生意気な拾い者②

 ○ ◎ ●



 朝靄の中を貫いて、名前も知らない鳥の声が夜明けを告げた。夜を駆けるモノ達はぼちぼち寝ぐらへ戻り始め、昼に生きるモノ達はあちらこちらで目を覚ます。


 土の匂い。木の葉から垂れる雫の気配。風にざわめく木々の息遣いに、此方の様子を窺う獣の視線。


 まだまだ空も白み始めたばかりで、見えるものの輪郭も酷く曖昧な時間帯だが、嗚呼、森の中はなんと生気に満ち満ちている事か。


「……」


 朝靄の海の中に、唯一人。


 物言わぬまま見守り続ける深緑の中に佇んだまま、シンは整えていた呼吸をゆっくりと吐き出していく。


「──こぉぉ……」


 独特な呼吸を通して自身の中に目を向ければ、常に身体の中を巡っている奇妙な力の流れを感じ取る事が出来る。実はそれが人体の中だけでなく、世界の中にも縦横無尽に走り回っているのだと思い出したのは、つい最近の事である。


 氣脈。大きなものになってくると、龍脈とも言う。


 一度は忘れ、手探りで扱い方を図っていた力だったが、今では呼吸と同じくらいに馴染み深い存在となっていた。


「……」


 思考は必要無い。


 肩幅程度に足を開き、腰を落として重心を低くして安定させる。丁寧に呼吸をなぞって自身の身体を巡る氣脈を意識しながら、腰溜めに構えた倭刀の柄に指を這わせる。


 自身の呼吸と、世界の呼吸。


 それらが共鳴し、同調し、やがて一つになるその瞬間がやって来るのをジリジリと待つ。


 タイミングは、ほんの一瞬だった。


「──疾……ッ!!」


 一閃。


 溜めに溜めたモノを爆発させるように、或いはギリギリまで引き絞った矢を放つように、身体を一気に弾けさせる。


 目の前を漂っていた朝靄に、斬瘡が一筋刻まれた。世界そのものではなく、空気そのものでもなく、刻まれた傷痕は、その後も暫くユラユラと揺らめきながらその形を残していたが、やがて何処からともなくやって来た朝風に吹き散らされ、跡形も無くなってしまった。


「……ふー……」


 張り詰めていた気を抜き、ペースを固定させていた息をゆっくりと解放する。頬を伝った一筋の汗が、顎の先から垂れて、湿った土の上に落ちていった。


 遠くの方で太陽が顔を出したのだろう。光が差し込み、暗く白い靄が淡い金色に染め上げられていったのは直後の事だった。


「……ま、こんなモンか」


 刃を振り抜いてそのままだった姿勢を元に戻しつつ、手の中の倭刀をクルリと回して逆手に持ち直す。淀みなく鞘に納めるその瞬間、日の光を反射した刀身が、淡い“紅"色の煌めきを放つのが視界の隅に映る。


 その刀身の長さも然る事ながら、その刃の色も珍しい一振りだ。本来はこの刀も普通の鋼色だったのだが、とある出来事が理由でこんな色に染まってしまった。


 ……らしい。


『──恐らくだけど、シンの中の“彼”はその刀の事もシンの一部だと認識したんじゃないかな』


 そんな推測を話した女は、如何にも他人事と言った様子で笑っていた。


『あの子達を連れて逃げて来る時、ずっとそれを握り締めていたでしょう? “彼”が貴方と同調しようとしている真っ最中に、ずっと、ずぅっと。染み込んでいった貴方自身の血を媒介にして、その刀も取り込んじゃったんだよ、きっと』


 "彼"。ベリアルという名の神の事は、話せば長くなる。シン自身未だに受け入れられていない部分もあるし、何かが変わったという事も無い。奇妙な力が普段から使えるという事も無く、要するに今のシンは以前と変わらない只の"ニンゲン"である。そんな訳で、取り敢えず今は"彼"に関しては考えないようにしていると言うのが現状だ。


「ん……」


 長時間ずっと同じ姿勢を保っていた所為か、何となく身体が凝り固まったような気がする。ぐぅっと伸びをし、首を回し、肩を回して血を巡らせ、緊張の糸を切ったその隙を狙って競り上がって来た欠伸を噛み殺す。


 遠くの方から迫って来る足音を知覚したのは丁度その時の事だった。随分と体重の軽い二人組。間隔が普段より長く途切れがちなのは、本人達が足を忍ばせているつもりだからだろう。


 あれか。丁度此方が背中を向けているのを見て取って、奇襲を仕掛けて驚かせてやろうという魂胆なのか。


「くぁ……」


「えいっ!」


 もう一度欠伸を噛み殺したその瞬間、腰の後ろにドンとぶつかって来る感触が二つ。そのまま腕を回して抱き付いて来た二人に好きなようにやらせつつも、これだけは言っておかねばと肩越しに振り返る。


「……喋りながら頭突きをかますな。舌噛むぞ」


「びっくりした? ねぇねぇ、びっくりした?」


「聞けよ」


 聞いちゃあいない。


 嘆息しつつ視線を落とし、シンはやって来た二人の姿を視界に納める。


 奇妙な子供達だ。二人を普段から見ているシンはともかく、彼女達を初めて見る者は皆そう思うのではないだろうか。


 まだ十にも満たない年齢を抜きにしても、小柄で華奢な体格。片方は満面の笑み、もう片方は仮面のような無表情という違いはあるが、造りそのものはそっくり同じな顔付き。身に纏う衣服は東洋風で、本人達の希望に沿って揃えたもので、衣装のデザインや飾り紐の意匠まで同じものだ。


