第一章:海幸山幸―ヒルコと鬼の出現!そして神々との激突!!―

一、ホオリ―ウミサチとヤマサチ、なくした釣り針は何処に?―

 一の翁はどんどん輝きを増していく西の海の方にじっと顔を向けている。

 それは今までになく真剣な様子で何かを思いつめているようですらある。


「…失礼ですが、何か考え事でも…?」


 そのあまりに深刻な様子に三の翁は思わず声をかける。


「…ああ、いやいや、…少し昔のことを思い出しておりましてな…」


 物思いにふけっていたことを指摘されて、一の翁は少し気恥ずかしそうに答える。


「ハハッ、何しろ我々は皆長く生きた!思い出などいくらでもあるはずだ」


 二の翁は笑いながらひょうひょうとした調子で言う。

 そうして三人の翁は揃って穏やかな朝の海を眺めるのだった。



「…さて、その後ニニギ様とコノハナサクヤヒメ殿がどうなったかですが…」


 一の翁が再び口を開き、語り始める。


「お二人の間には二人の男の御子が誕生しました。兄をホデリ、弟をホオリといいます。その後しばらくしてニニギ様は亡くなられました。そしてコノハナサクヤヒメ殿も弟のホオリ様が十五の年になられた後すぐ、いずこかに去られました」

「…うーむ、…コノハナサクヤヒメ殿の行方も気になるところですが、ニニギ殿は亡くなられてしまったのですか…。…やはりオオヤマツミ殿が言われたように、寿命が短くなってしまわれたのか…」

「…ふーむ、…これまでの話を聞く限り、そう考えるしかありませんな…」

「ええ、この後ニニギ様の御子孫も皆寿命は限りあるものになります」

「…やはり、そうですか…」


 三人は一瞬沈黙するが、その空気はすぐに一の翁が破る。


「…さて、しかしこれから我らが話すべきはあくまで今後ニニギ様の御子孫がどうなっていくのかという話です。そしてこれから話そうと思うのはニニギ様の御子たち、ホデリ様とホオリ様のことです」

「おお!そのことですが―」


 突然二の翁が一の翁の話に割って入る。


「その話はこの私も知っております。それゆえこの話の語り部はこの私に任せては下されませぬか?なにしろここまであなたにばかり話をさせてしまっている。それはこの私としても心苦しい」

「…それはいいことです。私もあなたの話を聞いてみたいものです」


 二の翁が一の翁に自分が話をしたいと訴え、三の翁もそれに同意する。


「…ふふ、もとよりこの私にあなたが話したいという意思を止める権利などは持っておりませぬ。私も喜んであなたの話を聞かせていただく」


 一の翁が認めたことにより、もはや二の翁が話をすることに対する障害はなくなる。


「おお、お二人とも私の話を聞いて下されるか!それでは話させていただく」


 二の翁は実に嬉しそうに話を始める。


「…さて、ニニギ様の二人の御子は成長すると、それぞれに違う生業を持って暮らしを立てた。兄ホデリ様は海でさまざまな魚を捕り、普段は海幸彦(ウミサチヒコ)と呼ばれました。一方、弟ホオリ様は山でさまざまな獣を捕り、普段は山幸彦(ヤマサチヒコ)と呼ばれていた……」


