プロローグ②―ヒルコとの“取引”!その真の狙いとは…?―

(…ハハッ、ヨクゾモウシタ、コトシロヌシヨ!)


 コトシロヌシの言葉を聞いたヒルコは満足げに笑う。


(…ソウトキマレバコトシロヌシヨ。オマエニハヤッテモライタイコトガアル…)

「…やってもらいたいこと?」

(ソウダ。マズハオマエノリョウテヲコノヒルコノカラダニフレサセヨ)

「…両手を体に触れさせる…」


 コトシロヌシはヒルコの指示通りに自分の両手を“肉の塊”に当ててみる。


「…うっ…」


 “ヒルコの体”に触れた瞬間、思わずコトシロヌシは小さく悲鳴を上げてしまう。

 “肉”に触れると同時に、コトシロヌシの両手には嫌な感触―それは例えて言うなら、人間の腐乱死体に触れたときのような、とでも言うべきか―が伝わる。

 その刹那、すでに淡く光っていた赤黒い光が一気に不気味さを伴いながらまばゆく光る。


「アアアアアアアーッ!」


 その光を見たとたん、コトシロヌシの全身をつい先ほど克服したはずの恐怖心が貫く。

 それは初めてヒルコを目撃したときとは比べ物にならないほどの強烈さで、コトシロヌシの全身の血を逆流させる。


「ウアアアアアアアッーッ!」


 コトシロヌシは叫び声を上げながら今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。


「アアアアアアアアアッ!」



(ハーッハッハッハッハッ!)


 一方のヒルコはコトシロヌシが最初に悲鳴を上げたのと同じタイミングで、歓喜の雄たけびを上げる。


(イイゾ、イイゾ!コノヒルコノゼンシンニチカラガッ!チカラガナガレコンデクルッ!)


 ヒルコは興奮を抑えきれない調子で絶叫する。


(…ツイニ、…ツイニコノトキガ、…“ゼンシンショウリ”ヲナシトゲルトキガキタノダ!)


