第3話Monky business


 趣味を罵り合っていた2人が教室から消え、彰は放課後まで平和に過ごした。忍が起こした騒動で崩れた教室の平穏もすぐ取り戻す。事件性を教諭陣に疑われていないあまり、宗太の失踪は初めから登校していない事で処理された。


 生徒達の声で賑わう通学路を道端に転がっている小石同然の彰が俯きながら歩く。今日は、近くの洋菓子専門店に行く予定があった。サブカルチャーの最先端を担っていた時期もあるアダルトゲーム業界が年々、廃れている影響か、学校内で彼と同じ趣味の話題を話せる人間はいない。


 唯一、話せる人間が洋菓子専門店で働く従業員のミナカだ。彼と趣味の話をするために、人見知りな彰が出向いていた。


 風情ある木造のような外装をした洋菓子専門店『クレール・ド・リュンヌ』に入ると、副店長がウェーブ掛かった長い金髪の女性客の応対をしている。豊かな胸で辛うじて女性と分かる副店長はまつ毛が長く、やや吊り上がった瞳で同性、異性問わず魅了していた。


 「何で飲食店に子犬があんだよ! 教えはどうなってんだ! 教えは!」


 「パードゥン?」


 金髪の女性客が肩から掛けている黒いキャリーバッグにゴールデンレトリバーの子犬を入れていた。動物病院やホームセンターで無ければペットの同伴はどの店も基本禁止されている。


 動物より色んな場所で騒ぐ人間達の方が苦手な彰は、排泄物さえ出さなければペットの入店が気にならない。英語を覚えたての中学生のような煽りを受けた副店長は、再度、英語で説明する。


 「Get out今すぐ失せろ! now!  Are you理解したか? understand? assh〇oleクソアマ


 しかし、諦めが悪い彼女は民法第85条を引き合いに出し、正当性を主張していた。


 「民法第85条、この法律において『モノ』とは有体物をいう。バッグの中でいるから問題ないでしょ?」


 更に無言で子犬の黒翡翠くろひすいのような瞳を向けられている副店長は、それ以上何も言わなくなる。子犬と同伴している金髪女性客が、卓上冷蔵ショーケースの中で並べられているモンブラン全てを注文し、副店長に持ち帰り用の白い箱の中へ詰めて貰う。


 「今日もミナミナで支払うわ。また来るわね、アディオスプリーモ!」


 商品が入れてある箱を受け取った彼女は、向き直り、店から出て行く。電子決済に必須なスマートフォンすら出しておらず、無銭飲食と変わらない。世間話をする対話能力すら乏しい彰の人間性が副店長に把握されており、見えていないような扱いだ。


 数分後、ベージュのタートルネックを着ているミナカが青いショッピングバッグを持ち、戻る。大抵、この時間帯の不在は買い出しだ。チェーンが付いたメガネをかけ、白いカチューシャも着けている。やや女性的な顔立ちのため、性別が判断し辛い。


 副店長と正反対に長い後ろ髪を黒いヘアピンで束ねており、成人女性のような髪型だ。そして、彰の約20センチ程の高い背丈と女性らしい膨らみがない特徴もあり、周りの人間にからかわれている。


 早速、戻ったばかりのミナカは副店長に指示された業務の報告をした。


 「副店長、買い物から戻って来ました」


 「ご苦労様。さっき、ブロンドモンスターカスタマーが子犬を連れて来ていたよ。今度、売り掛けの回収しないとね」


 あの女性客は常連なのか、副店長が付けた通称名でミナカは誰か理解している。そして、客の無銭飲食した出来事が全く問題視されていない。2人共、左薬指にそれぞれ結婚指輪を嵌めている事から既婚者のようだ。


 「高菜」


 軽く彰に挨拶してからミナカが作業場へ向かった。当然、彼の冷やかし目的も見抜いている。近くの机に並べられていた120円の小さなクッキーを買う事すら躊躇っている彰が隅に移動した。


 平日の昼間から夕方にかけて、この店は購入した人数で割引が増える売り出しを行う。少しずつ客の高校生達が入店して、賑やかとなる。平日限定の売り出しのおかげで若者の溜まり場だった。


