第23話「下衆が」
「……またか」
碧は自分のベッドで目を覚ますと、ゆっくりと身体を起こす。
着替えていない服に寝た記憶のないベッド。どうもどうやら、また倒れてしまったらしい。
せっかくの研究時間が削れてしまったと嘆き、ベッドから起き上がって時間と日付を確認しつつ自分の体に魔術をかける。
『脳回復』と名付けられたその魔術は、睡眠を極力必要としなくなるためのものだ。睡眠で回復する分の脳を代わりに回復させるとはいえ、睡眠の全てを賄うことはできないためたまにこうして倒れることで睡眠時間を補っていた。
「んー……ん?」
机の上に置いてあった自分の鞄から本を取り出そうとして、碧はそれに気がついた。
──校舎の方から、戦闘の気配がする。
魔法の模擬戦をしたりするのであれば魔法競技場なりグラウンドなりでやるだろうが、どうもそうではない気がする。
俗に言う第六感というやつなのだが、優れた魔法使いのそれはかなりの精度を誇る。碧もそれは例外ではなく、自分の勘を信じて魔眼を使った。
「これは……なんだろう。襲われてる? 隼也いないけど何してるんだろ」
魔眼で見る限りでは、校舎の中で戦闘が起きているようだ。
大人の魔法使いが各教室に2〜3名ほどずつ入り、中の生徒や教師らしき魔力と戦闘をしている。
中には制圧しかけているクラスもあるが、ほとんどのクラスでは押され気味か、教師が倒されているようだった。
碧は少し悩んでから、靴を持ってベランダへ向かう。
男子寮の構造上、ベランダからは校舎の廊下が見える。
そして、対象が見えれば碧は転移魔術が使用可能になるのだ。
「座標指定よし、靴よし」
ふざけてそう呟いた碧は、2秒ほどで転移魔術を完成させる。
一瞬視界がブレて次の瞬間にはあまり見覚えのない廊下に立っていた。
あたりには逃げ惑う生徒たちがおり、碧は何回か肩がぶつかるものの、気にせずに魔眼を発動させて状況を把握する。
主に2年生の教室がある階なので碧は少し物珍しい気になるが、ゆっくり観察する時間はないので敵の場所が分かり次第手近な教室に入っていく。
中に入ると、2人のローブの男が生徒を何人か縛り上げているのが見えた。
うち1人は女子生徒のスカートを剥ぎ取ろうとしており、女子生徒は泣きながら抵抗している。
「下衆が」
碧がそう呟くと、2人のローブ人間は急に鳩尾に現れた氷の礫に対応できず、強い衝撃を受けて意識を失う。
自分を襲っていた男が急に倒れたことに驚きを隠せない女子生徒だが、碧が近づいてきたのに気がつき一瞬怯えの表情を見せる。
碧は軽く腕を振ると生徒たちを縛っていたロープを全て切り落とし、代わりにそれを使ってローブの男たちを縛り上げた。
「逃げるならお早めに。こいつらがいつ起きるかわからないからね」
碧はそれだけ言うと、次の教室へ向かう。
次の教室ではまだ戦闘が続いているようで、教師と生徒数名が頑張って3人の男を抑えていた。
碧は「お邪魔しまーす」と言いながら教室に入ると、2人のローブを魔法で引っ張る。急に体が引っ張られ抵抗もできずに碧のところまで来た2人の頭を鷲掴みにして電撃を放つ。2人は痙攣したのちにそのまま意識を手放した。
残された1人の男も生徒たちも急に現れた乱入者に呆然とするが、碧はその隙を見逃さない。視線を向けただけで炎を纏った鉄の刃を作成し、手足を刈り取る。焼かれた切断面からは血の一滴も落ちず相手は何が起きたか一瞬分からずに呆然とするが、すぐに痛みが襲ったのか大きな悲鳴をあげる。
その時にはすでに碧は男に背を向けて次の教室に向かっており、男の情けない顔は見ないで済んだ。
その調子で教室を開放すること5つ目。2人の男の首を締め上げて意識を落としたところで、碧はそれに気がついた。
第一競技場から打ち上がる魔力の塊。それは上がりきったところで姿を変えると、純粋な魔力で文字を描く。
SOSの3文字と見覚えのある魔力に、碧はこの時間自分のクラスは第一魔法競技場での授業だったと思い出すと同時に、そこに10ほどの見覚えのない魔力があることと、工藤の魔力がとても小さいものになっていることに気がついた。
「ふふっ、なるほど。面白い魔法だ」
