ヒルコは肩をすくめながら、白けた調子で言う。


「ああ、そうだ!俺はお前に騙されたんだ!お前が俺の前に現れさえしなければ…!」

「ハーッ、ハッハッハッハッ!」

「何がおかしい!」


 ウミサチが怒りをぶつけたあとも、しばらくの間ヒルコはクックックックッ、と笑い続ける。

 そしてしばらくたつと、笑うのをやめて、再び話し始める。


「いいか、ウミサチよ。こうなった全ての原因はお前にあるのであって、このヒルコにあるのではない」

「何?」

「このヒルコはあくまでもお前に有意義な“提案”をしたに過ぎないのだよ。お前は魚を自分の領民にこちらが与えることも受け入れたし、鬼になった自分の領民にヤマサチの集落を襲わせることも自ら率先して命令したではないか」

「…くっ…」

「…話の途中だが…」


 突然スサノオがヒルコとウミサチの話に割って入る。


「ヒルコよ。貴様は完全に包囲されている」

「ん?」


 ヒルコは顔を上げて周囲を確認してみる。


 ヒルコの立っている位置はスサノオ以下ミカヅチ、タヂカラオ、サルタヒコ、オオクニヌシ、ミナカタに包囲されており、陸上には完全に逃げ場はない。

 またヒルコの背後は崖になっており、下は海である。

 海はいまだに凄まじい勢いで潮が渦巻いており、そこに飛び込むのは自殺行為以外の何物でもない。


「…ふう、このヒルコ、もはやまな板の上の鯉というわけだ。完全に多勢に無勢、戦っても勝ち目はない…」


 ヒルコはそう言ったあと、観念したように首を横に振る。


「だからせめてここで捕まる前にこの状態のまま話をさせてはくれまいか?このヒルコを捕らえることはいつでもできるのだから」


 ヒルコはスサノオの方を見て懇願する。


「…いいだろう…」


 スサノオはヒルコの申し出を受け入れる。


「…そうか、良かった。まずはこのヒルコの生い立ちから話をさせて欲しい。このヒルコは父イザナキ、母イザナミの間に生まれた最初の子供だ。その時は水蛭子(ヒルコ)と名づけられたが、三年経っても体がしっかり出来上がることがなく、立ち上がることができなかった。それゆえ両親は私をあしの舟に乗せて海に流してしまった。そしてワタツミに私を後見して守護するように命じた。当初ワタツミは自らの宮殿の奥の間にこのヒルコを封印していたが、後に出雲の地下の奥深くに場所を移して封印した」

「なぜワタツミ殿はそのような面倒なまねを?」

「ふん、どうやら当初不具の子にすぎないと思っていたこのヒルコが予想以上の力を秘めていることをあやつが知り、恐れをなして、自分の宮殿から遠く離れた場所に封印することにしたらしい。まあいずれにせよ、私は封印されている長い間に力を蓄え、少しずつ自らの身体を完成させていった。そんな時だった、“あの男”が現れたのは…」

「あの男?」

「そうだ。男の名はコトシロヌシ」

「コトシロヌシだって!」


 その名前にオオクニヌシが強く反応する。


「なぜコトシロがお前なんかと接触するんだ!」

「ふふ、コトシロはかつて伊那佐の浜で子供にいじめられている亀を助けたことがあったらしい。そのとき亀はその礼としてワタツミの宮へと案内した。そしてワタツミはコトシロを歓待し、その帰り際にはお土産として“ある呪法”を授けた」

「ある呪法だと?」

「そうだ。それは“天の逆手”と呼ばれる所作をすることにより、青柴垣に囲まれた穴を発生させる。つまり地下の奥深く封印されたヒルコを解き放つ呪法というわけだ。そしてコトシロはその穴に飛び込み、このヒルコを解放しに行った」

「そうか、あのときの行動にはそんな秘密が…」


 かつてコトシロが呪法を使う様子の一部始終を見ていたミカヅチはその時のことを苦々しげに思い出す。


「そういうことだ。おかげでこのヒルコはこうして“力”を手に入れることができた。コトシロには感謝してもしきれんほどだ」

「コトシロは貴様の元に来た後、どうやって貴様を復活させたのだ?」

「ははっ、あの男はこのヒルコの元に来たあと、この私に自分は出雲の者として高天原に復讐したい、と言った。だから私はもしお前がその力の全てをこのヒルコにささげるのなら、お前の願いを叶えてやる、と答えた。するとコトシロはその提案を受け入れたので、私はあの男の“呪力”を受け取り、強力な力を得た。そしてコトシロから受け取った力を使って封印を解き、見事地上に蘇ったというわけだ」

