十、ウミサチとの戦い⑤―全てを飲み込む大津波!そしてウミサチとヤマサチは!!―
「ただいま戻りました!」
オオクニヌシはスサノオの元にたどり着くと、すぐに帰還を報告する。
「全員無事か!」
スサノオはオオクニヌシと共に帰ってきた者たちの顔ぶれを見てみる。
そしてとりあえず自分の顔見知りの者は全員いることを確認する。
「残念ながら数十名ほどの者は助けることができませんでした…」
「くっ、そうですか…」
オオクニヌシの言葉にヤマサチは悔しそうに唇をかむ。
「…いえ、しかし皆さんはできる限りの事をしてくれた。ありがとうございます」
しかし、しばらくして気を取り直すと、ヤマサチはオオクニヌシたちに礼を言う。
「せっかくの話ではあるのだが、ヤマサチ殿…」
そんなヤマサチにスサノオが割って入る。
「…なんでしょう、スサノオ殿…?」
「あなたにはまだやるべきことが残っているはずだ。我々に礼を言うのはその後でも遅くはありますまい」
「…やるべきこと、…そうか…」
「そうです。ワダツミ殿からもらった“玉”。使うとしたら今を置いて他にありますまい。何よりそのために皆を高台に避難させた」
「…しかし、玉は…」
ヤマサチはその表情に明らかなためらいの感情を見せる。
「まだ下には兄がおそらく…」
「ヤマサチ殿」
スサノオがヤマサチの言葉をさえぎって言う。
「これはもはやあなたと兄君だけの問題ではない。あなたの決断には多くの者の運命が関わってくる。もし今あなたが“玉”を使わなければ、結局集落の者たちは今後怪物たちにおびえながら暮らすことになるでしょう。ミカヅチたちが駆逐した怪物以外にも生き残りがいないという保証は一切ありませんぞ」
スサノオはヤマサチの目を見て静かに、しかし強い調子で“決断”をうながす。
「…わかりました…」
ヤマサチは観念したように言うと、用意していた袋の中から塩満玉を取り出す。
「…では、行きます!」
そしてヤマサチは塩満玉を集落、その先には海がある東の方角に向ける。
そうしてしばらくすると、遠く海のほうからゴゴゴゴゴ、という低い音と共に巨大な津波が押し寄せてくる。
その巨大な波はヤマサチの集落もウミサチの集落も一切関係なく、全てを一瞬で飲み込んでいく。
ああ、うちの田んぼが、私たちの家が。
その様子を見ている住人たちから悲鳴が上がる。
田畑も家も、己の命以外は全てがなくなってしまった。
その様子を何もできずにただ見ることしかできない。
そのあまりの無力感に涙を流すものも少なくない。
そしてついには集落全体が海水に飲み込まれてしまう。
「…くっ…!」
ヤマサチはそのあまりに残酷な光景を直視することができず、うつむく。
「…おーい…」
そんなヤマサチの耳に何者かが叫ぶ声が聞こえる。
その声が気になるヤマサチは再び顔を上げて、集落を飲み込んだ海の辺りを見てみる。
「…おーい、…助けてくれ…!」
「…兄上…?」
ヤマサチは聞き覚えのある声のする方向を見てみる。
そこには確かにほんの小さくではあるが、人が顔を海面から出し、必死にもがいているのがわかる。
「あにうえーっ!」
ヤマサチはその遠くに見える人影の方に、必死に手を振りながら呼びかける。
「…そうだ!」
そのときヤマサチはあることに気づき、袋の中に手を入れる。
「…この塩乾玉を使えば…」
「それはだめだ!」
しかし塩乾玉を袋から取り出そうとするヤマサチをスサノオが制止する。
「なぜです?これを使わねば兄上を助けることが…!」
「今それを使えばあなたの兄だけでなく、化け物どもも助けることになる。それは断じてできない!」
「くっ…!」
「ヤマサチ殿」
ヤマサチとスサノオの会話にいきなりサルタヒコが割って入ってくる。
「なんです?サルタヒコ殿」
「もしあなたのお許しがいただけるなら、このサルタヒコ、あなたの兄君を救出に向かおうと思いますが」
「なっ!」
「できるのか?」
そのサルタヒコの突然の申し出にヤマサチのみならずスサノオも驚く。
「私は風の力を自由に操ることができます。その力で兄君の元へ行き、その体を引き上げ、ここに戻ってきます」
「…そんなことができるならば、ぜひお願いしたい!」
「承知しました」
サルタヒコがそう言うと、その周囲に猛烈な突風が吹き荒れる。
「うわーっ」
そのあまりの突風に、スクナビコナは思わず近くにいたミナカタの
そしてそのすぐあと、自ら吹かせた風に乗ってサルタヒコは一気に空高く飛び上がる。
「すげー、本当に空を飛べるんだ!」
サルタヒコが空を舞い上がる様にスクナビコナは歓声を上げ、他の者たちも思わず見とれる。
そうして空に飛び上がったサルタヒコはそのまま海上をおぼれているウミサチの方に向かっていく。
「…助けてくれー…!」
相変わらずウミサチは海上に頭と手だけを出し、助けを求めている。
そんなウミサチにサルタヒコは近づき、何とか手を伸ばしてウミサチの体のどこかをつかもうとする。
ウミサチもサルタヒコの存在に気づき、必死に手を伸ばそうとする。
「…くそっ…!」
しかし海上でおぼれているウミサチと、風の力で空中に浮いているサルタヒコのお互いの位置はどうしても不安定になってしまう。
