月浜定点観測所・出張所

此瀬 朔真

笑う本の生活・序文(本と笑いアンソロジー 『破顔書架』参加作品)

 おーい。

 おーい、そこのあんた。

 ふう、やっと顔上げてくれたな。心配したよ。

 ああ、こっちこっち。もうちょっと目線を下げてくれ。

 そう。それが俺だよ。こんにちは。

 いやいや。そんなに不思議そうな顔をするなよ。ここじゃあ、常識外れなんて朝飯前も良いところなんだからさ。

 ま、たまには俺みたいな変わり種がいても刺激があって楽しい……へ? 初めて来た?

 ってことは、ここがなんなのかも知らない?

 ははあ、そりゃまた随分珍しいね。

 うん、まあともかくだ。いらっしゃい、お客人。

 ところで、なにを泣いてたんだい。良かったら話を聴かせてくれないか。

 俺は口は堅いほうだよ。……なんだい、そんなじとーっとした目をしてさ。信用ならないってか? あのね、俺はよく喋るだけで、秘密をぽんぽんバラすような性格じゃあないんだよ。木を隠すなら森に隠せって言うだろ? 肝心なことは何ひとつ明かしたりしないさ。

 というわけでだ。あんたが泣いてた理由は絶対に誰にも言わない。約束するよ、お客人。それにさ、話したら、ちょっとは気が楽になるんじゃないか。

 ……うん。うん。そうか。まあ、そうだな。確かに。……うん、なるほど、それで? うわあ、そりゃしんどいな。うん。うん。あ、それってつまり……ふむ、ほほう、そういうことね。え? おお、そう来るか。ってことは……ああ、やっぱりそうだよな。いやあ、うん、よくわかった。

 残念ながら、あんたの探しものは相当難しいよ。というか、ほとんど無理だと思う。

 ここには万だの億だのって数じゃきかないくらいの本があるんだ。だから多分、あんたの求めているものも存在しているんだと思う。

 ただ、連中は面倒くさくてね。揃いも揃って気まぐれでね、まあある意味忠実ではあるんだが、自分を本当に必要としてない相手には意地でも開きやしない。んで、本題はこっからだ。

 もし真実その「物語」を必要としていたんなら、もうとっくにそいつは現れてるはずなんだ。あんたの目の前にね。

 さて、立ち返って現状だ。今、あんたの目の前にいるのは?

 そう。そういうこと。

 あんたはさ、ただちょっと疲れてるだけなんだよ。街中を歩いてて、くたびれたらどっかの喫茶店とか、そのへんにあるベンチに座りたくなるだろ。……あん? 座りたいんじゃなくて縋りたいだけ? いやまあ身も蓋もない言いかたをすればそうなんだけどさ。って、自分でわかってるじゃんか。しかもなんだよ、ちょっと上手いことまで言っちまってさ。あーあ、せっかく冷たい言い回しを避けたってえのに、気ィ遣って損したよ。

 ……なんてね、ははは。冗談冗談。

 いや、いいよ。こうして会話できるきっかけを得られたのに、わざわざ嫌な言い回しをするってのが、俺は気に入らないだけだから。

 しかしなんの因果か、あんたと俺はこうして出会ったわけだ。俺たちのあいだには縁ができた。まずはそれを喜ぼうじゃないか。なあ、そうだろ。

 さて。じゃあひとつ、記念にちょっとでもしてみようかね。いやなに、気晴らしだよ。きれいさっぱり今すぐ忘れろって言っても無理だろ。だったらひと時ばかり、ちょろっと荷物を下ろすみたいにさ。俺の話を聴いてみないか。

 うん、そう来なくちゃ。さっそく始めよう。

 さて。昔々……かどうかは定かじゃないが、あるところに若い男と若い女がいた。言っとくけどこいつらは恋人ではない。もうなんか、そういうのを飛び越しちまってるんだ。一番近い表現は、そうだな、家族。お互いが当たり前に大事ってやつ。小さい頃から家も近くて、親同士も仲良くしてた。まあそれなら当然一緒に遊んだりするようになるよな。それでいつもつるんでた。男のほうがエム、女のほうがケイ。イニシャルだよ、もちろん。個人情報ってやつだからね。

 突然だがちょっと話は遡る。エムとケイの子供時代だ。ケイのほうにね、ちょっと説明が必要なんだ。

 こいつは昔からちょっとこう、なんつうか、現実じゃありえないものを感じ取って、しかもごく自然に受け入れるような感性を持ってたんだ。単純に幽霊が見えるとかそういうんじゃなくて……上手い表現が見つからないな。まあ、めちゃくちゃ鋭かったんだ。ざっくり言うと。でも本人は自分がめちゃくちゃ鋭いなんて気づかない。自分が見たらい聴いたりしてるものを、周りのやつらも同じように見たり聴いたりしてると思ってた。だから平気でそれを口にした。

 そんなことしたら、気味悪がられないほうがおかしい。そうだろ?

 ケイの周りにいたやつらはさーっと引いていったよ。なかには積極的な行動に出るやつもいたけどね。口汚く罵ったり、まあ、なんだ、直接暴力を振るったりとか。うん、気分悪い話だな。ごめん。

 でもどんなときも、エムだけはケイのそばを離れなかった。

 エムもな、迷ったり悩んだりしなかったわけじゃない。自分だってケイの感じてるものがわからないんだから仕方ないことだよ。だけどそれ以上に、エムはケイのことが大事だったんだ。ケイをさびしいままにさせておくなんて到底できなかった。お互い全部をわかり合えなくても、一緒にいたいと願うことが肝心なんだって、子供なりに気づいてたんだな、多分。

 ケイのほうも、そういうエムを無二の存在だと思ってた。

 普段から明るいやつだけどね、やっぱり独りぼっちになるのは堪えた。めちゃくちゃ鋭いって言ったろ? だから周りの悪意とか敵意なんかもひと一倍強く捉えてしまったんだ。それもあってだんだん学校に通わなくなって、家族にも会いたくないからふらふらそのへんを歩き回って、そうすると余計に変なものに出会っちゃうわけだ。

 に入ってしまうって手も、なかったわけじゃない。

 むしろケイにはそっち側のほうが生きやすかった。自分と違うものを排除しない、混沌が混沌のまま存在している世界のほうがね。普通の人間ならあっという間に精神が枯れただろうが、ケイにはおあつらえ向きだった。

 でもなんで踏みとどまったかって、もちろんエムがいたからだ。

 どんなにしんどくても、たったひとりでいい、自分を想ってくれる誰かがいるなら踏ん張れる。それがケイの強さだった。

 まあそんな感じで、二人でつるんでるうちにおかしな事件に巻き込まれもしたんだ。天の川の滴を空に返すために走り回ったり、その途中で胡散臭い司書に説教されたりね。正確に言うとケイがエムを巻き込んでた。エムのほうも一応迷惑そうな顔はするけどさ、それでも、いつも楽しそうに二人で転げまわっていたんだよ。

 しかしさ、子供のうちはどんなに仲が良くても、やっぱり大人になるにつれて意識は変わっていくわけだ。





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