 隣の喫茶スペースの席はほぼ占拠されてしまった中、入り口の扉を乱暴に蹴り開ける音が響く。


 「Hiよぉ!! there!お前ら! HAHAHAHA!」


 来店した女性が持つベビーカーのフロントガードに奇妙な飾りが付いていた。白いタンクトップを着たオランウータン、緑のロンパースを着て、ナイトキャップも被る猿、頭に白の女性用下着が被されたホーランド・ロップイヤーのぬいぐるみだ。


 糸で巻き付けられており、船首飾りのようなぬいぐるみが数のせいか、狩猟の戦利品にも見えた。


 「これがボーディのフロントグリルガードに晒されている、ミスター・ラズベリージャムちゃんですか?」


 若い乳児の母親達の間で全く流行しないようなベビーカーの装飾品に、ミナカは見覚えがある。


 世界的有名ゲームソフト『グランド・ゼフト・オート5』に登場した狂人、トレバー・フィリップスは、女性用下着を穿き、顔面が白く汚れている隻眼くまのぬいぐるみ『ミスター・ラズベリージャム』をオフロードカーに載せていた。


 その光景と似ており、先程の威圧的な入店方法と変わった挨拶も彼の真似をしている。間抜けな飾りが付いたベビーカーの中で、猿のぬいぐるみと同じロンパースを着ている赤子が就寝中だ。


 襟元にフリルが施されている緑色のブラウスを着た女性は、すぐ客達の視線を集める。前髪を切り揃えており、鼻筋が整った顔立ちのせいか、高貴な姫君のような印象を見る者に抱かせた。


 不気味な女性と目を合わせたくない彰が、しばらく売り物のクッキーばかり見ている。小学校低学年の頃に彼は教室の女子達から低身長をからかわれていた時期があり、未だに女性は苦手だ。


 目立つ女性客は5人分の割引を要求し、すぐ副店長がベビーカーの奇妙な装飾の意図に気付き、再度、流行りの台詞で煽る。


 「何でぬいぐるみと赤ちゃんに割引があんだよ! 教えはどうなってんだ! 教えは!」


 「失礼だな、Monky businessインチキだよ。それにみんな、私の大事な家族よ」


 猿の仕事の意味合いで使った英語は不正、インチキなど卑怯な行為を指す単語だった。乳歯すら生えていない赤子と哺乳類のぬいぐるみ3体を割引対象の頭数に入れている。このぬいぐるみ達は、彼女が本来の所有者から無断で持ち出した盗品だ。唯一、赤子だけ誘拐していない。


 意地の悪い中学生のような理屈を主張していた女性客にミナカが近づき、左右の頬を抓った。何故か、彼女は抓られている頬で無く、全く関係ない鼻を両手で覆い隠している。


 「下半身に何も穿いてなかったら、職質案件だぞ。せっかく穿かせたアパアパのズボンを剥ぎ取りやがって、お前は羅生門の下人か何か?」


 オランウータンのぬいぐるみが上半身だけ着衣していたせいか、客達は段々と局部を露出する変質者に見えていた。常識離れした姿のあまり、吹き出しそうになるも客達が必死に耐える。


 「24ひゃい、はふへいれふ24歳、学生です!」


 「学生? あっふーん。次、店内で迷惑行為を行ったら、オヤ・カーターに電話させて貰うね」


 左右の頬からミナカの両手が離れ、女性迷惑客は要望が通らない事で不服そうに鼻を鳴らす。恐れているミナカの怒りを買わないため、彼女は1人分の割引価格でショートケーキ1個を購入した。


 「腹が立つからお前のキモウトに頼んで弁当箱ぎっしり、大好物のゴカイの佃煮を入れて貰うわ!」


 ケーキが収められている箱をベビーカーのバスケットに入れ、その女性客は脅迫しながら退店する。

 

 「ひぃぃ! 俺の妹は、普段着が着物の時坂紫ときさかゆかりちゃんだった?」


 情けない悲鳴を出し、ミナカが一部の人間にしか伝わらない人物名を比喩で挙げた。店の置物になりつつある彰は、喫茶スペースを占拠していた高校生達がいなくなるまでその場から動けない。

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