六、ウミサチとの戦い①―ヤマサチ、ウミサチに呪いをかける!…そのときウミサチの前に“アイツ”が…―

「…ふー」

「…意外に早く着いたな」


 ヤマサチ一行は出発するとき“舟”を作った日向の浜辺に戻ってくる。


 鮫は海中をとんでもない速さで泳いだ。


 最初ワタツミの宮を出発してから海面に出るまでは、鮫の背の上で、一行は息を止めていなければならなかった。

 しかし案外すぐに海面に出たため、その後は息苦しくなることもなかった。


 そして海面を一気に浜まで泳いで進み、なんと日没前には浜まで着いてみせたのである。


 浜辺に着いたあと、一行はここまで送ってくれた鮫たちに礼をいい、鮫たちはワタツミの宮へと帰っていった。


「…さて、ヤマサチ殿。これから我々はどうするべきか?」

「はい、できれば皆さんには私の屋敷にとどまって欲しいと思います。兄が今後どういう行動をとるのかも気になりますし…」

「ちょっと、あれを見てよ!」


 スサノオとヤマサチが話しているときに、突然スクナビコナが天を指差しながら言う。


 その指が指し示す先には。


「…きじ、…高天原からの使いか?」


 雉は一行の頭上を飛び回り、盛んにケーン、ケーンと鳴いている。


「スクナよ、なんと言っている?」

「うん、自分はあなた方が舟でここを去った後もいずれここに戻ってくると見て、ずっとここで待っていた、って…」

「…ふむ、それはご苦労なことだ。…それで、…何か伝えたいことがあるのではないか?」


 引き続きスクナビコナが高天原の雉の言葉を“翻訳”する。


「ええと、自分はタカギ様たちの命を受け、ここ数日間ウミサチの動向を調べていた。その結果言えるのは、ウミサチはかなり偏狭へんきょうな性格である。そしてヤマサチ様に釣り針を返すように強硬に言ったのも、どうやらヤマサチ様を困らせてやろう、という魂胆こんたんがあってのことらしい」

「…そうですか。ワタツミ殿もよく似たことを言われていたな…」

「そのことを高天原に報告したところ、アマテラス様から高天原全体の意思として今後はニニギ様の後継者をヤマサチ様とし、スサノオ以下高天原から遣わされた者たちは今後ヤマサチ様を助けるべく行動するように、って言ってる」

