七、ウミサチとの戦い②―ウミサチ驚愕!人間が鬼に変化!!…そして…?―

 ヒルヒコとウミサチは屋敷を出て、集落の中を歩き始める。


 柵、竪穴式住居、田畑、それはウミサチにとっていつもの見慣れた光景、…のはずであるのだが。


「…なんだ、…あれは…」


 突然ある住居の入り口から何者かが出てくる。


 そしてその者はウミサチの方に向かって歩いてくる。


「これは、ウミサチ様。おはようございます」

「誰だ、お前は!俺はお前のことなど知らないぞ!」

「え、そんな!私はイチヒコでございますよ!生まれてからここにずっと住んでいるのです」

「イチヒコだと!ふざけるな!自分の顔をよく見てみろ!」

「…え…?」

「お前はもう俺の知っているイチヒコではない!人間の姿などしていないんだ!」

「…そ、…そんな!」


 イチヒコはあわてて自分の住居に戻ろうとする。

 しかし家の入り口に体がつかえてうまく入ることができない。


「…あ、…あれ、なんで、…なんで入り口がこんなに狭いんだ?」

「…いや、…入り口が小さいんじゃなくて、…お前が…」


 ウミサチはイチヒコを指差して言う。


「…お前が、…お前が以前より大きくなったんだ!」

「…な!」


 二人はがく然としたままお互いを見る。


「ああ、ちょっとすいませんが、イチヒコ殿」


 ヒルコは極めて冷静にイチヒコに声をかける。

 その様子は完全に気が動転している二人とは対照的である。


「…え…」

「あなたの体が大きくなったといっても、しゃがめばぎりぎり中に入れるはず」

「…あ、本当だ!」


 イチヒコはヒルコに言われたとおりにしゃがんで入り口から入ろうとしてみる。

 確かに横が少しきついが、なんとか中に入ることに成功する。

 そうしてイチヒコは家の中にある鏡で自らの顔を確認してみる。


「…あーーーーーーーーーーっ!」


 家の中から集落中に響くか、と思えるほどの大きさの絶叫が響き渡る。


「化け物になっちまった!化け物になっちまったよ!」


 家の中からイチヒコの悲痛な叫びがなおもこだまする。


「…ヒルコ殿、これはいったい…?」


 ウミサチはすぐ近くにいるヒルコに詰め寄りながら言う。

 イチヒコがこんなことになった原因として考えられるのは、ヒルコが彼に与えた“食料”以外にはない。


「ふふふ、おめでとうございます、ウミサチ殿。イチヒコは生まれ変わったのですよ」

「“おめでとうございます”だと?ふざけるな!なんでこんなことになるんだ!」


 ヒルヒコの胸倉を右手でつかみながら、ウミサチは激しく興奮している様子でヒルコを問い詰める。

 そんなウミサチとは対照的に、ヒルコは冷静な態度を一切崩すことなく話す。


「クックックッ、何をそんなに熱くなられているのです、ウミサチ殿?こんなめでたい話はそうそうあるものではないというのに…」

「何を言っているんだ!イチヒコは化け物になったんだぞ!あんたが持ってきた“食料”に原因があるんじゃないのか?」

「ハーッ、ハッハッハッ!」


 ヒルヒコは突然大笑いする。


「何がおかしい?」

「ははっ、いやいやまさにあなたが言われた通りだ。このヒルコが持ってきた魚にこそイチヒコの変化の原因がある。イチヒコはこの私の魚を食べたことによって“人間”から“鬼”へと進化を遂げたのです」


 ヒルヒコは実に嬉しそうに話す。


「…人間から鬼に“進化”だと…?」

「そうですとも。このヒルコが持ってきた魚は私がワタツミの宮でひそかに育てていた物だ。その魚には食べると姿を鬼に変える力があるのだ。まあ姿が変わるには実際に魚を食べてから三日ほどかかるがね。そしてその三日目が今日というわけだ」

「…そんな…」

「もっとも人間で実際に試してみるのは今回が初めてだ。だが“実験”は見事成功だ!」

「何が“実験は成功”だ。ふざけるなよ!」

「はっはっはっはっ、何ゆえそんなに怒っているんだ?こんなに喜ばしい話もないというのに…」


 ヒルコは本当に愉快そうに話す。その様子は怒っているウミサチをあざ笑っているようですらある。


「喜べるわけないだろう!お前はイチヒコの人生をめちゃくちゃにしたんだぞ!」

「はっはっ、だからその考え方が間違っているのだよ」

「なにっ!」

「お前はイチヒコが人間から鬼に変わってしまった事を悲劇か何かのように考えているようだが、そうではない。イチヒコは鬼に変わったことはむしろこの男のすばらしい一生の始まりなのだよ。イチヒコは鬼に変わった事により、人間よりも遥かに強い力、そして人間の十倍もの寿命を手に入れることになる。それに比べれば人間の生などくず同然だ」