状況を把握した碧は、優先順位を校舎の解放からクラスメートの救出に変更する。
使い魔の烏を召喚して魔法競技場まで飛ばす。使い魔が目的地に到着するまでのわずかな間で隣のクラスに滑り込んでローブの人間2人を制圧すると、視界を一時的に使い魔と共有してそちらの情報を得る。
魔眼の情報だけを頼って転移してもよかったのだが、魔力を少ししか帯びていない物質は見えにくいので、たまに転移先に物質があるのを見落とす場合がある。
そうなると色々と面倒なことになるので、直接見るのが一番正確なのだ。
座標を特定した碧は、烏を無数の羽根に変形させて相手の視界を奪い転移先の安全を確保してから、転移の魔術を行使する。
碧の視界が切り替わった直後、あたりを少し見て改めて状況を把握すると、処理する順番を定める。
「ちょっと、離れようか」
その言葉と同時に秋葉と鈴を押さえ込んでいた2人を魔法で空に打ち上げると、空中で空気のハンマーを叩きつけることで吹き飛ばす。
そうして、あたりの惨状を改めて確認すると少し反省する。
「完全に遅れちゃったね。優先順位間違ったな……大丈夫?」
校舎の方だけ見てこちらには完全に意識が向いていなかった。いや、一応一瞬だけ見たのだが、工藤の魔力が見えたからと瞬時に後回しにして詳細な情報を取得しなかった碧の落ち度だ。
言い訳をするとすれば、この時代からすればそこそこ強いであろう工藤が負けるのが想定外だった、というところだろう。
「烏野? なんで……」
「あれに気づいてくれたんだ」
「うん。あれはいい発想だったね。僕にしか見えないSOSだった」
拘束されている状況下で、露骨な救援要請は相手を逆上させる恐れもある。その点、魔力のみで描いた救援要請は、魔力を撃ち出したことはわかったとしてもそれで何をしたのかは見えない。上から抑えつけられている状況では最後の悪あがきに見えただろうし、いい判断だと言えた。
そこまで考えたところで、碧は後ろから飛んできた魔法を掻き消して身体をそちらへ向ける。
「今話してるんだけど。なんで隼也がいないのかも聞きたいし」
「お前、何者だ?」
「名乗るときは自分からじゃない? ま、僕は雑魚に興味はないけど」
確かによく見たら工藤よりは強いのだろう。
だが碧からすればそこに大差はなく、等しく弱者でしかない。切り札を使うまでもない相手だった。
「お近づきの印に、どうぞ」
魔法で生み出した20を超える雷を男に叩き込む。
一応実力を測ってやろうと言う碧の遊び心であり、同時に後ろで見ている2人への授業でもあった。
「やっぱり消せる程度の実力はあるか」
「ああ、驚いたがな」
「ま、見ればわかったけど……それはダメだよ」
背後で生徒を人質に取ろうとするローブがいるのがわかり、碧は瞬時に対応する。
魔術で風の手を生み出すと、ローブ達の首を掴んで持ち上げた。そして、そのまま意識が落ちるまで締め上げる。
それを止めようとリーダー格の男──中上が碧を止めようと炎の魔法を放つが、それはやはり碧に掻き消された。
「おいおい、ここに来て本物かよ……本当に何者だお前」
「君たちこそ何者なの? 降伏して教えてくれたら優しく殺してあげるよ」
「それは嬉しくて涙が出るねぇ」
「降伏する気はないか……周りのローブ、何人か殺したら諦めてくれるかな?」
「やれるもんならな!」
リーダー格の男は杖を振り回して幾つもの魔術を展開させる。
術式を碧は一つ残らず読み取り、最低限の出力の魔術で迎撃すると同時に、残りのリソースで周りのローブ達に魔術をぶち込む。
なんとか迎え撃つローブ達だが、生徒を人質に取るために行動するだけの余裕はないようだ。
そんな状態が10秒ほど続いているところで、後ろから悲鳴のような声が聞こえてきた。
「先生! しっかり! 今回復を……」
瓦礫からなんとか脱出したソルフィーは、自分の回復はほとんどせずに倒れた工藤に駆け寄る。かろうじて息があるものの、いつ死んでもおかしくない状態だった。
碧の目で見ても、いつ魔力が消えて無くなっても不思議ではないほど弱っている。
「あっ……忘れてた。方針変更、急いで仕留めよう」
工藤が命の危機なことを忘れていた碧は小さな声でそう呟くと、周りのローブ達に向かって話しかける。