「わかった。ご苦労だった、もう高天原に帰ってくれていいぞ」


 スサノオがそう言うと、雉は最後にケーン、と鳴いたあと、空に向かって飛び去っていく。


「…ヤマサチ殿、ひとまずあなたの屋敷に案内していただきたい。話はそれからだ」

「わかりました。では皆さん、どうぞこちらへ」


 こうしてヤマサチの案内で一行は屋敷へと向かうのだった。



「…それでは今後のことですが…」


 部屋でヤマサチと二人になったあと、すぐにスサノオは話を切り出す。


 今ヤマサチの部屋にいるのはヤマサチとスサノオの二人きりである。


 この屋敷についたあと、他の者たちには屋敷の他の一室で待機してもらうことにした。


 今後の問題を考えるのは大人数よりも二人の方がいい、というのがヤマサチとスサノオの双方で一致した見解だった。


「ひとまずはワタツミ殿が言われた通りに行動されるのがよろしいかと。それとあなたが高天原からニニギ殿の後継者と認められたことを、ウミサチ殿に話して…」

「そのことですが…」


 ヤマサチはスサノオの話を途中で止めて話し始める。


「私はまだそのことを兄に話すつもりはありません」

「話さない、何ゆえ…?」

「私は兄との関係を父の後継者とそうでない者、としてではなく、純粋に“兄弟”として修復したいのです」

「兄弟として?」

「はい、もし私が父の後継者として認められたことを兄に話せば、その瞬間私たちの関係は“主従”になってしまいます。しかし私はそうしたくはない」

「…率直に申し上げますが…」


 スサノオはいったん話を止めると、一呼吸置いて再び話し始める。


「…その考え方はあまりにも甘すぎるというものでは?」

「甘すぎる?」

「そうです。これまでの経緯から言って、あなたの兄があなたに歩み寄ってくる可能性は非常に低い。あちらはあなたと和解するつもりなど毛頭ないでしょう」

「…ふう、あなたもワタツミ殿に近い考えを持っておられるというわけか?」

「その通りです」

「そうですか。しかし…」


 ヤマサチは少しの間うつむく。そしてもう一度スサノオの目をまっすぐに見すえながら言う。


「私は決して兄との和解の道を閉ざしたくはない。決してです!」

「…ふう…」


 スサノオはヤマサチの強い決意を知り、両腕を組んで考える。


「…そうか、…わかりました…」


 スサノオはヤマサチの意向を了承する。


「…ただ…」

「ただ、なんです?」

「ワタツミ殿が以前言われたことは忠実に実行していただく。これはこのスサノオの譲れない一線だ」

「…わかりました。そうします」


 ヤマサチは少し考え込むような表情をしたが、結局了承する。

「よし、これで今後の方針が決まった」

「ええ、そうですね。それでは明日の早朝にも兄の元に使者を遣わし、その日のうちに釣り針を返してしまうとしましょう」


 二人の間の空気は一挙に緩んだものになる。


 そしてもうすでに疲れきっていたスサノオは他の者たちがいる部屋に帰る。


 そうしてヤマサチは自分の部屋で、スサノオは帰った部屋で、他の者たちと共に眠りにつくのだった。



 翌日、ヤマサチは兄の屋敷に使者を遣わし、釣り針を返した。


 全ての事をスサノオとの打ち合わせと、ワタツミに言われた通りに実行したのである。


 するとその時から大して日もたたないうちに、ヤマサチとウミサチとの間にはっきり変化が現れた。


 ヤマサチの田畑は豊かに作物を実らせたのに対して、ウミサチの田畑は全く作物が実らなくなったうえに、漁や釣りでの魚介類まで全くとれなくなってしまったのである。



「くそっ!」


 ウミサチは部屋のすみに座って酒をあおりながら、怒りに任せて自分の屋敷の床を握り拳で叩く。


 あの釣り針をヤマサチから返してもらった日からあらゆる物事がうまくいかなくなった。


 田畑は全く作物を実らせず、海では魚が全く取れない。


 もはや自らの倉庫に蓄えられた食物も底をつきかけている。


 そんな今のウミサチにできることといえば酒をあおり、理不尽な現状を愚痴ることくらいである。


「なんで何もかもうまくいかないんだ!」


 いまやウミサチの心はすさむ一方である。


「…すいません…」


 酒を飲んだあと、うつむいているウミサチの耳に何者かの声が入る。


「…おや、…なんでしょう…?」


 ウミサチが顔を上げて声のする方を見てみると、その視線の先には見知らぬ男が立っている。


「…失礼ですが、…ウミサチ様でしょうか?」

「…ふふ、そうです。…しかし旅のお方、…残念ながらこのウミサチにはあなたのための食事すら用意できない有様なのです…」


 ウミサチは男の言葉に、力なく自虐的な言葉を返す。


「いえいえ、私は旅人ではありませんし、あなたの食物を当てにしているわけでもありません」

「…えっ、…するとあなたは何のためにこの屋敷に…?」


 ウミサチは驚き、男をまじまじと見る。


