三、ワタツミの宮②―ただ一人宮殿の奥へと向かうスサノオ!…そこには何が?―
「このたびはワタツミの宮に遠路はるばるようこそおいでくださいました!」
ワタツミは宮の大広間でヤマサチたちを前に“歓待の言葉”を言う。
あの後トヨタマヒメは宮殿の中でワタツミにヤマサチたちのことを話した。
するとなんとワタツミは自ら宮殿の門の外まで進み出て、ヤマサチたちを宮殿の中の大広間まで案内したのである。
そして大広間にアシカの皮と絹で作られた敷物を七人分、召使の者たちに用意させようとする。
もっともこの時スクナビコナが自分の敷物も用意して欲しいと主張したため、実際には八人分用意されたが。
そして少しの間、ワタツミが召使や侍女たちに指示を出す。
そのあと、準備ができたのか、ワタツミのヤマサチたちを歓迎するあいさつが始まったのである。
「こよいはこのワタツミ以下宮殿の者全員で皆様方を歓迎いたします!それでは皆様、面白おかしくお楽しみください!」
このワタツミの言葉と同時に、侍女たちが八人の前にそれぞれ豪華な食事の膳を運ぶ。
そして様々な種類の魚と、色とりどりの着物を着た踊り子たちによる踊りも始まる。
広間の雰囲気は一気に明るいものとなり、それは“宴会”と言っていいものである。
「…これはおいしそうだ!」
スサノオの右隣にいるオオクニヌシは運ばれてきた料理を見て歓声を上げる。
「…ウニ、アワビ、マグロ、…これほど豊富な海産物を、これほど様々な調理法で作れるとは!…私も色々うまい魚介類などを食べたことがありますが、これほどのものは出雲にも、…おそらくは中津国全体でもないでしょうな…」
そして、いただきまーす、と言ったあと、
「…この料理はそんなにおいしいのか?」
「…もぐもぐ、…ええ、…もぐもぐ、…すごく!」
隣でオオクニヌシの食べる様子を見ていたスサノオの皮肉をこめた言葉にも、オオクニヌシは明るい調子で返す。
「食べるのか喋るのかどちらか一つにしろ!」
突然声を荒げるスサノオにオオクニヌシは大きくため息をつく。
「…父上、…何がそんなに気に入らないのです?」
「いいか!我々はあくまで釣り針を探すためにここに来たのだぞ!こんな馬鹿騒ぎをするためにここに来たのではない!一刻も早く釣り針のことをワダツミ殿に尋ねるべきなのに、全員揃ってこの始末だ!」
そう言うと、スサノオは周りの様子を見回す。
スサノオの左隣にいるヤマサチはすぐ隣に座っているトヨタマヒメと“二人だけの世界”に入っている。
ミナカタとスクナビコナは踊っている踊り子と魚たちのそばに近づき、魚がどうやって踊り子に変化したりするのかを確かめることに夢中になっている。
他の者たち、ミカヅチ、タヂカラオ、サルタヒコはやや退屈そうに食事を取ったり、ぼんやりと踊りを眺めたりしている。
「そうは言ってもですよ。せっかくワタツミ殿がこれだけのものを用意して我々をもてなそうとしてくれているわけです。その好意に甘える事に何の問題があるというのです?」
「もてなしを受けるなと言いたいのではない!このスサノオが気に入らないのはな!釣り針を探すという本来の目的を忘れ、皆が揃いも揃って下らん遊びにうつつを抜かしていることだ!」
スサノオは怒りの勢いを上げながら大声で言う。
しかしスサノオが怒りの勢いを上げるのと反比例するように、オオクニヌシはさらに調子を下げながら言う。
「…父上、…我々がこうして少しぐらいくつろいでいたところで釣り針は逃げたりしませんよ…」
オオクニヌシの完全に白け切った様子で言う。
「だいたい、ヤマサチ殿があの調子ではどうにもなりますまい…」
そう言うと、オオクニヌシはヤマサチの方をチラッと見る。
ヤマサチは相変わらずトヨタマヒメの相手をすることに夢中である。
その様子を見て、スサノオは何も言うことができず、うぐぐっ、とうなる。
「おーい!」
そんな二人の元に踊りを見ていたミナカタとスクナビコナが戻ってくる。
「あの踊りはすごかったよ!」
「そうそう、どうやって魚が人の姿になるのか、いくら調べてもわからないんだ!」
二人は興奮した様子で、声を弾ませながら言う。
そんな二人の調子はスサノオの神経を逆なでする。
「ええい、もういい!」
スサノオは突然オオクニヌシたち三人が一斉に振り向くほどの大声でどなる。
「こんな茶番にはもう付き合わん!堕落の極みだ!貴様ら全員恥を知れ!」