そのためなかなかサルタヒコがウミサチを捕まえることができない。
サルタヒコはウミサチに近づいては遠ざかる、という動きを三回繰り返す。
「…あと少しなのに…」
ヤマサチ以下、高台にいる者たちはその様子を、固ずを飲んで見守る。
そんな長いような、短いような時間がしばらく続く。
「…やったー!」
しかしそんな時もスクナビコナの歓声と共に終わりを迎える。
ついにサルタヒコがウミサチの体をがっちりとつかむ。
そしてウミサチの体を背後からわきの下を両腕で抱えた状態で、サルタヒコはヤマサチ達の元へと帰還する。
「兄上!」
「…ウミサチ…」
ヤマサチはすぐにウミサチの元へと駆け寄り、その身を案じる。そしてすぐにサルタヒコにも声をかける。
「…サルタヒコ殿、このたびの恩は一生忘れませぬ」
「…いや、まずは私よりもウミサチ殿の方を…」
「…はい…」
ヤマサチはウミサチの手を取り、その目を見る。
「…兄さん、よかった…」
その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「…ヤマサチよ、…俺は取り返しのつかないことをしてしまった…」
ウミサチはその表情に後悔の色を浮かべながら、ヤマサチに言う。
「…ということは、…やっぱり…」
「ああ、お前たちの集落を襲った連中は皆俺の命令を受けた者たちだ」
それはヤマサチとしては信じたくない事実であったが、もはやウミサチ本人の口から語られている以上、否定することはできない。
「俺は釣り針をなくしたはずのお前がうまくいき、自分が何をやってもうまくいかないのが、ねたましかったし、腹立たしかった。そんな時だ、“あの男”が俺の前に現れたのは…」
「“あの男”って?」
この後ウミサチはヤマサチたちに全てを告白した。
ヒルコのこと。食べると怪物になってしまう魚を、ヒルコが舟に積んで運んできて、自分の集落の者達に食べさせたこと。怪物のことをヒルコは“鬼”と呼んでいたこと。ヒルコの口車に乗って、ヤマサチの集落を襲撃するよう鬼たちに命じたこと。自分は鬼になってしまう魚を食べることと、自ら人を殺すことだけはしなかったこと。
それらの告白全てがヤマサチ以下、その場にいる者全員にとって衝撃的なものである。
「…俺は、全てをぶち壊してしまった。みんな俺のせいだ…」
最後にそう言うと、ウミサチは泣き崩れる。
「…いや、そうじゃない。兄上、悪いのは自分の方だ」
「なっ、そんなわけは…」
驚くウミサチにヤマサチはさらに続ける。
「自分がもっと早く兄上を助けていればよかったんだ。正直に言うなら兄上、僕はあなたを避けていた、恐れていたんだ。だから正面から向き合うことができなかったんだ」
「…そうか、…もっと早く互いの心を開いていたら…」
「…いや、それは今からでもできるよ…」
「…それはどういう意味だ…?」
戸惑うウミサチにヤマサチは強い調子で訴える。
「今から二人で協力して集落を再生させるんだ!家が壊れているならもう一度建てればいい!田畑が荒れているならまた耕せばいい!失われた命だってまたたくさん子供を生んで増やすことができるはずだ!どれだけ時間がかかったって、もう一度集落を元通りに、いやこうなる前以上にするんだ!だから兄上、またやり直そう!」
そしてヤマサチは倒れているウミサチの両手を握り、その目を見る。そんなヤマサチの両目からは次々としずくがこぼれ落ちる。
「…そうだな…」
そうつぶやくと、ウミサチは自らの力で上体を起こす。
「…お前の言う通りだ。ヤマサチ…」
ウミサチはそう言いながら、ヤマサチの目を見つつ、そのヤマサチの手を強く握り返す。
「…ただし一つ条件がある…」
「…条件って、…何…?」
ヤマサチが、ウミサチがどんな条件を自分に出そうとしているのかわからず、戸惑う。
「…それは、お前が父ニニギの後をついで、この集落全体を治めることだ」
「そんな、兄さんを差し置いて、それはできない…」
「…ふっ、お前はどこまで人がいい奴なんだ。俺はすでにあまりにも多くの人の運命を狂わせてしまった。そんな俺にこの集落を率いる資格などがあろうはずもない」
「…でも…」
「ふん、お前がこの集落を率いる気がないというのなら、俺はお前に協力なんてしないぜ」
それはヤマサチの兄だったウミサチの最後の意地というべき言葉である。
「…わかったよ。兄上、…ありがとう…」
「ふふ、これからはこのウミサチ、お前に仕えさせてもらうとしよう」
「…そんな…」
「ははっ、これでいい、これでいいんだ。こうなればもはやこの集落の中でお前に逆らう者など二度と現れまい」
ウミサチはそう言いながら、愉快そうに笑う。
「…そうか…」
ヤマサチはウミサチのさりげなく自分の背中を押してくれる言葉に、心の底から喜びを感じる。
「ハーッ、ハッハッハッハッ…!」
その時である。
突然辺りにこの場の雰囲気にはおおよそ似つかわしくない笑い声が響き渡る。
そしてしばらくすると、海側とは反対側の山側の、森になっている木々の間から人影が現れたのだ。
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