二、ワタツミの宮①―釣り針を求めてワタツミの宮!…そこには何が?―
「できたー!」
スクナビコナが歓声を上げる。
竹を編んだ舟が七つ完成する。
七つの舟にはヤマサチとスサノオたちがそれぞれ一人ずつ乗り込み、体の小さいスクナビコナだけはミナカタと同じ舟に乗り込む。
竹は半球状に編んであり、その一つにそれぞれ一人ずつ乗り込み、もう一つの“半球”をその上からふたのようにかぶせる。
半球からは何本かの竹がわざと伸ばしてあり、それをもう一つの半球と組み合わせて密閉させる。
そうすると人一人が密閉された“竹の球”の中に納まった状態になる。
スサノオはこの潜水艦のように視界が一切ない舟がいたく不満だったのか、シオツチに、もしこの舟で我らが
もっともシオツチも、このシオツチもこの方法でワタツミの宮に行ったことがあるから心配は一切無用、とスサノオの文句を軽くかわしてしまう。
こうしてシオツチは人が乗り込んだ七つの舟に全てふたをし、それぞれを海に向かって押し流すのだった。
七つの舟は潮に流されるままに進んでいく。
もっとも外界の状況を探る一切の手段が断たれているヤマサチたちには、今自分が海のどの辺りにいるのかを知る術はない。
こうして長いとも短いとも感じられる時間流されていた舟は、ある場所まで来ると動きを止める。
どうやらどこかの海面上にぷかぷかと浮かんでいるようである。
意を決して、ヤマサチは自分の上半分の“竹のふた”を外してみる。
「…なんだ、これは…」
ヤマサチは目の前に現れた巨大な宮殿に目を奪われる。
その後ヤマサチははっ、とする。
「そうだ、ほかの方たちは?」
ヤマサチはすぐに自分の周囲を見回してみる。
思ったとおり、ヤマサチの周囲には六つの舟が浮かんでいる。
「皆さん、もう開けても結構ですよ!すでにワタツミの宮に着いたのです!」
ヤマサチの呼びかけに応じて六つの舟の“ふた”が次々と外される。
「何だよ、あれは!」
スクナビコナの大きな声が周囲に響く。
「…ふうむ、岸がすぐ近くだ。行ってみましょう」
スサノオはすぐそばにいるヤマサチに宮殿に近づくよううながす。
ヤマサチたちはその意見に従い、海面を手でかきながら、岸へと近づくのだった。
舟で岸から上陸し、宮殿を改めて見てみる。
白塗りの壁、その上に黒い瓦、正面には扉が朱色に塗られた門。
これが宮殿の外観である。
そして宮殿の周辺には周囲を明るく照らすためと思われるたいまつも置いてある。
「…私はかつて中津国中を旅したことがありますが、これほどの宮殿を見るのは初めてだ…」
スサノオの横にいるオオクニヌシも宮殿の様子に感嘆の声を上げる。
「…ヤマサチ殿、あちらをご覧ください」
ヤマサチはスサノオが指差す方向を見る。その先には門のすぐそばにある泉がある。
「…あれでございます。あの木です」
ヤマサチはスサノオに言われて泉の方を注視する。
泉をよく見ると、そのほとりに大きな桂の木がある。
「…今こそシオツチに言われたことを実行するときでは?」
スサノオに言われて、ヤマサチはシオツチに言われた事を思い出す。
「…わかりました」
そう言うと、ヤマサチは小走りで桂の木に近づく。
そして木に登ると、登れる限界と思われる高さまで行き、その地点で座って待つ。
しばらくそうしていると、一人の女性が宮殿の門から出て来る。
その女性は水瓶を持って泉のほうに歩いてくる。
どうやら泉の水をくみに来たらしい。
女性は泉のそばまで近づくと、その水面に何かが写っていることに気づく。
慌てて見上げてみると、そこには木の上に座っているヤマサチの姿が。
「すいません。あなたはこの宮殿の方ですか?」
「はい、私はこのワタツミの宮でトヨタマヒメの侍女をしている者です」
「水をいただきたいのですが?」
そう言うと、ヤマサチは木から下りて、侍女のすぐそばに立つ。
「…わかりました」
侍女は水がめに泉の水をくみ、ヤマサチに手渡す。