スサノオはそう吐き捨てると、三人からくるりと背を向けてしまう。
そして両方の肩を怒らせながら、まっすぐに扉へと向かっていく。
そして青銅の大きな扉を開けて、広間を出て行く。
残された三人は呆然としながら、そんなスサノオの背中を見送る。
「…ねえ、スサノオ様はなんであんなに怒ってるの?」
「…わからない…」
スクナビコナの問いにオオクニヌシは肩をすくめながら答えるのだった。
「…全くどいつもこいつも馬鹿騒ぎしおって…」
スサノオが一人つぶやく他の者たちに対する愚痴が宮殿の廊下にむなしく響く。
大広間を出たあと、いまだにいら立ちが収まらないスサノオはあてもなく宮殿をさまよい歩く。
宮殿内は本当に広く、扉もいくつあるのかわからないほどである。
スサノオもこの迷路のような宮殿の中を歩き続けて、いまや自分がどう行けば大広間に戻れるのかも完全にわからなくなってしまった。
この状況にスサノオはさすがに不安になり始める。
怒って広間から出て行ったが、戻り方がわからなくなった、というのはあまり笑える話ではない。
しょうがなくスサノオは廊下を歩きながら、扉を見つければ開けたりもしながら、大広間への行き方を尋ねるために人を探し始める。
しかしなかなか人影を発見することはできない。
そもそもスサノオは大広間を出てから、全く人の形をした存在に出会ったことがない。
どうやらこの宮殿中の者は全員大広間に集まってしまっているようである。
(…これはまいったな…)
そう思って諦めたくなる自らの気持ちを、スサノオはなんとか奮い起こそうとする。
とにかく今道に迷っている以上、たとえわずかでも近くに人がいる可能性にかけるしかない。
それが今自分にできる最善の方法のはずである。
とそのときである。
(…ゼンシン…)
(…?…)
スサノオの耳に
スサノオはすぐにあたりを見回してみる。
しかしあたりにはところどころに置いてあるたいまつはあっても扉はない。
遠くを見渡してみても、どこまでも続く廊下の壁がたいまつの明かりに照らされているのを確認できるに過ぎない。
(…気のせいか…)
再び静寂に包まれた廊下にスサノオはたたずむ。
だがそのとき―
(…ショウリ…)
「…これは…!」
スサノオは確信する。
これは空耳などではない!
ささやくような、本当にかすかな声ではあるのだが、確かに何者かの声が聞こえるのである。
そうして耳を澄ましながら、スサノオは声のするほうへとゆっくりと歩いていくのだった。
「…ここか…?」
スサノオはある地点まで来ると、立ち止まってつぶやく。
目の前には大きな扉が。
あれからかすかに聞こえる“ゼンシン、ショウリ”の声を頼りにここまで来た。
意外に声が聞こえた場所からそう離れておらず、すぐにたどり着くことができた。
「…ん…?」
スサノオは扉のある“異変”に気づく。
「…開いているのか?」
スサノオがよくよく目を凝らして扉を観察してみると、かすかに扉が開いているのである。
スサノオは扉の開いている隙間に顔を近づけて、奥の方をのぞいてみる。
「…何も見えないか。…それにしても…」
スサノオは思わず顔をしかめる。
「…なんだ、この嫌な空気は…」
隙間から見える暗闇からはなんとも言えないまがまがしい空気が充満している。
そのときである。
(…ゼンシン…)
「…くっ、またか…!」
スサノオは吐き捨てるように言う。
そして確信する。
「…間違いなく…」
この部屋の中にいる何者かが例の“ゼンシン、ショウリ”という言葉を発している。
もはや疑う余地はない。
「…どうしたものか…」
スサノオは躊躇する。
ここまで来たら今すぐにでも、この部屋の中にいる者にワタツミたちがいる場所に戻る方法を教えてもらいたいところだ。
だが部屋の中から漏れ出してくる空気はあまりにも不気味だ。
そのことがスサノオの足を重くする。
「…ええーいっ、いったい何をやっているのだ、このスサノオは!」
スサノオはその場に立ったまま、激しく首を振る。
年老いた自分は高天原の平和になれるあまりに、すっかり臆病風に吹かれてしまったのではないか?
「こんなところで立ち尽くすなどスサノオらしくないぞ!」
スサノオは意を決して、両手で勢い良く扉を開け放つ。
扉からはバーン、という大きな音が発せられるのだった。
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