第7話「指定のジャージ?」



 ──来なきゃよかった。


 1時間目の授業を受けた碧は、机に突っ伏しながら溜め息を吐く。

 最初の授業は「魔術論理基礎」というもので、魔術の仕組みなどについて学ぶ授業だったのだが、正直碧にしてみればレベルが低すぎた。

 だが、隣に座る秋葉はそう思わないらしく、笑いながら碧に話しかけてくる。


「難しかった?」


 どうも、突っ伏している碧を見てそう勘違いしたようだ。

 なるほど、たしかに傍目から見れば「編入生がレベルの高い授業についてこれず、項垂れている」ようにも見える。事実は真逆なのだが。


「いや、そんなことはなかったよ。期待してた授業じゃなかっただけで。

 しかし……なるほどね」


 教科書を捲り、5ページ目にある魔術の年表を見ながらそう呟く。


『現代の地球世界において主に使われる魔術は、魔法世界(異世界)において使われていた魔術をコンピュータで分析し、より効率的になるように組み直したものである』


 年表の下に注意書きとして書かれていたその文に、碧は納得する。


 ──なるほど。現代魔術に似ているのはこういう理由か。


 そもそも、現代魔術というのは古代魔術を人間が手探りで分析して作られた。いわば、コンピュータのやることを人力で成し遂げた成果なのだ。

 分析前の魔術形態が同じなのであれば、分析結果も同じものになる。


「でも、ということは異世界の魔術とこっちの世界の古代魔術は同じ、もしくはかなり近しいってこと……? でも魔法の文字は地球の言語を基に作られたはずだよね……」

「あの……大丈夫? 何か考えごと?」

「あ、ごめんごめん。大したことじゃないよ」


 独り言を漏らす癖がついている碧は、素直に謝ると一旦思考を端に寄せておく。これ以上考えるのはまた後日にする。


「次の授業なに?」

「数学Aだよ。教科書は……これだね」

「ありがと」


 青い表紙の教科書をパラパラとめくり、内容を軽く確認する。

 数学の内容は、特に魔術的な何かがあるわけでもなく、15年前のものとそう変わっているようには見えない。とはいうものの、高校に通っていなかった碧は15年前の高校の教科書はわからないのだが。


「大丈夫? 授業についていけそう?

 この学校、魔法の才能が重要視されるけど座学も結構レベル高いから……」

「んー、たぶん大丈夫。魔術の研究に数学は必要だから、多少勉強してるし」


 一応、大学レベルの数学まで軽く触れたことのある碧からすれば、高校一年生レベルの数学はそれほど難しくなかった。


「へー、魔術の研究に数学使うんだ」

「そりゃあ使うよ。現代の魔術って元の魔術を分析して作られたものだからね。分析っていうのは数学と切っても切り離せないものだから」


 碧は『どこまでの知識が必要かわからないから、とりあえず広い範囲をしてみた』というだけで、大学レベルの数学まで必要だったかと問われるとそれは疑問ではある。だが、碧の言うことは間違いではない。

 分析にはさまざまな数学的な考えが必要になるし、実際に微積分や確率統計の知識を問われることもある。


「へー。じゃあ今度数学教えてよ」

「人に教えるの苦手だけど、それでもよければ」


 天才肌の碧にとって人に教えるのはかなり苦手だ。わからないところがわからないので、どうすればわからない人に伝わるのかがわからない。彼自身、数学なんて公式に当てはめるだけだと思っているし。


「やった。じゃあ中間テストは任せた」

「……話聞いてた?」


 先ほど、教えるのは苦手だと言ったばかりなのだが。



◆ ◇ ◆



「あー……帰りたい」


 昼休み。秋葉に連れられカフェテリアに来た碧は、机に突っ伏しながらそうぼやく。


「……ボクも帰りたいんだけど。はぁ、なんで連れてこられたのやら」

「あはは……流れるような手つきで首根っこ掴まれてたね」

「ほら、せっかくだから親交を深めた方がいいかと思ったんだけど……こんなに混むとは想定外だった。

 やっぱり、人類半数くらいにするべきなのでは?」

「たかが人混みで物騒すぎるよ!?」


 ハンバーガーを食べながら恐ろしいことを言う碧にツッコミを入れる秋葉。一方鈴は、碧同様人混みは苦手なのか「いっそ滅ぼした方が……」などとさらに物騒なことを呟いていた。

