生意気な拾い者⑥

○ ◎ ●


 追い掛けるつもりなど無かったのだ。


 プリッシラから教えて貰った”昼寝する河馬ナッピング・ヒポ”。地図によれば”埃塗れな外層区ダスティ・エリア”にあると言うその店は、具体的に何をする所なのかも分からなかったが、他ならぬティセリアの友人であるプリッシラの紹介だ。信頼は出来るに違いない。


 双子が居る手前、詳しく話を聞いたりは出来ないものの、せめて外観や道順くらいは把握しておこうと、シンはプリッシラの店を出たその足で”埃塗れな外層区ダスティ・エリア”にまでやって来ていた。見知らぬ街を地図に目を落としつつ、更には好奇心旺盛な子供を二人連れて歩くのは思ったよりも気疲れして、たまたま目に付いた地元民らしき子供に道を訊いてみようと声を掛けた。


 そうしたら、思ってもみなかった反応が返ってきたのである。


 クソ生意気な餓鬼にいきなり罵倒されたからって本気で怒るつもりもないし、自身の不快を説教という名目で発散させるつもりも無い。いずれ双子ヒナギクとホタルもあんな風に反抗的になるのかな、とちょっとおセンチな事を考えたりはしたが、それだけだ。


 本当に、追い掛けるつもりなんて微塵も無かったのだ。


 けれど、掌を叩かれた際に落としてしまったプリッシラの地図を拾おうとして、それが何処にも無い事に気付いたのである。もしかしたら本人にはそんな気は全く無かったのかもしれないが、彼女は手を叩いた拍子にシンの掌から地図を掴み取り、そのまま持って行ってしまったらしい。


 アレが無ければ目的地に辿り着く自信は無い。地図を取り返すべく、急いで少女を追い掛けたのだが……


「なんでこんな事になっちまったんだ?」


 心中の疑問をそのまま口に出した自らの声は、随分と間抜けに聞こえた。


 建物の角に狭く切り取られた天を仰いで大きく息を吐き、それからシンは改めて地上のに視線を戻す。


 真っ先に見えたのは、ボサボサに伸びたくすんだ赤毛である。華奢な肩幅に、触れれば折れてしまいそうな細い手足。そんな貧弱なイメージを根こそぎ吹き飛ばしてしまうようなギラギラと輝く強気な吊り目は、今は俯せに倒れてしまっている所為でシンの位置からは見えない。


 地図を奪っていった例の少女だ。一見浮浪児かと思われるような酷い見た目をしているが、それは泥に汚れている所為だろう。着ているものやしっかりしているし、身体も痩せてはいるがしっかり鍛えられている。我武者羅に生き抜いた者が手に入れる粗削りな身体ではない。れっきとした師が居て、その者の方針を基に研ぎ澄まされた身体だ。


 それとは対照的に、太った男の方には鍛えている者特有の鋭さが全く感じられないのだった。少しベタ付いているように見える髪は片目を隠す程に長く、項の辺りでシンと同じように束ねている。これまたシンと同じく丈の長い黒コートは重厚な造りで、何だか厳つい印象を受ける。が、合わせ目から大きく張り出した腹の所為で、その印象は完全に台無しになっていた。手に持っていた拳銃は本物で、恐らく彼が所持している武器はそれだけじゃない。コートのあちこちに見える不自然な膨らみは、彼が他にも武器を隠し持っている事を教えてくれていた。が、彼自身はと言えば武器を使いこなせるような人物には見えないし、そういう風にしているという訳でもないらしい。髪型も、コートも、沢山の武器も、全てが着飾る為の道具と言った感じで芯が無く、外面だけを似せたハリボテを見ているようなチグハグさがあった。


 唯一本物のモノがあるとすれば、それはその残虐性だろうか。下手をすれば体重が一〇〇キロ近くは違うであろう体格差があるにも関わらず、この男は少女に暴力を振るっていたのだ。もしもこの男が少しでも”殴り方”を知っていたのなら、少女は呆気無く、本当に呆気無く死んでいただろう。その事実を、彼自身が認識出来ていたのかは分からないが。


