文月の遺言(二〇二二年七月・文披31題)
二〇二二年七月に行われた企画「文披31題」のまとめです。
詳細:https://twitter.com/Fictionarys/status/1533778968847224832
Day1 黄昏
七月は夏の浅瀬。明けない梅雨のさなかに足許を濡らす。きみのはしゃぐ声が水飛沫をまとい渡っていく。
日が暮れるまで遊ぼうと、くすまない笑顔で誘い出してくれたきみと、この季節を歩いていこう。
燃えるような川面のくすんでしまうまで。
Day 2 金魚
揺れている、ひらめいている、水槽のなか。
まるで蠱惑的なドレスの裾。
誘う、踊る、なめらかな赤を、きみは食い入るように見ている。
そっちには行けないよ。手足を持って、呼吸をするきみは。
口には出せず、そっと袖を引く。
粘つく泡がひとつ、弾けた。
Day 3 謎
向ける笑みに、遠くを見る横顔に、深い深い瞳に。
現れては消えていく。
解こうか、やめようか。
きみは、何を望んでる?
Day 4 滴る
ぽつん、とひとつ。きみの頬を伝った汗。ぴたん、とふたつ。ソーダアイスの雫。
フライパンみたいに熱いアスファルトに落ちて、たちまち消えていく。
遠く水平線に目を凝らせば、ひた、とみっつ。
真っ青に溶け出した夏が、海へ落ちていくのが見えた。
Day 5 線香花火
落ちないように、そうっと、そうっと。
小さな光る球を大切に、暗がりで見守る。
打ち上げた大玉の破裂音を耳の奥で聴きながら。
隣りで一緒にしゃがむきみの、詰めた呼吸を感じながら。
先に落ちたほうの負けときみが言ったから、ただ祈る。
このままずっと、どちらも落ちずにいて。
Day 6 筆
すらすらと走らせて、墨の跡はつやつやと光る。
並ぶ漢字は遠くの国の詩を詠う。
別れを惜しむ詩だときみは言いながら、不意にひと文字間違えた。
投げ出した反故紙を見えないようにそっと破る。
きみがそんな詩を詠む日が来ないように、祈りながら。
Day 7 天の川
ある日、きみの口元から漂う白いひと筋。
空を渡る流れのほとりにある、特別な草の葉を刻んで作ったと嘯いてみせた。
ふうと吐けば白くうねり、きらきら光を混じらせて、高く高く立ちのぼる。
深く息を吸えば、薄荷と夜と、星の匂い。
Day 8 さらさら
たとえば夜風に揺れる笹の葉。
たとえば静かに流れる川の水。
たとえば甘くなびくきみの髪。
たとえば、この指をすり抜けていく願い。
Day 9 団扇
ばさばさばたばた、まるで行儀の悪い鳥のように。
舞い上がる前髪もお構いなし、きみは忙しなく風を送ってくる。
これは涼を呼んで、魔を祓うんだ。
抗議すれば、きみはそう言って唇を引き結ぶ。
和紙に咲く紫の朝顔はひどく冷たそうだった。
Day 10 くらげ
静まり返る水族館の暗がり。
漂う半透明は昔から少し苦手だった。
その頼りなさが、いつだって自省の感情を呼ぶから。
淀まない限り、きっとどこかへ辿り着けるときみは言う。
深い海のような、水族館の暗がりで。
Day 11 緑陰
木漏れ日に汗を拭えば、光を揺らす風は気まぐれ。
投げ出した足は日焼けひとつない。鮮やかなビーチサンダルが映える。
きみは差し出したラムネ壜をひと息にあおる。
白い首筋。
枝葉がざわめく。
隙間から降った陽射しは咎めるようで、恨めしく目を閉じた。
Day 12 すいか
握る両手に力がこもる。
念入りに研いだ銀色は毀れひとつない。
振りかぶり、ひと思いに。
ごろり揺れた半球の、緑の中身は白と赤に散らばる黒。
午後の時計が三時を告げる。
からからの喉がふたりぶん、待ちきれずにごくりと鳴った。
Day 13 切手
アルバムのなかには無数の欠片。
小さな絵には数字が添えられ、額縁には連なる半円。
これは切符なんだ。どこでも好きな場所へ行くための。
嬉しそうに眺めるきみ。
コレクションは増えるばかり。
いつか、燃やしてしまおうか。
Day 14 幽暗
足許も覚束ない、肝試しの道すがら。
繋いだ手すら目を凝らさねば薄れていく。
怖くないんだよ、こんなものは。
先を行くきみは背を向けたまま。
本当に怖いものはね、
呟いた言葉は溶けたきり。
Day 15 なみなみ
茶色の壜を傾けて、グラスに注ぐ真っ白な甘露。
飲み過ぎてはいけないと、子供の時分はきつく言いつけられた。
澄んだ氷を放り込み、溢れるほどの水で満たす。
子供も良いけど、大人も楽しいね。
そう嘯くきみは、まるっきり少女の顔で笑う。
Day 16 錆び
雨の住宅街。打ち捨てられた小さな自転車。
淡いピンクとブルーは砂糖菓子にも似ていたのだろう。
今はすっかり赤茶色にひび割れ、水溜まりに浸かっている。
小さな体と喜びを乗せた日々を想いながら眠っているようだった。
記憶はいつだって優しい。
傘のした呟けば、慰めるようにあなたは微笑む。
Day 17 その名前
思い出せない。
思い出せないから、呼ぶこともできない。
だから、あなた、と、漠然と。
口にするだけの虚しい抵抗。
Day 18 群青
息苦しいほどに濃く、切ないほどに鮮やか。
もどかしいほどに近く、虚しいほどに遠い。
季節はそうして色を謳う。
あなたの纏うTシャツにも似て。
Day 19 氷
グラスに伝う雫、机に広がる水溜まり。
溶けてしまえば戻れない。
汗ばむ床に荒い息が跳ね返る。
戻れないなら、どこへ行くの。
あなたはただ、ぬるい中身を飲み乾すばかり。
Day 20 入道雲
向かう先に白が立ちはだかる。
山の稜線に指をかけ覆いかぶさる。湧き上がる腕に背中に、午後の陽射しが跳ね返る。
もうすぐ降るね。急ごう。
繋いだ手に逆らわず、乾いた砂利道を駆け出した。
いつからだろう?
