生意気な拾い者③

「はい、どうぞ」


「……大盛りだな」


「でも食べるよね? 寧ろ足りないくらいじゃない?」


「いや、まぁ……あー……」


「あはは、まだまだいっぱいあるからね?」


「……」


 中途半端なシンの遠慮など吹き飛ばすように、杓文字しゃもじ片手に朗らかに笑う。


 腰まで届く白金の髪は、さながら木漏れ日を束ねたよう。慈しむように細められた蒼の眼は、薄く光を灯しているようで、まるで幻想世界の宝石のようにも思える。


 服の生地を豊かに押し上げる大きく膨らんだ胸に、優美な曲線を描く腰。それとは対照的に、細くくびれたウエスト。全体的に細くて華奢なのに、然るべき所はしっかり膨らんで自己主張している体付きは、男のもうそうを具現化したかのようにワガママで、奇跡的なバランスを保っている。服のデザイン上剥き出しになっている肩は白磁のように滑らかで、微笑を浮かべている顔立ちは、名のある造形の匠が丹精込めて創り出したかのように整っている。


 初めて見た時は天使や女神の類かと半ば本気で考えてしまったし、実際


 私服の上に簡素なエプロンという熟練者の恰好でシン達の給仕をやってくれている彼女は、名をティセリア・クラウンと言う。此処、フレイガルド王国の王都デルダンの中でも街外れに位置している森の中の修道院の主であり、訳ありで行く当ての無いシンと双子を拾ってくれた命の恩人であり、シンにとっては生涯この人だけと決めた恋人でもある。


 命の恩人どころか、それを超越したもっと別の何かと言ってもいいかもしれない。出会ってから今に至るまで、彼女には世話になりっぱなしなのだから。


 今だってそうだ。わざわざ知り合いの伝手を使って取り寄せた白米を、シンの食器に山盛りによそおってくれている。シンが大食いで、ちょっとやそっとの量じゃ満足しないと知っているから。


 以前の彼女は一人分だけ作ってればそれで十分だっただろうに、今は前よりもずっと多めに食事を用意しなくてはいけない羽目になった訳だ。作り応えがあるよね、などと言って彼女は笑っていたが、世の中がそう単純でない事くらいシンだって知っている。


「……」


「どうしたの? 難しい顔なんかしちゃって?」


「いや……」


 そもそも、何でこんな事になっているのか。


 ほかほかと湯気を立てる白米をモソモソと口に運びながら、シンは漠然とした気持ちのまま記憶を反芻する。


 今はこうしてティセリアの所で世話になっているが、元々はシンも双子も此処に居る筈の無い人物なのだ。


「……」


「「?」」


 ヒナギクと、ホタル。


 見つめると不思議そうに見返して来た二人は、この世界においては怪物と揶揄されている“吸血鬼”である。


 生き血を啜って骸で遊ぶ、狂暴にして凶悪な化け物。悪魔に魅入られた種族であり、この世に在ってはならない存在。少なくとも一般的にはそう信じられているし、


 シンは元々、彼女達とは相容れない存在だった。


 世界で最も広大な面積を誇るローラシア大陸。その最西端に位置するのがシン達が今居るフレイガルド王国だが、此処を北上していくと、世界三大宗教の一つであるメリア教が治めている土地に辿り着く。


 メリア教『聖剣派』。対話と説法によって改心を勧める古くからの教派『教典派』とは違い、相手が己が定めた“悪”であるなら武力を以て殲滅する事も厭わない過激な教派である。人体を強化して吸血鬼にも対抗しうる存在を造り出す“強化ブーステッド技術”を保有しており、吸血鬼の出現が多くなり始めた十年程前から急激に力を伸ばし始めた。


 シンは元々その聖剣派の人間であり、もっと言えば其処が保有する対吸血鬼用の軍隊である『聖騎士団』に所属していた。昔は他のメンバーと同じように吸血鬼を憎んでいたし、その憎しみを込めて吸血鬼を沢山殺して来た。