 一応、シンにとっては何の関わりも無い事だ。が、同じくらいの年齢の”娘”を持つ身としては、流石に見過ごせない光景だった。


 止めに入って、結果的に殴り倒す結果になって、そしたら少女の方まで気絶して、今に至る。


「……おわった?」


「ああ」


 場が落ち着いた気配を感じ取ったのだろう。隠れるように指示していた双子が声を掛けて来た。それに応えるのとほぼ同時に、シンは倒れている少女の手元辺りにくしゃくしゃに丸まった紙片が落ちているのを見付ける。


 けれど、シンが行動するよりも、双子の方が少しだけ早かった。


 二人は日除け用の和傘を差したまま、ぴょこぴょこと軽く跳ねるような小走りで、シンの脇を通り過ぎていく。倒れている少女の脇へしゃがみ込み、シンが追い付くのと同時に、立ち上がった。


「はい」


 少しだけ得意げな、ホタルの声。同時に日傘の下からヒナギクの手が伸びて来て、綺麗に折り畳み直された紙片を差し出してくる。


「ありがとう」


「ん」


 受け取った紙片を広げてみる。


 手汗で少し湿っているが、読む分には問題無さそうだった。先ずは一安心かと、そっと安堵の息を吐く。


「……」


 とは言え、今日はもうこれ以上、この地図の出番は無いだろう。嘆息と共に紙片を畳み直してコートの内ポケットにしっかりと仕舞い込み、シンは再びくだんの少女に目を落とした。


 正直に言えば、シンは彼女の事情なんて知った事ではない。追われる身の自分達が厄介事を抱え込みでもしたら、最悪、匿ってくれているティセリアにも迷惑が掛かる。それだけは避けたい。


 けれどもこの場にいるヒナギクとホタル双子の存在が、シンに”少女を見捨てる”という選択肢を取らせてくれないのだ。強制されている訳でも、懇願されている訳でも無い。なのに、こうしなくてはならないのだと自然に思った。


 ……もしもこの場に双子が居なかったり、そもそもシンが双子に出会っていなかったら、どうなっていただろうか。


 頭の隅に浮かんだおぼろげな疑問は、直ぐに目の前の現実の処理に追いやられ、藻屑のように散り散りとなって消えた。


「この子、だいじょうぶ?」


「さぁな。もう少し早くこの場に来れたら良かったんだが」


 心配そうなホタルの声に応えつつ、その脇に片膝を突いて、少女の体を俯せから仰向けに引っ繰り返す。ぐったりした少女は呼吸も脈拍もなんだか弱々しく、素人であるシンにも何らかの処置を施さなければ拙いと思わせる程だった。


「――え? なぁに、ヒナ?」


 シンに取れる対応は何か。素早く考えを巡らせる。


 案その一。ティセリアの修道院に連れて帰り、処置を頼む。……否、却下だ。迷惑を掛けるティセリアに頼りきりで道理に合わないし、そもそも此処から彼女の修道院は遠過ぎる。移動中に少女が力尽きてしまう可能性もある。


 同様の理由でプリッシラの所も却下だ。ティセリアよりも心の距離が遠い分、頼るのは益々憚られる。


「……ほんとだ。ボクぜんぜん気付かなかった。すごいね、ヒナ」


 案その二。都市の治安維持機構組織、若しくは公共の組織に事情を説明し、後を託す。……これは、出来ればやりたくない。双子とシンは、”吸血鬼とその味方ワールドエネミー”だ。この都市ではそこまで警戒されてないにしろ、公共の目に捕捉されるような事はなるべく避けたい。何かの拍子で情報が漏れ、北の教会総本山に見つかりでもしたら、目も当てられない。