 男は頭に大きな笠をかぶり、首から下は一枚の黒い布で覆われている。

 顔を見ることもできず、この辺りではおおよそ見かけることのないいでたちである。


「私は純粋にあなたに会いに来ました。あなたを助けるためにです」

「…私を助けるために…?」

「そうです。はじめに結論を言わせていただくと、あなたは今恐るべき謀略に巻き込まれております」

「私が謀略に?」


 ウミサチは男の言葉に驚く。


「そうです。今あなたがこのように不幸な目にあっているのも、すべてはある者たちによって仕組まれた罠なのです」

「そんな!なぜ私がそのような目に…!」

「それを話すためには順を追って説明させていただきたい。私の名前はヒルコ。国津神であり、あなたの父ニニギ様とはかつて大変親しく交わらせていただきました」

「私の父の友人なのですか?しかし父からあなたの話を聞いたことは一度も……」

「理由あって今はワタツミの宮におります」

「…そうですか…」

「ところであなたの弟があなたの釣り針をなくした、ということが以前にあったのではありませんか?」

「ええ、そうです!なぜそれを?」

「実は私がワタツミの宮にいるときに、あなたの弟が宮を訪ねてきたのです」

「なっ!あいつがワタツミの宮に?」

「はい、その時には高天原から来たという者たちも複数伴っておりました。つまりヤマサチは高天原の後押しを受けている」

「…そんなことが…」

「ええ、そうなのです。そのときあなたの弟はワタツミの力を借りて、なくした釣り針を取り戻した。実はそのときヤマサチはワタツミからある“呪い”を教わったのです」

「“呪い”ですと?」

「そうです。弟があなたに釣り針を返したときの事を思い出してみてください」

「あいつが俺に釣り針を返したときの事?」


 ウミサチはその時の事を思い出してみる。


「確かあいつは『ぼんやり釣り針、すさみ釣り針、貧しい釣り針、おろか釣り針』と言いながら、こちらに背を向けて、後ろ手で釣り針を返してきた」

「そうでしょうな。実はそれこそがまさにワタツミがヤマサチに教えた“呪い”の方法なのです」

「呪い!あれが!」

「そうですとも。そしてあなたが釣り針を受け取ってしまった段階で、もはやあなたに対する呪いの力は発動してしまったというわけだ。今のままではあなたの身にはこの先不幸なことしか起こらないと断言できる」

「…そんな、…くそっ、俺はこれからどうすればいいんだ!」


 ウミサチは右手作った拳をバン、バンと二度床に打ちつける。


「…ふふふ、ウミサチ様、このヒルコがあなたの元をこうして訪ねてきたのはまさにそんなあなたを救うためなのです」

「え!あなたが私を助けてくださると!」


 ウミサチは思わず立ち上がり、ヒルコの方をまじまじと見つめる。


「もちろんですとも!私は今の不幸のどん底にあるあなたの姿を見るに忍びず、こうして参上したわけです」

「おお、そうですか!では私はいったい何をすれば…」


 ウミサチは両手でヒルコの肩をがっしりとつかみ、わらにもすがる思いで訴える。


「ふふ、…その前に今あなたが置かれている状況というものを説明しておきましょう。ヤマサチはワタツミの呪いをあなたにかけ、さらに高天原の後押しをも受けている。そこから導き出される結論はただ一つ―」

「…それは…」

「高天原もワタツミもニニギ様の後継者は弟のヤマサチと考えている。兄のあなたではなく…」

「そんな!」


 ウミサチは思わずヒルコの肩を握っている両手に力を込める。


「そしてヤマサチを後継者とするとき、もっとも邪魔な人間が一人…」

「…それは、…つまり…」

「そう、ウミサチ様。あなただ、ヤマサチの兄であるあなたなのだよ」

「…そんな…」


 そう言うと、ウミサチは力なくその場に両手を着いてしゃがみこむ。


「残念ながらこれが真実だ。これで今なぜあなたが不幸な目にあっているのか、ということについて全て納得できる理由が見出せたはずだ」

「くそっ!なぜヤマサチが!…俺ではなく…」

「…ふふふ、しかしあなたには助かる道があるではないか」

「えっ、どうすれば!」


 ウミサチは再び立ち上がり、ヒルコを見る。


「はっはっはっ、もうあなた自身気づいているのではないかな?」

「…それは、…まさか…」


 ウミサチはその表情に動揺の色を浮かべる。


「そう、ヤマサチを亡き者にすること。それこそがあなたが助かるただ一つの方法」

「…それは、…しかし…」

「くっくっくっ、まさか今さら良心の呵責かしゃくに苦しんでいるとでも?」

「…しかし本当に弟が、…俺の死を望んでいるのか…?」

「はーっ、はっはっはっ…」


 ヒルコは大笑いすると、その口調を突然高圧的に変えて再び話し始める。


「ウミサチよ。今の貴様に選択の余地などないはずだ。今貴様はヤマサチによって破滅の淵にまで追いやられているのだぞ。今こそ決断するんだよ。貴様の弟から命を、全てを奪ってやるとな」