「ちょっと待て、力を失った我が息子は、コトシロはその後どうなったんだ?」

「コトシロ?さあ、知らんな。なにしろあの時は自分のことが何よりも優先される状況だったのでそれ以外のことは…」

「貴様!」

「待て!」


 ヒルコに向かっていこうとするオオクニヌシをスサノオが制止する。


「何ゆえ止める、父上!」

「もし下手にこやつに襲いかかればこやつはここから逃げ出すぞ!」

「な!」

「ははっ、もう気づいていたか。なかなかやるな、スサノオ」

「はじめに貴様がここに現れたときからおかしいと思っていた。こやつはここにやってくると同時に、崖を背にした位置に自ら進んで歩いていったのだ。それは一見自分で自身を追いつめるようなものだが…」

「はーっはっはっはっ!」


 ヒルコはスサノオの言葉を大声で笑ってさえぎる。


「そうだ。このヒルコが崖を背にしているのはすぐに後ろの海に飛び込むためだ。つまりここにいるのは自らの退路を確保するためというわけだ。このヒルコ、海で活動することには何の不都合もない体をしているのでね。ははっ、いいぞスサノオよ。そうでなければ面白くない」

「ふん、貴様のお世辞などこのスサノオには必要ない。早く話の続きをしたらどうだ。まだまだ話し足りないのだろう?」


 スサノオはヒルコにさらに話を続けるよううながす。


「ははっ、そうとも。まだまだ話したいことがある。さてこのヒルコは封印を解いたあと、再びワタツミの宮に戻った。まあコトシロは洞窟の奥に置いてきてしまったわけだが。ただその代わりと言ってはなんだが、あやつの願いを―高天原への復讐というやつを―実行してやろうと思ったのだ」

「なに!」


 このヒルコの言葉にはミカヅチが強く反応する。


「くくっ、まあ話を聞け。ただコトシロの力を得たとはいえ、まだ当時の私には力が不足していた。それゆえもうしばらく眠り、力を蓄える必要があった。そうしてまたしばらく、ワタツミの宮で長い眠りについた。そんなあるときのことだ。ワタツミの宮に興味深い噂が流れ、それがこのヒルコの耳にも入った」

「興味深い噂?」

「そうだ。地上にニニギという男が高天原から降りてきたという噂がワタツミの宮にまで届いたのだ。その話を聞いた私は本格的に地上での活動を始めることにした。まずはニニギの宮殿があるという高千穂に行き、本人に接触した。そしてニニギの信頼を得ると、笠沙の岬という所に案内し、そこでオオヤマツミの双子の娘と結婚することになった。私が姉のイワナガヒメと、ニニギが妹のコノハナサクヤヒメとそれぞれ結婚した」

「ふっ、貴様が結婚とはな…」

「ははっ、全ては力を手に入れるためだ。すでにこのヒルコとイワナガヒメの間には子供も生まれている」

「子供だと?」

「そうだ。ニニギとコノハナサクヤヒメの間にはウミサチ、ヤマサチのような“人間”が生まれたのに対して、私とイワナガヒメの間には“鬼”が誕生した」

「“鬼”だと?」

「そうだよ!まあ今回は私の子供たちは連れてきてはいないがね。今はイワナガヒメ共々ずっと東の方にいるよ」

「つまりは鬼の生まれ方は一つではないというわけだな」

「そういうことだ。鬼には二種類ある。一つは私とイワナガヒメの子供たち。もう一つは“私の海の幸”を食べた人間が鬼に変わった者たちだ。今回のウミサチの集落の者たちのような連中だな。さて、話を本筋に戻すとしよう。このヒルコは結婚したニニギと離れ、いったんはイワナガヒメと共に東に向かったあと、しばらくして再び力を蓄えるためにワタツミの宮へと戻った」