 何から何までそっくり同じである彼女達の、目に見えて違いは、その配色だろう。例えば無表情の方の髪は金色で、表情豊かな方は銀色だ。衣装は無表情の方が白中心、表情豊かな方が黒中心である。が、それよりも何よりも、特徴的なのは彼女達の双眸だ。二人共、片方はまるで血のように紅い目なのだが、白服の姉は左目が金色、黒服の妹は右目が銀色なのである。


 将来を期待させるような整った顔立ちをしている事も相まって、とても人目を引く双子の少女だ。金の目と髪、白服を纏った無表情な姉の名前をヒナギク。銀の目と髪、黒服を纏った元気一杯な妹の名前をホタルと言う。どちらも、シンが付けた名前だ。


「ごはんだよ。ティスがシンをよんできてって」


「……あー……」


 天を仰ぎ、こっそりと溜め息を吐く。


 人間、生きていれば腹は減る。それは生物として当たり前の事で、シンも、双子も例外ではない。


 例外ではない、……


「おなかすいた」


「……それなら先に食ってれば良かったじゃないか」


「やだ。シンといっしょがいい」


 拗ねたように頬を膨らませるホタルのその表情は、その頬を指で突つくと、擽ったそうな笑顔にシフトする。彼女達はその生立ちの所為か、やや過剰なくらいに甘えたがりで、構われるのを喜ぶ。大人シンはいつまで生きているか分からないし、早い所、この性格は矯正してやって彼女達だけでも問題無く生きていけるよう準備させてやるべきだとは思うのだが、何となく後回しにして今日まで来ている。


 今回も見逃してしまった。


 "私にも構え"と言わんばかりにグリグリと頭を押し付けてくるヒナギクの対応にもう片方の手を割きながら、シンは結局別の事を口にした。


「お前ら、日の光があんまり得意じゃないだろうが?」


 彼女達は、本来だ。日の光を浴びた途端に灰になる、といったような事は起こらないが、それでも長時間浴び続けると調子が悪くなるのは確かなようだ。


 生活の時間帯を夜にしても良い、と言うかした方が良いんじゃないか、と何度か話しはしたのだ。


 けれども彼女達は何だかんだで、朝起きて夜に眠る、という生活サイクルを変えようとはしないのだった。


「もう朝日も顔を出したぞ。わざわざ無理して外に出てくる必要も……——」


 わざわざ苦手な昼の時間帯に活動するのは百歩譲って構わない。だが、彼女達にとっては有害な日光の下に身を晒すリスクは極力避けるべきだ。


 そんな事を言いたかったシンの目の前で、バサッと目の前を黒い生地が翻ったのは直後の事だった。会話担当のホタルが反論を口に出すよりも早く、ヒナギクがシンからするりと離れ、ずっと抱えていたものをおもむろに広げたのである。


「……」


 それは東洋の民族衣装の造りを意識した、黒いコートだった。だ。丈が長く、シンの身体を寒さや風雨から守ってくれるが、機能はそれだけに留まらない。は伊達じゃないのだ。


「……用意がいいな」


 とは言え、今は双子にとって便利な日除けである。差し出されたコートを受け取って袖に腕を通すと、彼女達は当たり前のようにコート裾を持ち上げて、するりと潜り込んで来る。何とも言えず、コートの合わせ目から顔を覗かせている二人を半眼で睨み遣れば、ヒナギクは得意そうに胸を張り、ホタルは悪戯っ子そのものの表情で歯を見せる。


「にひひ」


 誉めてねぇよ。


 喉元まで出掛かった諦め混じりの言葉は、御満悦な二人の前で只の溜め息に化けてしまい、結局形になる事は無かった。


 甘やかし過ぎかもしれない。そうは思うが、彼女達のこれまでを考えると、ここまで自然に笑えるようになった事の方を喜ぶべきだと思うのである。


「……前見て歩け。転ぶぞ」


「うん」


 纏わり付いてくる双子に歩幅を合わせて歩くのも大分慣れた。彼女達が転ばないよう気を遣いながら、シンは朝食が待つ我が家への道をゆっくりと辿り始める。


 朝食。


 ずん、と。人並み以上に食べる事は好きなシンだが、今は少しばかり、いや、かなり憂鬱なのである。


 理由は――


















「どうどう? 今日は結構美味しく出来たんじゃない?」


「……ああ」


 ”ヒモ”というものがある。


 物と物を繋ぎ合わせ、連結し、単純な道具からより高次な道具を生み出す為の基本となる部品である。無くてはならないもの、と言い換える事も出来るだろう。


 それはそれとして、フレイガルドの朝食と言えば小麦のパンやら目玉焼きやら、所謂”洋食”と呼ばれるジャンルが挙げられる。が、この修道院では少し変わったものが食卓に並ぶのだ。


 例えば今朝なら、先ずメインとして焼き鮭と大根下ろし。副菜に卵焼き、汁物に豆腐の味噌汁。添え物には漬け物、焼き海苔、納豆が控え、そしてそれらを代表として、白い米が君臨している。フレイガルドより遥か東、黒い髪と異なる質感の肌を持つ人々が暮らす島国、“倭国”の一般的な食事とされている。所謂『倭食』と呼ばれる食事だ。シンにとっては故郷の味で、西洋のものより此方の方がより肌に馴染むらしい。知らなかった時は特に執着しなかったものの、一度実物を見て、匂いを嗅いで、舌で味わってしまうと、すっかり虜になってしまっていた。


 近年は国際化が進んでいるようで、この国のような西の果てに居ても、極東の料理が食べられるようになった。そういう意味では、国際化様々である。


「シン、おかわり要るよね? お茶碗貸して」


「……あぁ」


 ただ、美味い飯が食えるという事を素直に喜べない事情も、今のシンにはあったりする。


 事情というか、感情というか。


 一言で言えば、後ろめたいのである。

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