こんな風にあなたと寄り添うようになったのは。
頬を打った水滴が答えをかき消した。
Day 21 短夜
踏み込むには足りなくて、
遠回りするには有り余る。
呼吸の数だけ言葉はあるのに、
また朝陽が窓を叩く。
Day 22 メッセージ
「先に行きます」
白いメモにあなたの文字。
短い伝言の隅、ぽつりと藍色がひとつ。
躊躇い傷のような滲みは、何よりも雄弁。
Day 23 ひまわり
飛び込んだ迷路には噎せ返るほどの熱。
地に咲く晴れ。まぶしいほどの黄色が太陽を目指す。
彷徨ううち、幼い頃の夢想が浮かび上がった。
――あの花たちが、一斉にこちらを向いたなら。
地を埋め尽くす花。おぞましいほどの単色が視界を覆う。
急にしがみついても、あなたは何も言わない。
Day 24 絶叫
声を枯らせて、喉を裂いて、夜空の星さえ震わせても、届かない。
立ち込める雲が、降りしきる雨が、轟く雷鳴が、すべてかき消していく。
鼓膜も心も、こんなに揺れているのに。
掻きむしる胸の響きはあなたに伝わることはない。
Day 25 キラキラ
星も、花火も、降る陽射しも。
あなたと過ごす日々も。
いつかは消えていくもの。
だから淀んでしまう前に。
せめてその輝きを、目に焼き付けて。
Day 26 標本
この季節を、この日々を、
銀色のピンで縫い止めて。
コルクの板のうえ、ガラスの箱のなか、
永遠に留めておけたらいいのに。
近づく終わりを確かにその目に収めた、あなたの横顔さえも。
Day 27 水鉄砲
飛沫の描く放物線。
撃ち出され、迸り、孤を描く。
ビニールプールに思い出を浮かべて、がむしゃらに引き金を引いた。
歓声を上げはしゃぐ午後は過ぎていく。
完成のない未来は撃ち抜けない。
ずぶ濡れになれば、涙だってわからない。
Day 28 しゅわしゅわ
降り止まない蝉の声。噴き出す青い炭酸水。乱反射を続ける日光の群れ。
耳鳴りにも似た、この季節の通奏低音。
目を閉じて、耳を澄ます。
陽炎のなかのエコーロケーション。
あなたの姿を、薄闇に探す。
Day 29 揃える
「これください」
声と言葉はふたりぶん。差し出す箱は色違い。
くすくす笑う店員に、顔を赤らめ黙り込む。
ちりんと涼しく鳴る鈴の、小さな根付けを贈り合う。
少しの照れと嬉しさと、そこに隠した願い事。
この音がいつか絶えたなら、あなたと共にいきたいと。
Day 30 貼紙
電信柱に真新しい一枚。
荒い印刷にも負けない極彩が夜空に咲いている。
日付は明日、始まりは夜。
あなたの凪いだ目を見なくても、わかっていた。
――ぼくは
これが最後になる。
――うん
わたしはただ、頷く。
Day 31 夏祭り
きみと過ごした日がくすむ。
あなたと点した灯が揺らぐ。
笛と太鼓と喧騒に、
浴衣の青は滲みゆく。
夏の浅瀬の七月の、
末の今夜は尽きてゆく。
絶えよと願った鈴の音の、
冷たく澄んで鳴り止まず。
締め損なった首筋の、
真白く澄んで遠ざかる。
絡めた指がほどければ、
切れた鼻緒に屈み込む。
見つめる目と目が逸れ合えば、
途切れた言葉が枯れ落ちる。
顔を上げれば暗闇に、
きみと過ごした日は消えた。
あなたと点した灯は消えた。
文月、夏の浅瀬。
言葉も灯も尽きて、夢の終わり。
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