 ヒルコは実に嬉しそうに“歓喜の叫び”を上げ続けるのだった。



「…うううう…」


 コトシロヌシは意識を取り戻す。


「…ああ、自分は気を失って…、倒れてしまったのか…」


 コトシロヌシは上体を起こす。そして自分が気絶する直前の記憶を呼び起こそうとする。


「…確かあのとき、…ものすごい光が…」


 そこでコトシロヌシの記憶は途切れてしまっていた。

 おそらくそのすぐあとに気を失って倒れてしまったのだろう。


「…それにしても…」


 どれくらい時間がたったのだろう。

 それは長くもあり短くもあったような気がする。

 もっともこの暗く閉じられた洞窟の中では、正確な時間などというものが役に立つとも思えないのだが。

 そのときである。


「…どこだ…」


 かすかに声が聞こえる。


「…どこだ、コトシロヌシよ…」


 最初の声からしばらくして再び声が聞こえる。どうやら声の主はコトシロヌシのことを探しているらしい。


「…ああ、私はここに…」


 コトシロヌシはこれといった深い考えもなく、自分がいる位置を声の主に伝えようとする。


「…おお、そこにいるのか!」


 そう言うと、声の主は小走りにコトシロヌシのほうに一直線に向かってくる。


「…はい、…なっ!」


 突然近寄ってきた声の主のとった行動にコトシロヌシは思わず驚きの声を上げる。

 声の主はいきなりその両手でコトシロヌシの両腕をつかんできたのである。


「なっ、…何を!」

「ハハッ、いやあコトシロヌシよ。探したぞ!」


 突然のことに困惑するコトシロヌシを無視するかのように、声の主はコトシロヌシの顔のすぐそばにまで顔を近づける。


「…こっ、…これは…」


 コトシロヌシは自分のすぐそばに見える顔を見て驚愕する。

 その顔には目がなく、人間なら鼻がある箇所には穴のようなものが二つ開いているだけで、口も一応はそれらしきものがあるが唇がない。

 そんな顔が口元だけを歪ませニヤリと笑っている。

 それは普通の人間の顔と比べれば不気味なことこの上なかった。


 そして両者はしばらくの間、その状態のまま石像のように固まっている。

 いや、その表現は正しくはない。

 何しろコトシロヌシは両腕をつかまれ、完全に身動きを取ることを封じられている。

 動きたくても動けない状況である。


「…あ、あなたは…。ひょっとして…」


 重苦しい空気が辺りを包む中、ようやくコトシロヌシが口を開く。


「…ヒルコ殿では…?」

「そうだ」


 コトシロヌシの問いにヒルコは即答する。


「…まずはお前に礼を言わなければならない。お前のおかげでこのヒルコはこうして動くことができる体を手に入れた。もっとも今のところあまりいい体とは思えないが…」


 そう言うと同時に、ヒルコはコトシロヌシの目の前に近づけていた顔を少し後ろに引く。

 そのためにコトシロヌシの視界が少し開ける。


 そしてコトシロヌシはヒルコの全身を確認してみる。

 全身の皮膚は黒くただれたようになっており、身長はせいぜいコトシロヌシの下半身と同じくらい。

 体の器官のようなものは一切確認することができない。

 ただ両手両足は一応ついており、それぞれに指も五本ずつ付いている。

 もっとも全体としては顔同様に不気味であること極まりない。

 それはコトシロヌシがこれまでに見てきたどんな生き物とも似ていない、異次元の気味悪さである。


「…見ての通りこの体は不完全だ。特に本来だったらあるはずのある“器官”が足りない。それがなんだか…、わかるか…?」


 ヒルコは相変わらずコトシロヌシの方に顔を向けながら尋ねる。


「…それは…」


 コトシロヌシは緊張してなかなか言葉を発することができず、口ごもる。


「…目でしょうか…?」


 ようやくコトシロヌシは喋ることができる。

 ヒルコの顔には目がない。にも関わらず、その顔を向けられると、コトシロヌシは全てを見透かされているかのような得体の知れない恐怖を感じてしまう。


「…フフフ、そういうことだ…」


 そう言うと、再びヒルコは口元をニヤリと歪ませる。


「…ゆえにこのヒルコはどうにかして目を手に入れなければならないわけだ…」


 ヒルコはもったいぶりながら話を続ける。


「…そしてこのヒルコは“目を持つ者”について心当たりがある…」


 コトシロヌシはヒルコの話を聞きながら、なんとか話を止めさせることはできないかと思案する。

 しかしもはやヒルコへの恐怖心に捕らわれてしまったコトシロヌシには、実際に言葉を発することはできない。


「…フフ、お前だよ。コトシロヌシ」

「……」


 ついにヒルコはコトシロヌシがもっとも恐れていた言葉を口にする。


「…お前はこのヒルコに身も心もささげると言った。そうだな?」

「…はい…」


 もはやコトシロヌシには“最悪の結末”が見えている。

 だが拒絶することができない。

 すでにヒルコに対する“恐れ”にその心をむしばまれている。そして何より今さら後戻りすることなどできるものではない。


「…ならばこのヒルコがお前の目を奪い、我が物としたところでなんの問題もないな?」

「……」


 ヒルコの問いにコトシロヌシは何も答えない。

 その目からは完全に生気が失われ、ヒルコに両腕をつかまれている体も情けなく脱力してしまっている。


「…ふん、決まったな…」


 ヒルコはコトシロヌシの沈黙を“肯定”の証と受け取る。


「…さあ、コトシロヌシよ。お前の顔をこのヒルコの顔の前に出してみせよ」


 コトシロヌシはヒルコの言葉に対して、極めて従順に顔を突き出す。


「…フフフ、…おお、これか!」


 ヒルコは両手でコトシロヌシの顔に触れまわり、目の位置を特定するのだった。



「アアアアアアアアッー!」


 洞窟内にコトシロヌシの絶叫がこだまする。

 それは死の直前の断末魔のような悲痛な叫び声である。


「アアアアーッ、アアアアーッ!」


 コトシロヌシは両目に走るあまりの激痛に耐えかね、悲鳴を上げながら洞窟内の地面を転げ回る。

 その痛みはこの世のいかなる形容も役に立たず、いっそのことこのまま死んだほうがマシかと思えるほどのものである。


「アアアアーッ、…目が、…目が見えない…!」


 激しい痛みとともに、コトシロヌシの目からは一切の“映像”が消える。

 そこには洞窟の暗闇を越える闇、真の闇しかない。

 そのときである。


「…ハーッハッハッハッハッ…!」


 何者かが高笑いする声がコトシロヌシの耳に入る。


「…ハッハッハッハッ…。いやあ、コトシロヌシよ、礼を言うぞ。お前には感謝の気持ちしかない」

「…その声は、…ヒルコ殿…?」

「そうだ。お前のおかげで体と“力”を手に入れたヒルコだよ」

「…ううう、私は光を失いました。しかもなぜか体を思うように動かすことができません。…これはいったい…」

「ああ、それはお前がこのヒルコに全てをささげた“副作用”といったところだ」

「副作用?」

「そうだ。お前の力がこのヒルコものになった代わりに、お前の体からは多くの力が失われた。もはやお前の体は老人のような働きしか果たせないだろう。しかも盲目だ」

「…あああ、これから私はどうやって生きていけば…」


 コトシロヌシはヒルコの言葉に心の底から絶望する。


「どうやって生きていくかだって?まあ、それはこのヒルコには関係のない問題だがな…」


 ヒルコはコトシロヌシの言葉にも興味なさげに言い放つ。


「…ああ、そう言えば…、確かこの洞窟は出雲の海岸沿いに出口があるぞ。運がよければそこまでたどり着けるかもな…」


 そう言いながらヒルコは愉快そうにクククッ、と笑う。


「…運がよければ…」


 コトシロヌシはヒルコの言葉にぼう然としながらつぶやく。


「…ああ、そうそう。お前が言った出雲のことだが…」

「…出雲を、…取り戻していただけるのか…!」


 ヒルコの言葉を聞いてコトシロヌシの顔にわずかに生気がよみがえる。


「…クックックッ、…まあ一応お前たちから出雲を奪った者どもにはきっちり復讐しておいてやる。もっともそのあとのことは知らんがな。まあこのヒルコのやりたいようにやるとだけ答えておこう」

「…やりたいようにやる…」


 ヒルコの言葉はコトシロヌシを再び絶望の淵へと叩き落す。


「ハハッ、そういうことだ。もっとも実際に“復讐”を遂げるにはまだもう少し時間が必要だ。このヒルコがお前から受け取った“力”はなかなかのものではあるのだが、それでもまだまだ足りぬ。もっともっと“力”を手に入れなければとても高天原の者どもを倒すことなどできまい。ましてや“前進勝利”を成し遂げることなど夢のまた夢…」

「……」


 ヒルコの言葉にコトシロヌシは沈黙する。もはや話す気力もわかない。


「…ハーッハッハッハッハッ…!それではさらばだ、コトシロヌシよ。おそらくもう二度と会うこともあるまい…」


 このヒルコの言葉を最後に、洞窟は完全な静寂へと包まれるのだった。

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