「シン」


 案その三。適当なお人好しを見つけて、無理矢理押し付ける。……今の所、これがシンに取れる最善の策だろうか。これだけ人が居る王都ならば、怪我している子供を見捨てられない人間も一人か二人は居るだろう。そういう人間にこの少女を差し出せば、詳しい説明が無くても、良いように図らってくれる。……のではないか。


 多分。


 きっと。


「シン?」


 とは言え、そんなお人好しが都合良く目の前に現れてくれるかどうか。探し始めて一、二分で見つかるなら良いが、見つからなければ下手すると”案その一”よりも時間を掛ける事になるだろう。だっているかもしれない。シンの眼力や運に依る所が大きいこの案を、一つの命が懸かっているこの場面で安易に選択していいものか。


「ねぇ、シンってば」


「んあ……?」


 不意に、コートの裾を引っ張られるのを感じた。


 思考を引き戻され、慌ててそちらに視線を向けると、ホタルが何時の間にか和傘から離れて、シンの脇にちょこんとしゃがみ込んでいた。


「!? おま、馬鹿……!」


「わぷ……っ」


 急いでコートの裾を広げて、それをホタルの頭に被せる。こういう時、丈の長いコートは便利である。いきなりの事で驚いたのかとタルはしばらくモソモソと動いていたが、やがて落ち着きを取り戻したらしい。へへ、と小さく笑う声と共に動きを止めた。


「下手に傘の下から出んなって言ってるだろ。気分は?」


「だいじょぶ。ここカゲだし」


 再びコートがモソモソ動いて、ホタルが顔を覗かせた。大丈夫とは言いつつも日を遮るものがあると安心するようで、コートを自身に軽く巻き付けるようにしている。ニコニコと笑っているその表情に緊張感は無く、少しキツめに言い含めるべきかとシンは口を開きかけたが、それよりもホタルが言葉を続ける方が早かった。


「そんなことより! シン、たいへん! たいへんだよ!」


 切羽詰まった、というよりは興奮している様子である。先ずは危険やその類の問題では無さそうだと安堵し、さりとてこのタイミングで彼女の興奮を遮ってまで小言を言うのも可哀想かと口を閉じ、喉まで出掛かっていた言葉を舌で捏ねる。


「どうした?」


「あのね、あのね? ヒナがさいしょにきづいたんだけどね?」


 今までの興奮気味な声から一転、内緒話をするように声を潜め始めるホタル。ヒナギクの名前が出て来たのに釣られて、シンは彼女の方に視線を向ける。何やら”大発見”をしたらしい彼女は、傘の陰からジッと此方を見つめていたが、視線がぶつかるや否やプイと顔を背けてしまった。自分が話題に上がって、照れているのだろうか。


「このコ、ボクたちとおなじニオイがするの」


 ニオイ。匂いか。


 何かと思えばそんな些細な事か、と流し掛けて、それからシンはぎょっとしてホタルに視線を戻した。


「すまん、何だって?」


「えっと、つまり──」


 言い表す言葉が稚拙だったり足りなかったりするだけで、ヒナギクとホタル双子はしっかり物事を捉えている。興奮気味だった声を無理矢理抑えたのも、子供らしい感情表現に依るものじゃない。、彼女なりに配慮したのだ。


「──この子、ボクたちとおなじキューケツキのニオイがするの!」


 吸血鬼。


 血を啜るおぞましき化け物にして、人間の敵役。出くわしてしまえば一般の人間には生存する術が殆ど無い化け物であり、逆に普通に過ごしていれば出くわす事はあまり無い、天災と同義の扱いを受けている存在。


 少なくとも、職探しに出た道端で出会うようなも存在ものではない事は確かで、けれどもそんな存在が今、確かにシンの目の前に転がっている。


 運は良い方が決まっている。


 けれどこれは、果たして”運が良い”と言ってしまっていいのだろうか。


「……マジかよ」


 事態が、おかしな方向に転がり出そうとしていた――



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