 その調子はもはやウミサチを助けよう、などといったものではなく、〝脅迫〟しているのではないか、と言いたくなるほど強いものである。


「…わ、…わかりました…」


 その突然のヒルコの様子の変化に完全に圧倒されたウミサチは思わず首を縦に振ってしまう。


「…ふふふ、よくぞご決断なされた…」


 そう言うと、ヒルコはウミサチのそばから離れる。


「…そうそう、ところでウミサチ様。あなたやあなたの領民たちは今腹をすかせたりはしておりませぬか?」

「ああ、食料のことですか?ここ最近の不作の影響でいまや倉庫の蓄えはなんとか私の分のみ確保できておりますが、領民には十分な量を与えることができておりませぬ…」


 そう言うと、ウミサチは苦渋の表情を浮かべる。


「そうですか。ならばこのヒルコがあなたの領民たちに食事を提供いたしましょう」


 そう言って、ヒルコは相変わらず大きな笠で顔全体を隠しながら、ウミサチに歪ませた口元のみを見せる。


「なんと!本当にそんな事ができるのですか?」

「ええ、できますとも」

「そうですか!それはぜひともお願いしたい!」


 ウミサチは本当に嬉しそうにヒルコを見て言う。


「…ふふふ、もしあなたの民が私から与えられた物を食せば、皆見違えるようにたくましくなる事でしょう」

『…たくましく?…それはどういう意味なのでしょう?」

「はっはっはっ、…実際に見ればあなたにもすぐにわかることでしょう」


 ヒルコはウミサチの疑問を軽くかわす。


「では私はこれにて失礼いたします。これから食料を用意しなければ…」

「そうですか、いや、このたびは何から何までありがとうございます!」

「ふふふ、お礼はヤマサチを討ち取ったあとで十分です」


 そう言うと、ヒルコはウミサチに背を向け、屋敷をあとにする。


 そして屋敷を出たあと、一言こう吐き捨てる。


「ちっ、ガキが!弟一人殺す程度で躊躇ちゅうちょしおって!」



「こんにちは、ウミサチ殿」

「おお、これはようこそおいでくださいました!」


 ウミサチは朝一番に屋敷にやって来たヒルコを歓迎する。


 ウミサチとヒルコが初めて面会してから数日後、ヒルコは舟に乗ってウミサチの元を訪れた。


 その舟には大量の新鮮な魚が積まれており、それらはすべてウミサチの領民たちに配られた。


 なかなか食料が手に入らず苦しんでいた彼らが大いに喜んだのは言うまでもない。


 そしてヒルヒコがウミサチの元を再び訪れたこの日は、それからさらに三日後のことである。


「実はこのたびあなたの元をこうして訪ねたのは、あなたにどうしても会わせたい者たちがいるからなのです」

「私に会わせたい者?それはどのような方なのでしょう?」

「あなたの領民ですよ」

「私の領民?それは私も昨日会いましたがね」


 ウミサチはヒルコの意図がわからず、困惑の表情を浮かべる。


「いやいや、今日会うことに意味があるのですよ」

「今日会うことに意味、…そうなのですか…?」

「ふふふ、実際に会ってみればあなたもすぐに意味を理解することでしょう。さあ、それでは参りましょう」


 ヒルコはウミサチに共に屋敷を出るようにうながす。


 ウミサチは当惑しながらも、ヒルコの後ろについて屋敷から出て行くのだった。

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