第1話「知らない病室」



 ──ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。


 規則正しい電子音が鳴る室内。

 病室と表現するのが適切なそこは、しかし彼の知る病室とはかなり違っていた。


「…………どこ?」


 声変わりもほとんど終わって、しかしそれほど低くならなかった彼の声が、端的に疑問を口にする。

 若干癖のある黒い髪を揺らしながら上体を起こし、その日本人離れした青い目が室内をくまなく視る・・

 存在する装置自体は一般人用の病室にあるものと似ているように思える。もっとも、彼の中にある一般人用の病室の知識は、そのほとんどがドラマか映画由来のものであるが。

 しかしながら、自分に繋がれた複数のコードのうち、一つを辿った先にある装置は、間違いなく魔術によって動作している。

 つまり、ここは魔法使い用の病院ということだ。


 魔法使いの病院に心電図を見る機械があるなんて珍しいな、と思いつつ、彼はここに来る前の記憶を思い出そうとする。


 ──確か、異世界と地球を結ぶ転移門を開こうとして、魔法陣に魔力を注いだんだった。


 それがどうしてここにいるのか。

 あの実験は成功したのか。


 そんな疑問は尽きないが、ひとまず思考の隅に追いやる。それらを確かめるためにも、今自分がどこの病院にいて、どうしてここに運ばれたのかを知らなくてはいけない。

 魔術で調べたところ、幸いにも体に異常の類は見つけられなかったので、早く退院することはできそうだが……この病院はどこかおかしいと薄々感じ始めていた。


 何故か、周囲に人の姿がほとんどない。

 感知できる限界まで意識を広げてみても、僅か数人しか感じ取れないうえ、そのどれもが病人には見えない。病院なら自分の他にも病人がいるはずだ。

 しかし、いくら違和感があるからといって、人を呼ばないと始まらない。


 彼は、意を決して枕元にあったナースコールらしきものを手に取ると、意を決して押す。


 結果。

 彼の目論見通り、気配が移動して彼の今いる病室の前まで来た。

 だが、彼の想像通りになったのはそこまで。

 予想では落ち着いた様子で医者が入ってくるはずだったのだが、実際は──



「お、起きてる!!?」



 思わず耳を塞ぎたくなるほどの音量の叫びだった。



◆ ◇ ◆



 絶叫した看護師が連れてきた中年男性の医師の診察を終えて、「保護者が来るまで待っていてくれ」と言われた彼は、大人しくベッドに腰掛けて待つ。

 両親はすでに他界しているし祖父母も迎えに来れるとは思えないが誰が来るのだろうか。そう疑問に思いながら、足をパタパタと動かす。


 しかし、最初に来た看護師の「起きてる!?」という叫びはどうなのだろう。自分は起きれないと思われるほど重傷だったのだろうか。魔法の実験を行っただけのはずなのに。

 不意に自分はもしかしたら頭が半分吹き飛ぶくらいの重傷なのではないかと不安になり、魔法で手元に鏡を作り出し自分の顔を見る。

 いつもと変わりない顔だった。基本的には日本人らしいが、ところどころに欧州系の要素が混じっている、そんな顔つき。

 彼はそんな自分の顔を気に入ってるわけでも嫌ってるわけでもないが、変化がないことに安堵する。


 その後も不思議な現状に頭を悩ませていると、ふと知り合いの魔力を感じて顔を上げる。

 ドアの方へ顔を向けると、ちょうどドアが開いて人が入ってくるところだった。

 向こうからやってきたのは、金髪に茶色の目をした、日本人らしくない見た目の男性。年齢は30歳前後で、身長は180を超えているくらい。鋭い目付きがベッドに腰掛ける少年の姿を認めると、にっと笑う。

 そんな気さくな態度が、少年には非常に気持ち・・・悪かった・・・・

 咄嗟に魔力を視た・・ものの、その結果は余計脳に混乱を招くだけだった。


 ──同い年だったはずの男が、自分が起きたら一回り以上年上になっていた。


 そんなことはまずありえないと少年は頭の中で考えるが、魔力を視る自分の目と第六感は彼が同い年の友人本人だと訴えている。


「え、ちょ、は? え、え?」

「あー、そうか。そりゃ混乱するか。今説明するからとりあえず落ち着け」

「あ、う、うん」


 少しだけ正気に戻った少年は、自分に精神を安定させる魔法をかけると、視線で説明を促す。

 それに男は頷くと、少年が倒れてからのことを説明し始める。



◆ ◇ ◆



 5月2日深夜2時半。

 世界中の魔法使いが、体調を崩すほどの魔力の奔流を感じ取り、すぐに原因の特定に動き出した。

 魔力の流れ出した方向から推測すると、その中心は、魔法使い 烏野からすのあおいの家の付近。転移魔法の使える魔法使い数名が確認に向かうと、そこには内部からと見られる衝撃で破壊された家と、そこに佇む謎の空間の裂け目。そして、そこから漏れ出る尋常ではない量の魔力。