 双子と出会う事が無ければ、今でも吸血鬼を馬鹿みたいに憎んでいただろう。真実を知る事も無いままに、無様に踊らされて無惨に死んでいただろう。


 双子と出会って真実を知った。彼女達を庇って聖騎士団から逃げ出した事に、後悔など微塵も無い。南下してこの国に入った所で追っ手に捕捉され、戦いながら逃走を続けた。数で圧し潰そうとしてくる追っ手を撃退し続けたが、圧倒的な数の暴力の前に次第に押され、力尽きようとしていた。それを助けてくれたのが、偶々通りかかったティセリアだったという訳だ。


 記憶を失ったり、自分でもよく分からない力が覚醒したりと紆余曲折はあったものの、どうにか聖騎士団の追撃は退ける事が出来た。シン達の行方を“聖剣派”の連中は完全に見失っただろうし、切羽詰まった逃亡生活を送る必要も無くなった訳だ。


 どうにか、一段落。


 少なくとも大局的に見ればそうだろうし、シンだってそう思っていた。


「おかわり!」


「……り」


 ついこの間、自分達が喰い潰している食事代を自覚するまでは。


「お、二人共。今日も絶好調だねぇ?」


「えへへ」


「……ティスのごはん、おいしい、から……」


「やったぜ、”おいしい”戴きましたー。よしよし、それじゃあ二人にはたぁんとサービスしてしんぜよー」


 おい止めろ。その辺にしとけ。


 反射的に出掛かった言葉を慌てて呑み込み、不自然に漏れ出た声を咳払いで誤魔化す。幸い、三人は特に気にしなかったらしい。声を掛けて来る事も無く、そのまま何事も無かったように食事を続けている。


「……」


 一段落付いた後も、シン達が修道院に残る事はシンもティセリアも納得して決めた事だ。何処か別の所に行くにしても暮らす場所を零から見つけるのは大変だし、何よりシンと一緒に居る双子は吸血鬼だ。露見すれば近隣の住民は間違い無く敵に回るだろうし、シン一人で秘密を抱えていたのでは何時か限界が来る事は目に見えている。


 その点、ティセリアは双子が吸血鬼である事を知っているし、立ち回りも上手い。この修道院周りは普段は人気ひとけが無いからバレる心配も殆ど無いし、森の中とは言え一国の中心都市の直ぐ近くだから情報収集にも苦労はしない。ヒナギクもホタルも彼女には随分と懐いているし、慣れない土地で慣れない生活をするよりはと考え、シンは彼女の厚意に甘える事にしたのだ。恥ずかしい事に、それが彼女にどれ程の負担を掛けるのかなんて、その時は殆ど考えなかった。


(──せめて、テメェの食い扶持はテメェで稼ぐべきだよなぁ……)


 その事について、ティセリアは特に何も言ってこない。


 何時も通りの笑顔のままだし、更には倭国出身のシンの為に米やら味噌やらを何処からともなく仕入れて来てくれたりしているくらいである。だが、大食らいが三人も増えたのだ。彼女の貯蓄に大打撃を与えているのは間違い無いだろう。


「……」


 稼がなくては。


 これからの食い扶持は勿論、これまでの損失分も耳を揃えて返せるくらいに。勿論自分の分だけでなく、ヒナギクとホタルの分も含めてだ。ティセリアが何も言ってこないのは、却って好都合と言えた。言われて仕方無く働きに出るなんて、幾ら何でも格好が付かない。


「……ご馳走さん」


「あれ。もういいの?」


「ああ」


 使っていた箸を茶碗の上に乗せ、そそくさと席を立つ。双子の不思議そうな視線やティセリアの問い掛けるような視線を全部纏めて背中で受けながら、半ば逃げるようにダイニングから出て行こうとする。


「お出掛け?」


「……ッ」


 不意に、ティセリアの声が追い掛けて来た。後ろめたい者の心理と言うか、反射的に身を竦めてしまったが、これは失敗したかもしれない。


「……ああ」


 どうにか答えられたのは、たった一言だけ。立ち止まりはしたものの振り返らなかったのは、せめてもの抵抗だ。抵抗する意味が分からないと言えば確かにそうだが、とにかくシンはこの時、素直に振り返りたくなかったのだ。