ヤマサチは渡された水瓶の中の水を見ながら、実はあの後シオツチに言われていたもう一つのことを思い出す。
ワタツミの宮の女が自分のことに気づいたら、水の入った水瓶をもらい受け、首にかけている玉飾りの玉を水がめの中に入れよ。
そしてその水瓶がトヨタマヒメの手に渡るようにせよ、と。
ヤマサチは言われた通りに左腕で水瓶を抱えながら、右手で首飾りを首から取り、それを紐ごと水瓶の中に落とす。
そしてその水瓶を侍女に返して言う。
「これをトヨタマヒメにお渡しください」
「ちょ、…ちょっとお待ちください!このままでは…」
玉が水がめに入ったままトヨタマヒメに渡すことはできない、と思ったのか、侍女は水瓶を地面に置き、水がめの底にある玉を右手ですくい取ろうとする。
「…え、…そんな…!」
なぜか玉は瓶の底にくっついたまま、侍女がいくら力を入れて取ろうとしても、引き離すことができない。
「…な、…ならば…!」
侍女は、今度は両手で必死に玉をつかみ、水瓶から引きはがそうと試みる。
「…はあ、はあ、はあ、はあ…」
しかしやはり玉は取れず、ついに侍女は疲れ果ててしまう。
「…はあ、はあ、はあ。…少しの間お待ちください。私はこれからこのことをトヨタマヒメ様に報告に行って参ります」
そうヤマサチに言い残すと、侍女は水瓶を持って、宮殿の中へと小走りに去っていくのだった。
「そのようなお方が?」
「はい、外の世界から若い男がやってきており、今は門の外におります」
侍女が宮殿のトヨタマヒメの部屋に行って、トヨタマヒメにヤマサチのことを話すと、トヨタマヒメはヤマサチに強い興味を示す。
「その方は水瓶の中に玉を投げ入れられました。それはいまだに底についたままで、私には引き離すことができません」
そう言って、侍女は水瓶の中をトヨタマヒメに見せる。
確かに水瓶の底に玉があるということが、トヨタマヒメにも確認できる。
「…私にその玉を取らせてください」
そう言うと、トヨタマヒメは侍女の持っている水瓶に右手を突っ込み、水瓶の底にある玉を取ろうとする。
「…取れた!」
トヨタマヒメは水瓶にくっついた玉を簡単に取ってしまう。
そして紐付けされた鮮やかに赤く輝くメノウで作られた玉を、まじまじと見つめる。
「…この玉を持っていた方に会いたくなりました。案内してください」
そう言うと、トヨタマヒメは侍女と共に宮殿の外へと向かうのだった。
「あちらでございます」
侍女の案内でトヨタマヒメは宮殿の門のそばの泉へと向かう。
そこでトヨタマヒメは泉のかたわらに立つ一人の若者を見つける。
「…あなたは…」
「私はヤマサチといいます。あなたは?」
「私はトヨタマヒメです。この宮殿の主ワタツミの娘です」
「トヨタマヒメ、すばらしい名前だ。私の送った玉は見ていただけましたか?」
「…はい、…これですね…」
トヨタマヒメは右の手の平に握られていた玉をヤマサチに見せる。
「そうです。これをあなたに見て欲しくて…」
二人はしばらくの間、お互いの目をじっと見つめあう。
「…ヤマサチ様…」
「…トヨタマヒメ…」
二人は互いの名を呼びつつも、合わせた目を離すことはしない。
それは二人にとっては長くもあり、短くもあるような時間である。
「…あっ、そういえば…」
突然、トヨタマヒメは何かを思い出したかのように言う。
「このことを父に話さなければ…」
「あっ、それならば…」
今度はヤマサチの方が〝あること〟を思い出して言う。
「あちらの方々は…」
そう言って、ヤマサチは右手で自分たちがやって来た岸辺の方を指す。その先にはスサノオ以下七柱の神が。
「私と共にここまでやってきました。もともとは高天原にいらっしゃった方々です。私共々あなたのお父上に話していただきたい」
「わかりました」
こうしてトヨタマヒメは父ワタツミに報告するために、宮殿の中へと入っていくのだった。
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