記憶に眠る幻想曲
8月2日、私立向陽高校では期末試験も終わり、夏休みを迎えていた。
8月に入ると、より一層暑さも際立ち、草木も青々としていよいよ夏本番といった感じだった。
翔太郎は部活へ行くため、いつもの通学路を歩いていた。
だが、そこにはいつもと違うイレギュラーも存在していた。
「暑い〜、翔太郎この溶けそうな暑さ何とかできないのー?」
「僕をなんだと思ってるんだよ、そんなこと出来るわけないだろ」
雨宮皐月は翔太郎と交わした約束の1つ、
━部活に入る━
を達成するため、翔太郎の隣を歩いているのだった。
「そういえば部活入ってたこと無いの?」
「う、うん。私ほら、両親の仕事で転校繰り返してたからなかなかね。」
そう答える皐月は何故か少し慌てたように見えた。
「でも本当に弦楽部なんかでいいの?部員は僕1人だよ?」
「だーかーらー、それでいいって言ってるじゃん?こう見えて私音楽は分かる方なんだよ」
翔太郎は元々部活など所属するつもりは無かったが、私立向陽高校には部活全員加入という、部活に熱を入れるが故のしきたりがあった。
そこで翔太朗が選んだのが、弦楽部だった。
特段弦楽器が好きかと言われればそうではない。
むしろ弾ける楽器なんて一つもないが、なぜかこの部活がいいと思った。
「でも翔太朗は弾ける楽器があるわけじゃないなら、部活は普段何してるの?」
「放課後音楽室で本を読んだりしてる」
「もうそれ図書部にでも名前変えたら?」
その問いに翔太朗は答えない。
そんな調子で二人は学校についた。
「僕は鍵を取りに行ってくるから、先に音楽室に行ってて」
「はーい」
皐月と一旦別れ、翔太朗は一人廊下を歩いていた。
夏休みとはいえ、校舎内には部活や補充授業などで用のある生徒がたくさんいて、普段と変わらないくらいの活気があった。
「僕は何をやっているんだろうな」
翔太朗は一人呟いた。当然その問いには誰も答えない。
鍵を持って音楽室に戻ると、扉は既に開いていた。
「誰か締め忘れていたのか」
そう言い扉を開け中に入ると、入ってすぐのところにあるグランドピアノの椅子に皐月がちょこんと座っている。
「何してるの?」
翔太朗が問うと、その質問には答えずに、皐月は鍵盤をたたき始めた。
鳥肌が立った。
きちんと調律がしてあるピアノからは美しい和音が響く。
翔太朗の耳に、起き抜けに飲む水のようにメロディーがしみ込んでゆく。
翔太朗の頭でかつての記憶が再生される。
住宅街に立ち並ぶ家。その中でも、一際大きな家がある。その家の中から漏れて聞こえてくるピアノの旋律。まだ幼かった翔太朗には、なんの曲なのかもわからない。だが、翔太朗はその音が好きだった。今思えば、その音を奏でる、一人の少女が好きだったのだろう。
翔太朗はすっかり聞き入っていた。
珍しく、感情が動くのを感じる。味わったことのない、不思議な感覚だった。
「翔太朗、おーい翔太朗。どうしたの?もうおわったよ?」
気づけば、もう皐月の演奏は終わっていた。そんなことにさえ気づけないほど、翔太朗は深く聞き入っていた。
「さっきの、なんて曲?」
「エチュードの別れの曲、聞いたことあるの?」
「昔にちょっとだけ」
「ふーん」
なぜだろうか、皐月の反応はなぜか薄かった。
その後は特にすることもなく、暇な時間が流れたのち、部活を体験したことで皐月の計画も達成されたので、二人はそこで別れた。
帰る途中、行きは二人で通った道を、今度は一人で歩いていた。
不思議な感覚を味わった翔太朗は、翔太朗は心の隅で、微かに希望とも呼べる感情をいだいていた。
この感情の正体は、翔太朗にも分からなかった。
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