 二の翁は本格的に話を始めるのだった。



「ねえ、ちょっと、ちょっと!」


 突然スサノオたちの住居にウズメがやってくる。


「…なんだ、いきなり…」


 スサノオが若干面倒そうに応対する。


「急いでアマテラス様の宮殿に来てちょうだい。あなただけじゃなくナムチ、ミナカタ、スクナもいっしょにね」


 ウズメはスサノオのみならず、家にいる全員に宮殿に来るように言う。


「…こんなこと、ここに来てから一度もなかったのに…」

「詳しいことは宮殿で話されるはずよ!さあ、とにかく今は急いで宮殿に!」


 ウズメに強くうながされる形で四人は困惑しながらも、アマテラスの宮殿へと向かうのだった。



 ミナカタは他の三人と共に宮殿に向かいながら、自分が高天原に来てからのことについて思いをはせる。


 当初ここに来たときはこれから自分がどうなってしまうのか不安だった。

 もっともその不安は拍子抜けする形で外れた。

 とにかく高天原は変化することがない場所なのである。

 常に一定の温度に保たれ、食べ物もそれほど苦労することもなくとれ、住人が死ぬこともない。

 そのため今では不安なことではなく、退屈なことがミナカタの一番の悩みになっているほどである。


 ただ、ミナカタの身辺には直接の変化はなくても、高天原全体で見れば二つほど変化があった。


 一つ目はニニギが地上に降ったときに高天原の人口が激減したことだ。

 ニニギが地上に降りた時にいっしょに高天原から同伴した者は高天原全体の人口の実に九割以上に及んだ。

 もっともそのような状況でも高天原ではもともと容易に食物がとれることなどもあり、ほとんど問題になることもなかったが。


 それともう一つはウズメがサルタヒコと結婚したことである。

 ウズメと出会った時にはすでに勾玉を持っていたため、すぐに高天原の一員になることができたサルタヒコだったが、ウズメと結婚したのはニニギが地上に降った直後のことだった。

 つまり二人は出会ってから一月もたたないうちに結婚してしまったのである!


 高天原の住人たちのほとんどが、ウズメが最初怪物に間違われるような顔をしている男を、結婚相手に選んだことを理解できなかった。

 もっともウズメによればサルタヒコと結婚した理由はこの男の内面を好きになったこと、そして〝運命〟だった、とのことだった。


 無論アマテラス以下、高天原の者達は二人の結婚に積極的に反対する理由があったわけでもなかったため、結婚自体はすんなり承認されたが。

 ただ二人の名誉のために言っておくと、二人の夫婦仲は今に至るまで極めて良好で、二人の間には五人の子が誕生しており、しかも全員立派に成長しているのである。

 つまりは高天原の中でも理想的と言っていい家庭を築いているわけである。


 もっともこれら二つの変化も高天原全体の状況に与える影響は意外に小さなものだった。


 結局ミナカタがここに来てから今に至るまで、高天原には大きな変化はなかったと言ってしまっていいのである。



 スサノオたちがウズメの後についてアマテラスの宮殿の大広間に入ると、中にはすでに何人かの者たちが集まっている。


 それはアマテラス、タカギ、オモイカネ、ミカヅチ、タヂカラオ、サルタヒコ、アマテラスの長子オシホミミである。


 そこにウズメ、スサノオ、オオクニヌシ、スクナビコナ、ミナカタが加わる。


 つまりは勾玉を持つ者十一名とオシホミミ、計十二柱の神がこの場にはいるのである。


「さて、このたび皆を集めたのはほかでもない、地上である“問題”が持ち上がったのだ―」


 タカギがこの日の“議題”について切り出す。


「その“問題”とはこういうものだ―」


 タカギは“問題”の中身について話し始める。


 地上に降りたニニギには二人の子がいた。

 兄をホデリ、弟をホオリという。

 ホデリは海を生業の場とし、普段はウミサチといわれていた。

 対してホオリは山を生業の場として、普段はヤマサチといわれていた。


 ある日ヤマサチはウミサチに自分の猟具とそちらの漁具を一日交換して普段とは違う場所で“仕事”をしないか、と持ちかけた。

 ウミサチはなかなか首を立てに振らなかったが、ヤマサチがしつこく頼み込んだためついに交換することを了承した。


 しかしヤマサチは海で釣りをしても一匹も魚を釣れないばかりか、ついには釣り針をなくしてしまう始末だった。

 そのことをヤマサチが兄に話すと兄ウミサチは激怒した。


「―というわけだ。それゆえにこの問題を解決するために、高天原から何名かの者を地上に降す」

「…くだらんな…」


 スサノオはタカギの話を聞くと吐き捨てるように言う。


「“くだらん”だと!これはニニギ様の御子たちの間で起こったことなのだぞ!こんな重大な問題がこの世でほかにあるというのか!」


 スサノオの言葉にオモイカネが激怒する。


「ふん、なにしろこちらとしてはこれ以外にこの問題を表現するいい言葉が見当たらないのでね。ようはただの兄弟ゲンカなのだろう?二人の間で起こった問題は二人の間で解決すればいい。ただそれだけの話だ…」