 既に防ぐこともできないほど溢れ出ていたそれは、世界中に拡散し大量の魔物を生み出した。

 そこから始まったのは阿鼻叫喚の地獄絵図。一応銃器などで殺傷できるとはいえ、相手は超常の生物。被害は相当なものだった。

 なんとか主要都市周辺での魔物の発生を抑えた頃にはその空間の裂け目は完全に安定し、『門』としての役割を果たしていたのだった。


 その門を潜った先は、空想のものと思われていた剣と魔法のファンタジー世界だった。

 どうにか意思疎通をし、さまざまな条約を結んだのが10年前。実に、『門』が現れてから5年が経過した時のことだった。


 それから法律の整備や国内に発生した魔物溜まりの排除、治安の回復などを経て今に至るらしい。

 つまり──いつの間にか、15年の時が経過していた。


「……そっか、うん。なるほどね。だから隼也しゅんやは30歳に」


 呟くような碧の言い方に、男──野口のぐち隼也は苦笑いをする。


「ああ、そういうことだ。お前の見た目が変わってない方が不思議だけどな」

「いろいろ仮説はあるけど……まぁ、それはどうでもいいかな。

 ねぇ隼也、お願いがあるんだけど」

「ん? なんだ?」


 傍若無人といった表現が似合う碧がそんなふうに真面目な顔で頼むなんて珍しい。

 そんなふうに思っていた隼也だが、次の瞬間碧が手に氷の短剣を作り出したのを見て表情を固くする。


「切腹するから介錯は頼んだ」

「待て待て待て待て、早まるなお前!」

「止めないで。あんなこと、好奇心でしていいことじゃなかったんだ。自分のしたことに今更始末はつけられないからこそ、責任とって腹を切るよ」

「馬鹿野郎!」


 短剣を躊躇いなく自分の腹に刺そうとする碧を、隼也は全力で止める。

 後ろから羽交い締めにし、魔法で氷の短剣を砕き、新たに氷の刃を生成しようとするのを全力で阻止した。


「止めないでよ! 世間知らずの僕だってわかるさ! 今の地球が僕の知ってる頃よりどれだけ人口が少なくなってるのかなんて!

 それは全部僕のせいだ!」


 だから、せめて腹を切らせてくれ。

 死んで詫びたいという碧だが、隼也は友人として、一魔法使いとしてそれを止める。


「落ち着け。お前が死んだって何も解決しない。

 それに、お前が死ぬわけにはいかない事情があるんだ。

 ……今の異世界と地球の魔術知識では、お前の作った魔術を再現できないんだ」

「……詳しく」


 やっと落ち着いた碧は、鋭い目付きで隼也を睨む。

 それに怯えることなく隼也は続けた。


「今の魔術の知識では、あの門がどんな魔術で維持されていて、どうしたら閉じられるのか誰もわからない。

 お前の残した論文は、残念ながら発表できないからだ」

「なんでさ」

「理由は2つ。1つは、お前の家が吹き飛んだ時にその資料の大半が失われたこと。回収しようと頑張ったが、大量の魔物の出現でそれどころじゃなかったから、気がついた時にはぐしゃぐしゃになって解読不能のものが多数を占めていた。

 もう1つの理由は、そもそも俺たちの存在は公にされてないからだ」

「……異世界と繋がる前に魔法使いがいたという事実はなかったことにされてるってこと?」


 拘束から解放された碧は、顎に手を当てながらそう尋ねる。


「その通りだ。今は異世界と繋がった事件について、『不幸な自然現象』ということにしてある。

 何故ならば、元から魔法使いがいたと公表すると、『何故こうなる前に止めなかったんだ。この方が都合がいいからわかってやってたんじゃないのか』と世間からバッシングを受ける可能性があった。

 その結果、混乱した市民たちは俺たち元から地球にいた魔法使いを迫害するだろう。だから、それを避けるために俺たちは『異世界と繋がったことで魔法に目覚めた人』ということにした。

 だから、お前の魔法に関する論文を発表することはできない。あの技術は今知れ渡っているものの先を行き過ぎている」

「……急にレベルの違う理論を提唱する人がいたら、疑われかねない……か。

 でも、それがなんで僕を生かす理由に繋がるの?」

「あの『門』の構成の理屈を理解できるくらい魔法が発展するまでの間に、たとえば、門が閉じかけたり、暴走したりした時のためだ」


 要するに、異世界と地球を繋ぐ『門』を維持するために必要だと考えたのだろう。


「仮に『門』が閉じた場合、今魔法が使える人類は使えない人類から恐怖の対象に思われるだろう。

 今は魔物がいるからいいが、門が閉じて魔物が極端に少なくなれば、魔法使いは銃よりも殺傷能力の高いものを持ち歩いている人と変わらない。

 そうなったら、いつかの魔女狩りの二の舞だ」


 魔女狩り。かつてどれほど過激で非人道的なそれが行われたか、魔法使いの彼が知らないはずもない。

 しかし、ただの好奇心で世界中の人間の運命を変えてしまった自分が生きていてもいいのだろうか。


「……一晩考えさせて」


 碧は、頭を抱えてそう呟いた。



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