 ちなみに、碧のやらかしで出現した魔物のせいで地球の人口は大幅に減少したので、それを知っている人からすればブラックジョークにもほどがある。


「で、なんでボクも連れてきたの。何か理由があるんでしょ?」


 碧の向かいの席に座る鈴は、鯖の煮込み定食を食べていた手を止めて、箸の先を碧に向けながらそう尋ねる。


「さっきも言ったじゃん。親交を深めるためだよ」

「なんでボクと」

「君がクラスで一番強いみたいだから。強い人とは仲良くするべきでしょ」

「……ボクは二番目だよ。一番は中堂」

「え、マジで? って、この言い方は失礼か。ごめんね」


 本気で驚いた碧は、思わずハンバーガーを落としかける。

 どう見ても魔力制御能力は鈴の方が上だし、よっぽどのことがなければ鈴が一番だと思っていたのだが。


「あはは、それはわたしがちょっとズルしてるからというか、なんというか……それに、りんちゃんも本来の戦い方じゃないし」

「魔眼はズルじゃない。その人の持つ魔法の一部だし」

「魔眼か……へぇ、何の魔眼なの?」


 魔眼と聞いて、思わず納得する碧。

 体の一部に宿る魔法を異能と呼ぶのだが、その中でも目に宿ったものを魔眼と呼ぶ。

 メドューサの見た者を石にする魔眼を想像するとわかりやすいだろう。

 たとえそこまで強力でないにしても、魔眼を持つだけでかなり戦闘においてプラスになることは間違いない。


「魔力を視るってだけだよ」

「『魔力を視る』ね──だから案内役を中堂さんに頼んだのか」

「ん?」

「ああ、いや。偶然にも僕と同じ魔眼を持ってたからびっくりしちゃって」

「え、烏野くんも魔力視えるの!? あ、だから『鈴ちゃんががクラスで一番強いみたいだから』って……」

「そういうこと」


 驚く秋葉ににこやかに対応しながら、碧はチラリと鈴の方を見る。


 ──やっぱり、驚いてないな。


 表情の変化、魔力の動き、姿勢、呼吸。どれを見ても、驚いているようには見えなかった。

 知っていたというのが正確だろう。朝の「やっぱり」という台詞も、碧が魔眼持ちだと知っていたからこその反応だったというわけだ。


(やっぱりこの子、身近にゼロ世代の誰かがいたな。親か師匠あたりだろうけど)


 他の魔法使いが全く意識してない魔力制御の練習をしているところや、さりげなく魔術を行使したことなど、他のクラスメートとは違うものを感じていたのでもしやと思っていたのだが、この話で碧はほとんど確信に近いものを得た。

 この時代でも魔眼が珍しいものであることは既に調べているし、珍しくないから驚かなかったというわけではないだろう。今までの言動から察していた場合でも、全く動揺しないのは流石におかしい。

 なら、最初から知っていたのだろう。碧が魔眼を持っていることは15年前の魔法使いの間では有名だったし、僕が編入すると聞いてその話をした人がいるのだろう。


 とはいえ、それがわかったからといって特に何かするわけでもない。

 敵対的なわけでもないし、そもそも碧が警戒するほど強くない。

 それをしたら今までゼロ世代がしてきた隠蔽工作は無駄になるのだから、どうせ碧に関する情報を言いふらすことなんてできないだろうし。

 そんなことより、今浮かんだ疑問を晴らす方が重要だ。


「ちなみに、魔眼に目覚めたのはいつ?」

「小学校の頃だよ。そっちは?」

「僕のは生まれつき。視えるのが当たり前だから、視えない世界が想像できないんだ」


 小学校から目覚めたという答えを聞いて、碧は一人でこっそり納得する。

 魔力が視える人間は、基本的に魔力操作が上達しやすい。視えるものを操ればいいのだから、それが視えない者より上手くなるのは当然のことだ。

 だからこそ、魔力が視えるのに魔力を操作する能力が低いのが気になったのだが、後天的に手にしたのであれば納得ではある。

 おそらく、まだ魔力が視える感覚に慣れていないのだろう。人が急に犬並みの嗅覚を与えられても使いこなせないように、まだ魔力を視る力を使いこなせていないのだ。


「……そろそろ、準備しないと」

「あ、もうこんな時間!? 烏野くん、行かなきゃ!」

「え、どこに」

「あ、そっか。知らないんだもんね」

「ボクたちのクラス、次の時間魔法の実習なの。だから、指定のジャージに着替えなきゃ」

「……持ってないけど」

「え」

「だから、持ってないけど。まだ届いてないのかも」


 もしくは、隼也が注文し忘れたのだろうか。

 その可能性もあると思ってしまう碧だが、実際にはただ届いていないだけである。

 ジャージ自体は後からでも買えるものではあるものの、名前を刺繍する関係上どうしても数日はかかる。なので、まだ届いていない。

 そもそも急な編入だったのだ。教科書を揃えられただけよかったともいえる。


「まぁ、見学……にすればいいんじゃないかな? 事情話せば許してくれるよ」


 そう言う秋葉に、鈴もこくりと頷いて同意した。



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