 スサノオはオモイカネの怒りに白けた調子で答える。


「貴様!いいか!これは“ただの兄弟ゲンカ”などでは決してない!ニニギ様の後継問題なのだ!だいたいアメノミナカヌシ殿の神託により予言された“悪神”がこのいさかいを利用せんとも限らぬのだぞ!」


 兄弟の間で起こった“釣り針”の問題が後継者問題に発展したり、“悪神”が突然絡んできたりするというオモイカネの理屈はスサノオの理解を完全に超えたものである。

 それゆえスサノオとしては呆れ、沈黙するより他ない。


「…スサノオよ…」


 それまで沈黙を守っていたアマテラスが突然口を開く。


「…なんでしょうか…?」


 それまでのオモイカネへの対応とは対照的に、スサノオは恐縮しながら答える。


「…私はこのたびの兄弟間の争いが無用の流血を生むのではないかと心配しております。ホデリとホオリにはそれぞれに家臣と呼べる者たちがおります。もはや二人の争いは単なる兄弟げんかだけで収まる保証は全くないのです。それゆえあなた達には地上に降りてホデリとホオリの仲をうまく収めて欲しいのです」

「…ううむ、…しかしです、…我々がお二人の仲を取り持とうとしたところで、かえって両者の関係がこじれる可能性も…」


 スサノオはアマテラスの言葉に歯切れ悪く答える。


「いえ、決してそのようなことはありません!あなた方が行ってくれればすべてがうまくいきます!」


 結局スサノオはアマテラスの強い言葉に押し切られてしまうのだった。



 スサノオは一人物思いにふける。


 ここは高天原の一番外側で遠く海や山が見える。


 高天原の外縁からはどこでも山並み、森、海などが見える。

 その中でもスサノオが今いる場所はスサノオが高天原に来てから見つけたお気に入りの地点だった。


 スサノオがここに来るときは決まって一人で考え事をするときだった。


 結局先ほどの会議では、高天原からホデリとホオリの元に七柱の神が降ることが決まった。


 その七柱とはスサノオ、オオクニヌシ、ミナカタ、スクナビコナ、ミカヅチ、タヂカラオ、サルタヒコ、である。


 オオクニヌシは現時点でスサノオがもっとも信頼できる男である。

 かつて自分の娘スセリヒメと結ばれた男であり、高天原に来てからはもっともいっしょに過ごした時間は長かった。

 今ではスサノオが遠慮なく本音を話せる唯一と言っていい男である。


 ミナカタは自分に悪意こそ持っていないだろうが、いまだに“未熟”である。

 かつてミカヅチに一対一の戦いで完敗した時から今に至るまであまり進歩しているとも言えない。

 つまりいまだに“半人前”であり、今のところあまり信頼できるとは言えないだろう。


 スクナビコナは極めて気まぐれで奔放な性格である。

 もっとも手先の器用さ、動物や道具と話せる、など状況によっては役に立つかもしれない“才能”も持ち合わせている。

 高天原にある十一個の勾玉もスクナビコナによってすべて紐が通されているので、今では全員勾玉を首からかけている。

 それゆえ意外なところで役に立ったりすることがあるのかもしれない。


 ミカヅチとタヂカラオは“戦力”という意味ではオオクニヌシよりはるかに上であろう。

 それぞれに腕が立ち、しかもそのことに強い誇りを持ってもいる。

 しかしこの者たちは間違いなくスサノオにいい感情は持っていない。


 かつてスサノオが若い頃高天原にいたときに、この者たちとは浅からぬ因縁がある。

 そのためこの者たちはやはり自分と因縁があるタカギやオモイカネと距離が近い。

 ひょっとしたら自分やオオクニヌシらを監視するためにタカギ達が送り込んだ可能性すらある。

 残念ながらこの者たちに完全に心を許すのは難しい。


 サルタヒコは自分とは接点そのものがほとんどない。

 それゆえ現時点でスサノオに好意的かどうかを判断すること自体が難しい。

 もっともウズメとの夫婦の生活の様子を見る限り、少なくとも悪い奴ではないとは思うが。


 最後にスサノオは会議でのアマテラスの様子に思いをはせる。


 それにしてもずいぶん強引に自分たちを地上に送ることを決めたものだ。