「…な、ならばイチヒコの容ぼうはどうなんだ!あんな化け物じみた顔になって…」

「ああ、顔のことか。…まあ、あれは“変わることへの代償”といったところだ」

「変わることへの代償?」

「そうだ。イチヒコは人間から鬼へと生物的に進化したわけだが、その代償として醜い顔になってしまったわけだ。まあ変化に痛みはつきものだ。新たな生物へと進化するためにはやむをえない犠牲というわけだな。それにだ…」

「…それに…?」

「今さらそのことを気にすることは大した意味もあるまい。何しろお前の領民たちは皆似たような顔になっているだろうからな」

「そういえば!」


 このヒルコの言葉を聞いたとき、ウミサチは重大なことを思い出す。


 これまでのヒルコの話が全て真実なら、イチヒコのみならず他の集落の者たちも“鬼”に変わっているはずである。


 そのことに気づくやいなや、猛然とヒルコ以外の者の住居を見て回るために走り出すのだった。



「おや、ウミサチ殿。どうされましたかな?」


 ヒルコは真っ青な顔をして、とぼとぼと歩きながら戻ってきたウミサチに声をかける。


 それは十分に予想できたことではあった。


 しかしその現実を心から受け入れるのは容易なことではない。


 残念ながらヒルコの言葉は正しかった。


 ウミサチの領民たちは皆鬼になっていたのだ!


 男は頭から二本の角が生え、口の中にも牙が生えていた。

 そして体はかつての一・五倍程の大きさになり、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうにもなっていた。


 女は男に比べると身体的な変化はあまり目立たなかったが、頭の角と牙は男と同様にあった。


「…とんでもないことに、…とんでもないことになった…」


 ウミサチは立ち止まってうつむいたまま、ぶつぶつとつぶやくように言う。


「はっはっはっはっ、ウミサチよ。いい加減現実を受け入れたらどうだ」

「…現実…?」


 ヒルコの言葉にウミサチは相変わらずつぶやくように返す。


 もはやウミサチにはヒルコの言葉に怒ることもできないほど心が壊されている。


「そうだ。先ほども言ったが、これは“変化の痛み”というやつだ。だがこうしてお前の民たちが皆鬼になったことで今やお前は強力な力を手に入れたわけだ」

「…俺が、…力を…」

「そうだ!考えてもみよ。今人間よりも強い力を持つ鬼たちをヤマサチたちにぶつければ、やつをひねるのは極めて容易なことだ。これはあの男に復讐するまたとない好機だ。後はお前が魚を食べて鬼になりさえすれば全てが完璧…」

「…嫌だ…」


 ヒルコは舌打ちし、心の中でウミサチのことを、臆病者が、とののしる。


 もはや心を壊されたと思われていたウミサチだが、少なくとも自分が鬼になることを拒絶するだけの分別は持ち合わせているようだ。


「…まあいい、…ならばお前がやるべきことはただ一つ、お前がヤマサチに感じた以上の苦痛をあの男に味あわせてやることだ」

「…ヤマサチに、…苦痛を…?」

「そうとも!お前が今までヤマサチにどれほどの苦しみを与えられたかもう一度思い起こしてみよ。お前はすべてが終わる一歩手前まで追い詰められたのだぞ!」

「…そうだ、…あいつのおかげで…」


 ウミサチの顔がヤマサチへの怒りと憎しみで歪み始める。


「ははっ、いいぞ、その通りだ!あいつに目にものを見せてやるのだ!もっと怒り、もっと憎むのだ!それがそのままヤマサチを倒す力になる!」

「…ヤマサチィィィィーーーー!」

「さあ、行こうではないか!“あの男”の待つ場所へ!」


 ヒルヒコはウミサチの耳元で言う。


 もはやウミサチの心に迷いはない。


 男の鬼たちに思い思いの武器を持たせ、その“異形いぎょうの軍隊”を率いてヤマサチの集落へと向かうのだった。



 空は雲ひとつない清々しい快晴である。


 ウミサチの集落と隣り合うヤマサチの集落では、領民たちが朝から農作業に精を出している。


 今日は田んぼの収穫の日であるため、多くの者が石包丁で稲を刈っている。


「…うわああああああー」


 遠くの方から突然誰かの大きな悲鳴が集落中に響き渡る。

 あまりの大声に、稲刈りをしていた者たちもいったん作業の手を止め、悲鳴がした方角を見る。


「助けて!」


 今度は悲鳴が聞こえた方から女性が一人走ってくる。


 その女性の近くに皆が何事か、と近寄っていく。


「化け物だわ!化け物が現れて人を襲っているの!早くヤマサチ様に!」

「わかった!」


 その女性の声に一人の男が答え、そのままウミサチの屋敷の方へと走っていくのだった。

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