「ふん、ずいぶんと頻繁に力を蓄える必要があるんだな」

「ははっ。まあ力というものは多すぎて困るという事はないのでね」


 そう言って、ヒルコは肩をすくめる。


「そしてまたしばらくの間、ワタツミの宮で眠り続けた。そうしてそんなあるときにヤマサチたちがワタツミの宮にやってきて…」

「このスサノオが貴様と初めて遭遇した…」

「そういうことだ。正直に言って、あの時貴様がこのヒルコの前に姿を現したのは、完全にこちらにとって想定外のことだった」

「それにしても何ゆえワタツミ殿は貴様をかばい立てするようなまねをするのか?」

「ふん、あやつは義理堅い性格ゆえに我らが父母との約束を忠実に守りたいのであろう。それゆえこのヒルコに恐れを抱きつつも、どうこうしようという気はないらしい。まあそれはこちらにとっては実に都合のいい話だ」

「何?」


 ヒルコの言葉にスサノオは顔をしかめる。


「はっはっはっ、あいつは人がいいからな。利用しがいのある奴だよ!これからこのヒルコが力を今以上に蓄えれば、じきにワタツミの心を完全に操ることもできるだろうよ!」


 ヒルコはそう言って、はっはっはっ、としばらく笑い続ける。


「…おっと、少し笑いすぎたな」


 ヒルコはふと我に返ると、にやっ、と笑ったあと、話を再開する。


「そして貴様らが地上に帰ったあと、私はワタツミからヤマサチたちが抱えている事情やそれに対してあやつがどう対処したかについて話を聞いた。そこでヤマサチとあまり関係が良くないウミサチを利用することを思いついたのだ」

「くっ、それで俺の前に現れたのか」


 ウミサチは苦々しげに言う。


「そういうことだ。私はワタツミの宮を出てウミサチに会い、ヤマサチへの復讐を持ちかけ、そのために食べれば鬼になる魚も与えた。まあ、残念ながら“復讐”は失敗に終わってしまったがね。ただこれはある程度は予測できていたことだ。まだこのヒルコの力が十分ではなかったというだけの話だ。それに少なくとも“実験”は成功に終わった」

「“実験”だと?」

「そうだ!このヒルコがワタツミの宮で育てた魚が人間を鬼に変える力があることが実証されたわけだ!これから中津国の多くの人間が鬼へと変わることだろうよ!そうなればヤマサチとその子供たちも安心して生きることなどできはすまいよ!そしていずれはこのヒルコと鬼たちによってこの中津国は支配されるときが来るのだ!そのときこそがこのヒルコの“前進勝利”の完成のときだ!」


「…前進勝利!」


 スサノオはその言葉に強く反応する。

 それはワタツミの宮で何度も聞いた言葉。

 今となっては忘れたくても忘れられない忌まわしい響きすらする言葉である。


「そうだ!前進勝利だ!この前進勝利を成し遂げるためにこそこのヒルコは生まれてきたのだと言っていい!」


 ヒルコは答えながら不敵に口元をゆがめる。


「フン、前進勝利とやらはそんなに大事な言葉なのか!ならばどういう意味なのか説明してもらおうか?」


「ああ、いいとも!」


 スサノオの問いにヒルコは即答する。


「前進とは文字通り“前に進むこと”。しかしそれは勝利という目的のために前進するという意味ではない。前進することは勝利することと同一。つまりは“前進勝利”とは“前進即勝利”という意味だ!」