 そもそも自分達が地上に降りれば本当に兄弟間の問題が解決するのか、という疑問をスサノオはいまだにぬぐい去ることができない。

 それにもかかわらずアマテラスに押し切られてしまったのは、ひとえに“昔のこと”があるからである。


 あの時以来、スサノオはアマテラスに全く頭が上がらなくなってしまった。

 タカギやオモイカネの意見には反発できるスサノオも、アマテラスにはめっぽう弱いのだ。


 それにしても高天原の他の者たちとの関係や、地上で兄弟の問題を解決することなどを考え始めると、スサノオは今から頭が痛くなってくる。

 両方とも簡単に解決できるとはとても思えない。


(…それでも、…なんとかうまくやるしかないか…)


 スサノオは遠く日向ひむかいの方角を見ながら、静かに決意を固めるのだった。



 翌日の早朝、スサノオ以下七柱の神は当初の予定通り、高天原からの階段を降る。


 まずは高千穂の峰に降り立ち、そこから日向のヤマサチの屋敷へと向かう。


 しかしそこでヤマサチの召使の者から、今ヤマサチは留守にしており、海の方にいるのではないか、と言われてしまう。

 そこでその召使に以前ヤマサチがウミサチから借りた釣りざおで釣りをしたという地点を教えてもらい、そこに行ってみる。


 その地点、日向の国の浜辺に行ってみると、ヤマサチは一人うつむいて、ため息をつきながら座っている。


 そのヤマサチにスサノオが声をかけ、我々は高天原から来た者たちだ、と名乗り、事情を聞く。


 ヤマサチが言うところによれば、ヤマサチは釣り針をなくしたあと、なんとかウミサチに許してもらおうと、自分の刀の鉄をいつぶして千もの釣り針を作って、献上しようとしたが、ウミサチに拒絶されてしまったという。


 どうもヤマサチが釣り針をなくしたことに対するウミサチの怒り具合は、こちらの想像をはるかに超えるものであるらしい。

 とりつく島がないとはまさにこのことである。


 ウミサチとヤマサチの仲を取り持つという目ろみはいきなり暗礁あんしょうに乗り上げる。


 もはやスサノオたちもヤマサチともども海でも見ながら、砂浜に腰を下ろしてため息でもつく他ないのか?

 そう思われたときである。


「…お若い方よ、どうなされました?」

「…あなたは…?」

「塩椎(シオツチ)ではないか?いいところに来た!」

「はっはっはっはっ、今スサノオから言われたように、私の名はシオツチです」

「…スサノオ殿、この方はあなたのお知り合いですか?」

「…まあ、顔見知りといったところです」

「ええ、そんなところです」


 スサノオとシオツチはお互いの顔を見てニッと笑う。


「…ところでお若い方。何かお困りの事がおありですかな?」


 シオツチは改めてヤマサチに話を聞こうとする。


「…実は―」


 ヤマサチはウミサチとの事についてこれまでの経緯を説明する。


「…うーむ…」

「…シホツチよ、貴様なら何か妙案があるのではないか?」

「…要はなくしてしまった釣り針が取り戻せればいいわけですな?」

「はい、そうならばそれが一番です」

「それならばやはりワタツミ様を頼られるのが一番かと…」

「ワタツミ様?」

「はい、ワタツミ様は海をすべておられる方。あの方なら釣り針の行方も探し当てることができるかと……」

「…そうですか、…しかしワタツミ殿の元にはどうやって行けば…?」

「ふふ、そのことをこれから説明させていただきます―」


 シオツチの説明によればワタツミの元に行く手順はこうである。


 一つ、竹をすき間なく編んで小さなかごの舟を作る。


 二つ、その舟に乗って潮の路に乗り、ワタツミの宮にたどり着く。


 三つ、宮についたら、宮の門のそばにある泉のほとりに立っている桂の木の上に登る。


 四つ、木の上にいればワタツミの宮の女の目にとまり、うまく取り計らってもらえる。


 ヤマサチたちはシオツチの言葉に従い、まずは近くの林に竹をとりに向かうのだった。

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