「何処行くの? 何か入り用?」


「あー……」


 向こうは至極当然な質問をして来ているだけだ。シンは別に悪い事をしている訳じゃないし、答えようと思えば答える事が出来る筈なのだが、不思議とそれを素直に口にする事は出来なかった。


「──シン、おでかけするの?」


 歯切れの悪いシンの様子に頓着する事無く、ホタルが能天気な声を上げるのが聞こえた。それにつられて彼女達の方に視線を遣ると、ホタルは興味津々と言った体で此方を見返している。その隣のヒナギクは、何故か掻き込むようにして食事を急ぎ始めていた。


「まって、まって。ボクたちもついていっていい?」


「え……」


 これは予想外の展開だ。


 戸惑って硬直してしまったシンの前で、食事を詰め込み終わったヒナギクがごちそうさまと小さくモゴモゴと唱える。木の実を頬袋に溜め込んだ齧歯類みたいな顔をして椅子の上からピョンと飛び降りるその行動は、普段なら絶対注意していただろう。が、今はシンの思考も容量オーバーだ。目の前にしながら見逃してしまった。


 更にそれを見逃した事に半分だけ気を取られている内に、今度はホタルが料理を詰め込み始めていた。シンの足下に辿り着いたヒナギクが口の中のものを呑み込むのと大体同じタイミングで、ホタルも十数秒前のヒナギクと同じ顔をしてパチンと掌を合わせる。最低限の挨拶を忘れない事だけは、まぁ、誉めてやってもいいだろうか。


「で、どうするの?」


「む……」


「連れてってあげなよ。二人共完全にその気だし」


「……!? いや、それは……」


 反射的に紡ぎ出そうとした視線は、直後、此方をジッと見ているティセリアの視線によって封殺されてしまった。


 まるで心の奥まで見透かすような、無色透明な視線。


 彼女だけではない。下からは二人揃った双子の懇願するような視線を感じるし、なんかもう本格的に逃げ場が無い。


 何なんだ。


 一体何が悪くて、こんな事になってるんだ。


「……」


「……」


「「……」」


 ティセリアを見て、双子を見て、それからまたティセリアを見る。真正面の透明な眼差しも、下からの懇願するような視線も、上手く対処出来る気がしない。


「……取り敢えず、歯ぁ磨け」


 溜め息を吐いて、双子の方に視線を落とす。


 此方の意図を確かめるように沈黙を続ける二人に対し、重い溜め息を吐きそうになるのを必死に堪えながら言葉を重ねる。


「あと、日傘を忘れんなよ。今日は雲一つ出てないからな。お前らにはキツいだろ」


「……!」


「……! うん!」


 途端にヒナギクは満足そうにコクリと頷き、ホタルがパッと笑顔を咲かせる。そうかと思えばどちらともなく転がるようにして走り出し、慌ただしく部屋から飛び出していってしまった。


 シンの用事の内容も知らないクセに、全く大した喜びようだ。


「……いいなー」


「? 何か言ったか?」


「べっつにー」


 隣で何か呟かれたような気がしたので尋ねてみると、何処となく拗ねたような口調と共に、ジトリとした視線が返って来た。


 ティセリアがこんな表情を見せるのも珍しい。狼狽えてしまって咄嗟に言葉を紡げないでいる内に、やがて彼女はクスリと笑って、いつも通りの微笑を浮かべてみせた。


「行ってらっしゃい。ちゃんと夜までには帰ってきてよ?」


「あ、ああ……」


 彼女が時折見せる、謎めいた表情や言葉。自分が解き明かせた試しは一度も無くて、きっと今回もそのパターンなのだろう。


(……まぁ、いいさ)


 今はとにかく仕事、仕事だ。


 自分が稼ぐようになったと知れば彼女も少しは喜ぶだろうし、そうなればシンも少しは胸を張れる。


(見てやがれ)


 たまには此方が、向こうを吃驚させてやる。


 そう心に固く誓って、シンは決意を新たにしたのだった。



 ○ ◎ ●

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