 ヒルコはなおも話を続ける。


「この前進を永遠に続けることにより勝利も永遠のものとなる。永遠の前進こそ永遠の勝利。これが“前進勝利”の完成だ!」


「それはおかしいぞ!」


 絶叫するように話すヒルコにスサノオが割って入る。


「この世で永遠に生きられるのは高天原の住人のみ。地上の者で永遠に生きられるものなど存在しない!」

「ハーッハッハッハッハッ…!」


 スサノオに言葉にヒルコは高笑いで答える。


「…何がおかしい?」

「…クックックックッ…」


 スサノオは顔をしかめながら問いただす。

 その様子をヒルコはおかしくて仕方がないと言わんばかりに、ニヤニヤとした表情で見つめる。


「…お前は人魚を知っているか?」

「…人魚?」

 う

 ヒルコの言葉に意表を突かれたスサノオは一瞬口ごもる。


「人魚のことでしたら聞いたことがあります」


 スサノオに代わってオオクニヌシが答える。


「あくまでうわさで聞いたに過ぎないのですが…、人魚の肉を食した者は不老不死になれるとのことです」

「不老不死!まさか…」


 スサノオはヒルコの方を凝視する。

 そしてヒルコの自信が全く揺るがない理由を想像する。

 それはまさに最悪の想像である。


「そのまさかだ!」


 ヒルコは相変わらず不敵な笑みを浮かべながら答える。


「ワタツミのヤツに人魚を探してくれるよう頼んだら思いのほかあっさり見つかってな。美味しくいただかせてもらったよ」


「…ということは…」


 スサノオはうめくようにつぶやきながら、ヒルコをにらみつける。


「…そういうことだ!今のヒルコは正真正銘の不老不死というわけだ!」


 そう言うと、ヒルコはワーッハッハッハッ、と今までで一番大きな笑い声を上げる。


「この不死身の肉体をもってすれば“前進勝利”の完成は妄想などではない。現実的に実現可能な目標なのだ!」


 そう叫ぶと再びヒルコは高笑いをする。


「また“前進勝利”か。よくもバカの一つ覚えのように同じ言葉を何度も繰り返せるものだ」

「ハーッハッハッハッ!」


 ヒルコはスサノオの皮肉に大笑で返す。


「何がおかしい?」

「…クックックッ、いやいやスサノオよ。貴様は“バカの一つ覚え”という言葉を“前進勝利”を文字通りバカにする意味で使ったのかもしれないが…」


 ヒルコは相変わらずおかしくてしょうがないという様子で話を続ける。


「…それは最高のほめ言葉だぞ!」

「何?」


 ヒルコの言葉にスサノオは思わず怪訝けげんそうに眉をひそめる。


「こういうときに使う言葉というものはとにかく単純明快であるべきなのだ!幼い子供、あるいは救いようのないバカにでも理解できるような言葉が必要なのだ!」


 ヒルコはさらに雄弁にまくし立てる。


「“バカの一つ覚え”、大いに結構!“前進勝利”こそが単純明快にして唯一絶対の真実だ!」


「…ふん、どうやら貴様との間にはまともなやり取りは成立しないらしいな…」


 スサノオは苦虫を噛み潰したような表情で言う。


「…ふう、…もっともさすがに今の状況では“前進勝利”の実現は厳しすぎるな。しばしの間引いてやろう」


 ヒルコはやや落ち着いた調子で言う。

 だがその顔には相変わらず不敵な笑みが浮かべられている。


「フン、逃げ出すつもりか?臆病者が!」

「逃げ出す?戦略的撤退と言ってもらいたいものだな」


 スサノオの挑発をヒルコは余裕を持ってかわす。


「…許さん…」


 スサノオはうめくようにつぶやく。


「…前進勝利だかなんだか知らんが、そんなものはこのスサノオが、高天原が断じて許さん!」

「はっはっはっ、口ではなんとでも言えるな。ならばこのヒルコがここで“予言”をしておいてやろう」


 そう言うと、ヒルコはスサノオ、ヤマサチ以下、その場にいる者たち全員を見渡す。


「このヒルコは鬼共を率いて高天原とヤマサチの子孫たちの天下を必ず奪う!ウミサチのような、弟への嫉妬にとらわれた下らんやつとは比較にならないほど、強力な鬼たちを引き連れて再び貴様らの前に現れると約束しよう!そのときが来るのを楽しみに待っているがいい!では、さらばだ!」


 そう言うやいなや、ヒルコは体を反対に向けて、海に向かって飛び込む。


「いかん、ヤマサチ殿、塩乾玉を!」


 スサノオは素早くヤマサチの方を見て叫ぶ。


「は、はい!」


 ヤマサチはスサノオに言われた通りに塩乾玉を袋から取り出すと、海の方に向ける。

 すると、それまで満ちていた潮が急速に引いていき、集落が完全に姿を現す。


「さあ、行くぞ!」


 すぐにスサノオは集落に向かって走り出す。

 そんなスサノオにヤマサチ以下その場にいる者全員が続くのだった。

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