「襲撃者達、今降伏するなら司法の裁きに則った罰を受けれるよ? これ以上抵抗するならすぐに殺すけど……どうする? 5秒以内に跪かないと抵抗とみなす」
「大人しくするわけないだろう、バカが」
「そっか……じゃあね、いつか地獄で会おう」
碧はそう言うと、ローブ達にしていた攻撃魔術を止めて一つの魔術を展開。
その術式を魔眼で見た秋葉は、はっと息を呑む。
何も読めないのだ。
抽象画かと見紛うようなその術式は、見ているだけで頭が痛くなるほど情報量が多い。まるで規則性など見出せず、一瞬ごとにその中身も変わっていくのが見える。
分析どころか術式を覚えることすらできない──いや、もはやそのような次元の話ではない。本当に秋葉の知る術式という概念と同じものなのかすら自信が持てなかった。
魔術式を見ることに耐えきれなくなった秋葉が視線をずらそうとした瞬間、その魔術が発動する。
一瞬だけ碧に黒い魔力が宿ったかと思うとそれはすぐに消え、代わりに中上が崩れ落ちた。
操り人形の糸が切れたかのように、受け身も取らずに重力に従って落ちていく。
その体に裂傷の一つでもあれば納得できただろうが、見る限りなんの魔術を受けた痕跡もない。
ただ、確実にそれは死んでいた。
およそ生気というものがなくなっていたし、秋葉が魔眼で見ても生者なら持つはずの魔力が霧散していくのが見えた。
だから、確実に死んでいる。
問題は何をして死んだのか誰もわからなかったことだ。
ただ誰かを殺す魔術なんて存在しない。あるのは何か行動を起こす魔術だけで、人が死ぬのはその結果に過ぎない。
だから、何か彼には死因があるはずなのだ。だが、なんで死んだのか誰も理解できなかった。
斬られたわけじゃない。毒を盛られたのなら少しは苦しむだろうし、魔術で体内に直接毒を入れることなんてできるはずもないのでその可能性は低い。かと言って焼かれたわけでもないし、内臓が潰れるほどの力が加わった痕跡もない。
まるで死神に命だけ刈り取られたかのように、理由もなく死んでいた。
『烏野君にはないの? 奥の手』
『あるよ。敵対者を即死させるやつ』
冗談だと思っていた会話が秋葉の頭の中で再生される。
まさか。いや、そんなはずはない。
そんなことを考えている間にも、碧は同じ術式を繰り返して淡々と命を刈り取っていく。
10秒も経たないうちに、先に気絶した人を除く侵入者全員の命が綺麗に刈り取られていた。
「2人とも、大丈夫?」
秋葉と鈴の手首の拘束具を魔法で外して、とりあえず回復魔術をかける碧。右腕と背中の痛みが引いていき、秋葉は一息ついた。
「うん。大丈夫」
「ありがとう烏野君、もうダメかと」
「じゃあ、あの瓦礫からみんなを出すの手伝ってあげて。僕は工藤先生をどうにかする」
碧は手早くそう指示を出すと、工藤とソルフィーのところへ駆け寄る。
「大丈夫そう?」
ソルフィーに回復魔術をかけながら、碧はそう尋ねる。彼女は首を横に振るのも惜しいとばかりに慌てながらたどたどしく状況を説明する。
「血が止まらないんです。どんどん血が抜けてくのに、全然、とまらない……」
「落ち着いて。術者が落ち着かないと魔法の効果は薄れるから」
碧はそう言いながら10秒ほどかけて工藤に回復魔術をかける。みるみるうちに傷は塞がっていき痕が残るのみになったものの、斬られた腕も顔色が悪いのも治らない。
呼吸は浅いままだし、魔力も安定してはいなかった。
「ロンメールさん。僕は回復魔法が苦手なんだ。全く使えないと言っても過言じゃない。
回復用の魔術はあるけど、急いで使えるのはここまでで精一杯。魔術で患者の血を増やすには時間をかけてDNAか魂を解析する必要がある。
だから、ロンメールさんが回復魔法をかけるんだ。回復魔法なら血もいくらか増えるから、まだ助かる希望はある」
「は、はい。頑張ります」
「任せたよ。僕は別のところ行かなきゃ」
碧はそう言うと、再び烏を飛ばして校舎の中を見る。
まだ戦闘が続いていることを確認すると、制圧するために転移魔術で移動した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます